カルテ2-1 生き方は変えられない
セルリアン、それはジャパリパークに暮らすフレンズを襲い食べる私たちの捕食者だ。その危険からフレンズを守るためにセルリアンと戦う者がいなくてはならない。それが我々セルリアンハンターだ。お前がハンターを目指すのなら、自分がみんなを守るんだという心意気を熱く持ち続けろ。そして冷徹に判断し、淡々と奴らを狩るんだ。
それがリカオンが初めてヒグマから教わったハンターとしての生き方だった。フレンズを助けるため日々セルリアンと戦うヒグマに憧れ、側で支えたい、その一心でハンターに志願したリカオンは、自身にハンターとして生きる覚悟を叩き込まんと静かに、しかし熱く教示する大先輩の言葉一つ一つを目を輝かせて胸にしまっていた。
「先輩!しっかりしてください!立てますか?」
砕け散ったセルリアンの残骸はキラキラと光を放ち、地面に座り込んだヒグマとそれを心配するキンシコウ、リカオンを取り巻いていては消えていった。リカオンは狼狽し、歯を食いしばっているヒグマに再度声をかけた。
「大丈夫ですか!?」
「っ、ああ。大丈夫だ。これくらい。」
ヒグマは笑ってリカオンに答えたがその笑顔は引きつっており、眉間にはしわが深く作られていた。胸の傷をかなり痛がっているようにリカオンには見えた。
さっきまで戦っていたセルリアンは非常に攻撃性の高い危険な個体だった。鎌のように鋭く変化した腕を振るい、ハンターに対しなかなか隙を見せなかった。隙を作るためヒグマは陽動作戦を立て、リカオンにセルリアンの意識のかく乱、キンシコウに急所への攻撃を命じ、自身はセルリアンの攻撃の防御を担った。結果その作戦は成功しセルリアンは木っ端みじんになったのだが、ヒグマはセルリアンの激烈な攻撃を受けきることができず、左胸を斬られて吹き飛ばされてしまったのだ。
「ヒグマさん、胸の傷だいぶ痛そうですが・・・ちょっと見せてください。」
服に滲んでいる血とヒグマの表情を見てキンシコウは重傷だと思ったのか傷の具合を確認しようとしたが、ヒグマは強がってそれを遮り傷を見せようとはしなかった。
「大丈夫、大丈夫だから。少し休めば治るさ。ほらお前ら、そろそろ引き上げるぞ。」
そう言ってヒグマは何とか立ち上がり、怪我をした左胸をぎゅっと押さえ歩き出した。その強情さにキンシコウは少し呆れため息をつき、まだうろたえた顔のリカオンに目配せするとスッと腰を上げヒグマの後を追いかけた。リカオンもその後すぐ慌ててついて行った。
病院のある丘は高山の近くにあり、暑い夏が終わるのも早い。助手が退院してから1か月ほど経ち、病院を囲む林の木々は色づき始め、丘にはひんやりとした風が吹き枝を揺らしていた。外で過ごしやすくなったのでヒイラギは毎日友達と遊んでいた。その日ヒイラギは遊んでいる時友達のオオタカから、病院が丘のふもとでちょっとした噂になっていることを聞いた。
「あの丘に住んでいるフレンズが助手を治したって噂になってるよ。」
「そうなんだ。病院がもっと知られればサキさんも喜ぶだろうなあ。」
ヒイラギにとっても、慕っているサキの努力が認められたのは嬉しかったので、こうして病院が話題になっているという話を聞くのは良い気分だった。
「でさ、病院に来る人って増えてるの?」
オオタカは何気なくヒイラギに聞いた。ヒイラギはその質問にちょっと困り、苦笑いし頭をぽりぽりとかきながら答えた。
「うーん、あんまり来てくれないんだよね。たまにに山越えで疲れ切った鳥のフレンズが休ませてくれって来るときはあるけど。」
「そうなんだ。確かにフレンズは怪我とかしてもよっぽどじゃなきゃ放置しちゃうしね。病気もそこまでかからないし。」
「あんなにサキさん頑張っているんだから、もっと病院に来てくれるフレンズが増えたらなあ。」
こればかりはヒイラギもため息をつくことしかできず、がっかりした顔で丘のふもとをぼんやりと眺めた。
オオタカと別れた後ヒイラギは病院に戻った。いつものようにサキは分厚い医学書を難しい顔をして読んではノートにメモを取っていた。ヒイラギはサキの側に寄り本を覗き込んだ。サキはそれに気づきヒイラギの頭をぽんぽんと優しく叩いた。
「サキさん、患者さん今日も来ないね。せっかくふもとですごいねって噂になっているのに。」
病院が噂になっていると聞いてサキはうれしかった。博士の支えで最後まで助手の治療をやり切ったことは医者であるサキにとって大きな一歩であった。それが他のフレンズにも伝わって評価されつつあるのは、今まで疎まれ続けたサキにとって初めての経験だった。
「そうだね。でも病気とか怪我に誰もなってないというのは良いことだからね。あんまり患者さんが多いと逆に心配になるよ。」
サキは笑って冗談交じりに答えた。しかし内心サキは患者が来ないことは少し残念に思っていた。
「けど、ヒイラギの言う通りよ。なんとなく、張り合いがないなと思っちゃうことが増えた。何のためにこんなことをやっているのかなって時々考える。」
いくら本で医学を学び、訓練用モデルで手技を鍛錬しても、それを生かす場がなければ意味がない。こと医者においては患者あってこその存在である。
患者が来ない理由がセルリアンであるサキが怖いということかどうかは分からない。しかし患者が来ないことには、サキに向けられた異物感、畏怖を拭う機会は与えられないのだ。サキはそのジレンマが心底もどかしく、1か月前とはまた違った泥沼にはまってしまったなと感じていた。
サキはペンを置いて本を閉じ、椅子にもたれかかってマグカップに残っていた冷めたコーヒーを一気に飲み干した。天井を見上げサキは冷たくなった苦い汁のまずさに耐えながら、満たされないような焦燥感のような気持ちを味わっていた。
ズキズキとうずく胸を押さえ、ヒグマはしばらく歩いていた。しかしヒグマの体は確実に悪い状態に向かっているのが後ろからまじまじと見ていたリカオンにはありありとわかった。左胸の傷を抑える右手からはずっと血が零れ落ちており、呼吸のたびに肩が大きく上がったり下がったりしていた。すでにその手は蒼白になっており、そこに呼吸がおかしいせいなのか顔色はくすんだ灰色に変わっていた。ヒグマ自身も胸が締め付けられ肺が軋むような異常な知覚を感じていた。いままで強がっていたヒグマもついに足を止めその場に静かに座り込んだ。横にいたキンシコウはびっくりしてヒグマの前に回って顔を覗き込んだ。リカオンも慌てて駆け寄りヒグマの背中をさすった。
「先輩! やっぱりその傷を放っておくのは危険です。ちゃんと手当しましょうよ。」
リカオンはヒグマの状態に危機感を抱いていた。今までどんな傷を負ってもヒグマは少し休めば回復し、翌日にはまた元通り戦いに出ていた。そのヒグマがここまで顔色悪くしゃがみこんだのは初めてである。そのことがリカオンには不安に思えてならなかった。
少し間をおいてヒグマはゼエゼエと浅い呼吸でなんとか言葉を返した。
「ちょっと、今回はまずいかもしれない。くそぉ、あのセルリアンめ。」
自身に傷を負わせたセルリアンにヒグマは憎まれ口を吐いたが、その言葉にはいつものような力強さは感じられなかった。
「ヒグマさん、これは放置するとたぶん危険です。お医者さんに見せましょう。近くの丘の上に傷や病気を治すのが得意なフレンズがいるという話があります。そこに行ってください。」
キンシコウは見るに見かねて語気を強くしてぴしゃりと言った。言葉の勢いに一瞬びっくりしたヒグマだが、すぐにまた元の険しい顔に戻ってしまった。
「そういうことができる奴がいるとは私も噂で聞いている。ただそいつはセルリアンというじゃないか。」
「先輩、そういうことを言っている場合ではないのでは・・・ 今は怪我の重さを知る方が大事なのでは・・・」
しかし頑として病院に行こうとしないヒグマにリカオンはどうしようもなくキンシコウに困った顔を向けた。後輩の目線に気付いたキンシコウは少し考えてからヒグマに提言した。
「ヒグマさん、リカオンの言う通り、仮にそれがセルリアンだとしてもその医者には見せるべきです。怪我が大事でないようならそれはそれで良いですし、リカオンを付き添わせますからもし何かあったら対応させましょう。」
「そうですよ。普段先輩に鍛えてもらっていますから大丈夫です。」
リカオンもヒグマの前に回って自信のありそうな顔をヒグマに向けた。さすがのヒグマも二人から諫められて屈服したようで、軽くため息をついた。
「わかったよ。お前らがそこまで言うなら仕方ない。すまないがキンシコウは他の要請があった時に対応を頼む。リカオンは付き添ってくれ。」
窮地に陥った憧れの先輩が自分を頼ってくれた。そのことがリカオンにとってはうれしくて、こんな状況だとわかってはいても我慢しきれず、つい張り切って返事をした。
「オーダー、了解です!」
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