カルテ9−5 踏み出したサキはミライへ

ミライさんだって?!

サキたちはぎょっとして映し出された女性の姿に釘付けになった。この人がユウさんの後輩でキョウシュウエリアのボスだった、ミライさんなのだろうか。フレンズたちがざわめき立った。


「うそ・・・あのミライさんなのかい?」


目を丸くしたライオンが尋ねると、ミライはニッコリ笑って頷いた。


「この姿を見て思い出す子もいるかも知れませんね。」


ミライはスーツを脱ぎ、後ろの壁にかかっていた灰色のパークガイド服を羽織った。それから引き出しからくたびれたメガネケースを取り出して、その中に入っていた黒縁のメガネに掛けかえた。その姿はサキも見覚えがあった。多少年齢を重ねてはいるが、病院の屋上で見たユウホのビデオに写っていたミライの姿だった。


「あー!その顔はミライさんなのだ!!アライさんは覚えているのだ!」

「あらアライグマじゃない。元気そうで何よりだわ。それにライオンも。それから後ろの方にも何人か見知った顔がいるわね。みんな久しぶりねぇ。」


ミライが手を振ると後ろのフレンズたちは歓声を上げたり夢中で手を振りかえしたりした。この騒ぎには流石に助手も病室の窓から飛び出して来て、プロジェクターで映し出されるミライの姿を見て仰天した。


「写真でお顔を拝見したことはあるのです。あなたがミライさんなのですね。確かキョウシュウエリアへのヒトの干渉は禁止されていたはずですが。これは何か特別な理由があって行われているのですか。」


助手の質問にミライはそうだと言って頷いた。


「ワシミミズクさんの言う通り、現在ヒトがキョウシュウエリアに直接干渉することは許されていません。そのことは私たちセントラルにいるスタッフも当然わきまえています。今回は本当に特例で、こうして私の声と姿を皆さんに届けています。」


そう答えるとミライはコホンと咳払いし、話を始めた。


「直接的干渉は許されていないため、我々は現在ラッキービーストや各地に設置したカメラ等を介してフレンズたちの生態観察や施設の維持を行っています。先程からの皆さんのやり取りもラッキービーストを通して聞いていました。皆さんにとっての群れの長である博士の治療をサキという子に託して良いのか。そのことでみんなが本当に悩んでいることは把握済みです。これから私が言うことは決して命令ではありません。博士をどうするか決めるのは皆さんです。ただ少しだけ、私の話を聞いて欲しいんです。」


***


「私が話したいのは、サキの受け持ち患者であったサーバルキャットについてです。

私とサーバルキャット、もといサーバルは今から10年以上前にキョウシュウエリアのサバンナ地方で出会いました。お互い最初はなんとなく面白いから一緒にいるだけでした。ですが長い旅を共にして、次第に私たちは強く結びついていきました。一緒にいたいという深い友情、更に言えば愛情に近いものを感じていたのかもしれません。だから私とサーバルは片時も離れなかった。私が出世してキョウシュウエリアのボスになってからも、サーバルがパークの有名人になってからもずっと一緒でした。港に部屋を借りて、二人でそこに住んだこともありました。幸せな日々でした。

けれどそれは永遠には続かなかった。みなさんも知っている10年前のセルリアン騒動が起きました。巨大セルリアンは外部機関の力を借りてどうにか討伐しましたが、初動の遅れもあって多くのフレンズが犠牲となってしまいました。そしてスタッフも一人命を落としました。エリアのボスであった私はこの大事故の責任を取り、苦しい決断をせざるを得ませんでした。


それがスタッフ全員退去、そして当エリアの無期限の営業休止です。


私は自らの手で、フレンズ達とヒトの絆、そしてサーバルとの繋がりを断ち切ってしまったのです。退去を伝えたときのサーバルの茫然とした顔、このエリアを去る船の上から見たサーバルの泣き腫らした呆然とした顔は今でも私の脳裏に焼き付いて離れません。今でも夢に見ます。


キョウシュウエリアを去った後、私はセントラルの配属となり、フレンズたちの健康や環境衛生を管理する部署を任されました。その業務の一環でキョウシュウエリアの環境もずっと監視していました。もちろんサーバルのことも陰ながら見守っていました。私が去った後サーバルは病気になったカラカルの世話をし、カラカルもいなくなってからはサバンナでたった一人で強く生きていました。

しかし老いと死は残酷なほど平等なものなんですね。私たちヒトは年齢を重ねるにつれて老いていきます。私も老いを感じてはいます、パークに居た10年前に比べれば目が悪くなり、体力がなくなり、皺が増えました。あと30年か40年すれば私はおばあさんになり、死ぬでしょう。フレンズの皆さんは見た目はそれ程変わりませんが、体の中の血管や臓器は老いていき、いつか寿命を迎えます。


サーバルにもその時期がやってきました。


ラッキービーストから送られてくる映像には、サーバルが病気で苦しみもがく様子が写っていました。老い病み、そして死ぬ。それは自然の摂理であり、苦しむサーバルの姿は自然そのものです。だけれど、この冷徹な理を受け入れるには私とサーバルは親密になりすぎたのです、どうやら。できることなら側にいって看病してやりたいと、手助けしてあげたいとどれだけ思ったかわかりません。けれどそれが叶うことはなく、連日私はサーバルの映像の前で無力感に打ちのめされ、悔しくて申し訳なくて唇を噛んでいました。


さて、その頃のキョウシュウエリアでは妙な事件が起こっていました。昨年くらいから第2病院の電気消費量が急増し、医療用品の供給が活発化しました。そしてその利用履歴を確認すると、これは誰かの悪戯によるものではなく、確かな医学知識を持つ何者かが適切に管理し使っていることがわかりました。程なくしてラッキービーストが送ってきた画像から、その誰かの正体がドクター・サキだとわかりました。7年前にたった一人病院に住み着いた彼女が、まさか医者という”職業”を習得してフレンズを救うために仕事を始めるとは・・・完全に予想外。私を含めセントラルの職員全員がびっくりしました。

サキの存在が頭をよぎり、私にある閃きが降りてきます。もし、サーバルの病気が治るものであれば、医者が治療して命をつなぐことができるのならば、サーバルはまだ生きられる。そして今、そんな願いを叶えてくれるのはサキだけだったのです。


私は決心しました。私の愛する、大好きな親友サーバルの命を彼女に任せようと。


例え生物の理に背く行為だとしても、私の独善だとしても、わたしはサーバルに生きていて欲しかった。サーバルが生きていてくれれば、いつか私が会いに行けるかもしれないから・・・


私はかつて作った救急システムを再び起動させ、ラッキービーストにある指令orderを出しました。サキにサーバルの存在を知らせ、治療をするよう誘導しなさい、と。首尾よくサーバルの治療が始まった後は、サキの仕事ぶりを見守りつつ、何度かラッキービーストを手動で操作してサキの手助けをしました。」


「オーダーって、そういうこと・・・」


驚きのあまりため息を付く助手を見て、ミライはニコリと笑って頷いた。


「ラッキービーストはエリアだけでなくセントラルでも管理していますからね、そういうことが可能なんです。確かサバンナで倒れていたサーバルを助けて病院に運んでくれたのはあなたでしたね。ありがとうございます、ワシミミズクさん。」


ミライに感謝された助手は照れて、ふてくされたように頬を膨らませた。


「あとはサキがあなたたちに説明した通りです。結論から言えばサーバルは既に不治の病に冒されていました。だからサキは透析によって命をつなぐこと、サーバルに生きる時間を与えること、それが精一杯の治療だったでしょう。

でも、病院にいた時間の中でサーバルは失いかけていた輝きを取り戻せたように、私には思います。過去を大事にするあまり生きることに無気力になっていたあの子が、文字なんて全然覚えられなかったあの子が文字を覚えて、手紙という「生きた証」を私に遺してくれた。そうそう、サーバルが手紙を読んでいる動画もクラウドストレージにアップロードされていたので、管理者権限で観させてもらいました。嬉しすぎて、観たその日は眠れませんでした。


体と命にはいつか終わりが来ます。でも、その人が遺した気持ちや思い、愛は瑞々しいまま人の心の中に永遠に残り、ふと思い出した時、その時の思い出をタイムカプセルのように蘇らせてくれるんです。あの子とは今まで数え切れない位たくさんの思い出を作ってきました。いろんなところに行って、笑ったり、喧嘩したり、仲直りしてまた手を繋いだり。色とりどりの思い出で彩られた私たちの分厚いアルバムの最後の1ページ、それがこんなにも想いがこもった手紙と映像で締め括れるなんて、私は本当に幸せ者です。


だからね、私はサーバルの一番の親友の一人として、サキ、そしてヒイラギにどうしてもお礼が言いたかった。サキ、そしてヒイラギ。サーバルを幸せを与えてくれてありがとう。あの子は自分で決めた選択に、きっと後悔はしていない。あの子は自分の運命を受け入れ、あの子にとっての幸せへと向かう選択をしたの。あなた達がいなかったら、きっとこんなハッピーエンドは訪れなかった。」


ミライの涙ぐむ声が病院の前に広がった。みんなが神妙な表情をしてミライの仕草を見守る中、サキは一歩ミライに近づいた。一つ聞きたいことがあったのだ。


「どうして私を信じてサーバルを任せてくれたんですか。ミライさんは私がセルリアンだという事を知っていたんですか。知っていたのなら、なぜ。」

「医者があなたしかいなかったっていう消極的な理由もあるけど、でもそれだけだったら任せたりなんかはしなかったわ。」


そう言ってミライはいたずらっぽく笑う。


「そうね、一番はあなたの医者としての姿勢よ。患者に拒絶されたり難しい病気に出会ったりしても、患者に真摯に向き合って対話を繰り返して、常に勉強を続けて、その結果信頼を勝ち得てきた。あなたは医者としての真っ当な生き方を貫こうとしている。そんなひたむきな姿勢こそ医者が一番大事にしなくてはいけないものだと思うの。あなたにはそれがある、だから信じてみようと思った。」

「それがセルリアンでもですか?」

「生き方ってね、案外嘘つけないのよ。私もそう。私は元パークガイド、もしできるならこんな狭苦しいセントラルを飛び出して、見知らぬフレンズたちに会いに行きたい。多分それこそが私の望んだ生き方であり、そこに私にとっての本当の幸せがあるんだと思ってしまっている。サキだってそうでしょう。あなたはセルリアンとして生きることを望んでいない。病気で苦しむフレンズを助けることができる医者の生き方に幸せを見出し、それ故に医者として生きることを望んでいる。」

「どうしてそこまで分かるんですか?」


するとミライはクスリと笑って答えた。


「だってあなたの生き方、私の先輩に似ているんですもの。」

「先輩って、岬医師のことですか?」

「あら、ユウホ先輩を知っているのね。嬉しいわ。先輩は医者よ。いつだって目の前の患者さんために一生懸命頑張る、そういう生き方を最期まで貫いた素晴らしい医者なの。そんな先輩の嘘の無い生き方は、あなたの生き方とそっくり。あなたのそれまでの行動や生き方を観察してそう思った。

先輩と同じ様に、あなたも医者として生きていくことを望んでいる。そして、その誇り高い生き方を嘘で汚すようなことは絶対にしないと。そう思えた。だから私はあなたに大切なサーバルを任せた。結果、あなたはサーバルに幸せ看取りをプレゼントしてくれた。それこそが、あなたがセルリアンなんかではなく、純粋で真っ当な医者であるという何よりの証明よ。」


サキは自分のこれまでの生き方を認めてもらえたことが嬉しかった。それにサーバルの治療と消極的安楽死についても、サーバルのパートナーであるミライから直接ありがとうと言ってもらえたことで、サーバルを助けられなかったという後悔や自責感から解放されたように感じた。サキの心中は赦されたという感情に支配され、我慢できず膝から崩れ落ちた。自然と涙が溢れ頬を伝った。隣のヒイラギも大粒の涙を零していた。ライオンたち含め他のフレンズたちはシンとしたままで、ミライが滲んだ涙をハンカチで拭うのを見ていた。ただ一人ヘラジカだけは何か思い悩んでいるのか、座りこんで膝の間に顔を埋めてしまっていた。


「私が言いたかったことは全部言えたわ。みんな、聞いてくれてありがとう。いつの日か、キョウシュウエリア再び行けるようになったら、必ずみんなに会いに行きますから。たとえおばあさんになっていても、行くからね。

それからサキ。もう少し近くに来て。」


呼びかけられてサキは袖で目元を拭い、ミライの姿が写っている壁に向け歩み寄った。ミライは画面に顔を近づけるように身を乗り出してサキの姿をじっと眺めて、ふふふと笑った。


「・・・なんだか似ているわね。」

「え?」

「先輩によ。よく見たら目の雰囲気とか似ているわ。不思議ね。」


そう言ってミライはまた笑い声をこぼした。


「サキ。サーバルをありがとう。あなたみたいな医者に看取ってもらえてサーバルも幸せだったはずよ。」

「いえ。私たちこそ、サーバルさんからたくさんの幸せをもらいました。サーバルさんと出会えて友達になれたこと。共に過ごした日々は本当に奇跡のようでした。サーバルさんの手紙は今は私が大切に預かっています。」

「ふふふ、ありがとう。きっとあの子もあなたと出会えて喜んでいると思うわ。それじゃあね。キョウシュウエリアの凍結が解除されたらあの子のお墓参りに行くから。その時は手紙を読みながら、またお話ししましょう。」


それじゃあがんばるのよ、先生。


ミライの映像に一瞬ノイズがかかった。別れの時、奇跡のような邂逅が終わりかける。発作的に、サキは叫び手を伸ばした。


「ミライ!!」


叫びはサキ自身の意思ではなかった。サキの中に存在するユウホの遺伝子がサキに叫ばせたのかもしれない。叫んだ後、なぜか古い血のような臭いを感じた。

サキの叫びを聞いてミライはちょっと驚いて、それから微笑み返した。それを最後に音声と映像がストップし、やがてラッキービーストは光を投射するのをやめてどこかに逃げていってしまった。サキ達には映画が終わった後のようなぼんやりとした余韻が残された。その中で、サキは強烈なカタルシスを受けてその場から一歩も動けなかった。しだいに周りがザワザワと色めき立ちはじめても、サキはぼーっとしたままさっきまでミライの顔が映っていた白い壁を見上げていた。


***


「ねぇどうする?」

「いや、わかんないけどさぁ。なんとなく信じてもいいかなって。」

「ヒトが信じたって言ってたし・・・」

「そうは言ったって・・・」


サキたちを取り囲む集団からそんなヒソヒソ話が聞こえてきた。


「ミライっていうヒトも言っていたわよね。サキの過去の行動を見る限りセルリアンのような行動を取るとは考えにくいって。ライオン、サキを信じて博士を託すべきじゃない。」


ギンギツネにそう言われて、ライオンは困惑して髪をかきむしった。


「うーん。たしかにヒトにそう言われちゃうと信じてみようかなって気は起こらなくはない。しかしなぁ、ミライさんの話に流され過ぎるべきでは無いと思う。博士はみんなにとって大事な人だし、万が一のリスクが甚大だから。やっぱり私はリーダーとしての責任を果たすべきだと思ってる。」


ライオンとギンギツネは互いに顔を見合わせ肩を竦めた。ヘラジカは変わらず膝を抱

えた姿勢のままだった。


「ヘラジカ大丈夫?」


ライオンが声をかけるとヘラジカは大丈夫と答えて少しだけ顔を上げた。


「私たちはみんな、セルリアンのサキに対して不信感というか、何か嫌な感じを抱いていたと思う。でもサキの話を聞いて、ミライさんの話を聞いて、少なくとも私はサキの印象が変わった。私には、サキがセルリアンという本性を隠しているとはどうしても思えないんだ・・・」

「ヘラジカ・・・」

「でも結局は分からない。ライオンの言う通り、サキを信じて良いという確かな証拠はなんにもないんだから。」


そう言ってまた頭を抱えるヘラジカに対しギンギツネが諭すように言った。


「私思うの。信頼とは賭け、未来を他人に賭けるゲームなんだって。ゲームの勝敗が最後まで分からないのと同じで、ここにいる誰一人として未来のことが分かる人はいないわ。私たちができるのは過去の事実から計算された未来予測とその時の直感を頼りに、最も幸せに見える未来を一つ選ぶ。あとはその選択がどんな未来を見せてくれるのかは神様次第。」

「相変わらず難しいこと言うなぁ。」

「ごめんなさい。でも誰かを信じるということは、それと似ている。それにね、案外直感は理屈を凌駕するものよ。ヘラジカ、小難しい話とかは一度全部忘れて。サキというフレンズを単純に、純粋に信頼しようと思えるか、自分が思ったことを率直に言ってみましょう。」

「直感・・・」


ヘラジカは星空を見上げ、大きく息を吸った。それからちょっとの間天上をぼーっと見つめた。


「私は・・・悪い人にはみえなかった・・・サキは。」


浮かんでくる泡の様に、ヘラジカはぽつりぽつりと言葉を空に浮かべていく。


「サーバルのことも、本当なんだよ。私たちには考えられなかったことを・・・サーバルは考えた・・・きっとそれだけのこと。

・・・姿かたちで差別せずに話を聞く・・・そういえば博士の口癖だった。私たちもきっと、そうあるべきだ。変わるべきは、私たちだ。」


ヘラジカは立ち上がり、纏わりついた迷いを一度に振るい落とすように、ぶるんと身

を震わせた。そしてとびきりの大声を張り上げた。


「そうだ!私はサキを信じたい!! それが私の本当の気持ちだ!!」


ヘラジカの声は丘の斜面の森まで響き渡った。後ろの集団は水を打ったようにシンと静まり返り、サキやライオンたちもびっくりしてヘラジカの方に顔を振り向けた。ヘラジカは驚いた顔で自分を見つめるサキに気づき、小さく振り返って慈しむような笑みを見せた。


「君も賭けるのか。」


ライオンの言葉を聞いてヘラジカは跳ね上げるように立ち上がり、真面目な顔をしたライオンの前に詰め寄った。


「ああ、賭ける!私はサキの博士を救いたいと思う気持ちは本物だと信じるよ。ライオン、彼女は医者なんだよ。たまたまセルリアンの体を持ってしまってはいるけれど、その身体に宿っているのは病気のフレンズの為に一生懸命頑張ってくれる、紛れもない医者の魂だ。

サキはセルリアンだけど、きっとセルリアンじゃない!私はサキを信じる。」


ヘラジカは思い切り目を開いて強く言い放った。その荒い語気にはヘラジカのフレンズとしての覚悟のようなものが滲んでいた。ライオンもヘラジカの気持ちを肌で感じ取ったのか、ぴりっとした顔つきになった。


「なるほどね。そう思うのはどうしてだい。」

「動物の勘。それ以外に理由はない!」

「勘でも立派な意見だよ。私たちが動物だった時は、種の異なる者を信じるかどうかは本能と勘によって大体決めていたわけだし。」


そう言われてヘラジカはようやく朗らかに微笑んだ。ライオンは腕を組み、改めて自分の気持ちを考えた。しばらくして一言呟いた。


「2対1か。変わるべきは私たち、ねえ・・・」


それからライオンはサキの顔を見て、可笑しそうに笑った。


「ふふふ。先生、すごい嬉しそうな顔をしているね。」

「え、そうですか?」


そう言われてサキは口に手を当て、そこで初めて口角がニヤけるように上がっているのに気づいた。顔を赤らめ、慌てて顔を伏せる。その様子を見てライオンは更に大笑いした。


「あははは、ごめんごめん。あんまり恥ずかしがるもんだから面白くてつい。」

「すみません・・・他人から頼ってもらえる機会があんまりなかったので。」

「ふうん、そうなの?」

「私は元々平原の生まれなんです。でもこんな身体ですから誰とも仲良くなれませんでした。もちろん頼られることも・・・・・・居場所がどこにも無かった私は、隠れるようにここに住み着きました。それが7年前。そしてこの場所で医者という仕事を知り、医者になりました。こんな身体でも、医者になれば誰かと関わっていけるかなと思ったのが最初の気持ちです。」

「先生はフレンズを助けたいと思って医者になったんじゃないの?」

「患者を助けたいという気持ちも、もちろんありました。でもそれは医者として仕事をするようになった1年前から強く自覚するようになったものです。本当の理由は別の所にあります。」


サキは胸に俯いて手を当てた。そして生まれて間もない頃、博士と初めてあった時の事を思い出した。


「運命を切り開くのは自分自身、生まれたばかりの私に博士が言った言葉です。生まれ持ったセルリアンという変わらない運命、それを乗り越えるには自ら行動するしかないのだと言われました。そして私なりに選んだ運命の切り開く方法が”医者”だったんです。今はまだ道半ば。私が望む幸せはこの運命を切り開いた先にあります。」

「幸せ?」

「そう、私がずっと望んでいることは、フレンズとして普通に生きられること。そしてみんなと普通に友達になれること。そんなちっぽけな幸せを追い求めて私は生きています。」

「それはちっぽけとは言わないさ。ささやかかもしれないけど、何物にも代え難い尊いことだよ。」


そう言ってライオンは初めて屈託のない笑顔を見せた。最初に感じた威圧感が吹き飛ぶ位の、和やかな表情だった。つられてサキも頬が緩む。


「こりゃヘラジカの直感があたりかもねー。」


ライオンは振り向いて、ヘラジカとギンギツネにそれぞれ目配せする。そして改めて襟を正しサキに向き合った。


「まずはサーバルの件で、先生はきっと正しいことをした。だからミライさんに感謝されたんだと私は思ったよ。だから先生に失礼な詮索をしてしまったことを謝りたい。ごめんなさい。」


そう言ってライオンたちは頭を下げた。


「それで、さっきの話の続き。先生を信頼できるか、と言われたらやっぱりいきなりには難しい。でも先生のようなマイノリティがいることを、私たちは認知すべきなんだと思った。そして、君の選んだ生き方や博士を助けたいという熱意と技術はきちんと理解したいと思う。だから、君に博士を預けることに決めた。」

「本当ですか!?ありがとうございます!」

「ただし。」


ライオンは間髪入れず釘を刺す。


「君には、博士を預かるという覚悟をしてもらわなければならない。なぜなら、博士は私たちにとって大事なリーダーであり、博士の存在は私たちにとって希望そのものだからだ。君は私たちの希望・未来を預かるんだ。その覚悟はあるかい?」

「もちろんです。」


躊躇なくサキは答えた。必ず博士を治療してたすける、その気持ちに偽りは一欠片も無かった。


「よろしい。私たちは君を信じてみることにしよう。その代わり君には二つ条件を受け入れてもらおう。交換条件だ。一つ、治療が成功しても失敗しても、必ずみんなに事実を包み隠さず伝えること、私たちの疑問や質問に答えること。そしてもう一つ。君がもし博士に危害を加えるようなことをしたら、その時点で私たちは君をセルリアンと認識する。そしてその後一切容赦はしない。」


ライオンはゆらりとサキの前に立ち、目を鋭く光らせて凄んだ。


「仮初の信頼だろうと、信頼を裏切る行為は絶対に許さない。少なくとも私はここにいる誰よりも執念深いからね。」


一瞬目の前に立っているのが人食いの猛獣かと錯覚するくらいの殺気をライオンは放っていた。あまりに怖い威嚇にサキは思わず生唾を飲み込んだ。しかし恐怖に押し負けず、踏みとどまって返答する。


「わかりました。博士を預からせて頂く以上、その覚悟を持って治療に当たらせていただきます。」


ライオンがその言葉を聞いて頷こうとした時、遠くの集団の方から誰かの大きな声が聞こえてきた。


「ライオン!そこまでする必要はないよ!」


そう叫んだ後、一人がフレンズの人だかりを割って早足でこちらに歩いてきた。ライオンに並ぶ大きな身体、手には熊手のような大きな武器を携えていた。ヒグマだった。


「ヒグマか!後ろにいたんだ、気づかなったよ。」

「いや、来たのはさっき。丘の麓にフレンズの足跡がいっぱい残っていて、それが病院までまっすぐ続いていたから何事かと思って。」


ヒグマは調子よく答えてライオンとサキの間に分け入った。


「ハンターである私が博士の護衛に付けばいい話だろう。もし先生が少しでも博士に危害を加えようとしたときは、私が責任持って先生を始末する。それで済む話だ。」

「確かに、ヒグマがついていてくれれば安心できるかも。後ろのみんなも納得するでしょう。」


ギンギツネはなるほどと手を打ったが、ライオンはちょっと首を傾げて聞いた。


「いやまあ、ハンターの君なら適任かもしれないけど。確か君は先生に怪我を治してもらったことがあったよね。いざという時は恩人を始末しなければならなくなるわけだけど、その時躊躇しない自信はあるのかい。」

「それは私を見くびりすぎだ。」


ヒグマは毅然として言い放った。


「私にはハンターとしての矜持がある。受けた任務に私情をさし挟むほどヘタレちゃいないさ。」


その冷静かつ重みのある口調、一年前と変わりないなとサキは思った。ライオンもそれ以上は食い下がらず、ヒグマの肩をポンと叩いて返した。


「じゃあ君に任せよう。私たちがここですべきことは終わった。引き上げよう。」


そう言ってヘラジカに目配せした。ヘラジカは振り返って後ろのフレンズたちの大声で呼びかけた。


「お前たち、私とライオンとギンギツネで十分に話し合った結果、博士はサキに預けることにした! 私たちにこの後できることは、サキとヒグマを信じること、それから博士の病気が治ることを祈ることだけだ。これ以上ここで騒ぐことは許さない。私も帰るから、おまえたちも各自帰るんだ!!」


フレンズの集団はそれを聞いて少しの間ザワザワとしていたが、そのうち一人二人と丘を下り帰途につき始めた。そしてついにサキたちを囲んでいた大勢のフレンズたちは一人もいなくなった。ライオンは後ろに誰もいなくなったのを十分に確認してから、サキに再び向き合った。そして疲れた様に大きなため息をついた。


「はあーあ。やっぱあんなに大勢来られちゃうと、ちゃんとしなきゃってカンジで肩凝るなあ。疲れちゃったよ。」


その口調があまりにものんびりしていて拍子抜けだったので、サキは「えっ?」と間の抜けた声を漏らしてしまった。


「まったく、ライオンのカッコつけは相変わらずだな。」

「そう。部下の手前、プライドに傷がつくことはできないんだよねー。」


ヘラジカはやれやれと苦笑いする。それにつられてライオンも照れるようにはにかんだ。そしてライオンはサキに向けて言う。


「さっきヒグマが私情と任務は別って言ってたね。だから私の私情も一応伝えようと思う。

博士を頼む、博士を助けられるのはこのパークで君一人しかいないんだ。」


言い終えた後、ライオンはサキに近づいてから深く深く頭を下げた。それを見てヘラジカとギンギツネは互いに頷き合い、揃って礼をした。


「私たちもライオンと同じ気持ちだよ。君を信じている。」

「ええ。そして博士の治療を通して、あなたに宿る精神がフレンズの魂であることを証明して欲しい。あなたとはきっといいお友達になれそうな気がするから。」


サキは3人の言葉を十分に噛み締めてから、精一杯の感謝を述べた。


「・・・皆さん応援ありがとうございます。嬉しい報告を届けられるよう、今後も全力で博士の治療に当たらせていただきます。不安に思うことがあれば、またいつでもいらして下さい。」


そして3人は帰っていった。病院のエントランスの前にはサキとヒイラギ、そしてヒグマが残された。3人の背中が遠く見えなくなってから、サキは緊張がプツリと切れて今までつかえていた息をどっと吐き出し地面に倒れ込んだ。首筋には冷や汗が滲み、手足が冷たくなっていくような感覚を覚えた。


「サキさん大丈夫?!」


ヒイラギが手を差し伸べる。


「大丈夫。ちょっと立ち眩んだだけ。」

「大丈夫かよ先生。早速心配になるなあ。」


ヒグマも心配してくれた。サキはふらつきながら立ち上がって、ヒグマに礼を言う。


「もう大丈夫です。ありがとうございます。ヒグマさん・・・久しぶりですね。」

「ああ。おかげさまで胸の傷はすっかり良くなったよ。先生も相変わらず・・・いや、ちょっと凛々しくなったかな。修羅場をくぐり抜けたって感じ。」

「そうですかね。確かにあれからいろんなことがありましたが。」

「そしてさっきまでも修羅場だったと。」

「ええ・・・でもこれは私自身が乗り越えなくてはならない試練だったんです。博士のために、そして自分の幸せの為に。」

「そうかい。幸せねぇ・・・」


ヒグマはため息をついて、頬を紅潮させるサキの顔をまじまじと見つめた。そして呟いた。


「私には、今、不幸せな未来が一つある。それは、先生を始末しなければならない事態がやってくることだ。」


その言葉でサキはハッとなってヒグマの顔を見つめ返した。ヒグマはそっと目を逸し、悲しそうな目をして言った。


「仕事とはいえ、本望じゃない。恩人を手に掛けるというのは嫌な気分がする。」

「そんなこと、絶対させません!!」

「・・・その言葉を私は信じるよ。」


サキの返事にヒグマは小さく頷き、つかつかと病院の中に入っていった。



サキは一息ついて、さっきまでたくさんのフレンズが居た場所に近寄ってみた。いろんなフレンズの臭いがまだ薄っすらと残り、地面には多くの足跡が残されていた。

いったいここにいるフレンズたちの何人が、私の存在を認め、信じてくれたのだろうか。サキは思いを馳せる。サキ自身は言葉を尽くしたつもりでいるが、サキが伝えたかった事がフレンズたちに伝わったかを知る術はない。きっとまだサキのことを信じられないというフレンズだっているだろう。医療のように、私の生き方のように、目標が一度で完璧に達成される事など無いのだから。


けれど自分がやったことは決して無駄にはなっていない、ちゃんと目指す幸せへの一歩だとも思えた。最初は私に対して懐疑心を抱いていたライオンたち3人。今、彼女たちは自分に理解を示してくれ、更に声援まで送ってくれるようになった。少しずつ、セルリアンの身体の私を認め、理解してくれる人たちが増えてきてくれたのだ。サキはそれが本当に嬉しかった。

ライオンたち3人に加えて助手、アライグマ、フェネック。そしてヒグマ。合計7人が私の作る輪に加わってくれた。輪に入る人が多くなればなるほど肩にのしかかるプレッシャーは大きく重くなる。けれどそれ以上に心強いと思えた。


「誰かが見ていてくれるのは本当に幸せなことなんだよね。サーバル。」


サキは後ろの病院の方を振り返る。アライグマ達がいるエントランスと、博士のいる病院の2階の病室から電灯の光が漏れている。そして病院とサキの間にはヒイラギがいて、サキを呼ぶように手を振っている。

みんながサキのことを待っていた。


「幸せは歩いて来ない。だから自ら踏み出そう。今踏みしめる一歩一歩が作る道、それが運命を切り開く道標となってくれるはずだから。」


サキは大きく深呼吸してから、病院に向けて真っ直ぐに歩き出した。夜風が白衣の裾をたなびかせ、天使の羽根のように広がった。

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