カルテ5−4 グレイトフル ・ジャーニー

あんな形相のフレンズをサキは見たことがなかった。今まで私の前に現れたどんなフレンズも顔は怯え顰めたが、フレンズがあのような憎悪に満ちた表情をするのかと心底衝撃を受けたのだった。


その日以来、サーバルはほとんど言葉を発することはなくなってしまった。

左腕内シャント造設(*注:定期的に血管透析を行うために必要な手術)の手術前の診察でサーバルの左腕の血管を触診している今でさえ、真横にいるサーバルが自分の横顔を睨みつけているのではないのかと背筋が凍り、気づかれぬようチラと見るとサーバルは手に写真を握り何もない病室の天井を力無くぼんやりと眺めていた。

窓の外からはここ最近ずっと雨が屋根や窓を叩く音が聞こえてくる。ベッドの上のサーバルは差し込んでくる薄い光に横顔を照らされ、たまに遠くの山の空の雷鳴に反応し、反射的に頭上の耳を窓の方へと回転させた。ただでさえ無地で殺風景な病室がより一層コントラストの無い灰色に染まっていくように感じられた。


何も語らずただそこにいるだけのサーバルの気持ちを全て理解することは今の所できていない。しかし何も手がかりが無いわけではなかった。


昨日サーバルの今後の治療方針を説明する場に助手が同席してくれたのだ。サーバルはその時も黙って首を縦か横に振るばかりだったが、助手がサーバルの側にいて、サキの話をさらに噛み砕いてサーバルに説明してくれたのだ。そのおかげもあってどうにかサーバルの了承を得て透析治療の開始に踏み切ることができたのだった。

その後、部屋の外でサキは助手を呼び止めて今のサーバルの態度について相談したのであった。

サーバルがずっと言葉を発さずふさぎこんでいると聞いて、助手は少しうーむと首をひねり、しばらく考え込んだ後、助手は一つの仮説を教えてくれた。


「あのサーバルはミライというヒトとかつて一緒にいたみたいなのですね。サーバルはそのヒトに大層懐いていたようです。そんなミライとサーバルが離れ離れになってしまったのは、今から約10年前のヒトの一斉退去があったからです。そしてその直接の原因になったのが、一斉退去の前にあったセルリアン騒ぎなのです。」


その事件はサキも少し知っていた。今から11年前の2058年の春、パークの中央部の火山周辺に突然巨大なセルリアンが発生したのだ。そのセルリアンは1週間後に倒されたが、その被害は甚大でパークはこのエリアの営業を中止せざるを得なかったらしい。


「運営が凍結されたことで、観光客はもちろんパークの職員も一人残らずこの島から出て行ってしまったのです。ここからは私も博士から聞いたことなので詳しくは博士に聞いて欲しいのですが、その当時ミライとサーバルに限らずフレンズとヒトが親友、あるいは親子のようになることはそれほど珍しいことではなかったのです。その親密な関係がセルリアンの出現によって壊され、もう2度と会えなくなってしまったとしたら、残されたフレンズの悲しみはどこに向かうのでしょう。」


そういうフレンズたちは、離別の元凶たるセルリアンを心の底から憎んでいるのかもしれない。サーバルもそういう大勢の内の一人なのかもしれない。

そういう話だった。

そう考えると、体がセルリアンのサキに対して無意識のうちにサーバルの敵意の牙が向いてしまっているのではないか。サキの着ている白衣の袖や裾から伸びる腕と脚を見る度サーバルは表面上ではなんとか平静を装ってはいるが、心の底でとぐろを巻いた黒い感情は隠しきれず表出してしまっているのかもしれない、そうサキは推測していた。


「けれど、この腕だけはどうすることもできない。こうしてセルリアンの腕を隠すためグローブをはめて、サーバルさんの肌に直接触れないことが私のできる精一杯の配慮なんだ。」


紫色のグローブをはめた指先がサーバルの左橈骨動脈の拍動を触知した。続けてサキはエコーのプローブをサーバルの左母指の付け根あたりに押し当て、それを軽く滑らせて腕の血管の状態を確認した。


「橈骨動脈も橈骨皮静脈もはっきり見えますね。サーバルさん、予定通り手術を行います。ヒイラギが手術室で準備をしてくれていますから、もう行きましょう。」

「・・・?」


サーバルは黙ったままぼんやりと首を傾げた。


「はい。血管透析を行うためには少しだけ左腕を手術して血管をつなげる必要があるんです。それほど時間はかかりませんから心配は要りませんよ。」


それを聞いてサーバルは一度コクリと頷くとまた下を向いてしまった。そして小さく


「よろしくね。」


と言った。

それでも言葉を返してくれたことが、ささやかながらサキには嬉しく感じられ、「ありがとうございます。」と言った。サキの声が暗く俯くサーバルに届いていたかはわからなかったけれど。



サーバルを乗せたストレッチャーを手術室に搬入すると、中にいたヒイラギがすべての準備を終わらせて待っていた。


「一通り薬も揃えておいたけど、これで大丈夫かな?」


ヒイラギが指差したトレイには生食、キシロカイン、エピネフリンなどの薬剤の小瓶や注射器が並べられていた。


「いいと思うわ、ありがとう。それじゃあ始めよう。今回は伝達麻酔で行うから、サーバルさんを仰臥位にして左腕を外転。前腕は回外。」


サーバルは手術室に並ぶ鉄の器具や機械にびっくりすることはなく、ひどく落ち着いていた。ヒイラギにされるがまま手術室のベッドに仰向けに寝かされたあとも取り乱すことはなく、頭上に吊り下がっている手術灯の白光に目を細めていた。エコーと局所麻酔薬を持ってきたサキはサーバルの腋窩をヨードで消毒したのち、エコーの画像を見ながら規定のポイントに麻酔薬を投与した。


「サーバルさん、今麻酔をかけました。次第に左腕の感覚がなくなってくるかと思いますが、手術が終われば元に戻りますから安心してくださいね。」


サーバルは横にだらりと伸びる自分の左腕を見て、手を握ったり開いたりして手指の感覚を確かめた。


「まだ大丈夫。」

「そうみたいですね。完全に効くには30分くらいかかります。それと、この麻酔ではサーバルさんの意識は保った状態で手術をします。もし手術の様子を見たくなかったり、聞きたくなかったら、アイマスクや耳栓を用意しますよ。」

「それなら大丈夫。」


サーバルは首を小さく横に振ったので、サキの心配は杞憂となった。それからしばらくして、サーバルが落ち着いた声でボソリと呟いた。


「私、ここに来たことあるから。だから、これからサキとヒイラギがすることを、私はほんの少しだけ知っているんだ。」

「サーバルさん、この部屋に来たことあるんですか?」


手術室の隅で処置の順序について話し合っていたサキもヒイラギは同時に驚き、手術台に臥せるサーバルに歩み寄った。そんな二人を見て、無影灯に目を細めているサーバルはゆっくりと深く息をし、語り出した。


「ミライさんと一緒にここに来たことがあるの。私が怪我したとか、そういうことじゃないんだけど、病院で患者さんとの交流イベントがあって、それにミライさんと参加したんだ。イベントの後、この部屋の見学をさせてもらったんだ。」

「実際に手術を見たんですか。」

「うん。緑色の服を着たお医者さんが何人もいて、すごく難しいことをやっていてびっくりしたんだ。何をしているかなんて全然わからなかったけれど、後でちょっと教えてもらった。頭の手術だったんだって。」


かつてこの病院にいた外科医について、サキは一人心当たりがあった。


「もしかして、ユウホさん?」


するとその名を聞いたサーバルは意外そうに目を大きく見開いてサキの顔を覗き込んだ。


「サキ、ユウさん知っているんだ。ミライさんとユウさん、仲が良かったみたいで、そのツテで私も見学させてもらったの。」

「そうだったんですか。」


サーバルはコクリと頷き、息を天井へとふわりと吐き出した。


「なんかね、この部屋に来て、緑色の服を着ているサキの姿を見ていたら、それがユウさんの影に重なって、なんか思い出しちゃった。」


そう言ったサーバルの口元は笑っていた、けれど目元は笑っていなかった。むしろど

こか寂しげな色を帯びていたようにサキには見えた。


サーバルは何を想起したのだろう。思い出とはその人が歩んできたありのままの物語の中のスナップショットである。切り取ったワンシーンをみて沸き起こるノスタルジーは毒にも、薬にもなる。サーバルが見たワンシーンは彼女にとってどんな一枚だったのだろうか、いくら理論を積み上げたところでそれを完璧に解き明かすことなどできはしない。それが人の心、感情だ。

しかしそんなありきたりで陳腐な結論の前で立ち止まってはいけないのが医師という職業である。言葉はもちろん、非言語的な要素、歩んできた過去、現在、見据えている未来、これらを総て検討し、目の前の患者の真意を汲み取ることが求められる。

そのことはサキも十分にわかっていた。そして心という、どれだけ文献を漁っても正答が見つからない問題に立ち向かう難しさを今苦しいほどに噛み締めていた。


「左手、不思議な感じがする。私の体じゃないみたい。」


麻酔をかけて30分経った頃、サーバルは伸ばした左手の感覚が無くなったことを告げた。サキが確認すると、確かに麻酔は効いているようで腕から先の神経が全てブロックされていることがわかった。


「麻酔完了。もう一度消毒をしておこう。」

「はい。」


ヒイラギがヨードをつけた脱脂綿で術野を再度消毒した後、サキは手術台の前に立ち、術野である左前腕を見下ろした。先ほどまで心に支えていたわだかまりを一度隅に追いやり、術野の解剖学的構造を想起する。


橈骨動脈はこの位置、橈側皮静脈はこの位置。母指の腱はここを、橈骨神経はここを走行している・・・この位置で動脈と静脈を吻合する・・・


徐に顔をあげ、目の前に立つヒイラギの顔を見ると、ヒイラギも同じようにサキのことを見ていた。二人は目を合わせ、同時に一度大きく深呼吸し、そしてはっきりと告げた。


「それでは手術を始めます。サーバルさん、もし途中でおかしいなと思うことがあったらすぐ言ってください。」


サーバルがそれを聞いて小さくうなずくのを見て、サキも同じように小さく頷いた。


「・・・メス。」


手渡されたメスをしっかりと握り、マークしてある切開線に刃を沿わせた。



「モノポーラー。」

「はい。」

ピー、という音に続いて術野から白煙が上がり、毛細血管からの出血を焼いて止めた。手術開始から20分が経ち、サキは吻合予定の動脈と静脈の剥離作業を終了していた。


「さあヒイラギ、ここからが本番よ。クランプで血流遮断。」

「よーし!この位置で大丈夫?」


むき出しになった濃いピンク色の動脈にクランプを当てがいながらヒイラギが尋ねたのでサキはそこで大丈夫だと答えた。ヒイラギはその調子で静脈にもクランプをつけ、剥離した動脈と静脈の流れ込む血流を止めた。


「ありがとう。それじゃあ動脈を切開するよ。」


サキは血の気が薄くなり少し白くなった動脈壁に縦に小さく切り込みを入れた。少量吹き出した血液は除去し動脈に開けた穴の形状を確認したのち、今度は動脈の穴とぴったり重なるような形の穴を静脈壁に開けた。

「6-0ナイロン。」

そして二つの血管の穴を合わせ、糸で穴どうしを吻合して接続した。


「血流を再開します。」

そっとクランプを外すと、今までせき止められていた血液が一気に血管に流れ込んできた。橈骨動脈から流れ込む血液の一部が手術で造ったシャントを介して直接橈側皮静脈に注ぎ始めた。サキは吻合にミスがないか、血液が漏れ出ないかを注意深く観察した。糸を通した血管からは出血がなく、他の部位からの不正な出血がなく吻合は成功したとわかると、サキはようやくホッと息をついた。


「サーバルさん、これで折り返しです。予定より早く終わりそうです。何か変わったことはありませんか?」


サキが尋ねると、サーバルは言葉を返してくれた。

「うん、大丈夫だよ。」

「もう少しで終わるから、頑張ろうね!」


ヒイラギが元気にサーバルに励ましの言葉をかけると、サーバルは少し安堵したようにふぅと息を吐き出した。



手術は無事に終わり病室に戻ったのは昼過ぎだった。とは言っても窓から高く上がった太陽の光が差し込んでいるわけはなく、相変わらず鈍重な雨雲が低く漂っているだけだった。


「予定より20分くらい早く終わりました。麻酔が切れるまでは左腕はあまり動かさないで、感覚が戻った後も過度に動かすことは控えてください。」


ベッドサイドで術後投与の抗菌薬の投与準備をしつつ、サキは左腕の感覚が戻らないのを気にしているそぶりを見せるサーバルに声をかけた。それを聞いてサーバルは少し悲しそうな顔つきになった。


「動かさないで、か。やることは何にもないのに。」

「あっ、ごめんなさい。気に障りましたか・・・」


サキが慌てて謝ると、サーバルも当惑して右手を横に振って否定した。


「そ、そんなつもりで言ったんじゃないの。サキは悪くない。手術してくれてありがとうって思っているよ。ただね、今ここでベッドに寝ている私にはこの写真以外、何にも残っていないなって思ったんだ。」


大きな耳を前に垂らししょんぼりした様子のサーバルはそのまま静かなトーンで話し続けた。


「私はサーバルだから、外で思いっきり体を動かしてサバンナ中を駆け回るのが大好きで、毎日走り回ってた。それにミライさんがいて、カラカルがいて、毎日がとっても楽しかった。でも、ミライさんは海の向こうに行っちゃった。カラカルも死んじゃった。それに私の足は次第に思い通りに動かせなくなって、飛び跳ねることも走ることもできなくなっていった。

そして、いつの間にか私は広いサバンナの草原でひとりぼっちだった。

おかしいよね。長く生きて、好きなことがたくさんあって、たくさんの“宝物”があったのに、今私の周りにはこの写真以外何一つ残せなかったなんて。」


サーバルの自嘲気味な語りがサキの心に深く沁み渡り、返す言葉が出てこなかった。けれどサーバルというフレンズの心、その一端がようやくサキには理解できた。


このフレンズは今、体の不調や大切な人との離別で生活が無為なものと感じ始めてしまった結果、自分が生きている理由がわからなくなっているのだ。生きる意義を見失っているから立ち止まり過去を振り返る他ないのだ。それが、サーバルが繰り返し写真に固執する本当の意味なのだろう。


生存本能こそが正義である動物にとって生きる理由などは必要ないし思慮することもないだろう。あくまでフレンズは動物の延長線上の生物であり、思考の根本は動物の姿の時とそれほど変わらない。そのためフレンズは自身の生に対し疑問を抱くことは滅多に無い。

しかしサーバルの人格や精神面は他のフレンズよりもヒトに近いように見えた。サーバルは「生きる意味」を本能で感じるのではなく理性で捉えてしまっている。だから自分の生に懐疑的になってしまっているのだ。

恐らくだがミライさんというヒトと一緒にいた時間が長いサーバルは、二人で一緒にいた時間を通して、よくも悪くもヒトが持つ理性の癖というものを覚えてしまったのかもしれない。


サーバルの持つ人間くささに気づいた時サキは一つの考えに至った。

「もしかしてここ最近のサーバルさんはうつ状態にいるのではないか?」

うつ状態はうつ病・認知症などの精神疾患によって引き起こされる気分の落ち込みが長く続くことである。フレンズでの症例は皆無だが、もしうつ病や認知症であれば治療すべき疾患として対処しなければならない。一方で一過性の気分の落ち込みということも十分に考えられる。サーバルから見れば突然サバンナから病院に運ばれて、慣れない環境下で行動を制限されているのだから心理的には大きな負担となっているはずだ。

しかし気分の落ち込みが病的であれ気分的な問題であれ、そのような可能性があればサキのやる事は一つだった。

「まずはサーバルさんが落ち着いて話せる環境を整えよう。」



「サーバルさん、お茶って飲んだことあります?」

「えっ?」


医者から唐突にそんなことを聞かれたのだからサーバルは目を丸くした。


「お茶かぁ、昔結構飲んだよ。紅茶とか。」


サーバルが目線を上に向け記憶を辿りながら答えると、サキはゆっくりとした明るい声になるよう意識してそれに返した。


「でしたら、一緒に飲みましょう。ここは病院ですし、用意して持ってこれますよ。」


そして「ねっ」と言って首を横に傾け念押しをしてみた。サーバルはちょっとあっけにとられたような表情をしていたが、それは次第に照れた笑みに変わっていった。


「うん、たまにはいいかもね。緑茶がいいな。」



宿直室でくつろいでいたヒイラギに声をかけ給湯室で3人分の緑茶を入れ戻ると、病室のサーバルはベッドの横に腰掛けて待っていた。サイドテーブルを引き寄せてそこにお茶の入ったカップを並べると、サーバルは右手で取手を掴み、それをゆっくりと口に運び啜った。


「はあー、久しぶりだな。お茶飲むの。」


サーバルはホッとため息をついて体を後ろにもたれた。サキも同じように緑茶をすすり手術の疲れを一気に吐き出した。


「私も同じですよ。普段はコーヒーばっかりですから。」


サキのとなりに腰掛けたヒイラギが熱いカップに息を吹きかけて冷ましていると、その仕草を見たサーバルはクスリと笑った。


「ヒイラギ、犬なのに猫舌なんだね。なんだかおかしいや。」

「サーバルさんだって猫じゃない。猫舌じゃないの?」


ヒイラギは頰を膨らめて照れ隠しに反論すると、サーバルはさらに体を後ろに倒し遠い目をした。


「私もね、昔は熱いのは苦手だったの。でもね、ミライさんと一緒にいろんなところを旅していたら、いつのまにか大丈夫になっていたんだ。夜を外で過ごす時はミライさんが焚き火で水を沸かして、よくお茶やスープを作ってくれたから。」

「サーバルさんは昔どんなところに行ったの?」

「いろんなところ、パークの隅から隅まで行ったよ。ジャングル、高山、砂漠、湖、平原、海、雪山、それに港と遊園地。一度火山にも行ったかな。」

「そんなにいろんな場所がここにはあるんですか、知らなかった。」


平原と砂漠と病院の建つこの丘しか知らなかったサキはサーバルの話にかなり驚いたが、それ以上にヒイラギが興味津々にこの話題に食いついた。


「すごいやサーバルさん! そんなにいろんなところにいったことがあるなんて!」


ヒイラギは前に思い切り身を乗り出しサーバルの顔を覗き込むと、サーバルは驚いて目を逸らしたが、顔は褒められて満更でもなさそうであった。


「そ、そうかなぁ?」

「そうだよ!僕なんてこの丘くらいしか知らないから、丘の外には何があるのかすっごく興味ある!」

「本当に? 私の話なんかに?」

「もちろんだよ!面白そう!」

「・・・」


またサーバルは黙ってしまったが、伏せた横顔にはここ最近のサーバルには見られなかった、嬉しそうな表情が微かに表れていた。それを見たサキはこの機を逃すことなく、すかさずサーバルに話しかけた。


「そうだサーバルさん、もしよかったらヒイラギに旅の話を聞かせてあげてくれませんか。私も聞きたいですし。」

「えっ、サキも?」

「はい、もちろん私もですよ。サーバルさんがお話ししたいなと思った時で大丈夫ですから。」


サーバルは黙ったまま上目遣いでじっとサキを見ていた。その凝視はしばらく続き、その間サキも目をそらさず笑って見つめ返した。途中からヒイラギもこの不思議な見つめ合いに加わって懇願する視線をサーバルに送った。

しばらくにらめっこが続いた後、ついにサーバルが根負けしたのか口を大きく開けあはははと笑い出した。


「あはははは、参ったよ。二人とも真剣なんだもの!やっぱり、あなたたち二人とはもっとお話ししてもいいかなって思っちゃった。」

「本当?!」


ヒイラギが嬉しそうに飛び上がるのを見てサーバルは満面の笑みになった。


「本当だよ。」


サーバルはそう言って今度はサキの方を向いて、申し訳なさそうに謝った。


「サキ、ごめんなさい。あなたたちとは仲良くなりたいなって決めていたんだけど、ここ最近嫌なことを思い出してどうにもそんな気分になれなかったの。だから、話そうと思っても声が出せなかった。」


ようやく聞くことができたサーバルの本心をサキはしっかりと胸で受け止めた。


「気にしないでください、気分の浮き沈みは誰にでもありますから。それよりもサーバルさんがこうして本当の気持ちを言ってくれたことが嬉しいです。」

「ううん、もう大丈夫。いつまでもクヨクヨしていたってしょうがないや。」


そうしてサーバルはにっこりと笑いを返した。その笑顔は窓の外の曇り空を吹き飛ばすほどに底抜けに明るかった。



その夜、助手が様子を伺いに病院を訪ねて来たので、サキは今日起こったこと、サーバルの態度が軟化したことを伝えた。


「そうですか。サーバルと打ち解けることができたのですね。とりあえず一安心なのです。」

「はい、ここ最近いろいろな書類を調べてコミュニケーションの取り方を勉強したかいがありました。」

「さすがなのです。それでヒイラギは?」

「サーバルさんの話に聞き入っていますよ。私は中座して来ました。」

「ふむ、タイミングが悪い時に来てしまったのです。」


助手はそう言って目をつむりサキが用意したコーヒーをすすった。


「それで、今後の治療はどうするつもりなのです?」

「透析のためのシャントは今日手術して作りました。血管透析が可能になるのは10日から2週間後です。その間の血糖コントロールは投薬で対処しようかと思っています。」


すると助手はなぜか曇った表情をしてうーんと唸り声をあげた。何か困っていることがあるのかとサキが訊ねると、助手はちょっと真面目な顔になって答えた。


「実は、ここのところ博士の体がどうもおかしいようなのです。サーバルのほうで忙しいのはわかってはいるのですが一度診て欲しいのです。」

「おかしい?ちょっと詳しく教えてください。」


サキも椅子に座り直し、姿勢を正して助手の正面に向き直った。


「体の一部が妙に赤くなって、そこに小さなブツブツができているのです。しかも結構痛いらしくて。まあ最近働き通しなので疲れが出たのかなとは思うのですが、サキにも相談しておこうと思ったのです。」

「どれくらい前からですか?」

「ここ数日のことなのです。」


紅斑か、発疹か、助手の話だけではよくわからないが痛みがあるというのは少し引っかかる。最近働きづめということは日和見感染のようなものだろうか。

サキは様々に想像を巡らせるが、やはり一度博士を診察しないことには結論は出せないと思った。


「やはり一度博士に診察に来てもらわないとなんとも言い難いです。治療が必要な病気だったらすぐに対応しなければいけないですし。」


サキがそう伝えると助手はやはりかという風にうなずいて椅子から立ち上がった。


「わかりました。数日内に博士に来るよう伝えておくのです。夜遅くに邪魔したのです。とりあえずサーバルの方がひと段落ついたようで私は安心したのです。」


助手はそれだけ言うと病院から去っていった。

図書館へと帰っていく助手の影を窓から見送りつつ、そういえば博士は体調を崩してまで一体何を調べているのかとサキは不思議に思い、診察の時にちょっと聞いてみようと頭の片隅に留めておくことにした。



*筆者より:投稿が遅れてしまったことについて、改めてお詫び申し上げます。

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