カルテ1-6 流れ星の降る丘

サキはヒイラギとともに診察を再開した。

「対称性四肢弛緩麻痺あり。構音障害あり。複視。助手さん、今は下痢とか吐き気はそうでもないんですよね。」

助手は頷いた。サキはヒイラギに採血と検査を指示した。

「最初はあった消化器症状は今はそうでもない。その代わり神経症状がはっきり出てきていますね。」

サキの脳裏にあったいくつかの診断候補のうち、一つの可能性が次第に大きくなってきてサキの思考を占有し始めた。

「これは、もしや・・・」

実は非常にまずい容態なのでは・・・と冷や汗が垂れた。予想が当たっているのかを調べるためサキは博士の方を振り返り尋ねた。

「ここに助手を運ぶのにどれくらいかかりました?」

「月の動きを考えると2時間はかかっていないのです。」

「博士が帰ってきたときにはすでに助手さんは倒れていたんですよね。」

「そうなのです。」

「助手さんが今日何食べたか覚えてますか?」

「朝はいつものじゃぱりまんを食べたのです。私は昼から出かけていたのでよくわからないのです。」

サキはちょっと首をひねった。アレの感染を疑うのなら食べたものを是が非でも聞き出したい。しかし今その食べた本人は手足のまひがあり、細かなコミュニケーションが取れないのだ。聞き出す手段がない。

「うーん、博士、何でもよいので何か心当たりのあるものとか覚えていないですか?」

サキはなんとか何かヒントを得られればと思いもういちど博士に尋ねた。博士は額に手を当て考え込んでいたが、何か思い当たったかのように「あっ」と声をあげた。

「確か見慣れない箱が図書館に転がっていて、中を見たらカレーのパックだったのです。たしかテーブルに食べかけのカレーがはいった皿がのっかっていたのです。おそらくそれを助手は食べたと思うのです。」

「レトルトカレー・・・ですか。それなら温めないと食べられませんが、それをどうやって温めたのかわかりますか。」

「我々は火を使うことはできないので、おそらく備え付けの電子レンジを使ったのです。」

とするとレトルトカレーを助手は食べたと思われる。食中毒の原因になりそうなものと言ったらそれくらいである。サキは助手の目をじっと見てゆっくりと質問した。

「助手さん、お昼にカレーを食べましたか?」

助手は小さくゆっくりと頷いた。

サキはまた深い思考の海に潜りこみ、その水の中を浮遊し、たゆたう手がかりを一つづつ拾い集めた。食中毒・神経症状・消化器症状は微弱・呼吸器異常・食事はおそらく約6時間前・カレーライス・・・ 集めたピースは次第にサキの頭の中で一つの病気を引っ張り出してきた。ああ・・・あの時論文で読んだこととそっくりじゃないか、サキは昔見た映画のワンシーンをふと思い出した時のような懐かしさを覚えた。その感触は記憶の彼方から一つの病気の詳細な情報、そして治療方針を引っ張り出した。その時サキの頭の中で全ての情報が、まるで一つの物語を紡ぎあげる様に、精緻に結い上げられた一本のロープとなり、思考の海からサキを陸へと力強く引き上げた。海から這い上がり陸に戻ったサキの手には助手の鑑別診断がしっかりと握られていた。

「博士、ありがとうございます。助手さんの病気の見当がつきました。」

十中八九予想に間違いはないとサキは口を引き締め、大急ぎで薬品庫に向かった。診察室の隣にある薬品庫には一定水準の薬品が保管されている。それらはすべてラッキービーストによって補充されていて、使用期限も問題ない。サキは棚に貼られているリストをざっと眺め、棚からある薬品のビンを取り出した。そのビンを大事に抱え診察室に戻ると、すぐさま検査室にいるヒイラギを大声で呼び寄せた。

「ヒイラギ!助手に気道挿管をするから喉頭鏡、挿管チューブ7.5㎜、潤滑ゼリー等準備!それと静脈ルートとっておいて!」

ヒイラギも大きく返事をし、一寸のちに検査室から必要な器具をもって飛び出してきた。サキは棚から持ってきたビンから薬液を取り出し、添付文書のとおり調合し点滴用のバルーンに詰めた。その間にヒイラギは助手の静脈ルートをとっていたので、サキはそれにバルーンを接続した。そして自分の横で訳の分からないことが突然始まって理解が追い付かないという顔をした助手にサキは目を合わせた。

「助手さん今から口の中に呼吸を補助する管を念のため入れます。容態がよくなったら抜きますからそれまでは我慢してください。」

助手は慌てながらも首を縦に振った。サキはそれを見届けるとニコッと軽く微笑み、慎重に気管にチューブを挿入した。

「これでよし。」

挿管を終え人工呼吸器の準備を終えたサキは勢いよくため息を吐いて椅子にもたれこんだ。あまりに一瞬に起こった出来事にさすがの博士も混乱したようで、あわあわしながらもサキに何をしたのかと尋ねた。サキは処置に使ったグローブを外しながら穏やかに答えた。

「診察の結果、助手さんは食中毒の中でもトップクラスに危険なボツリヌス菌という細菌に感染している可能性があります。吐いたりとか下痢とか、消化器の症状はそれほどでもないのですが、体を動かしたり感触を伝えたりする神経ってところに障害が出ていたのでボツリヌス症の特徴です。博士はなんか普通の食あたりとは違うなと言っていましたけど、その通りなんです。放置していたら呼吸に使う筋肉まで麻痺しまい、呼吸ができなくなって死ぬ可能性もありました。ファインプレーです、博士。」

「じゃ、じゃあ助手は助かるのですか?ちゃんと治って元気になるのですか?」

博士は椅子から勢いよく立ち上がると甲高い嬉しそうな声で聞いてきた。みるみるうちに博士の顔は緩んでいき、目にためた涙は抑えきれなくなって頬をつたいはじめた。ぐしゃぐしゃになっていく博士の顔は先刻失意の淵で泣き崩れていたサキよりひどいもので、嬉しさがとめどなくあふれているようだった。

「はい。1,2週間すればきっとよくなりますよ。」

サキもにっこりと笑うとゆっくりと博士の右手をとり、両手でぎゅっと握った。

博士の小さな手は小刻みに震え、そしてちょっと熱かった。

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