カルテ4-7 まだまだ小さな一歩でも

スナネコが退院してから2ヶ月ほどたった5月のある日、突然ツチノコが病院へとやってきた。いきなり診察室の扉を開け中に入ってきたツチノコに驚き、中にいたサキはすすっていたコーヒーをこぼしそうになった。


「ツチノコさん、今日はどうされたんですか?もしかしてどこか具合でも悪いのですか?」


サキの心配をよそに、ツチノコは呆れた顔をした。


「いや、別にどこも悪くないんだよ。用もないのに病院来るとすぐこれだからなあ、医者は。」

「そしたらどうしてわざわざ丘の上まで?大変だったでしょう。」


サキが尋ねると、ツチノコは勿体つけながらボソッと言った。


「ライブの招待だよ。スナネコの復帰ライブの。」


するとまた突然診察室のドアが開いて今度はヒイラギが飛び込んできた。


「つ、ツチノコさん。ライブやるって本当ですか?いつですか?」


どうやらヒイラギは診察室の外で立ち聞きしていたらしくかなり興奮した様子でツチノコに食いついた。目を輝かせて顔を近づけるヒイラギにツチノコは少したじろいだ。


「1週間後に砂漠の外れの広めの洞窟でやるってスナネコが言っていたぞ。本来ならスナネコが直接ここに来るべきなんだがな、あいつ曲作りとリハビリで忙しいから、ここには俺がきたってわけだ。顔なじみだし。」


そしてツチノコはさらにもう一言付け足した。


「ヒイラギは絶対来るとは思っているんだが、ヒイラギと一緒に先生も絶対連れてこいってスナネコが言っているんだ。」

「私も?」

「ああ。」


そう言うツチノコがさっきまでと違って真面目な顔であったことから、是非私にもライブに来て欲しいのだろうと、そう察せられた。サキ自身もスナネコさんの全快した姿、歌う姿を見てみたいとは感じていた。けれどサキはツチノコの誘いを受けるのを躊躇ってしまった。それはアルビノの体のサキには砂漠の直射日光が耐えられないというのもあるが、何よりセルリアンの体を持つサキが多くのフレンズの集まるライブに行けば、間違いなくその場所でトラブルが起きるだろう。そうなれば一番迷惑するのはスナネコだ、そうサキは思ってやんわりと遠慮しようとした。


「とてもありがたい話なんですが、私はちょっと・・・行ったら迷惑かも。それにそもそも会場に行けるか・・・」


するとツチノコは待ってましたとばかりに目を光らせて言い返した。


「そういうと思ったよ。けど心配はいらないぞ、先生。今回のライブは陽が落ちてからやるんだ。だからアルビノの先生でも来れるさ。それに洞窟の中はすごく暗いから先生の腕に気づくフレンズはいないよ。」


「まるで私が行くことを前提としたようなセッティングですね。」


不思議に思ったサキが首をかしげると、ツチノコは後ろ手を組んで真面目な顔の上に少し笑いの色を混ぜた。


「ああ、そうだよ。このライブはスナネコと俺の気持ち、先生への心からのお礼なんだ。あいつがリハビリと練習を頑張っているのは自分のファンと先生に元気になった姿を見せるため、そして俺が方々駆け回ってライブの準備をしているのはスナネコのファンと、先生に是非ともライブを楽しんでもらうためなんだ。先生、お願いだ。俺たち二人の気持ちをどうか受け取って欲しい。」


そう言っていきなりサキの手をとって、勢いよく頭を下げた。被っていたフードが頭から脱げて緑色の髪が胸の前へふわりと垂れ落ちた。握られた手は強く包まれ、そこから伝わってくる体温からはツチノコの熱さ、思い入れがひしひしと感じられた。


正直言ってサキにはまだ迷いがあった。自分が病院を離れることなど6年ぶり以上のことであり、他のフレンズの集団に混ざることがどうしても怖いと感じてしまうのだった。そしてその集団においては「自分が医者であること」は一切関係がない。


医者という依所を持たない私は、果たしてフレンズの集団に加わることができるのだろうか。加わる権利はあるのだろうか。

どうしてもそうやって考えて、二の足を踏んでしまって、結局ここにいつも閉じこもってしまう。


けれど今は状況が違う。目の前で手を握っているツチノコさん、そしてリハビリに励むスナネコさんが、「私に」来て欲しいと熱く誘っているのだ。これを無下に断って二人の気持ちを踏みにじることはしたくない。


チラと後ろのヒイラギの顔色を伺うと、大きな瞳をキラキラに輝かせて、見るまでもなくライブを楽しみにしているようだった。そんな様子を見てサキはふとヒイラギの気持ちに思いを馳せてみた。

スナネコさんが来てから退院するまでの数ヶ月、本当にいろんな事があった。正直言ってヒイラギには本当に助けられた。私一人だけではスナネコさんとハシビロさんを助けることは到底できなかっただろう。その間、ヒイラギは自分のしたいことを我慢して常に私のそばにいてくれて、私を助けてくれていた。

私がまたここでライブの誘いを断ってもヒイラギ一人はライブに行くだろうが、それはヒイラギの本望なのだろうか。

いや違う。そうだとしたらあの時見せた寂しそうな表情は何だというのか。ヒイラギの本望は「私と」スナネコさんのライブに行くことなんだ。


3人の気持ちを私の心の弱さで突き放すことはできない。


変わるべきは、私だ。


「ツチノコさん、顔を上げてください。」

ツチノコがゆっくりと顔を上げて、その下の緊張した表情を垣間見せた。サキはそんな顔の前に握られた手を振りほどかず、そのまま引き上げて互いの顔の前に持っていき、ゆっくりと握り返した。


「ぜひ行かせてもらいますよ。ライブ楽しみにしています!」


わずかに残った恐怖を心から追い出すようにサキは強く宣言し、そして精一杯の感謝の笑顔をツチノコに見せた。

掲げた握手の向こう側でみるみるツチノコの真面目な顔が緩んでいくのが見え、そしてすぐさま喜びを弾けさせた。


「先生来てくれるのか!ありがとう!先生来てくれるって聞いたらきっとスナネコも喜ぶぞぉ!! それじゃあ1週間後のライブ前に迎えに来るからよろしくな。それじゃあな!」


早口にそれだけ言うと、ツチノコは診察室を勢いよく飛び出していった。嵐のように去っていってツチノコにサキはあっけにとられた。すると今度は後ろからヒイラギが嬉しさのあまりサキに飛びついてきた。


「サキさんも一緒にライブ行けるんだね! よかったよ。心配だったんだから!」

サキの首筋に頬を擦り寄せてヒイラギは言った。

「そうね、私ライブどころか外出なんて初めてだから、だからとっても楽しみだよ。」


サキも後ろに顔を向け、張り付いたヒイラギの頭を優しく撫でると、ヒイラギは気持ちいのか一層強く自分の頭をサキに押し付けるのだった。


(これで、よかったんだ。)


サキは心の中でそう呟いた。




あっという間に1週間が経ち、ライブの日がやってきた。空が夕焼け色に染まり始めた頃、エントランスのドアが開いてツチノコが病院に迎えにきた。そして支度を整えたサキとヒイラギは、ツチノコの後に続いて病院を出て丘を下り始めた。その途中サキは振り返って、きた道を見た。斜面に続く道の向こうには、さっきまでいた病院が夕日に照らされ小さく見えた。その光景がサキには妙に感慨深く思えた。


「病院にきた患者は、帰る時いつもこの景色を見ていたんだな。ちょっと、神々しい。」


サキは坂の上を見上げたまましばらく立ち尽くしていたが、遠くからヒイラギの呼ぶ声が聞こえると慌ててあとを追った。

丘を下りているうちに陽は完全に落ちて、あたりは一層暗くなった。日頃蛍光灯の下で生活しているサキにとって、夜の林の暗さがとても新鮮に思えた。林道を進んでいる最中、ふとヒイラギが口を開いた。


「ねえツチノコさん。ツチノコさんって昔、すっごいお医者さんと一緒に暮らしていたことがあるんだって?」


突然に尋ねられてツチノコはちょっとびっくりしたようだった。


「・・・そうだ。ユウさんって言うんだけど、サキから聞いたのかい。」

「うん。とってもフレンズ思いのお医者さんだったって。」

「そうだぞ。」

「それで、ツチノコさんはそのお医者さんが今何しているかを調べているって聞いたんだ。僕も少しなら字が読めるからお手伝いできるかなって。」


そう言ってヒイラギはツチノコの横顔を伺った。ツチノコは横のヒイラギを見て照れるように顔を赤らめ、ちょっと顔を背けたがすぐに首を振って言った。


「ヒイラギの気持ちは嬉しいけどさ、それには及ばないよ。これは俺の問題だからな。けど、なにかの拍子でわかったことがあったら教えてくれると、きっと俺は喜ぶと思う。」


そして顔を赤らめたままニイっと笑ってみせた。こういう、自分に対して素直になりきれないのがツチノコらしいなとサキはなんとなく思った。


「ユウさんは今どこにいるんでしょうかね?」


ヒイラギに便乗してサキも質問してみると、ツチノコは後ろにいるサキに振り向かずゆっくりと夜空を仰ぎ、宙に向けてほわっと息を吐き出した。サキも倣って見上げるとひんやりとした夜の空にはあちらこちらに星々が煌めいていた。そんな星空に向かって願いを綴るようにツチノコは話し出した。


「俺がユウさんと会わなくなったのは、今のスナネコと出会ってからだよ。今のスナネコに出会えたこともあって俺は心の傷を克服できたから、ユウさんが元の住まいに帰っていいと言ってくれたんだ。その後俺は砂漠に戻ったんだけど、それでもたまには病院に行ってユウさんと会っていた。でもある時から病院でユウさんを見かけなくなったんだ。職員に尋ねたら、ユウさんは転勤で別の病院に行ったと言われたよ。そして10年前の異変でパークからヒトが居なくなって、もうユウさんと会うことはできなくなったってわけだ。」

「そんなにあっさり・・・」

「俺自身ももっとユウさんと話したいこと、教えてもらいたいことがいっぱいあって悔いが残っている。だからせめて今もどこかにいるユウさんの足取りを追っていたいんだ。」


サキには空を見上げるツチノコの横顔が少し見えた。この世界のどこかにいるが決して会うことのできない誰かを想う、その真剣な表情が星空とともにサキの脳裏に焼き付いた。満天の砂漠の夜空の下、見たことのない色とりどりの星の輝きに魅せられたのか、センチな気分になったサキはつい安直に同情してしまった。


「心配しなくても、ユウさんならきっとどこかで誰かの命を救っていると思います。」


軽率なことを言ったとサキは慌てて口を押さえ、恐る恐るツチノコの顔色を伺ったが、ツチノコはさっきと何も変わらず空を見上げながら歩いていた。


「さて、先生、ヒイラギ。そろそろライブ会場に着くぞ。」


夜空を背にツチノコは二人を振り返って寂しそうな微笑を見せた。



ツチノコの言った通りライブ会場の洞窟は広く、星の光が無い分外よりも暗かった。洞窟の入り口に立つと、中にいるフレンズたちの話し声が厳かな残響となって伝わってきた。サキは入り口でちょっと逡巡してしまったが、すでにハイテンションになっているヒイラギに引っ張られて連れ込まれてしまった。

真っ暗のホールの中を何人もの観客の横を通り過ぎて、サキとヒイラギはステージの最前列その下手側に通された。やはり真っ暗な洞窟のおかげなのか、サキがセルリアンだと気づく者は誰ひとりおらず、皆ただライブが始まるのを心待ちにしている様子だった。


「ねえスナネコさんどこにいるのかな?」


ヒイラギがそわそわしてステージの最前列へと駆け寄り、そこで小さく飛び跳ね始めた。そんな年相応のはしゃぎ方をしているヒイラギの様子を後ろから眺めていたサキは改めてヒイラギのことが可愛らしく、愛おしく思えた。


「ヒイラギ、大はしゃぎですね。」

「ファンなんだからライブを前にじっとしているのは無理なんだろう。さて、ここならサキも落ち着いて見えるんじゃ無いかな?」


今サキたちが立つスペースは都合の良いことにステージの様子がよく見える席である上に、背後の岩壁の出っ張りによってサキたちの背後からの視線が遮られるようになっていた。


「ええ、ここなら落ち着いて観られると思います。ありがとうございます。それにしてもステージにある機械や照明はどうしたんですか?」


サキはステージ上に乗っている黒いキャビネットや数個の電球を指差し尋ねると、ツチノコは自慢げに胸を張って答えた。


「全部俺が手配したんだぞ。洞窟内の施設から持ってきたり、PIPのマネージャーにお願いして貸してもらったりしていろんなところからかき集めたんだ。けど、難しいところは博士と助手に手伝ってもらったよ。アンプっていう機械の調整がよくわからなくてな。」

「ということは、今この会場に博士たちもいるんですか?」

「ああ、今は舞台袖でミキサーって名前の機械をいじっていると思う。」


へぇー、とサキは感心して、裸電球のオレンジ色に薄く染まっているステージの端々を改めてじっくりと眺めた。自分の使う医療機器に驚いて声を上げるフレンズの気持ちがなんとなくわかった気がした。そうしていると舞台袖から誰かがこっそりと出てきてサキたちのいる方へと近づいてきた。夜目がそこまで利くほうでは無いサキは最初は誰だかわからなかったが、次第にそれが見知った顔であると分かると一気に顔を綻ばせた。


「博士!それと助手、お久しぶりです。その後はお変わりないですか?」

「私はオマケというわけですか。それはともかくお前のお陰で体調はもうすっかり戻ったのです。感謝しているのです。博士が非力な分私が余計に頑張らないと仕事にならないのですよ。」

「少し黙るのです助手。最近仕事続きで疲れているだけなのです。それに私は助手と違って頭を使っているのです。頭脳労働というやつなのです。」


再会して早々に口喧嘩をする姦しい二人を見て、サキもツチノコも互いに目を合わせ苦笑した。サキの初仕事であった昨夏の助手の治療から、気づけばすでに1年が経とうとしていた。日々懸命に治療に明け暮れた1年、その時間の流れの早さにサキはただ驚くばかりで、少し懐かしい気分になった。

博士はサキの前までやってきて、フードを被ったサキの顔を見上げて覗きこんだ。眼前にいる博士は少し痩せて、小さくなったように見えた。


「お前が病院の外に出てくるとは思わなかったのですよ。」

「ツチノコさんとスナネコさんの厚意で来させてもらったんです。それにたまにはヒイラギの気持ちも大切にしてあげたいなと。」

「ふふっ。お前はこの一年でとても成長したみたいですね。誰とも仲良くなれず、病院にひとり閉じこもっていたお前が、今こうして自分の殻から外に出てこれるようになったのですから、胸を張るのです。サキ、私がお前に言った最初の言葉を覚えていますか?」


忘れるわけがない。


「背負った運命を切り開くのは自分自身」


博士は満足げに頷いた。


「お前は医者というアイデンティティを手に入れ、過酷な運命に抗おうとしているのです。きっとお前が目指す目標、それが何なのかは私は知りませんが、とにかくそこに向かう道程はまだまだ長いのでしょう。けれどお前が積み重ねる一つ一つの歩みは、間違いなくお前が見つめ行く先の場所に進んでいるはずなのですよ。」


そして一層満ち足りた、慈愛に満ちた笑顔をサキへと向けた。その笑顔は暗い洞窟の中でまばゆく咲く一輪の白い月下美人のように映った。


ガシャンという音と共にステージの照明が消え洞窟は完全な闇となった。いよいよライブが始まるのかと観客は色めき立ち、真っ暗なステージの上に一斉に注目し出した。それから程なくして再びステージの照明が点くと、そこにはギターを携えたスナネコがマイクの前にスラリと立って、観客席全体を見渡していた。その凛とした立ち姿を見ると、体調はもうすっかり良さそうに見えてサキはちょっと安心した。スナネコが下手側に目を向けた時、偶然か必然かサキはスナネコは目があったように感じた。直後スナネコはちょっと頰を緩ませ、そして右手を大きく振り始めた。すると観客も沸き立って「おかえりー!」「待ってたよー!」と口々に叫んだり、同じように手を振り返したりした。その熱量にサキは圧倒され、叫ぶことも手を振ることもできなかった。その光景を満足げに眺めていたスナネコはスタンドマイクを手に取った。


「あー、こんなに多くのお客さんが来てくれて、ボクはとっても嬉しいです。騒ぐほどでもない歌ばかりですが最後まで聴いていってくださいね。それでは1曲目、ようこそジャパリパークへ。」


口笛とともに始まったパークのテーマ曲に観客は大きく盛り上がり、会場の温度がいきなり高まった。かき鳴らされる豊潤なアコースティックギターの音色、そして結核から完全に復帰したスナネコの紡ぐ繊細で透明な歌声にサキもツチノコも、博士たちまで気づけば我を忘れて聴き惚れていた。

何曲か歌いあげたあと、スナネコは一度ギターを置いて一口水を飲むと、またマイクの前に戻ってきてMCを始めた。


「はい、皆さん楽しんでいただけていますか?」


会場から大きな拍手が巻き起こった。気持ちよさそうに拍手を浴びるスナネコは嬉しそうに息をついた。


「ボクもまたこうしてライブをすることができて、とても嬉しいです。実はですね、ボクはこの間まで病気にかかっていたんです。それのせいでしばらくライブができなかったんです。」


客席が静まり返った。サキもヒイラギも、壇上のスナネコが一体何を語るのかと固唾をのんで見守った。


「咳がひどくて、熱が出て、とてもみんなの前で歌うような調子ではなくて、本当にこのまま息が止まってしまうんじゃないかって、とても不安でした。

でも今こうしてボクはみなさんの前で再び歌うことができています。それはボクの病気を治してくれた「いしゃ」というフレンズのおかげなんです。皆さん「いしゃ」って知っていますか?「いしゃ」というのは体の悪いところを治すことが得意なフレンズのことなんです。ボクもさっきツチノコから聞きました。」


ところどころで笑い声が上がった。


「ボクが自分の命と大好きな歌、音楽を取り戻すことができたのは、またこうして皆んなと会えたのは、その「おいしゃさん」がいたからです。ボクはそんな2人のフレンズさんにとっても感謝しているのです。

今、この会場のどこかにいる「おいしゃさん」、ボクを助けてくれて本当にありがとう、ありがとう。」


そしてスナネコは壇上で深く頭を下げた。そのスナネコを見て、観客から一段と大きな拍手が鳴り響いた。洞窟の中に鳴り響く万雷の拍手の中、ちらほらと、しかし確かに言葉が混じってサキの耳に飛び込んできた。


「いしゃのフレンズさん、ありがとう!」

「スナネコさんを助けてくれたんだね!ありがとう!」

「ありがとう!」

「ありがとーっ!!」


その言葉一つ一つがサキの心を揺さぶっていった。今まで感じたことのない気持ちでサキの心が満たされていく。照れ、祝福、達成感、感謝されることの喜び、今のサキにはこの感情が何なのか分析する余裕は全くなかった。そして臨界点に達したのか小さな嗚咽とともに涙が溢れて、サキは顔を上げていられなくなった。


こんな幸せな涙、流したことないよ・・・


はち切れそうな心の中でそう呟くのが精一杯だった。

気づけばツチノコがすぐ隣によってきて、背に手を回してくれていた。


「誰かの命を救い、希望を与える。こんなことができるのは医者だけなんだよ。そして医者が救った命が、また他の誰かの生きる希望になるんだ。俺や、ここにいる観客たち、全員を先生は救ったんだ。ユウさんはそれが医者を続ける理由と言っていたけれど、今お前もそれを感じているんだな。」


ポンポンとツチノコが背を叩いて、俯いて泣くサキに語りかけた。ツチノコの声ははっきりとサキには届いていた、けれど今のサキには一言、震えた声で溢れ出す気持ちを吐き出すことが精一杯だった。


「私、医者になって本当に良かった・・・ ここまできて、本当に良かった・・・」



「ボクは歌を歌うことが大好きなフレンズです。そして、ボクなりに感謝の気持ちを伝えるには、やっぱり歌しかないなって思ったのです。例えば病気になって、孤独になって、くじけそうになる。そんな時でも必ず誰かが隣にいてくれるものなんです。寄り添ってくれる人がいたからボクは頑張れた。待ってくれている人たちがいたから頑張れた。そんな気持ちを表現したくて、ところどころツチノコに手伝ってもらいながら作ったこの歌を、2人の「おいしゃさん」に贈ります。

それでは聴いてください。」



『Star ship』


予報にない通り雨

遠い空の星の光が滲む

傘も持たず歩いていた

湿気て冷めゆく胸の灯


「聞いてない」怒鳴り散らしても

雨は止まないんだ

ずぶ濡れの僕に出来ること

君がいつか言ったこと


立ち止まった僕の背中を

流星の君が押したよ

雨雲切り裂く勢いのまま

今一歩二歩と踏み出してゆく


Cruise against this cruel wind

Cruise against this cold rain

Cruise against this cruel wind

I chose the route to be alive




カルテ4 おわり

カルテ5に続く

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