カルテ7−3 ここにある今が道しるべ
手術の前後の検査を含めたっぷり4時間以上はかかった。やること全てを終えたサキ
とヒイラギが2階に戻ってきた頃には窓の外は茜色に染まっていた。病室にはシーリングライトが点っていて、その下でアライグマとサーバルと博士がフェネックのベッドの周りに輪になって座って待っていた。
「お、ようやくきたのです。」
「サキと、ヒイラギ。待ってたんだよ。」
「先生たち、早くするのだ。アライさんはもう待ちくたびれたのだ。」
3人は口々に呼びこみ、用意してあった二つの丸椅子に二人を座らせた。誘われるがままのサキとヒイラギは訳もわからず顔を見合わせていると、サーバルが高らかに腕を振り上げ声を張った。
「じゃあ始めよっか。うちあげ!」
「うちあげ?」
突然のことにサキは目を丸くした。
「フェネックの手術の成功の打ち上げなのです。助手が差し入れを持ってきたと聞いたサーバルがやろうと言い出したのですよ。今はいませんが助手もすぐにきます。」
「そうそう。こないだのボスの動画でミライさんとユウさんたちがやっていたじゃない。それで私たちもやってみようかなって思ったの。思ったっていうか思い出したんだけどね。」
「そういうことなのだ。こういう集まりのことを確か”じょしかい”っていうのだ。」
「え、あ・・・そうなんですか。」
サキがちょっと腰の引けた返答をしたのを博士は見逃さず、すかさず囲い込んだ。
「なあに、お前にとっては全員見慣れた連中なのです。遠慮は要らないのですよ。」
「はあ・・・」
博士の押しの強さに負けてサキは渋々席についた。サキがあまり乗り気にならないのは、5人という大人数での会話に参加するのが初めてで、うまく馴染めるか不安で怖かったからであった。結局また一言も喋ることなく輪の外に弾き出されてしまうのではないか・・・嫌な予感がして無意識に椅子の上で背を丸め縮こまった。
程なくして電気ケトルを携えた助手が病室に帰ってきて、段ボール箱をみんなのところに持ってきた。博士は箱の中からお菓子やカップラーメン、お茶やジュースの缶を取り出して、いつもサーバルが使っているサイドテーブルの上に一つ一つ並べていく。その度にみんなは物珍しそうに驚きの声をあげた。しだいに場の空気が活気づいていくのを感じながら、サキはみんなの輪の中でどう振る舞えばよいかわからず黙りこくっていた。そんなサキを見かねてか、サーバルがそっと声をかけてきた。
「サキ、手術で疲れちゃった? でも大丈夫。こうしてみんなで集まって楽しくお話ししていると、いつの間にか疲れなんて忘れちゃうものなんだよ。」
「そうなんですかね。」
「そうよ。だってサキは私に同じことをしてくれたじゃない。誰かと話せるってことは本当に素敵なことなんだってさ。」
そう言われてサキはハッとなって顔を上げ、サーバルの微笑む顔を見た。
私は鬱傾向だったサーバルの心を開くために対話の力を信じ、そのために多くの時間を割いた。それがより良い治療の道へつながると信じていたから。その考えは結果的に当たっていたようで、今サーバルは精神的に安定しており、不治の病に冒されながらも毎日のように私に笑顔を見せてくれる。きっとそれは交わした会話によって私とサーバルの間の信頼が育まれたからだと私は思っている。
では今の自分はどうだろうか。孤独な過去から来る漠然とした不安に怯え、他人との関わるチャンスを自分から捨てようとしているではないか。これでは屋上で涙したあの夜の弱い自分と何も変わらない。それではだめだとサキは強く感じた。
(ここは勇気を出して飛び込むんだ。変わるべきは私・・・サーバルさんだって勇気を出して私たちに心を開いてくれたんだから・・・!)
一度息を大きく吸い込み、ゆっくりと吐いて、それからサーバルに微笑み返した。
「そうだよね。せっかくみんながいるんだもんね。」
サキがそう言うのを聞いた博士は少し安堵したようで表情を和ませた。
「先日平原で起きた崖崩れの後始末と復旧を手伝ってきたのですが、この品々はその時平原のフレンズたちから頂いたお礼なのです。二人で食べるには量が多いのでここに持ってきたのですよ。好きなのを取るといいのです。あ、サーバルはサキの指示に従って食べるものを選ぶのですよ。」
「だってさ。サキ、どれならいいかな。」
「うーん、そうだなぁ・・・あっ、ちょうどよく即席の海藻のスープがあるね。これなんてどうかな。」
「じゃあそれにする!」
「わかりました。ただしスープは残してくださいね。塩分が多いので。それとフェネックさんは術後ですから無理して食べることはしないでください。特に水分の摂り過ぎには注意です。」
「わかったよー。」
それぞれに食べ物や飲み物が行き渡ったところで、博士はサキに音頭をとるように言ってきたのでサキは当惑した。
「え、あの・・・こういう時はなんて言ったらいいんですか?」
それを聞いた博士は呆れた笑いを浮かべた。
「決まっているでしょう。”乾杯”なのです。初めてでしょうから覚えておくといいのです。」
サキはキョロキョロ見回して、全員が手に飲み物を持っていることを確認した。そしてとびきり大きな声で号をかけた。
「それでは、乾杯!」
それにみんなが大きな声で続いた。
「乾杯!」
***
博士と助手が帰り、他のみんなが寝静まった真夜中、病室の中でサキは起きて窓の外の星空を見ていた。少しだけ開けた窓の隙間から入ってくる風に髪を揺らしながら、一人先ほどまでの思い出を振り返っていた。
(楽しかった。本当に楽しかったなぁ。あんなにおしゃべりしたのは初めてじゃないかしら。)
こみ上げてくる可笑しさにサキは思わず口元を緩ませた。引きこもりの時間が長かったサキは今まで誰かと気兼ねなくおしゃべりする楽しさを知らずにいたので、今宵の経験により人として一皮むけたような気がした。それと同時に心の中で安らぎが満ちていくのをサキは感じ取っていた。
(なんだろう、心が温かくなって満たされていく感じ。前にスナネコさんのライブに行った時もこんな気持ちになったけれど、それとは少し違う気がする。)
あの時と今の違いはなんだろうか?
サキは窓ガラスに頬を寄せすこし内省した。そうしていると、ふとこの間屋上で感じた”寂しい”という感情に目が向いた。あの夜自分はみんなの輪の中に入ることができず、疎外感に耐えられなくて屋上に逃げた。そして過去の深い傷を思い出して独り泣いたのだった。
でも今日は違った。博士が私を引き入れてくれたおかげでもあるが、私はみんなとおしゃべりして笑い合うことができた・・・サーバルさん、アライさん、フェネックさんはセルリアンの身の私を会話の輪の中に自然に入れてくれて、友達のように接してくれた。
友達、友達のように・・・?
その時心の底にずっと沈んでいたわだかまりに、ガラスのようなヒビがピシリと走るのを感じた。生まれた亀裂の隙間から差し込む光の一筋は、塞ぎ込んだ日々を生きてきたサキに新しい明るさと温度を投げかけた。
”けものはいてものけものはいない”という一節がジャパリパークのテーマソングにある。その言葉の通り、ジャパリパークに生を受けたフレンズたちには種族を越えた同胞意識が芽生えている。だからフレンズたちは誰もが、異なる特徴をもつ他者を認め、受け入れ、
心の闇に差した一本の光の糸を辿り、隠れていた自分の本心に歩み寄っていく。
生まれつきにセルリアンブルーの手足を持ってしまった私は、フレンズの社会に馴染むことができず、友達なんて一人もできなかった。まるで私と私以外のフレンズの間に見えないガラスの壁が立っているみたいだった。”友達になれる”という当たり前の権利が私には与えられなかった。いや、諦めて自ら放棄してしまったのかもしれない。
でも、私は今日初めて友達という存在を知ることができた。一緒に過ごして、一緒に話して、一緒に笑い合える友達という存在。こんなにも温もりに溢れて有難いものだったのか。きっと私がずーっと望んでいたものはこういう存在だったんだろうな。
私は、みんなと同じ当たり前が欲しかったんだ。
私は、みんなと同じように友達と一緒にお話しして、笑って、遊びたかったんだ。
だって、私もフレンズなんだから。みんなと同じフレンズなんだから。
ようやくわかったよ。私が望んでいたもの。
「私は、友達が欲しかったんだ。」
サキは窓を開いて身を乗り出し、首を思い切り持ち上げて広がる星空の一番高いところを見上げた。その時みた空は屋上で見た時の何百倍も美しく見えた。きらきら光る星空に吸い込まれ、ふと自分の存在を忘れそうになる。サキは空に向かって思い切り「私は今生きているんだ」と叫びたい気分だったが、部屋の中ではサーバルたちがぐっすり寝ているのでそれは控えた。その代わり頬に吹き当たる風を感じることで自分の存在を確かめた。
少しの間そうしていると後ろから誰かの小さな声が聞こえてきた。
「私たちは友達でしょ。」
驚いて振り向くと、ベッドの上でうつ伏せになったサーバルが、目をぱっちりと開けてサキの背を見ていた。
「サーバル・・・起きていたの?」
「さっきの声で起きちゃったの。サキの声で。」
「・・・うるさかった? すみません。」
「いいの。友達なんだから遠慮しないで。顔を赤くしなくたっていいの。」
サーバルはニヤッと笑って体を起こし、ベッドの柵に掴まりながら、側につけてあった車椅子に乗った。
「ねえ、せっかくだからちょっとお散歩しようよ。」
そういってサーバルは自分で車椅子を動かし、サキを病院の裏庭に連れてきた。サキが裏庭に立ち入るのは先代のスナネコの墓参りにツチノコと来た時以来である。あの時雪が薄く積もっていた庭の地面は、今は昼間の太陽ですっかり固く乾いていた。たった一本の電灯に照らされた裏庭はかろうじて草花の色がわかる程度に暗かった。
「雨も雲も、もうすっかりどこかに行ったんだね。綺麗な星空。」
「そうね。ほんとうに。」
「ねえサキ、知ってる?この裏庭の木や花はだいたいユウさんが植えたんだよ。木や花を育てるのが趣味だったんだって。」
「ええ。向こうに植わっている柊の木もそうだとツチノコさんが言っていたよ。」
「でね、この庭には一種類だけミライさんと私が植えた花があるの。どれだと思う?」
サーバルは振り返ってサキに問いかけた。サキは辺りの花木を見回してみる。
「今咲いている花?」
「うん。」
改めて見ると庭には多くの花が植えられていた。
「アジサイ、キキョウ、サンゴバナ、ジャスミン、シャラ。他にもいろいろ・・・」
多様な草木が花をつけていたが、その中でサキの目を引いた花があった。庭の奥の方に植わっていたヒマワリ、その中の一本だけが花を咲かせていた。黄色と茶色のコントラストがどこかサーバルに似ているような気がした。サキがそのヒマワリを指差すと、サーバルは嬉しそうに笑って正解だと言ってヒマワリの近くに車椅子を進めた。
「このヒマワリは病院にイベントで寄った時に種を一つ植えたの。ミライさんが私らしい花だよって言っていたんだ。その次の年に、またイベントのついでで見に行ったの。これと同じように大きな花が咲いていたんだ。」
サーバルは車椅子から手を伸ばしヒマワリの葉と茎を懐かしげに撫でる。
「病室の窓の外から一本だけ咲いているのが見えたんだ。最後にもう一回だけヒマワリの花を間近で見てみたいなって思ったから、サキを誘って見に来たんだ。」
「最後だなんて・・・」
「いいの、私わかっているもん。むしろサキの方がわかっているでしょ。私たちが植えたのは一本だけなの。きっと私たちが植えたヒマワリが種を残して、それでこんなに増えたんだね。私たちの最初の一本はもう枯れちゃったのかもしれないけれど、その子供たちは今もここにいて、私を迎えてくれているんだね。きっとこれも手紙と同じ、一つのタイムマシンなんだね。」
そう言うサーバルの表情はどこか寂しそうで、でもどこか幸せそうだった。
「サキとヒイラギが手術に行っている間、私は博士と手紙について話をしたんだ。思い出が多すぎて手紙じゃ収まらないって私が言ったら、博士はこんなことを言ったの。『お前はサキと真逆なのです』って。」
「私とサーバルさんが真逆って、それはどういうことなの。」
「サキは辛い過去を抱えていて、それを克服するために今を必死に生きている。私は、ミライさんとの楽しい過去を振り返り続けることで、何もない無色の今を耐え忍んでいたんだって。なんとなく当たっているなって私は思ったよ。」
「・・・そうかもしれない。」
「その後に博士はこう言ったんだ。
『でもサーバル、お前はとてもラッキーなのですよ。サキがいたから今お前は生きていて、ヒイラギがいたからお前は文字を覚え、ミライさんという愛する人に自らの言葉を残すことができるのですから。お前の今という時間はもう、無色なんかではないはずですよ。自分と向き合い、対話し、最後にミライさんに何を伝えるべきなのかを考えるのです。時間も紙も、スペースは限られているのですから。』
そう言われて私は写真をじっと見ながら頑張って考えたの。どんなことを書けばミライさんが喜ぶのかなって。それで私なりに考えて出した答えは”私の今が幸せだ”って伝えること。」
少し微笑むサーバルの目尻には涙が浮かんでいた。一つ咳をして、サーバルは服の中からミライさんの写真を取り出して、それをぎゅっと持った。
「ミライさんとの思い出はかけがえがなくて、私にとってとても大事なものなんだよ。でも思い出だけじゃだめなんだって気づいたの。きっとミライさんは今もどこかで私のことを心配していると思う。なら私は、今も幸せだよってことを手紙で伝えて、ミライさんを安心させてあげなくちゃいけないんだ。ミライさんとさよならした後も私は幸せに日々を生きていた、そして長い月日が経っても変わらずあなたのことが大好きなんだって書かなくちゃって。
たった独りでサバンナを彷徨っていた頃が幸せだったとはお世辞にも言えない。でもサキに助けてもらったあの日からは、私は間違いなく幸せなんだよ。もちろん今も幸せだよ。全部サキのおかげ。だからありがとう、私の友達。」
そしてサーバルはサキの手を取って、その手に頬を寄せた。初めて面と向かって友達と呼ばれたこと、そして初めて感じる友達の肌の温かさにサキはすっかり思考を奪われて、小さく「うん」と絞り出すことしかできなかった。
***
それから2日後、術後の合併症もFCCSの恐れもひとまずはなくなったため、フェネックは退院することになった。退院の時は毎回ヒイラギが花束を手渡している。今回も裏庭からルドベキアの花を何束か取ってきてブーケに仕立ててフェネックとアライグマに贈った。
「ありがとうなのだ、先生方には大変お世話になったのだ。」
「そうだねー。私もアライさんもいっぱい助けてもらったね。二人ともありがとうね。」
二人は嬉しそうに笑い、そろってお辞儀をした。
「いえ、こちらも無事に見送ることができて嬉しいです。フェネックさんはしばらく血が固まらないようにする薬を飲む必要がありますので、朝晩忘れずに飲んでください。薬がなくなったり、出血して血がなかなか止まらない時はすぐに病院に来てください。アライさんは足元に注意してくださいね。」
「そこんところはお任せなのだ。今度はアライさんが先生の代わりにフェネックを助けるのだ。」
アライグマはそう答えて胸を張る横でフェネックは本当かなぁと苦笑していた。
「それじゃあアライさんたちは帰るのだ。お世話になりました、なのだ。それとサーバルも、また来るからそれまで元気にしているのだ。」
そう言ってアライグマはサキの隣にいたサーバルに手を振ったので、サーバルも手を振り返す。
「うん。待ってるよ!」
アライグマはその声を聞き届けると、フェネックの手を取って病院から去っていった。
「行っちゃったね。」
二人の背を眺めながらヒイラギがぽつりと呟いたが、サキは小さく頷くだけに留めた。病院から自分の足で歩いて退院できるということは、病気や怪我が治る可能性が残された患者に限られる。今自分の隣にいるサーバルには、残念ながら治療の見込みは無い、フェネックのように歩いて病院の丘を下りることはできないのだ。
サキはチラッとサーバルの顔を伺った。サーバルは笑いもせず、悲しそうな顔もせず、ただ真剣にまっすぐと小さくなっていく二人の背中を見送っていた。
***
患者:フェネック
No.:8
種族:フェネック フレンズ
傷病名:ACA梗塞・その後の検査で前交通動脈に直径7mmの動脈瘤を認めた
治療法:ACA梗塞発症2時間以内に到着したためrt-PA投与により血栓を溶解。来院2時間後のMRAにて上記の動脈瘤を確認。脳梗塞予防のための抗凝固療法を終えてから血管内カテーテルによるコイル塞栓術で動脈瘤の破裂予防を行なった。FCCSが疑われたが、画像上は腰部病変は認めず発作も起きなかったため経過観察とする。
予後:術後経過は良好。麻痺側の筋力は最低でMRC4であり、軽度の筋力低下で留まった。今後は脳梗塞再発予防のための抗凝固剤の服用を継続する。
主治医:SAKI
入院先:ジャパリパーク・キョウシュウエリア第2病院 001号室二番ベッド
***
患者:アライグマ
No.:9
種族:アライグマ フレンズ
傷病名:右足首の捻挫 右前距腓靭帯の損傷
原因:転倒
治療法:副木による固定および消炎剤の貼付
予後:治癒。歩行機能に問題なし。
主治医:SAKI
入院先:ジャパリパーク・キョウシュウエリア第2病院 001号室第四ベッド
***
「どうでしたか、助手?」
「ええ。博士の予想通りでしたね。」
助手の報告に博士は満足げに笑みを浮かべた。
「病院の裏庭にある廃屋。シャッターが降りていて外壁はツタがびっしり生い茂っていて、外見はどうみても廃屋にしか見えないのです。しかしそれはあくまでカモフラージュ。あの廃屋の地下には、どうやら研究施設がある、というのが私の予想でしたが。」
「私が調べられたのは廃屋然とした小さい地上部分だけなのです。ドアや窓、それに屋根にはまっている天窓にまで頑丈なシャッターが下りていて、中の様子を窺うことはできませんでした。博士の方はどうでした?」
「まあそうでしょうね。他のエリアでも同様らしいですが、パーク内の研究施設はフレンズの目につかないよう隠匿される傾向があるようなのです。だから目につきやすい地上部分は廃屋のようなデザインにされたのではないでしょうか。」
「そんなものがあると知れたらフレンズが怖がりますからね。」
助手はやれやれといった表情でコップの水を喉に放り込んだ。博士も同じく水を飲むと、懐から一冊の冊子を開いて机の上に置いて言った。
「これは助手が蔵書庫で見つけてくれた病院スタッフ用の施設図なのです。スタッフ用のエレベーターのところを見てください。あの病院にはカテーテル室のある地下1階から蔵書庫のある地上3階まであることになっています。ですがこの冊子によると地下1階の廊下の先にもう1基エレベーターがあり、それに乗ると地下2階に降りられる。地下2階には通路があり、それを通ると廃屋の直下に出られるみたいなのです。」
「隠し通路が存在していると・・・そういうことでしょうか、博士。」
「・・・おそらく。」
説明している博士も聞いている助手も薄気味悪くて背筋が凍る感じがした。地上部分のカモフラージュといい、一般には公開されていない地下2階といい、そこで何か良からぬことが行われていたのではないか・・・嫌な憶測が浮かんだ。
「先入観を持ってはいけないのですよ、助手。常に冷静に、客観的にいるのです。」
「ええ、わかっているのです。それで地下2階には行ってみたのですか。」
「ダメでしたね。打ち上げが終わった後地下1階からそのエレベーターがある方へと歩いてみましたが、ここもシャッターが下りていました。」
やれやれと言った様子で博士はため息をついた。
「さすがにわざわざ隠匿するだけはある。厳重なのです。開けるための鍵はないのですか?」
「カードキー、というか職員証が必要らしいのです。シャッターの脇にカードリーダーがありましたので。」
「職員証・・・そうだ、前に拾った岬医師の職員証を使えば解錠できるのではないですか。」
「私も同じことを考えています。さすがですね、助手。あの職員証は失効していないはずです。」
ユウホの職員証は今サキに預けてある。今度病院に行った時に試してみようと博士は言った。
「別に今度でなくても、明日でも明後日でも良いのではないですか。」
助手がそう問うと博士はダメだと首を振った。
「FCCS同様、この件もフレンズにとってはセンセーショナルなのです。不用意に漏らせばフレンズたちに不安や憶測が飛び交い、騒ぎになりかねません。いつかの巨大セルリアン異変の時は、我々の状況認識が遅れてしまったために声明をしばらく出せなかった。そのせいでフレンズたちは僅かな情報に煽られてしまい大騒動になってしまったのです。
残念なことに、全てのフレンズが我々のように賢く、情報を理知的に分析できるわけではないことを覚えておくのです。私は同じ轍は踏みません。まだ不可解な点の多いこの件を不用意に漏らせば、今後我々が調査しづらくなるだけでなく、病院に住んでいるサキとヒイラギが良からぬ噂を立てられるかもしれない。今はフェネックとアライグマが入院しています。顔の広い彼女たちに我々の行動を目撃されることは是非とも避けたい。我々は病院で調査を始めるのは彼女たちが退院してからです。」
オレンジ色のデスクライトに照らされた博士の顔にはいつもより濃い影がかかり、大きな瞳は真っ黒な闇を湛えていた。博士は何かに憤慨しているわけでも、悲しんでいるわけでもない。ただ謎に対して中立で真摯な姿勢をとって向き合っているだけだった。
長年連れ添い博士のことをよく理解していた助手は、何も言わず頷いた。
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