5. なつき

「じゃあ、元気でね」


「あなたも体に気を付けるのよ」


 空が夕焼け色に染まり出したので、なつきの家に向かう事にした。

 名残尽きないが、一面オレンジの世界になる前に、なつきん家の裏山に行かなければならない。


「あ、お母さん、これ着けて」


「何?」


「昨日、なつきに買ってもらったんだ」


「まあ、髪飾り」


 危うく忘れるとこだった。

 思い出せばあの日、なつきは俺が買ったこの髪飾りを着けていた。 

 なつきなりにアピールしてくれていたのだ。

 内気な当時のなつきにしては、かなり勇気がいっただろうに……


「はい。

 まあ! 可愛い!」


「あいつも昨日、ドギマギしてたよ」


「こら! 言葉使い!

 折角可愛いくても、興醒めされるわよ」


「はい! 気を付けます!」


 あはははは、と笑い合う。


「お母さん、またね」


「そうね。今度は28年後かしら?」


「うん。戻れたらすぐ、うちに帰るからね」


「まったく! こっちは、待ちくたびれるわよ」

 

 溜め息をつく。


「案外、あっという間だよっ」


「何となく分かるわあ」


「「ああやだやだ、年は取りたくないわねえ」」


 あはははは、また笑い合う。


「あんた、のんびりしてていいの?」


「あっ、いかん! 遅刻しちゃう」


「まったく! いつもいつも」


「行ってきます!」


 俺はなつきの家の方向へダッシュした。


「行ってらっしゃい」


 そのまましばらく走って、家から見えなくなる最後の曲がり角の手前で振り返った。

 母はまだ手を振り続けていた。

 俺はもう一度大きく手を振って

「じゃあねっ!」

 と言って、再び走りだした。 



 空は加速して赤みを増していく……

 なつきの家までは走って5分の距離だが、たったそれだけの時間で、明晰夢で見るいつものオレンジの光景と、ほぼ同じになっていた。

 走った為か、緊張からか、たぶんその両方だろう、心臓が痛いくらいに胸を叩く。

 なつきの家の壁脇で、少し息を整えた。

 最後にもう一度深呼吸して、裏山の工事現場に入る。

 ここの良質の赤土を採取する為の、だが今は休工中で放置してあるブルドーザー。

 俺はその重機の上に腰掛けて、止まった景色をいつも見ていた。


 今、その場所へと近付いて行く……

 大きく削られた赤い山肌が夕陽を反射する。

 そこはオレンジ色の濃淡のみで表現されるモノクロの世界。

 最早見馴れた風景の中に、しかし今日は君の方が待ってくれていた。

 まるで絵画の中に迷い込んでしまったか。

 幻想的な茜色を背景に微笑む君は……

 なつき、君はあまりに美しい……


「ともか」


 名前を呼ばれただけで、胸がぎゅううっと締め付けられる。

 今俺は、一体どんな顔をして、相対しているのだろう。


「このオレンジの景色が、前に見た夢の世界、止まったままの世界になるんだね」


「ああ、そうだよ。

 28年間の後悔と恋慕と依存の空間」


「でも……」


「そう……美しい。

 見惚れてしまうほどに」


 なつきと思わず、目が合ってしまう。

 逸らしたくとも、もう自分の意思ではどうしようもない。

 見詰め合う。

 ただ、ただ、見詰め続けてしまう……

 嗚呼このまま、なつきを抱き締めたい。

 いや、抱き締められたい……

 もし今そうされたら、抗う事は出来ないと分かる。

 よく「このまま何処かへ連れ去って」なんて台詞があるが、今なら理解出来る。

 チープな台詞だと思っていた自分が浅かった。

 今目を閉じれば、さらに展開は進むかもしれんが、すんでのところで踏みとどまる。


 告白より先に進んではいけない!

 歴史が変わってしまう!


 俺は血の涙を流すような心持ちで、じっとなつきの告白を待った。



「ともか!」


 来た!


「その髪飾り、着けてきてくれたんだね」


 おうっふ。

 そっちか……


「ありがとう、似合ってる。

 その、すごく、かわいいよ」


 んふうっ!

 ああ、これはこれで、嬉しい……


「ともか!」


「はい!」


「かわいいっていうよりも、その……

 綺麗だよ、誰よりも……」


 ぎゅむううっっ。

 嬉死ぬう……


 いやいや、ちがうでしょ!


「と、ともか!」


 今度こそっ。


「はいいっ!」


「………」


 頑張れっ! 


「………」


 今だぞ! 今しかないんだ! 行け! 行けえっ!


「………」


 負けるな! また今度なんて思うな! 食える時に食え!


「今度みんなでさ、ホットケーキパーティーなんてどう?」


 ああああああ、負けちまった……

 俺と同じだ。


「今日みたいに集まってさ」


 今日みたいな事、またあるさ。


「今までだって、楽しかったからさ」


 今までずっと一緒だったんだもん。


「これからも定期的にさ、集まろうよ」


 これからもきっとそうさ……


「いつまでも、こうしてさ」


 違う!

 いつまでも同じじゃない。

 こんな環境は今だけ、特別、期間限定!


(そうよ。私達は、甘えていたの)


 ん!?

 

 また女性の声。

「あの方」か。


(言われる方ものんびりしてたのね)


「ずっとこうして、みんなで楽しくやって行こうよ」


 ダメだ、逃げ癖をつけるんじゃない。


 俺は出せる限りの大声で、


「なつき! 逃げるな! 意気地無し!」


 と叫んだ。


(そう、私はずっと言えなかったの。

 このオレンジの中で……その言葉を)


 あの方……


「ともか……」


 なつきは俯いて、苦しげな声を出す。


「僕だって……」


 何かに耐えているように、小刻みに震えている。


「僕だって、この気持ちを君に伝えたい」


「なつき……」


「だけど!」


 なつきは顔を上げると、悲痛な表情で叫んだ。


「そしたらともか、いなくなるんだろ!」


「ううっ!」


「最近のともか見てたら、もう未来に帰っちゃうの分かるよ」


「……そうか、気付いてたのか」


「当たり前だろ! 僕はずっとともかを見詰めてるんだよ」


「なつき」


「夢の世界は立ち止まった世界。

 おそらく、女の僕に想いを告げられずに、そのままの状態なんだ」


「さすがに鋭いな」


「そして男女入れ変わっているのなら、告白するのは僕の方だ」


「その通りだ」 


「分かってるよ。

 分かってるんだ。

 ともかはこの世界の人間じゃない。

 本来の世界に帰るべきだって……」


「その通りだよ」


「いやだ!

 ともかがいなくなるなんて、いやだ!

 耐えられない……耐えられないよ」


「なつき……」


「ともかが帰ってしまったら、ともちゃんが目を覚ますの?」


「お前……」


「だから、ずっと見詰めてたんだよ。

 嘘なんてすぐバレてるよ」


「ホント鋭いな」


「ともか、お願い。

 ずっと側にいて……

 ともか……ともか……ともか……」


 なつきが俺の両肩にすがってくる。

 背の低い、なつきのおでこがコツンと、胸の少し上にあたる。

 このまま抱きしめろとの誘惑が一瞬よぎるが、最早ここに至って、感情に流される事は出来なかった。

 

「俺はニセモノなんだよ」


 なつきの頭に顎を乗せ、そう呟いた。


「そんなんじゃない!」


「ニセモノは派手にピカピカ光って、矢鱈目立つんだ」


「そんなんじゃないよ」


「それはな、そうしないと本物に太刀打ち出来ないんだよ」


「だから、そんなんじゃ」


「本物は派手さは無くても、磨けば磨くだけ輝きを増す。

 一歩一歩自分の居場所を、踏み固めて作っていく」


「ともかだって、僕の、みんなの為に、力を尽くしてくれたじゃないか」


「ここはともかちゃんの世界、お前達の世界。

 俺のもんじゃない」


「ともかぁ」


「俺は俺の世界で失敗したり、成功したり、経験を積み重ねて今がある。

 ともかちゃんもそうやって成長しなきゃならない」


「………」


「もちろん、お前もだ」


「……分かってる」


「俺と出会えて、お前は成長したはずだ」


「それは分かってる」


「そして別れも、人を大きく成長させるのさ」


「分かってるよ……

 でも……チャンスだなんて、思えないよ……」


「今はまだ思わなくていい。

 立ち止まって、振り返って、後悔していい。

 ただ、前には進め! 時間をかけても前を向け!

 止まったままじゃダメだって事が、分かっていればそれでいい」


「……うん」


「本当は、全部分かってるんだろう?

 分かってて、今度は心に嘘をつかないでくれているんだろ」


「そんなこと……」


「優しい子だよ、本当に……」


 俺はなつきの頬を右手で包むようにさする。 


「こんなに苦しいんだもん、絶対、成長、出来るね」


 なつきはその手を両手で包みながら、そう誓う。


「出来るとも……お前も、俺も」


 見詰め合ったまま、そっと体を離す。


「ともか……僕は」


 ドクン!


 祭りの時のように胸が強く鳴った。


「僕は、僕は……」


 ドクン! 


 心臓が高鳴ると、またもや視界がぼやけ出す。

 やがて2つの視界が重なって、しかし、それぞれを理解できる。

 俺の視界。

 俺の過去の視界。

 いや、うっすら、俺の姿も見える。

 あの方の視界か……

 そうだよな、お前も、俺と同じ気持ちだったんだよな。


ともか……なつき……


 声も重なって聞こえる。


僕は……俺は……ともかの事が……なつきの事が……


 声が反響し、増幅される。


「「「好きだ!好きだ!」」」


 言ってしまったな……

(言ってしまったわね……)


 ありがとう。チャンスをくれて。

(こちらこそ。ありがとう……ともか)


 徐々に意識が薄れていくのを感じる。


「なつき!」


 すぐ近くのなつきが少しずつ遠退いて行く。


「ともか!」


 なつきが俺の両手を握りしめてくれるが、変わらない。

 遠くに、遠くに、行こうとする。


「なつき! 愛してる!」


「ともか! 僕もだ! 愛してるよっ!」


 握った手の感触も、必死な形相のなつきも、遠く、遠くに離れてしまい……


 俺の意識は途絶えていった……





 目が覚めるという表現が最適というか、そのままだった。

 川崎のおんぼろアパートで寝ていたところ、電話の音で起こされたのだ。

 どうやらヤケ酒飲んで酔い潰れた日の翌朝らしい。

 俺は矢鱈長い、一晩の夢を見ていたらしい……


 そんな事はない。


 俺にはこの半年間が、記憶として刻まれている。

 明晰夢やリアルな夢を見た後とも違う。

 今は朝目覚めたというより、夕方気を失って、すぐ回復したという感覚。

 つい先程まで確かに、なつきが目の前にいたのだ。

 別に誰に話すで無し、自分がそう信じていればいいのだが。


 しかし、俺は思い出してしまった……


 この半年が夢ではない、別の世界に行っていた。

 その原因、その理由。

 それが分かるであろう、異世界へ行く前の記憶を。

 俺がヤケで焼酎をラッパ飲みした、その切っ掛けを……



 半年前、いや、この世界だと昨日の夜。

 休み前なので、遅くまで呑んでやろうと、仕事帰りにスーパーへ寄った。

 大した物が無く、やきとりだけ買って、残りはコンビニでと店を出たその時。

 車のダッシュボードに置いた携帯が、けたたましく鳴った。


 めずらしく、実家の母からの電話だった。



 その内容はーー



 小山内おさないなつき、旧姓、江藤なつきの……


 訃報だった。

 

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