カルテ7ー6 ここにある今が道しるべ

一瞬、聞き違いかとサキは思った。カルテを開いたまま膝の上に置き、床に落としたペンを拾うのも忘れ、一心にサーバルを見つめていた。けれどサーバルは一切表情を変えようとせず、無理して作った微笑みと、隠しきれない高潔な涙をサキに見せ続けていた。


サーバルは本気で治療拒否を宣言していたのだ。


「・・・サーバルさん。まず伝えることがあります。基本的に私やヒイラギは患者であるサーバルさんの意思を尊重する、つまりサーバルさんの望みに沿った対応をします。治療拒否、もしそれが望みならば、私たちは治療から手を引きます。これは・・・医師としての義務です。ですが、治療中止によって何が起こるのかを事前に伝えること。これも医師の義務です。だからサーバルさんの気持ちを私たちが受け入れる前に、私たちからの話も聞いてもらわないといけないんです。」

「うん。もちろん聞くよ。」


サーバルはベッドに寝た姿勢のままピンと背を反らし、頰についた涙の跡をシーツで拭った。


「はっきり言いますと、今治療を止めることは死に直結します。」

「うん。」

「透析による毒素の除去を止めれば尿毒症が進行して意識障害を起こし死に至ります。肺水腫が悪化すれば自分で呼吸が出来なくなります。それだけでなく様々・・・いろんな合併症が起こり全身状態が悪化していきます。持って数日から数週間といったところです。」

「治療をやめればすぐ死んじゃうよね。それはわかってる。」


サーバルがキッパリとそう言ったので、サキは戸惑った。それならば、どうしてサーバルは治療拒否などという決断をしたのだろうか。ひょっとすると私の治療があまりに辛かったから・・・そんな考えが過りサキは胸が苦しくなった。


「それでは、サーバルさんがそういう決断をした理由を教えてください。」


そう言われてサーバルは寝転がったままサキのいる右側に顔を向けた。それから少し自分の中で考えを整理してから、決断の理由を語り始めた。


「ねえサキ。あなたは自分がフレンズになって良かったって思う?」

「えっ、どうでしょう・・・考えたことなかったです。」

「このジャパリパークにはいろんな子がいるの。フレンズになって良かったって言う子、動物のままの方が良かったって言う子。私は、フレンズになって本当に良かったって思っているし、幸せだった。生まれ変わってもフレンズがいいなって思うくらい。

フレンズになれたから喋れるようになった。美味しいものを美味しいと言えるようになった。友達と遊んだり、おしゃべりして楽しい気持ちを表情や言葉で伝えられるようになった。大好きな人に、“大好きだよ”って言えるようになった。それに・・・サキとヒイラギのお陰で文字も書けるようになって、言いたかった気持ちをタイムマシンに乗せて未来ミライへ届けられるようになった。みんなみんな、フレンズになれたから叶えられたことなんだ。

私はフレンズとして幸せな一生を送れたと思ってる。だから、フレンズとしての記憶と生涯を大切に、一生を終えたいの。」


サキは床に落としたペンを拾い、膝の上でカルテを広げてサーバルの言葉を書き取って、一旦顔を上げた。


「動物に戻る前に・・・ということでしょうか。体のサンドスターが足りなくなればフレンズで無くなってしまうから。」

「うん。こういうのを“寿命”っていうのかな。もう私の体は限界みたい、サンドスターを全然取り込めていない気がする。多分、治療を続けていてもあと2、3日で限界がきて、サーバルキャットに戻っちゃう、そんな予感がするの。」

「そう・・・死ぬことよりも、フレンズでなくなる事の方がサーバルさんにとって重要なんですね。」

そう言ったサキにサーバルは深く頷いて満足そうに微笑んだ。

「フレンズのまま一生を終える方がね、私らしい死に方だと思うし、それが幸せなんだと自分で感じているの。息苦しい中一人で考え抜いた結果なんだ。あの時と違って、今は私の隣りにはサキとヒイラギ、ついでに博士と助手もいてくれるじゃない。私のために集まってくれたみんなのことを忘れたくないから・・・・・・ほら、フレンズじゃなくなれば記憶が消えちゃうから。ミライさんのこと、カラカルのこと、今まで出会ったみんなのこと、私の友達サキとヒイラギのこと、私は絶対に忘れたくない。あなただってそうでしょう、サキ?」

「私?」


そう訊くサーバルの瞳は至って真剣で、真っ直ぐにサキの視線を捉えて離さなかった。


「私からサキにお願い。サキは真面目で良い子だから、きっとお医者さんとしての仕事に真剣なんだと思う。それがサキの良いところよ。でも今だけは、私の中にある僅かなサンドスターが残っている今だけは、どうか一人の友達として私とおしゃべりして欲しいな。」

「いいんですか?」

「お願い。私の人生の最後に出会えた大切な友達と、私はお話がしたいから。」


衝撃と無念さ、それに寂しさなどがごちゃ混ぜになったような気分に苛まれながらも、サキはどうにか頷いて、握っていたペンの先を引っ込めた。そしてサーバルに向き直った。


「わかったよ、サーバル。」

「ありがとう、サキ。それと・・・部屋の外にいる3人、入ってきてもいいんだよ。ずっと気づいているから。」


サーバルが声を張ってから程なくして病室のドアがそっと開き、しょげた顔をしたヒイラギと、いつも通り真面目な顔をした博士と助手が入ってきてサーバルのベッドを取り囲んだ。


「サーバルさん、ごめん。でも外から聞いちゃったから・・・気になってドアから離れられなくて・・・」

「いいの。むしろ私のことを気にかけてくれてありがとう。それがうれしいな。」


そう答えてサーバルは笑い、慣れた手つきでヒイラギの頭を撫でた。撫でられている間ヒイラギはずっとサーバルと目を合わせようとせず、どうしようもない気持ちを押し込めるため俯いていた。


「ヒイラギ、あなたもサキとおんなじくらい私のことを助けてくれたね。あなたが文字を教えてくれたお陰で、私は手紙が書けたんだよ。ほら、見て。」


そう言って懐から小さく折りたたんだ紙を取り出し、広げてヒイラギに渡した。その拍子に、サーバルがずっと大事にしてきたミライとの写真が掛け布団の上にハラリと落ちた。サーバルはそれを拾い上げ、見つめた。


「手紙・・・最初は過去の思い出ばかり書いていたの。でもいつからか、それだけじゃ足りないって気づいた。ミライさんがいて、カラカルがいた私の過去は幸せだった、それは変わらない。でもね、今の私もそれとおんなじくらい幸せなんじゃないかなって思えるようになったんだ。サキがいて、ヒイラギがいる。私の周りにいてくれる。こんな未来は想像もしなかったなぁ・・・すっごい奇跡なんだよね。だから・・・・・・こんな奇跡に巡り合えたことに感謝しないといけないなって。私気づいた。だから二人のことも手紙に書いたんだ。ミライさんと離れ離れになってから出会った、大好きな友達として・・・・・・

・・・・・・

ヒイラギ、だからあなたにもごめんなさいって言わないといけないの。治療をやめる、私の決めたことがあなたを悲しませてしまうかもしれない。でもそれは私が自分で決めたことだから、どうか受け入れて欲しい。」


サキの言いつけで、いままでずっと自分の感情を押し殺してきたヒイラギも、ついに溢れる気持ちを抑えきれなくなり、撫でるサーバルの手を振り払って喚くように心中を吐き出した。


「わかんないよ! どうして諦められるの?まだ生きられるのに。僕はわかんない。生きていることが幸せなんじゃないの、僕らは?!」

「ヒイラギ、ストップ。」


サキは話を遮ろうと睨んだが、ヒイラギはそれに構うことなく捲し立てる。


「生きていようよ・・・僕たち、今まで頑張ってきたんだ。サーバルさんが治るように、少しでも元気なれるように、いろんなことをいっぱい考えてきた。治療もしてきた。それはサーバルさんが大切な患者さんだから。でもそれだけじゃない。サーバルさんが来てくれてから、お姉さんができたみたいで…いつも優しく笑ってくれたサーバルさんが大好きだったから…サキさんだってめちゃくちゃ我慢しているだけで、本当は僕と同じ気持ちのはずなんだ。」


そうでしょ、とヒイラギが泣いて赤くなった目でサキを思い切り睨み返した。サーバルもゆっくりとサキの方へ目を向ける。たまらずサキは目を背け、窓へと鼻先を向けた。

ヒイラギの言ったことは当たっていた。サキは自らの医師という立場を弁え、ショックで簡単に破れてしまいそうな心を必死に取り繕うように、あえて少し冷静な態度をとっていた。けれど悲しみを取り繕うのも限界に来ていることは自分でもわかっていた。


また、サーバルの優しさに甘えてしまう…


そんな自分が情けなかった。


「私もね…ヒイラギの言うとおりの気持ち。残念とか無念とか、そんな安い言葉じゃ伝えられないよ。あなたと友達になれたことがどれだけ嬉しかったか…永遠に続けばいいなってちょっと思っていた。だからさ、受け入れてほしいって言われても、内心は辛いんだ。」



するとサーバルは右手と左手で、それぞれサキとヒイラギの手をとって、冷たく乾いた指先で二人の肌を撫でた。


「サキ、ヒイラギ。二人はミライさんに別れを切り出されたあの時の私と同じ気持ちなんだと思う。私もあんな楽しい時間がずっと続けばいいなって思っていたけれど、永遠なんて無かったなぁ…幸せが終わることを突然突きつけられて、それからはずっと心にポッカリ穴が空いたまま、どんなに泣いてもわめいても戻らない時間を求めて生きていた。心にずっと雨雲がかかっているかんじ、すごく辛いし、受け入れるのも乗り越えるのも楽じゃない。

・・・

でも私はサキとヒイラギがいたから、あの深い深いその悲しみをようやく乗り越えられたんだ。二人が私に時間をくれた、幸せの見つけ方を教えてくれたから私の心は晴れた。今手に入れられる幸せを大切にしようって思えるようになった。」


そういった途端、サーバルは咳き込んで口をシーツに押し付けた。何度も苦しそうに息をしているのを見てサキはサーバルを抱き起こしベッドサイドに座らせた。少しするとサーバルの荒い呼吸は収まっていった。


「ふぅ…はぁ…サキ、ありがとね。楽になった。」

「無理はしないほうがいいですよ。」

「ううん、大丈夫。それからサキ、今のうちに言って頼みたいことがあるんだ。」


サーバルはそう言うと、書いた手紙をサキに手渡し握らせて言った。


「私が書いたミライさんへの手紙。いつかミライさんがここに来たら渡して欲しいんだ。それまではサキが大切に持っていてくれないかな。中身は見ちゃってもいいから。」


手紙を広げてみると、ノートから切り取った数枚の紙一面にはサーバルが書いた大きな平仮名の文章が所狭しと並んでいた。その大きく勢いのある文字からは、サーバルが一生懸命書いたんだということがひしひしと伝わってきてサキは目が潤んだ。

博士も背伸びして手紙を覗き込み、感心して立派だと褒めた。それから博士は助手に何か耳打ちし、助手が部屋から出て行ったのを見計らってサーバルに話しかけた。


「サーバル。まだ喋る元気はありますか。」

「もうちょっとなら頑張れるかな。」

「そうですか。ならば、その手紙をお前自身の声でも保存しても良いのではないでしょうか。」

「えっ、そんなことできるの?」


サーバルが驚いて聞くと、博士は手帳のメモをチラリと見てから答えた。


「この間、病院の屋上でラッキービーストが動画を見せてくれたのを覚えていま

すか。あれはラッキービーストの録画機能を使って撮影したものなのです。そして調べた結果、その機能は今も使えるみたいなのです。」

「そうなの?じゃあ私の姿や声も、ボスが記録してくれるってこと?」

「そう言うことなのです。今助手にラッキービーストを連れてきてもらっているのです。」

「ですが博士。ラッキービーストの機能はフレンズでは使えないのではないですか?」

「その通りです。ロック解除には鍵になるもの、例えば職員が持っている職員証などが必要なのですが・・・」

「職員証ですか・・・・・・あれ?もしかしてユウさんのものが使えたりするのでは?」


御名答、と博士は笑って、懐からユウホの職員証を取り出した。


「あの時ラッキービーストは岬医師の職員証を認識していましたから、あの職員証はまだ失効していないということなのです。つまりどういうことかというと・・・」


ちょうどその時助手がジタバタ暴れるラッキービーストを一匹鷲掴みにして戻ってきた。そのラッキービーストの胸元のレンズ付近にユウホの職員証をかざすと、今まで暴れていたラッキービーストの動きがピタリと止んだ。そして救急システムの時と同じ合成音声を発し、博士に対して応答した。


《Dr. Yuho Misaki, your ID is recognized. How may I help you?》


「Ah...can you take a video?」


その後博士がラッキービーストと少しやりとりすると、ラッキービーストが助手の腕の中から飛び出して、サーバルの向かいのベッドの上に飛び乗って《Standby》と告げた。


「これで録画準備は良いのです。後はサーバルの意思、それと主治医の許可次第でなのです。」


サキはベッド端に座るサーバルを見た。サーバルも顔を上げてサキのことを見ていた。


「サキ、いい?いいよね?」


そう尋ねるサーバルの瞳は生気を纏い輝きを放っていた。ダメだと言うつもりなど毛頭なかったサキは、サーバルの望みを受け入れ頷いた。


「いいよ。ただ無理はしないでね。肺に不安があるから息苦しくなったり、咳き込んだりしたらやめるのよ。」

「わかった。ありがとう、サキ。」


サーバルは嬉しそうに微笑むと、カメラに向かうように座り直し、腿の上に手紙を広げた。そして目を閉じ慎重に息を吸い込んで、吐き出した。目を開いた時、少しだけサーバルの体全体から光が溢れ出たようにサキには見えた。その様子を見て助手がポツリと言った。


「サンドスターを使って野生解放をしましたか。無理をするなとサキも言っていたのですよ。」

「わかってる。でもこれだけはやらなくちゃ。あんまり保たないから早くカメラを回して。」


サーバルに急かされて博士はstartと命令した。するとラッキービーストの目が赤く光り出した。



「回ってるよね?

うん、ええと。ミライさん、見ているかな?久しぶり。サーバルだよ。覚えているよね。私、今は病院にいるの。昔、ミライさんと行った、ユウさんのいた第2病院。そこでこのビデオを撮っているの。いろんな人に助けられ支えられて、私は今の私の姿と声と気持ちを、私が書いたこの手紙に乗せてミライさんに届けたいんだ。」


そう言ってサーバルは腿の上の手紙を手にとった。深く息を吸って、死の間際の患者とは思えないくらい明瞭な声色で読み出した。


「みらいさんへ

おぼえてるかな? わたしはさーばる。むかしむかし あなたとたびをした さーばるきゃっとの フレンズだよ。

わたしね あなたといっしょにいられて たびができて おいしいものをたべられて わらいあえて ほんとうに たのしかったの。かけがえのない おもいでなの。みなとで あなたと おわかれした あのひ。それいらい わたしのこころには なんにも はいってこなくなった。かがやきをうしなったような そんなかんじだった。

だから ずっとひとりで いきていた。ものくろの まいにちに かがやきは なかった。 だから あなたとのおもいでで うめていた。からかるが しんでから わたしは だんだんと からだが よわっていった。でも ふしぎなの、しにたくないって ぜんぜん おもわなかった。ああ、わたしにもきたんだな そんなかんじ。ようやく まいにちが おわるんだなって それいがい なんにもかんじなかった。

・・・

でもね わたしは らっきー だったみたい。 ひさしぶりの あたらしい ともだちが できたんだ。さき と ひいらぎ ふたりは びょういんにすむ ふれんずたち。わたしの いのちを たすけてくれたんだ。

ふたりは いつも いっしょうけんめいに わたしのことを ささえてくれた。 まいにちわたしのところに きてくれて おせわしてくれたり おはなししてくれたり。 ふたりのおかげで わたしはだいじなことを おもいだせたんだよ。 となりに だれかがいてくれること それはほんとうに たのしくて すばらしいこと。 そんなあたりまえのことなのに、 ひとりぼっちの まいにちをくりかえしていたら いつのまにか わすれちゃってたみたい。

・・・

それにれ、 さきと ひいらぎのおかげで わたしは もじを かけるようになったんだ! もじが かけるようになれば わたしのきもちを ずっと のこしておけるって きいたから。 

だからわたし がんばったよ。 いっぱいれんしゅうして いっぱいかきなおして。 いまみらいさんが よんでいる このてがみだって わたしが おもっていることが ほんとうに つたわっているかなんて わかんないけれど。 でも みらいさんなら きっと わかってくれるって しんじてる。

・・・

わたしの ながい たびは そろそろおわるみたい。

しぬのは ちっともこわくない。わたしが とってもかなしいのは みらいさんと にどと あえなく なっちゃうことなの。

できることなら もういちど みらいさんに あいたかった。もういちど みらいさんの てをにぎりたかったし うでのなかに とびこみたかったし おはなししたいことだって いっぱいあるんだから。」


「でも、こうして私が生きている姿を最後にミライさんに見せられるなんて思わなかったなあ。一人で生まれ、一人で気ままに生きて、一人で勝手に死んでいく。それが動物の普通の生き方。でも私はフレンズになれたから、生まれた時は一人だったけれど、生きているうちにいろんな人と出会えたし、仲良くなれた。嬉しさや楽しさをみんなで分かちあえた。苦しみや悲しみもみんなで乗り越えられた。今もサキ、ヒイラギ、博士、助手が私の側にいてくれる。私はみんなに見守られながら命を終えることができるんだね。ふふふっ・・・みんな、泣きそうな顔してる。私もみんなの顔を見ていたら涙がうつりそう。

でも、私の死を悲しんでくれる人たちがいるなんて、これはきっと幸せなことなんだよ。みんな、幸せをありがとう。」


「えっと・・・いつか みらいさんが これを よんだとき わたしは みらいさんと もういちど あえるんだ・・・

まってるよ・・・・・・みらいさん。

さーばるより」


「ごめんねミライさん。私、もうサンドスターが限界・・・ゴホッ、ゴホッ・・・」


サーバルが咳き込み出したのを見てサキは即座に録画の停止を指示した。


「Lucky, stop recording. Thank you.」


《Sure.》


サキは聴診器をつけてサーバルの呼吸を確認し、酸素マスクを取り付た。


「サキ、ごめんね。無理しちゃった。」


マスク越しにサーバルが謝る。サキは気にしないでと答え、もう一度サーバルの意思を確認する。


「あなたは治療中止を望んでいる。間違い無いですね。」


サーバルが頷く。


「心配蘇生や人工呼吸器などの延命措置も拒否しますか。」


また頷く。


「一度中止を決めると、その後の撤回は現実的に難しいことは知っておいて。それでもサーバル、もし決断が変わったらすぐに私を呼ぶこと。」

「わかった、色々と本当にありがとう。」


サーバルは小さな声で答え目を瞑り、スイッチが切れたかのようにあっという間に眠ってしまった。


「ヒイラギ、せめて肺水腫の呼吸苦だけは取ってあげましょう。毛布をもう一枚、それとフロセミドを用意してきて。輸液は4号、500ml/日まで減らすよ。それから博士、今のサーバルの決断を聞いていましたか。」

「もちろん聞いていたのです。」

「もし良ければ、この件の証人になってもらえませんか。フレンズの消極的安楽死に対するガイドラインがないので、こういう形でしかサーバルさんの生前の意思を証明できないんです。」

「承るのです。助手、お前も証人になるのですよ。」


博士はサーバルのカルテを受け取り、サーバルの言葉を筆記したページの下に“この内容はサーバル本人の意思であると証明するのです“と書き込み、終わりに自分と助手の署名を付けた。


「これで良いのですか。」

「ええ。ありがとうございます。」


サキは署名を確認するついでに、もう一度サーバルの言葉を読み返した。ページに走り書かれたサーバルの意思の結晶はサキに再び無力感を抱かせた。医師として何もしてあげられないもどかしさ。それでも患者がそれを望むのならば、医師も自分の本音は仕舞いこみ、患者の決断を支えるよう行動しなくてはならない。医療の中心にいるのは患者なのだから。

ここまでか・・・・・・サキはカルテで顔を隠し、その裏で思い切り下唇をかんだ。



この日の深夜、サーバルの呼吸困難感が悪化しひどい息苦しさを訴えるようになった。呼吸数が増えSpO2も90%を下回っていた。通常なら気管挿管をするのだが、延命治療を拒否しているサーバルに対して挿管をすることはできない。サキはサーバルへのモルヒネの投与を決断した。モルヒネを投与すれば一時的ではあるが息苦しさや痛みが緩和でき、肺のうっ血も多少良くなる。ただし催眠作用があり、サーバルとの意思疎通は難しくなる。モルヒネを投与した直後、サキはサーバルと二、三言葉を交わすことができた。


「ミライさんへの手紙、私の机に大切にしまいましたよ。」

「うん。最後までありがとう。よろしくね。」

「もちろんです。」

・・・・・・

「サキ。」

「どうしたの。」

「・・・ありがとう。私、あなたに会えてよかった。」

「私もだよ・・・サーバル。ゆっくり休んで。」


サーバルは頷き、それから空を仰ぐように天井を見上げた。そして上を見つめたまま安らかな笑顔をサキに見せた。


「私ね・・・フレンズに生まれて・・・本当に・・・・・・よかった。」






それがサーバルの最後の言葉になった。






翌朝8月6日、サーバルは透析を中止したことにより尿毒症が発生。意識消失。下顎呼吸が発現。リビングウィルに従い人工呼吸器の装着や強心剤の投与は見送る。酸素マスクは持続。


午後2時


瞳孔散大と対光反射の消失。心臓の拍動の停止、呼吸の停止。


死の三徴を確認。



午後2時25分 死亡と判定。



その時サーバルの体が薄い虹色に包まれたかと思うと、全身から僅かに残ったサンドスターがふわりと染み出して、煌きながら天へと吸い込まれていった。

見ると、ついさっきまでサーバルが眠っていたベッドの上、すでにサーバルの体はどこにもなく、くすんだ黄色と茶色の毛並みのサーバルキャットの小さな肢体が横たわっていた。


「ご臨終です。」


サキは静かに告げ、聴診器を耳から外した。サキの宣告を聞いて、後ろで見守っていた博士と助手は目を瞑り、手を合わせた。隣にいたヒイラギがサキの袖をつかんで、必死で涙を堪えようとしていたが、堪えきれずボロボロと涙をこぼしていた。しゃくり上げて泣くヒイラギと対照的にサキは涙が全然溢れ出てこなかった。どこか虚な感情、喪失感が悲しみよりも大きくて何も言えず、さっきまでサーバルが呼吸をして生きていたベッドの上をただ傍観していた。


サーバルキャットの死骸は、かつてツチノコが先代のスナネコを葬った時と同じように、病院の裏のヒマワリのそばに埋葬することにした。ヒイラギは泣き疲れて部屋に戻ってしまったので、博士と助手に手伝ってもらい、サーバルとミライさんが植えたヒマワリの園の土を深く掘り、そこに白い布で包んだサーバルキャットの死骸を埋めた。

少し盛り上がった土の塚の前でサキは手を合わせ、病室の片付けに戻った。


誰もいなくなってシンと静まり返った病室には昼の白い光が差し込んで、サーバルのシーツや毛布が光を受けてキラキラと光り輝いているように見えた。

サキは窓を開け、黙々と呼吸補助装置やカテーテル、点滴を片付けていった。医療廃棄物のゴミ袋にそれらを投げ込んでいく度に、サーバルと共に歩んできたいろんな記憶がシャボン玉のように浮かんでは消えていった。そしてその時になってようやく視界が霞んできて、自分が泣いているのに気づいた。目頭が熱い、鼻が詰まる。


「・・・うっ・・・うう・・・・・・サーバル・・・」


油断すれば飛び出てきそうな悲しみを必死で噛み殺し、少しでも忘れようと片付けに無理やり集中した。せっせと片付けをすすめ、ベッドからシーツをはがした時、シーツの裏から何かが飛び出てきて床にはらりと落ちた。拾い上げて見ると、それはサーバルがずっと大事にしていたミライさんとの写真、そしてサーバルの手書きの文字が並んだノートの切れ端だった。


「あの手紙の下書きかな・・・」


サキはベッドに深く座り、その紙に目を通す。


“さき ひいらぎへ

ほんとうに ありがとうね。わたしが ミライさんに てがみを かけたのは ふたりの おかげだよ。 

ふたりにあえて わたしは ほんとうに すくわれたんだよ。ふたりからは いろんなものを もらった。じかん、もじ、おはなし、えがお、それから しあわせ。いっぱいいっぱい もらった。ふたりが くれた かがやきは わたしの だいじな たからものだよ。

ふたりと ともだちになれて ほんとうに よかった!

わたしは とっても しあわせだった。

ありがとう


さーばる“



手紙を握ったまま、サキは衝動に駆られ病室を飛び出していた。自分でもびっくりするくらいの駆け足で階段を駆け下り、外へと飛び出して裏庭の塚の前に立った。真夏の日差しが作る濃い影の中にはサーバルの眠る塚、そのすぐ側には黄色と茶色のサーバルのそっくりな色合いのヒマワリたちが大きな花を咲かせて揺れている。この静かな光景が、サキにサーバルが死んだことを否応なく突きつけ、心を大きく揺さぶった。


「サーバル。サーバル、幸せに眠っている? 眠っていたらごめんね。でも聞いていて。私ね、やっぱり医者だったんだよ。私の本音、あなたの前じゃ言えなかった。生き方って変えられないんだね、あなたと同じで。」


晴天の黒い影の中たった一人立ち尽くし、理性の抑えが利かなくなり限界に達したサキは大声で、本能のままに溢れる気持ちを喉を枯らして叫んだ。



「私はサーバルがいなくなって悲しいよ、寂しいよ!絶対もっといい治療ができた!もっと私に知識があれば、技術があれば、あなたを助けられたかもしれない。そしたらもっとお話できたし、もっと遊べた!今だってあなたの返事を聞けたかもしれない!いつものようににっこり笑ってくれたかもしれない・・・!

・・・私の方こそ、あなたからとびきりの幸せをもらったんだよ? 友達という、私が一番望んでいた幸せをくれたじゃない。私のはじめての友達になってくれて、本当にありがとう。あなたと過ごした時間は奇跡みたいに幸せな時間だった、今更になってそんなことに気づくんだ。バカだよなあ、私・・・

・・・ねえサーバル。『私が死んで、悲しんでくれる人がいる。これってきっと幸せなことなんだね。』あなたはそう言ったよね。

その通りだよ!サーバル、あなたは幸せだ!

だって私はあなたがいなくなってこんなにも悲しくて、辛くて、涙が止まんないんだから!

死ぬまで絶対、私、あなたのことを忘れない!またここに来て、あなたに会いに来るから!

さよなら、またね!サーバル!!」


叫んだ後、ふつりと全身の緊張が解けてしまいサキは塚の前に崩れ落ち、蹲った。ヒマワリの茎を揺らす風の輪の中で、サキはまた一人サーバルのことを想い、声を上げて泣いた。頬の皮膚が荒れ涙腺が干からびるくらい泣いても、嗚咽は一向に止むことはなかった。



The rain stops. Her great journey has done.



カルテ7 おしまい

カルテ8 に続く







《死亡診断書》


患者:サーバル

No.:6

種族:サーバルキャット フレンズ


死亡した日時:2067年8月6日午後2時25分

死亡した場所:ジャパリパーク・キョウシュウエリア第2病院


死因1:尿毒症

死因2:慢性腎不全


死因の種類:病死及び自然死


備考:基礎疾患に糖尿病性腎症。肺水腫を併発。患者本人の意思により8月5日より透析、治療目的の投薬中止。CPRは本人の意思により実施せず。


上記の通り診断する

診断日時 2067年8月6日

ジャパリパーク・キョウシュウエリア第2病院

医師名 SAKI

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