カルテ1-1 流れ星の降る丘

夏の日差しで濃い影が落ちた病院のエントランスには今日も患者の姿はない。こんな夏をすでにサキは5回ほど見ているので、他人と関わらなくて済むという安堵と、いつになったら蓄えた知識が実際に使えるのだろうかという焦りが背中合わせになった、このしけったような感情にもいいかげん慣れてしまった。ヒイラギは今日も元気に友達と病院を囲む林の中を駆け回っていることだろう。

友達なんかいなくったって、生きていけるじゃないか。

ヒイラギへの羨望から飛び出た負け惜しみは病院の無機質な壁にしみこんで消えていった。

「連日蒸し暑いな。普通なら熱中症やら食中毒の患者がたくさん来るんだろうな。」

サキは日向にでて腕を太陽にかざした。ガラスのように透明な藍色をしたセルリアンの両腕は、光を透かして宝石のように美しく輝いた。その青い光にあてられたのか、つい本心が喉と心を裂いてこみ上げてきた。

「・・・私だって、本当はみんなのようにおしゃべりしたり遊んだりしたかったんだ・・・でもできなかった。弱かったから、逃げることしかできなかったんだ・・・」

サキには両腕のきらめく美しさがむしろ、凍りついて外れない呪いの指輪のように見えて嫌気がさし、背負った運命を恨んで唇をかむのだった。


病院の建つ丘からそこまで遠くないところに博士の住む図書館はあった。中央の大木を軸に建てられた図書館は四方を白い壁に囲まれ、その一部は崩れて天窓のように内部に明るさをもたらしていた。今日も博士とその助手は図書館の山積みになった本を片っ端から読み、整理していた。

「博士、そろそろお腹がすいたのです。」

助手は博士に声をかけた。博士も頷き席を立って揃って下へ降り、テーブルに置かれたじゃぱりまんを手に取った。助手は黄色のじゃぱりまんをほおばった。

「今日もいつもの味なのです。変わらないのです。」食べなれた助手はうんざりした顔で感想を述べた。

じゃぱりまんとはパーク内のフレンズに供給される食糧である。肉まんサイズの皮の中には栄養価ばっちりのソースが入っている。これを食べれば必要な栄養はすべて摂れる、いわば完全食であった。

「当たり前なのです。味が違ったらそれはそれで一大事なのです。」博士も無表情で茶色のじゃパリまんを千切って口に放り込んだ。

「しかし、私たちはせっかくヒトのと遜色ない舌を持っているではないですか。せっかくこの体になれたというのに毎日食べるのがこのじゃぱりまんではいい加減食欲が満たされなくなってくるのです。」

「それはもう考えても仕方のないことなのです。我々の手先では料理をすることはできないのですから。数十年前、前の世代のフレンズがうらやましいのです。ヒトがつくったいろんな食べ物が楽しめて。」

現状パークにヒトはいない。7年前に巨大なセルリアンが暴れたせいでパークは閉鎖され、ヒトはみんな退去してしまったからだ。結果としてこのジャパリパークにはフレンズ、ヒトの残した廃れた建造物、フレンズの世話を焼く自律ロボット「ラッキービースト」しかいなくなった。調理するための器具などは残っており、実際図書館の隣には野外調理場があって鍋や包丁などは設置してあった。しかしフレンズに扱えるのはせいぜいポットか電子レンジ程度であったのでどうしようもない。

「どこかにじゃぱりまん以外の食べ物は残っていないのですかね。」

博士より食欲が旺盛な助手は未練がましそうだった。それもそのはず、このうだるような暑さでは鬱になってしまう。ましてや毎日同じ食べ物ではげんなりするのも当然だろう。

「まあ、無いと思うのです。なまじっかヒトの舌を手に入れたばかりにこうなるとは思わなかったのです。」

博士も深くため息をついた。そして作業のようにじゃパリまんを大きく割って口に運んだ。


その日博士は昼過ぎから外に出かけた。みずべちほーにいるコウテイペンギンからコンサートステージの故障を見てほしいということだった。博士が図書館を出た後、助手はまた蔵書を確認しては正しい場所へと戻す作業に戻った。図書館はジャパリパークの中でもかなり高層な建物であり、それの中を重たい本を持って飛び回るのだから大変な重労働である。助手はもともと体力には自信はあったが、やはり途中で疲れてしまい、休むことにした。床に座り込み取り置きのじゃパリまんをまたほおばることでとりあえず一息はつけるのだが、助手の頭はじゃぱりまん以外のものが食べたいという贅沢な食欲ですぐにいっぱいになってしまった。

「まったく、この体というのはずいぶん欲深くできているのです。動物だったころは毎日同じものでも食べられる物が手に入るだけで満足だったというのに。」

そう呟いて助手は昼下がりの暑さに屈するかのように日陰になっている床に仰向けに寝転んだ。ひんやりとした床の感触が背面に感じられ助手は少し気持ちよくなった。次第に床も体温のせいでぬるくなってしまったので、右に寝返りをうった。そのとき助手にある本が目に留まった。助手は体を起こしてその本を手に取った。本というより小冊子といった方がよいサイズの薄い本の表紙には「じゃぱり図書館エリア緊急備品リスト (Emergency supplies for Japari Library Area)」とあった。中を見ると、多くの項目がリストアップされている。

「シャベル、バケツ、ロープ、はつでんき?色んなものがあるのです。」

助手は平仮名やカタカナ、アルファベットは読めるが漢字がそこまで読めるわけではないので飛ばし飛ばしであったが品目に目を通した。ページを後ろに送ると英語版のリストがあった。そこで助手は気になるワードを見つけた。

「Emergency Rations (food)・・・たしかfoodって食べ物って意味だったはずなのです。もしかしたら食べ物の備蓄があるのでは。」

そう考えた助手はそのページに対応している日本語のリストまでページを戻し、書いてある品目に目を凝らした。リストにはじゃぱりまんのほかにも、他の本で見かけた料理の名前がいくつかのっていた。

「あずきぜんざい、うどん、おにぎり、カレーライス・・・ああ、どれもおいしそうなのです。」

料理の名前を見て条件反射的に助手の口の中が唾で満たされていった。このリストに載っているということは、もしかしたらこの近くにこれらの食べ物がまだ保管されている可能性があった。

「これは大至急調べる必要があるのです。」

助手は記載されていた保存食品の保管場所を確認するなり、弾丸のように図書館を飛び出し、その場所へすっとんで行った。

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