カルテ3-7 ケセラセラ

「そうか、前回の薬がもしかしたらスナネコの病気の進みを速めてしまったのかもしれないと、それを気にしていたということなのか。」

言ってしまった・・・ あの深い色の瞳から発せられる重たい視線はどうにも掻い潜れるものではなかった。

腕組みをし、眉をひそめ目を瞑るツチノコの前でうなだれる他なかったサキは、怯えるように全身を震わせつつ言葉を絞り出した。

「はい。あの時処方したステロイド剤は炎症を抑える働きをします。その効果で、確かに炎症で閉塞していた気管支は開きました。しかしその一方で結核菌に対する免疫反応、菌を殺す力を削いでしまったのかもしれません。だからこそスナネコさんの容態は急に悪化した、とも考えられるんです。今となっては本当のことはわかりませんが、あの時にしっかりとした検査をしていれば、痰についてもう少し詳しく聞いていれば・・・ 私の考えが至りませんでした。 ・・・ごめんなさい。」

診察室は懺悔室になっていた。サキは神の御前で悔い改める罪人のように喪失感に満ちたボロボロの顔を手で覆い嗚咽を漏らした。

罪の告白、懺悔の言葉を吐くという行為は想像以上に身を切るものである。抱えた後悔、刺さって抜けない罪の意識、それらを全てさらけ出し、神の赦しを乞う。しかしこと人と命の道に生きる医師にとってそんな都合の良い儀式などないことはサキも十分に分かっていたのだ。医師がどれだけ自分の過ちを認め、過ちの許しを求めたとしても、その過失で傷ついた患者の健康は戻っては来ない。そして何よりミスを犯した医師を赦すことができるのは神ではない、傷つけられ、裏切られた患者その人であるから。


怒鳴られても、殴られても、それこそこの場で噛み殺されても文句は言えない。なぜなら私はミスを犯したのだから。赦しなんて得られない。


ツチノコに顔も見せられず、サキはただ椅子の上で膝を抱えうずくまるしかなかった。


「サキ、お前が本気で謝り後悔しているのは俺にもはっきりわかるぜ。」

ツチノコの声が聞こえた。遠くからこだまして聞こえてくるような、エコーのかかったその音声はぐしゃぐしゃの脳にほのかに響いた。そのこだまはさらに続いた。

「俺には温度を感じ取るピット器官がある。嘘の謝罪をしているやつの体温と、本気で謝っているやつの体温はまるで違う。俺やスナネコは病気やフレンズのことに関しては全然わからん。だからお前は俺たちに対しミスの説明をぼやかして逃げることだってできたはずだ。もっとも、そんなことをしていたら今頃俺はお前に噛みついていたけどな。けれどお前はそうしなかった、お前はミスを起こしたことを心から後悔し、謝ったんだ。その涙は本物だよ。お前もヘビの仲間なんだからピット器官で視てみろ、私が怒っているようにみえるか?」

そのこだまは決して怒りや憎しみの色は混ざっていなかった。低く落ち着いた音だった。

「いえ、私のピット器官は生まれつき弱くて、ツチノコさんが怒っているのかはよくわからないです。けれど、私がしたことは怒鳴られて然るべきです。」

顔を覆ったまま言ったからか、その声は暗くどもっていた。

その時急にこだまが近づき、鼓膜を突き破らんほどの音圧をサキの脳に響かせた。

「サキ、いいかげん顔を上げろ! いつまで泣いているんだよ! お前がずっとその調子じゃあスナネコがいつまでたっても治らねえじゃないか!!」

突然サキは頭をつかまれ、ぐいと無理やり顔を前へ向けさせられた。突如として白く飽和した視界の先には毅然としながらもまっすぐな目をサキへと向けたツチノコがいた。顔を真っ赤にし涙と鼻水でボロボロになったサキに向かって、ツチノコは目元を優しく緩めて元気よく笑った。そしてこう続けた。

「確かに判断に間違いがあって、スナネコの容態は悪くなったのかもしれない。けれどスナネコはちゃんと今生きているじゃないか。命が危なくなったスナネコに素早く対処し、真の病気を探り当て、そしてもう治療を始めてくれている。それらは全てお前のおかげなんだ。だから俺やスナネコはお前に対して怒る筋合いはどこにもない。むしろ感謝したいくらいだよ。ありがとう。」

その言葉にサキは口をへの字に曲げ、今にもまた泣き出しそうに瞳を潤わせた。罪をおかした自分に対し感謝の言葉を投げかけるツチノコの器量の大きさを思うとサキは感無量だった。しかしそんな感慨に浸る暇もなくツチノコはニヤッと笑うと、一つ問いかけた。

「ただ、俺には一つ納得いかないことがある。だからお前に対し注文を付けさせてもらうぞ。お前の言うミスはなぜ起きたのか、それをしっかり反省し、スナネコの後に来る患者たちに活かしてくれ。」

ツチノコはぴしゃりと言い放つとサキの頭から手をどけた。

「ミスを反省する、それは分かります。けれど納得がいっていないことというのは何でしょうか・・・」

戸惑うサキに対しツチノコはまたぴしゃりと告げた。

「それは自分で考えろ。」

そう言ってツチノコは腕組みし黙り込んだが、サキがいまだに頭の整理がついていないと見えたようで、後ろ髪を掻きつつもったいぶりながら言った。

「まあ、ヒントはやるよ。そうだな、


お前は神か。それとも人か。


ゆっくり考えろ。お前が自分を信じていなくても、俺はお前を信じているぞ。」



時刻はすでに真夜中で、月明かりだけのエントランスのソファにはツチノコがぽつんと座っていた。診察室でのサキとのやり取りの後、憔悴しきったサキは少し休ませてくれと言って、そのまま診察室で寝入ってしまったからだ。ドアからのすき間風は冷たく、外の林の枝葉がこすれる音や風切り音がひっきりなしに聞こえてくるうえ、マスクが暑苦しく感じられて眠ろうと思っても眠れなかった。すると階段からパタパタと足音が聞こえてきたのでそちらを振り向くと作業着姿のヒイラギが2階から降りてきてツチノコの隣に腰かけた。

「スナネコさんはよく眠っていますよ。継続投与している抗菌薬もずっとモニタリングしていますので大丈夫だと思います。」

ヒイラギはそう言って手を大きく伸ばしあくびをした。そうして半袖の作業着では寒いのか体をブルンと震わせ、ソファーの上に体を倒して寝そべった。ツチノコは優しく「ご苦労様」と言って、窓の外を眺めながら隣で眠そうにしているヒイラギに話し始めた。

「たしかヒイラギって言ったよな。俺は先生がやったことで一つ解せないことがあるんだ。昨日お前が俺の所に来て腕を見せてくれって言ったよな。あれはどういう意味があったんだ?」

「僕もサキさんからは直接は聞きそびれたんです。だから僕の推測でお話します。あの時僕が見たのはBCGワクチンという結核の感染を防ぐための予防接種の痕だったんです。」

「それが俺の腕にあったということは、俺は結核にかからず済むということなんだな。」

「はい。それと同じものは僕にもあります。」

そう言ってヒイラギは袖を肩までまくって左腕の外側をツチノコへ見せた。そこには数個の点の痕が固まって残っていた。

「僕の場合はサキさんが昔に接種してくれていたんです。だから僕も結核にはかかりません。」

「そういえば、まだジャパリパークにヒトがいた時に白衣の人が訪ねてきたっけな。その時に打ってもらったかもしれない。」

「サキさんは、スナネコさんが結核の可能性があると疑った段階で結核の感染リスクがあったツチノコさんを気にかけたんだとおもうんです。」

それを聞いてツチノコは目を丸くし、ヒイラギと同じように袖をまくって左腕の接種の痕を見た。そして、

「サキ、お前は俺の安全も考えていたのか。」

とつぶやき天井を見上げて息を吐いた。それをみてヒイラギは少しうれしくなり笑みを浮かべてツチノコの横顔を見ていた。するとツチノコは突然こみ上げるようにクックッと笑いだしニヤついた。

「いや、たぶん違うな。先生は初めから俺が接種を受けていたことぐらい察していたはずだ。先生がやったことの目的は、自分が結核に感染するリスクを無くすためだよ。だから俺にもお前にもマスクをつけさせて、診察室まで変えたんだ。それは結局、自分が倒れたらスナネコを治療するやつがいなくなってしまうから、それしかないだろうよ。」

そう言ってツチノコはハッハッハと高らかに笑い出した。そうして笑いを止めると、隣で呆気にとられるヒイラギにウインクした。

「間違いない、お前の主人、サキは立派な医者だよ。ただ、今はまだ片目だけなんだ。もう片方の視点が未熟なだけだ。サキはもっと良い医者になれるよ。お前もそう思っているだろ?」

ヒイラギは元気よく返答した。

「もちろん! サキさんはずっと頑張っているんだから!」

「そうだな、だからお前は先生の傍にいてやれよ。博士にもそう言われているんだろう。」

ツチノコとヒイラギは互いににっこりと笑みを交わし、今度は二人して笑い声をあげた。

しかし、その雰囲気を打ち砕くようなドンドンドンッという衝撃音が突如としてエントランスに響き渡った。

一瞬にして血の気が引いたツチノコとヒイラギは恐る恐る音の鳴った方を見た。するとまたドンドンッという何かを激しく叩く音が二人の心臓を鷲掴みにした。ヒイラギは歯をがたがたならしてツチノコにすり寄ったが、同じようにツチノコも怯えて冷や汗を流していた。

「だっ、誰だ!」

ツチノコは音のする方へ叫んでみた。すると返答の代わりにまたドンドンッドンドンッと何かが叩かれ打ち鳴らされた。

「もしかしたら・・・急患かもしれない・・・それならドアを開けないといけない。」

真っ暗なエントランスと激しい音にすっかり怯えてしまったヒイラギは固くツチノコの手を握りながら、ゆっくりと音のする方へと歩み始めた。

音の鳴る方はエントランスの入り口の所のようで、ヒイラギとツチノコが近づく間も断続的に音は聞こえてきて、そのたびに二人は足を止め縮み上がっていた。背筋が凍り付く思いを幾度もしながら、走行しているうちに二人はエントランスの前まで来た。入り口の外も真っ暗で、見たところ何もいないように見えた。

「お、おいっ! 誰かいるのかっ!」

「急患のフレンズさんですか! 答えてください!」

二人は口々にそう入り口の外の暗闇に呼びかけた。すると、その呼びかけからしばらくして外からうめき声のような「うぅ、うぅ」という小さい声が聞こえてきた。

「急患だ!大丈夫ですか!?」

ヒイラギはそう確信し、ツチノコの手を放して扉に駆け寄った。

その時だった。

二人が先ほど何もいないと思っていた暗闇に、突如として2つの黄色ともオレンジともいえない芯のある炎の玉が浮かび上がったのだ。それが先ほどのうめき声と一緒にゆらゆら揺れながらドアの向こう側に迫って来たのだ。

「っ・・・ ぎゃああああ! お化けぇーーーっ!!!」

ドアノブを手に取ろうとして近づいていたヒイラギはそれを間近で見てしまい慌てて尻もちをつきそのまま後ずさりした。

「ひ、ヒイラギっ! 大丈夫か! もしかして外にいるのはセルリアンか?!」

ツチノコも慌てて近寄りヒイラギの肩を持ち、ドアの向こうの火の玉を凝視した。鈍いうめき声と浮かぶ黄色い炎はあまりに不気味でツチノコも肝を冷やし声が出なくなった。

すると、先ほどから雲に隠れていた月が切れ間から顔を出し、ドアの向こうのお化けの正体をあぶりだした。

暗い灰色の衣服、黄色い瞳、頭についた大きな翼、そいつがうめき声を立て二人を睨んでいた。

二人はドアの向こうのそいつを見て思わず苦笑いを浮かべて大きくため息をついた。

「外にいるの、あれってハシビロコウさんじゃないか?」

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