カルテ9−4 踏み出したさきは

「突然こんな大勢で押しかけちゃってごめんね。私はライオン。後ろにいる子たちの仕切り役みたいなもの。よろしくね。こっちがもう一人のリーダーのヘラジカ。」


大きな体躯から発せられるプレッシャーからは想像できないくらい丁寧な挨拶だったので、サキは拍子抜けしてしまった。


「ヘラジカだ。私は平原の北の方のフレンズたちのリーダーなんだ。本当なら私たち3人だけで来るはずだったんだけど、心配だからついていくって後ろの奴らが頑固に言うもんで、仕方なく。」

「はぁ、どうも・・・それで、そちらの方は?」

「私はギンギツネっていうの。ヘラジカに頼まれてついてきたの。あなたの話の聞こうと思ってね。」


ギンギツネはサキに会釈してサキの姿を頭から足まで見回した。そして白衣の裾から伸びる少し透けた青い両足を見て眉を顰めた。


「初対面でいきなりこんなこと聞くのは失礼かもしれないけれど、サキがセルリアンの体を持っているっていうのは本当のことなのね。」

「はい。驚かれ慣れているのでその点は気にしないで下さい。それに、隠せることでもないので。」


サキは袖を肘まで捲くって3人に見せた。差し出されたセルリアンの腕を見てヘラジカは驚いて半歩後ろに退き、ライオンはフンと鼻から息を吹いて、じっくりとサキの腕を睨んだ。こういう反応はサキにとっては当たり前だったので今更なんとも思わなかった。

それよりもサキは3人の後ろにずらりと並んだフレンズの集団のほうがずっと不気味に見えた。暗いので個人の顔や表情は窺えず、騒ぐことも、動くこともしない。彼女たちはただ、恐怖心、不信感、嫌悪、好奇など様々な感情を含ませた目線を延々とサキに浴びせていた。刺々しい視線に晒され、サキは白日の下に晒された罪人のような惨めさを感じたが、それでも逃げ出したい気持ちを飲み込んでじっと我慢した。彼女たちが醸し出す空気こそが最も恐ろしく手強いのだ、サキはそう直感した。


「今日私たちがここに来た理由の一つは博士の無事を確認することなんだ。いま博士はどこにいるんだい。まずは博士の無事をこの目で確かめたい。」


ヘラジカは話を切り出してから、博士はどこにいるのかと尋ねた。


「今は助手と一緒に病院の2階のあの病室にいます。」


サキは病院を振り返って病室の窓を指差した。


「博士に会うことはできるか?」

「姿を見ることはできますが、会話は難しいと思います。」

「なぜ?」


ライオンが食い気味に尋ねる。


「博士は今鎮静薬の作用で意識が曖昧な状態です。会話はできないと思います。それに大人数で押しかけることは、意識が不鮮明な博士をびっくりさせて不穏やせん妄を招く可能性がありますので。」


本来ならばライオンたちに博士を会わせ、直接会話をしてもらったほうが安心してもらえる。しかし万一不穏やせん妄が起きて博士が暴れでもしたら、それがFCCSの発作を誘発したり、脳に入ったドレナージ管を損傷したりする。そうなったら一巻の終わりだ。博士の身の安全が第一である以上、面会は許可できない。サキはそう正直に答えた。


「今博士は私たちと面会できる状態ではないってことかしら。」


ギンギツネの問いにサキはきっぱりと「そうです」と答えた。ヘラジカはそれで理解したようであったが、ライオンは不満足そうに口を尖らせ言った。


「とにかくこの目で一度博士の姿を確認させてもらいたいね。でないと安心できない。」

「わかりました。病室は2階です。ご案内します。」



ライオンの要望に応え、サキは3人を病院内に招き入れることにした。3人は見慣れなていない施設の内装をキョロキョロ見回しながら、サキの5メートル後ろについて後を追った。階段を上がって2階の廊下に出ると、正面で助手が待ち構えていた。


「助手。ライオンさんたちが博士の様子をひと目見たいと言うので、見せても良いですか。」

「ええ。それは構わないのです。その前に後ろの3人に一言言いたいことがあるのです。」


助手はそう言ってサキの側を通り過ぎ、ライオンたちの前に立った。


「博士の病気を心配して来てくれたのですね。その点については博士に代わって礼を言うのです。」

「ああ。なんだか軽い病気ではないようだったから。私たちだけじゃないぞ、外には多くのフレンズが集まっているんだ。」


ヘラジカが答え、早く博士に会わせて欲しいとせがむが助手はすぐには頷かなかった。それからせせら笑うように言った。


「理由はそれだけじゃないでしょう?」

「どういう意味だい?」

「博士の治療をするのがサキだということに、お前らは言い表せない不安や反感を持っている。だからこそこれだけのフレンズが同時にここに集まってしまったのでしょう。」

「さすが助手だね。その通りだよ。」


ライオンは躊躇なく答えた。


「先生、先に言っておくよ。今日私たちが来たのは博士の無事を確認するため。そして先生が本当に信頼に足る人物なのか、見極めるためだ。」


ライオンは目をギラつかせて5メートル前のサキを見た。サキは蛇に睨まれた蛙のように怯えて固唾を飲み込んだ。


「もしサキの話を聞いて、信用できそうだと思ったら博士はサキに任せるわ。」

「逆に信用できないと思ったら博士の治療からは手を引いてもらう。」


ギンギツネとヘラジカもライオンに続いてハッキリとそう宣言した。


「ふふふ、かなり息巻いているのですね。これは治療以上に難仕事かもしれませんよ、サキ。」


助手は静かに笑ってサキの顔をちらっと覗いたので、サキは戸惑いながら小さく頷いた。


「そもそも博士も私も、病気の治療をサキに任せるとすでに決めているのです。いいですか、これが博士の意思なのです。ですがお前らが心配する気持ちも理解します。群れの長である博士はお前らにとってとても重要な存在であるのでしょう。だからこそ博士を治療する医師にはそれ相応の信用を求めたいと。当然の気持ちなのです。自分の上司がそれほどまでに厚い信頼を勝ち得ていることを、私は本当に嬉しく思うのです。」


助手の話に3人は大きく頷く。


「サキの説明を聞いた上でどう判断するかはお前たちの自由です。我々もお前たちの出す結論を無視したりはしないと約束します。だからお前らも約束して欲しいのです。どうか先入観や偏見を捨ててサキと話して欲しいのです。

サキは手足が生まれつきセルリアンなフレンズです。しかし、そのどうにもならない一点だけを見て、サキがセルリアンであり敵であると決めつけてしまうことは果たして正しいことなのでしょうか。サキの手はフレンズを殺す手ですか? それともフレンズを救ってくれる手ですか? よく考えることです。」

「でも・・・どうしたらいいの。どうやって考えればいいのかしら。」


困った様子で尋ねるギンギツネに、助手は真剣な顔つきで答える。


「姿かたちで差別しないこと、それが大事なのです。そして公平に話を聞いた上で、サキを信じたいと思えるなら、サキに博士を任せてみても良いのではないでしょうか。反対に、信じたくないと思うのなら、それもまた立派な結論と言えるのです。」


そう教え諭すと、助手はすたすたと廊下の奥へと歩いて行き、博士の病室のドアの前に立った。


「博士はここにいるのです。あいにく会話は叶いませんが、博士はお前らのお見舞いを嬉しく思っているようなのです。」


サキとライオンたちは黙って頷き、静かに病室へと向かった。



病室の博士はライオンたちの姿を見て嬉しそうに手を振った。ヘラジカやギンギツネは何度か博士に声をかけたが、酸素マスクで口が覆われている博士はそれらの声に言葉で返すことはせず、軽く頷いたり手を振替したりしていた。


「さあ博士が無事ということはわかったでしょう。博士には今は落ち着いて休んでもらいたいのです。全員退室するのです。」


助手がそう言ったので、サキは3人を連れて、もともと居たエントランスの前に戻ることにした。病院の出口近くではヒイラギとアライグマとフェネックがソワソワしながらサキが戻ってくるのを待っていた。


「先生、しっかりなのだ。背後はアライさんにまかせるのだ。」

「何かあったらいつでも呼んでねー。」


アライグマはいつもの調子でサキを励まし、フェネックもそれに続いて声をかけてくれた。


「まだ大丈夫だよ。」


サキははにかみながら答え外に出た。博士の無事を確かめたことで3人は幾分か嬉しそうではあったが、一方で博士に繋がれていた見慣れないチューブ等を見て衝撃を受けたようであった。


「頭の中にあんなチューブが入っていて、フレンズは生きていけるのか・・・」

「あれはドレナージ管といいます。頭の中の水を排出するための管です。」


うろたえていたヘラジカにサキはそう伝えるが、ヘラジカはいまいち理解できない様子で聞き返した。


「水? 頭の中には水が入っているのか?脳みそじゃないのか?」

「脳みそは確かに頭にありますが、それとは別に水もあるんです。」

「一人ひとりバラバラなことを聞いてもしょうがないわ。まずは博士がどういう病気にかかっていて、それに対しサキはどういう治療をしているのか。それを聞きましょう。」


ギンギツネがそう言い、ライオンはそれに頷いた。ギンギツネはポケットからメモ帳とペンを取り出し、サキの正面にスラリと立った。


「教えてくれるかしら、サキ。」

「はい。難しい話になりますが、なんとかわかりやすく説明します。」


サキは博士がかかっているFCCSという病気の原因と症状、治療の必要があること、治療として手術を予定していることなどを、ヒイラギにカルテや画像検査のデータを持ってもらいながら3人に説明した。ギンギツネたち3人にとっては全く未知の領域の話であったので一度の説明では理解しきれないようだったので、サキはその箇所を何度も繰り返し言ったりして、なんとか自分がやっていることの妥当性を理解してもらおうと精一杯言葉を重ねた。

サキにとって好都合だったのは、ヘラジカが連れてきてくれたギンギツネが助手と同じくらい頭が良かったことだ。ギンギツネはサキのFCCSについての説明をよく理解してくれ、ヘラジカやライオンの疑問にも、サキよりも一般人向けな言葉を用いて言い換えて説明してくれた。そのおかげもあってヘラジカもライオンも、なんとかサキの治療の意味を理解してくれた。


「よーするに、博士の脊髄に異常があって、それを手術で取らないと博士の余命は1年位と。そういうことよね。」


ギンギツネの要約は的当だったのでサキはその通りと答えた。


「手術法は10年前に岬さんという医者が作り上げたもので、初の実践である。手術は10日後。」

「初めて?大丈夫なのか?」


ヘラジカが不安そうに尋ねる。


「その手術についての論文は査読済み、つまりその論文は理論的に間違ってはいないということになります。あとは手術を行う私や助手のヒイラギが完璧に手術をやり遂げられるかどうかにかかっています。成功の確率を上げるため、私たちはこの1ヶ月検討に検討を重ね、様々な準備をしているのです。」

「なるほどねえ。ライオンはどう思う?」

「いや・・・私は特に言うことはないかな。今のはあくまで博士の病気と、その治し方についての話だ。博士を治療したいって言っているはずの先生が、この話に嘘を混ぜるとは考えにくい。多分先生が言ったことは真実だよ。先生が博士に対して行おうとしている行為の妥当性は認めようと思う。」


そう言ってライオンは少し笑い栗色の髪をかきあげた。けれどすぐに元の鋭い目つきを取り戻し、ギンギツネとヘラジカに言った。


「それじゃあ一番の核心に触れよう。先生は信用できるか否かだ。二人は何か意見はあるかい。」


問われた二人は顔を見合わせ、サキのの顔をチラチラと伺いながらあれこれ思案し始めた。しかし曖昧な独り言ばかりが生まれ、なかなかハッキリとした意見は出てこなかった。


「一度後ろの連中にも聞いてみよう。お前たち、何か先生に聞きたいこと、言いたいことはないか?」


ライオンが後ろのフレンズたちに向かって呼びかけた。フレンズの集団は隣どうしでガヤガヤ話し始めたが、しばらく経っても質問らしい声は聞かれなかった。


「みんなにとっても難しいんだな。」


ヘラジカがぼやいた。後ろを振り返って様子を静観していたギンギツネもゆっくり頷いて言う。


「フレンズとしてこれまで当たり前に思ってきた正義を守るか、博士が救命される可能性を選びサキを信じるか・・・助手も言っていた通り難しい話ね。パラダイムが根本から揺らぐ感じがする。」


サキと3人が神妙な気持ちでがやがやと騒がしくなっていく集団を見守っていると、その中にいる誰かが唐突に叫んだ


「サーバルはどうした!!」


一瞬の静寂の後、フレンズたちはより大きな音を立ててどよめいた。サキも3人もびっくりして声の聞こえた方を向いたが、叫びの主が雑踏から出てくることはついに無かった。


「サーバル?誰のことかしら。」

「博士の噂ばかりだったけど、そういえばサーバルキャットっていう名前の子の噂もほんの少しだけあったような・・・」


ギンギツネとヘラジカは互いに顔を見合わせた。


「ああそうか、君たち含め若いフレンズはサーバルのことを知らないもんね。」


3人の内でただ一人サーバルのことを知っている古参のフレンズ、ライオンが言った。


「昔、まだここにヒトがいた頃の話。サーバルっていうパークのアイドルというか人気者のフレンズがいたんだ。すごい人気だったよ。私も何度か会ったことはある。おっちょこちょいで面白い子だったなあ。」


ライオンは懐かしそうにしみじみ言って、再びサキに向き直った。


「それで先生、サーバルと何かあったのかい。」


そう聞かれて、まさかサーバルの名前が出てくるとは想定していなかったサキは戸惑った。サキ自身、サーバルの治療と看取りについて後ろめたい点があるわけではない。自分はサーバルの意思を汲み最善を尽くした、サーバルの墓前でもそう誓える自信はあった。しかし自分がとった行動がライオンたちに理解されるかどうかは別である。特にサーバルが自分の意思で選択した尊厳死という選択は、生存本能を完全に逸脱した動物らしからぬ選択である。動物として生きているフレンズたちが、その思想を理解することができるのだろうか。


「先生?」


ライオンが急かす。


(仕方ない。分かってくれるか、一か八か賭けるしかない。)


事実を正直に述べることで、医師としての説明責任を果たすしかない。理解してくれるかどうかはライオンたちが決めることだ。サキはそう覚悟せざるを得なかった。


「サーバルさんは3ヶ月ほど前に意識を失い、それを発見した助手がここに運んできました。その時点でサーバルさんは糖尿病という治せない病気に全身を冒され、透析という延命治療をする以外の治療はありませんでした。透析でサーバルさんの命をとりあえず繋ぐことはできましたが、透析で糖尿病を治すことはできません。次第にサーバルさんの病状は悪化していきました。そして今から1ヶ月前、サーバルさんは自らの意思で治療を中止したいと言い、私はその意思を受け入れました。サーバルさんはその後すぐに亡くなりました。その亡骸は病院の裏庭に埋めてあります。」


3人も、後ろのフレンズたちもシンと黙ってしまった。誰かがすすり泣く声が風にのって聞こえてきた。


「死んでしまったのか。」

「治療ができない病気もあるんだな。」


ヘラジカはサキをジロリと見る。


「はい。糖尿病を治す治療は現在もありません。治療がない病気は他にもいくらでもありますし、それが医学の限界です。」


サキはそう答えて目を瞑り、瞼の裏にサーバルの姿を思い浮かべた。病苦に屈することなく、最後まで自分の幸せを追い求めて生命を全うしたサーバル。もしサーバルが今ここにいてくれたならどれだけ心強かったか。

ニコリと笑ったサーバルの顔の幻影がよぎり、それがサキを一層虚しくさせた。


「・・・一ついいかしら。サーバルは自らの意思で治療を拒否したって、そんなことがあるの?というか、やっていいことなの?」

「あります。尊厳死や消極的安楽死と言われているものです。患者が自分らしく命を終えるために、自らの意思決定に基づき医者に治療の中止や延命処置の拒否を申し出ることです。」

「治る可能性を捨て、自ら死を受け入れる? なんでそんな事をするの。意味がわからないわ。」

「細かい条件はたくさんありますが、基本的に患者の意思に基づいて行われる選択です。代表的な理由としては病苦からの解放や看取りの希望などがあります。この場合はサーバルさんの意思を汲んで、私はその意志に従ったんです。」

「やっぱりわからない。自殺なんて・・・」

「尊厳死の申し出があった時、サーバルさんはすでに自分の死を予感していました。そして自分の体内にあるサンドスターが尽きかけていることも知っていました。このまま治療を続ければ生き永らえるかもしれないが、先にサンドスターが尽きて動物に戻ってしまう。もし動物に戻ってしまえば、これまでの記憶や思い出、大好きな人達の事を全て忘れてしまう。サーバルさんはそれが嫌だと言っていました。私は医師として、その意思を尊重すべきだと思いました。」


それでもやはりギンギツネは釈然としないようで、手を上げて首を横に振った。

しばらくサキの話を黙って聞いていたライオンも、やはり解せないといった表情でサキに聞いた。


「サーバルが仮にそう宣言したとしても、医者である先生はその意思を受け入れるべきだったのかい。私には治療の甲斐がないとして治療を打ち切り、死なせたとしか思えないんだけど。」

「確かに治療は打ち切ってことは事実です。ですが、甲斐のない治療を延々と続けることは患者にとって決して幸せとは言えないんです。」

「それは先生個人の憶測であり意見でしかないよね。」

「・・・・・・」


何も言い返せない。


「医者の使命は人を治して救う事だと思う。先生がしたのはその逆のことのように思えてならない。先生がしたのはサーバルの自殺幇助ではないのか? むしろ先生がすべきだったのは、サーバルに生きる望みを与え、死ぬことを思いとどまらせることじゃないのかな。」


ライオンの指摘は的を得ている。寿命の選択という究極の選択をするのは患者、しかしその意向を汲み処置を取るのは医師。患者が何を思い、何を語ったか。医師が何を説明し、何を行ったのか。その過程が明確かつ適切に記録されていること。それが消極的安楽死という、医師の使命から外れた行為が法的に許容される条件だ。

サーバルの消極的安楽死について、あれは紛れもなくサーバルが一人で決定した意思であったし、サキも医師として言うべきことは言った。しかしその対話の過程をライオンたち3人に理解してもらうことは大変に難しい。加えてフレンズの消極的安楽死についての客観的なガイドラインが無いために、サキは行為の合理性、妥当性を示す根拠を提示することができなかった。

実際ライオンたちは憮然とした様子でサキをうっすら睨んでいるように見えた。彼女たちの不信感たっぷりな表情を前にして、サキは鳩尾のあたりにキリキリとした痛みを感じた。


「先生。サーバルは確かに死を受け入れると、そう言ったのかい。その時のサーバルの精神状態には問題なかったのかい。それからサーバルの宣言が真実だとわかる証拠はあるのかい。」

「宣言時、サーバルさんは受け答えがはっきりしていましたので、意思決定能力は十分にあったと言えます。サーバルさんがその宣言をした時、博士と助手が同席していました。彼女たちが証人になってくれます。」

「そうかい。博士が証人か・・・」


そっけなくライオンは言い捨て、腕組みした。するとしばらく黙っていたヘラジカがポツリと呟いた。


「分からない・・・」

「何度でも説明しますから、どこかわかりにくい所があったら・・・」

「そういうことじゃない。」


ヘラジカは顔を上げ、昏迷に満ちた瞳をサキに向け、縋るような口調で続けた。


「君の話を信じていいか、それが全然わからないんだ。」

「え・・・」

「サーバルの話を含めて、君が言うことが全てデタラメかもしれないと、疑ってしまう自分がいるんだ。それは私たちがセルリアンから自分や仲間を守るために、これまでそうやって生きてきたから。君はフレンズを騙し食うセルリアンの血をひいている、ただそれだけで、私は君との間に大きな心の壁を作ってしまっている。ライオンやギンギツネだって、本当は私と同じ気持ちのはずだ。」


ライオンとギンギツネはちらっとサキを見て、すぐに後ろめたそうに目線を逸した。


「一方で私は君の話を聞いているうちに、君を信じてもいいのかなって気持ちも湧いてくる。君の言葉や態度からは真面目さや誠実さが感じられる気がするから。しかし結局君がセルリアンだということがチラついて、信じたいという気持ちを隅に追いやってしまうんだ。なあギンギツネ、私はサキを信じるべきなのかな?」


頼られたギンギツネはとても困惑し、迷いながらなんとか言葉を返した。


「助手がさっき言っていたこと。先入観を持たないで話を聞くこと、それはとっても難しいことだわ。セルリアンを敵視し恐れるという動物的本能が、どこまでも理性を邪魔してくるカンジがする。博士には助かって欲しいのに。サキ、ごめんなさい・・・もしあなたがヒトの医者だったら、私たちはこんなに迷ったりしなかったと思う。」

「そうですか・・・そうですよね・・・・・・私、セルリアンだから。どんなに言葉を重ねても信じようとは思えないですよね。」


サキは肩を落とし3人から目を背けた。やっぱりだめかと心のなかで呟いた。彼女たちは彼女たちなりに私のことを信じてみたいという気持ちを持ってくれたことは分かったし、それは嬉しかった。けれどセルリアンという絶対的な壁の前ではそれも無力だったということだ。

諦めかけた時、今までサキの後ろに着いていたヒイラギが、サキの前にずいと出てきた。そしてずっと我慢していた言葉を思い切りぶちまけた。


「サキさんはセルリアンなんかじゃない!!」


サキを庇うように出てきたヒイラギを3人は驚いて見つめた。


「君、そういえばさっきから先生の側にいるね。君はセルリアンぽくはないね。フレンズなのかい?」


ライオンの問いにヒイラギは静かに頷き、睨み返した。


「僕はイエイヌ。でも本当の名前はヒイラギ。この素敵な名前をくれたのは、生まれついた奇形のせいで本来なら死んでいた僕を助けてくれた医者。サキさんだ。命を救ってくれて、助手として僕をかわいがってくれるサキさんに僕はずっとありがとうって思ってるし、大好きだ。

でもそう思っているのはきっと僕だけじゃない。ここにはこれまでいろんな患者さんが来た。助手、ヒグマさん、スナネコさん、ハシビロコウさん、フェネックさん、アライグマさん。ここに来た患者さんは、サキさんの治療を受けてみんな元気になって退院していった。退院する時の表情は人それぞれだけど、一つ共通していることがある。それはみんな、ありがとう、って言って帰っていくんだよ・・・サーバルさんは助けられなかったけれど、でもサキさんは最後まで精一杯サーバルさんに付き添って、見送った。サーバルさんはサキさんに感謝して旅立っていったよ。」

「つまり、何が言いたいの?」

「・・・確かにサキさんの手足はセルリアン。でも、だからといって、心までセルリアンに染まっているとは限らないじゃないか! サキさんは患者のフレンズたちのことをものすごく良く考えてくれる、すばらしい医者だと僕は思う! 患者さんたちはサキさんと触れ合って、そして人柄を知って、それに気づくんだ。だからみんなサキさんに感謝して、笑顔で帰っていくんだよ!!」


言い切ってヒイラギはぜーはーと小さな肩を揺すった。サキは堪らずヒイラギの背を抱き寄せて耳元で小さくありがとうと言った。ヒイラギの喝破によってライオンたち3人はもちろん、周りを取り囲むフレンズたちもシンとなった。遠くで風が吹き、暗い森がさざめく音が聞こえた。


ヒイラギの言葉で一番勇気をもらったのはサキ自身だった。ここで諦めてしまっては博士は救えず、アライグマやフェネックの応援、ヒイラギの気持ちも無駄にしてしまう。何より私自身が諦めの末の結末なんて望んでいない。私が医師として生きてゆくために、私が普通のフレンズとして生きるために、もう一度踏み出そう。サキはそう強く感じ、再び背筋を伸ばし3人の前に堂々と立った。それに呼応してライオンたちも真っ直ぐな視線をサキに集めた。


「医者は神様じゃないんです。医学という不完全な技術を傲慢にも振るい、目の前の患者にその身を削ってでも手を差し伸べようとする。助けられなかった患者のことは生涯忘れることなんてできず、悔い悩む。そんな、神様とは程遠い一人のち9っぽけな弱いフレンズ。それが私です。」


ライオンが目の奥をキラリと光らせる。


「先生は、自分をフレンズだと思うかい?」

「私は・・・腕と足は青色。でも、医者という”とくいなこと”をもった、みんなと同じ・・・」

「いいよ。聞いてあげる。」


ぎゅっと拳を握りしめ、息を整える。生まれてからずっと、みんなの前で言いたかったことを遂に言える時がきた。


「私はフレンズ。いえ、私もフレンズです!セルリアンの体を持って生まれてしまったけれど、私はみんなと何一つ変わらない、普通の、一人のフレンズです!

だから私もみんなと同じように、博士のことが大好きです。だから治療して助けたい。医者としても、一人のフレンズとしても、本気でそう思っています。ずっとお世話になってきて、何度も背中を押してくれた博士を、この手で助けたいんです。

私のことはやっぱり信じたくないって言う人もいるかも知れません。それはしょうがないことだと思っています。皆さんの気持ちを否定するつもりはありません。

でも!博士を助けたいという私のこの気持ちは、どうか認めて下さい。

お願いです、私に博士の治療をさせて下さい!!どうかどうか…私にとって、みんなにとって、大切な人を助けさせて下さい!」


人前でこんなに大きな声を出したのは生まれてはじめてだった。大声をだしてサキは興奮していたが、言いたいことは全て言えたという満足感も感じていた。さっきのヒイラギのように息を切らせたサキは、ライオンたち3人、それから自分たちを取り囲む集団に向かって深く頭を下げた。それにならってヒイラギもペこりとお辞儀した。フレンズたちは再びザワザワとしはじめ、あれこれ相談しあいはじめた。ライオンたち3人は腕組みして、気の迷いを露わにした。特にヘラジカは今のサキの主張で良心が揺らいだのか、深く頭を抱えてそっぽを向いてしまった。しばらく沈黙が続いた後、ようやくギンギツネが顔を上げた。


「誰かを信じるってこんなに難しいことだったかしら・・・」


ライオンは何も言わずギンギツネの顔を見つめる。


「このパークの中で私たちは一人ひとり生きている。でも一人だけでできることは限られているから誰かに助けを求める。この子なら大丈夫、友達だから、そんな感じで助け合う。それってつまり信頼よね。」

「確かに、私たちがいつもやっていることだね。」

「フレンズ同士なら当たり前。でもセルリアンは敵だから信じない。じゃあ、セルリアンの手を持っているけど、心はフレンズの子は信じられる?」

「・・・わからないね。信じていい確証がないから不安になるのかな。」

「ライオン、多分信頼するって行為に確証を求めたら、もうそれは信頼じゃなくなるのよ。」

「それはそうだけどさ、敵か味方か分からない子にはそもそも信頼なんて置けないんだよ。ギンギツネは置けるかもしれないけれど、私はリーダーだ。みんなを脅威から守る使命がある。そんな楽観視できない。」


ライオンはぷいと目をそらし、また黙ってしまった。


「私は・・・」


ギンギツネは躊躇いながら口ごもる。そしてサキの目を真っ直ぐに見据え、そして続けた。


「私はサキを信じてみてもいいと思う。」

「ギンギツネさん・・・!」


嬉しさのあまりサキは歓喜の声を漏らした。そんなサキを見て、ギンギツネはやれやれと苦笑いした。


「そもそも博士を助けるにはサキを信じるしか道はないの。その唯一の道をみすみす捨てることは合理的じゃないからね。それにサキはこれまでも何人かフレンズの命を助けているのよ。その実績も考慮すべき。あとはサキのフレンズ的良心に賭ける。」

「賭けか。負けたらどうするんだい。」


ライオンが聞くと、ギンギツネはニヤッと笑って流し目を送った。


「賭けにはいつだってリスクがつきものでしょ。信頼もそれと同じなんだって思ったの。だから私は勝ちの目が出る方に賭ける。」

「なるほどね。でも私はそのリスクが重大に思える。もっと慎重に考えるべきだと思う。サーバルだって真実どうだったかなんて今更知ることはできないし。不信感が拭いきれたとは言えないでしょ。」

「そうね・・・ライオンは10年前の巨大セルリアンを経験しているから、慎重になるのもわかるけど。」

「まあ、伊達にアレを生き残ってはいないから・・・私は誰よりも臆病なリーダーだからね。さてヘラジカ。君はどう思う?」


ライオンに呼びかけられてヘラジカはうろたえて慌てて顔を逸した。


「ええと・・・」


みるみるヘラジカの表情が迷いと焦りに染まっていった。


「もう少し待ってくれ。なんだか自分の中の信じてきたことがグラグラ崩れていく感じがするんだ。」


ヘラジカが目を泳がせて答えたその時、どこからかサーッという妙な音が聞こえてきた。その音は次第にハウリングして、遂には耳をつんざくような痛い爆音となってサキたちに襲いかかったので、みんなは堪らず耳を塞いだ。そして突然ハウリング音はプツリと消えた。


「一体なんなんだ?」


ヘラジカが悶えながら言った。


「多分だけど・・・あそこのスピーカーから音が出ていたわ。」


ギンギツネは病院の正面左に立っている電灯を指差した。よくみるとその電灯の上にはスピーカーが付いていた。


「でもなんで突然音なんか・・・今まであれが鳴ったことは無かったんですが。」


地面に這いつくばっていたサキも頭を上げ答える。すると何かがサキの背後を横切る気配を感じた。見ると一匹のラッキービーストが病院に向かって駆けていた。


「スピーカーが故障して音が出たのかも。故障を直しに来たのかな。」


ところがラッキービーストはその電灯には向かわず、病院の白い壁の前でピタリと立ち止まってしまった。みんなそのラッキービーストの行動に目を向けていると、さっきのスピーカーから今度はラジオのようなノイズが聞こえてきた。しばらくするとそのノイズの中に聞き取れる言葉が現れた。


「映像送れて・・・みたい。・・・OK?」


同時に壁の前に立ったラッキービーストから光が放たれ、病院の壁にプロジェクターの光のような大きな四角い光の像を作った。サキたちは一体何が起こるのかとドキドキしながら状況を注視し続けた。


「これでどうかな。」


また誰かの声がスピーカーから聞こえ、それに一瞬遅れてラッキービーストの出す光が病院の壁に誰かの姿を映し出した。


「・・・誰だろう?」

「見たことないや。」


そこに映し出されたのは、黒のスーツをぴしっと着こなし、フレームレスで薄い色のレンズがついた丸いメガネを掛けた、40歳くらいの女性らしきヒト。そのヒトはサキたちを見回すように視線を左から右へと動かし、それから口をパクパクと動かした。ほんの少し遅れて、スピーカーからそのヒトの声らしき音が聞こえてきた。


「キョウシュウエリアのフレンズの皆さん。聞こえていますか。

・・・・・・

「うふふ、はじめまして。それから久しぶりです。私の名前はミライ。10年前までキョウシュウエリアにいた一人のパークガイドです。」


映像の中のミライはとても優しそうに微笑んだ。

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