みつめたさきは
平衡
プロローグ のけものフレンズ 医者のサキ
「なんのフレンズかわからない!?そんなことってあります?」
吹き抜けの図書館のフロアに落胆の叫びが響いた。
「落ち着くのです。何も100%わからないって言ってるんじゃないのです。」
当惑した表情で見つめる話し相手を博士はたしなめた。図書館の主である博士の前に座っているのは、見たところハブの白色個体(アルビノ)のフレンズである。数日前の噴火で噴出したサンドスターで生まれた個体らしい。ただし、そのハブは通常のフレンズとは大きく違っていた。その両腕の色は無機質に冷たく透き通ったセルリアンブルーを呈していたのだ。博士は一呼吸おいて再び話し始めた。
「おそらくあなたは恰好からしてハブのフレンズであることは間違いないのです。ただ、サンドスターが元の動物に衝突してフレンズの体が形成される過程でセルリアンを取り込んでしまったのでしょう。」
「あ、あの。セルリアンというのは・・・」
「我々フレンズの捕食者なのです。あなたの腕の色のような色をしたやつがいるのです。それにあなたの右の手のひら、退化しているようですが閉じた目のような痕があるのです。それもセルリアンの痕跡だと思うのです。」
そういわれてハブのフレンズは自分の掌をじっと見た。確かに右手には手相のような一筋の隆起が横に走っていた。しかし自分の腕が捕食者セルリアンでできていると言われたところで実感はなかった。手足の形は博士と何ら変わりはないし、コントロールが効かなくなったりするといったことはとりあえず起こっていないからだ。どうやらこの体にはハブの要素、それにセルリアンとやらの要素、2つがあるらしいということは確からしい。しかしそれでは知りたい回答には程遠かった。
「じゃあ、わたしは何者なんですか?なんて名乗ればいいんですか?」
説明にそこまで納得のいっていないハブは少々喰い気味に博士に尋ねた。ヘビ特有の鋭い眼光に博士は頭をかき目線をそらしてしまった。
「さすがにフレンズとセルリアンが混ざって、かつ同居しているケースというのは私も初めてなのです。だから断定はできないのです。ごめんなさいなのです。」
それを聞いたハブはうなだれるしかなかった。博士はじっと気落ちしたハブの姿を見て、ハブが大事そうに握りこんでいるガラス片に目を付けた。
「それはなんですか?大事そうに持っているようですが。」
「生まれた時握っていたんです。何かの参考になるかなと。」
「ちょっと見せるのです。」
そう言って博士はハブからガラス片を受け取った。少し汚れたガラス片にはラベルがついていたが、赤茶色の乾いたシミのせいでほとんどの文字は読むことができなかった。
「・・・あなたはハブなのはまちがいないのでそう名乗りたければ名乗るのです。ただ、この後のあなたの生活を考えると愛称があった方がいいのです。「サキ」なんてどうなのです。」
「サキ。いい響きですね。どこからとったんですか。」
「このラベルの文字を読めるところだけ読んだらそう読めるのです。」
博士はラベルを指さした。確かに読めるアルファベットを拾って読むと「saki」になる。ハブは試すように何度もサキ、サキとつぶやき、ほおっと和らいだ表情で博士に感謝を述べた。
「私、サキっていう名前気に入りました。ありがとうございます。」
「それはよかったのです。ただあなたはこの先ちょっと辛いことが多いかもしれないのです。だから、動物名以外の名前を持っておくべきだと思ったのです。」
博士は突如眉間にしわを寄せ、暗いトーンでサキに話し始めた。
「あなたの両腕は機能しているかはさておき捕食者であるセルリアンなのです。他のフレンズはその腕を見てどう思うでしょう。きっと怖がったり、避けざるを得なかったりするのです。そのせいで、サキ、あなたはもしかしたらのけものにされてしまうかもしれないのです。」
サキは黙って聞いていたが、内心かなりのショックであった。みんなから疎まれ避けられる。それはフレンズの社会において生存権が得られないのと同義なのではないか。サキという気に入った名前をもらって喜んだ後だけに、この死刑宣告のような予想は余計に堪えた。
「じゃ、じゃあ私はどうすれば・・・」
サキはうろたえ震えた声で博士にすがった。。私は何か悪いことをしたのだろうか。なぜこんな真っ暗な未来を背負わなければならないのか。永遠に解決しない問いが頭の中を逡巡する。思考がぐるぐる回るうち、その目には涙が湧いてきた。
「そこから先は自分で考えるのです。」
博士はサキの迷いを両断するようにぴしゃりと告げた。そして泣きそうになっているサキに、博士は目を閉じ諭すように続けた。
「生まれながらに負ったハンディキャップは誰のせいでもないのです。ただその運命を背負うことになったなら、それを打開できるのはサキ、あなたの行動だけなのです。あるいは運命から逃げるのもそれはそれで立派な選択肢なのです。どちらにせよ、あなたが納得できる生き方をすべきです。もし困ったら私のところに相談に来るのです。私は今と同じようにあなたを迎えるのです。姿かたちで差別せずに話を聞く、それがこのジャパリパークの群の長たる者の義務なのです。」
博士の言葉は温かく手を差し伸べているようだった。今後身を苛み続ける過酷な運命への悲観と、進むべき選択肢を優しく説いてくれた博士への感謝が混ざり合った濁流のような感情がサキの心に押し寄せた。サキはその奔流に抗いきれず博士の前で肩を震わせて嗚咽を漏らし泣き始めた。言葉にならない声を発して顔を覆うサキの前で、博士はその姿を寛厚に見守り続けていた。
それから6年の月日が経った。
「博士、私は結局逃げることを選んでしまったよ。」
丘の上の病院の一室で窓から差す朝日を浴び、サキは椅子にもたれる。机の上には書き込まれて真っ黒になった分厚い医学専門書が開いてある。
「サキさん。ご飯だよー。」
ドアが開き、一緒に暮らしているヒイラギというイエイヌのフレンズが朝ご飯を持って入ってくる。ご飯ののったトレイを机に置いたヒイラギは窓に近寄りそれを開け、朝の風を部屋に流し込む。
「他のフレンズにはやっぱり疎まれて、この誰も来ない病院と医学書の海に身を放り込んで、私は社会から逃げたんだ。それに自分からも逃げたんだ。自分が何者かさえわからない、その得体のしれない恐怖を医者という大層なラベルで封をしただけなんだ。他人がいて初めて医学は役に立つというのに、自己が確立して初めて芯のしっかりした医者になれるというのに、皮肉なものだなあ。」サキはそうぼやきながら近寄ってきたヒイラギの頭をなで、まぶしく照らされた丘のふもとを暗い部屋から感情なく見下ろすのだった。
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