3. ヤスコ


「ヤスコちゃん! こんなに早く、どうしたの?」


 俺が対応した途端、愛犬ボケは鳴き止んだ。

 優秀な番犬は判断も素早い。が、それだけじゃない。

 チラと見れば、もう大きく尻尾を振っている。

 本当にこいつは、とん吉が大好きなのだ。


「う、うん、ちょっと聞きたい事があって……」


 と言いつつ、聞きにくそうにしている。


「おい! ヤスコちゃんだって?」


 居間の窓を開けて、父ちゃんが顔を出す。

 俺が外に出たキッチンのドアと、父ちゃんが開けた居間のでかい窓は、我が家の勝手口になっている。

 玄関よりも、こっちから出入りしている事の方が多い。


「あらまあヤスコちゃん、上がって。

 ごはん食べた? まだでしょ? 食べてって」


 母ちゃんも父ちゃんの脇から顔を出す。

 ボケちゃんと同様に、両親もとん吉が大好きなのだ。

 親と犬を同列で扱うなど不孝者と言われそうだが、うちの家族は皆、本当にとん吉を気に入っている。

 こっちもあっちの世界でも。


「じゃあ、お邪魔しまーす」


「「ほら、食べて食べて」」


「美味しそう! いただきまーす!」


 まず、物怖じしない。

 どちらかというとズケズケしている。


「あっ! これ、ひょっとして、ここのにわとり?」


「いや、でも桑野から貰ってきた奴だから、美味いだろ」


「うん! おんなじ位、おいしいっ!」


 この間、うちの鶏をツブした時の味が忘れられないらしい。

 そう言えば、オッサンのとん吉もそうだった。

 20年以上たっても、同じ様な台詞を未だに言っている。

 ズケズケというか、図々しいというか。

 でもそこが両親には、たまらんのだろう。


 因みに桑野とは母ちゃんの実家で、もっと田舎。

 田舎というより山の中腹。

 登り道の舗装が途中で無くなるような集落だった。

 今はそんな事ないよ。アスファルトですよ。田舎ですが。


 そこでは鶏肉は生産者直売なもんで、解体せずに1体売る。

 鶏の羽のない死体を持って帰って、自分で解体するのだ。

 桑野の婆ちゃんが全部キレイに肉にする。

 うちでツブした時は父ちゃんがやる。

 母ちゃんは出来ない。

 生きた魚をシメるのも父ちゃん。


「にわとりは野菜と一緒だぞ」

 と、よく言ってるが、


「「絶対一緒じゃない!」」

 と、俺と母ちゃんは反論する。 


 ちょっと前の田舎は、食と生命いのちが、ごく自然に隣接していた。

 生命を頂いて、自分の生命を繋げる。

 肉だろうと、野菜であろうと、他の生命を摘まねば人は生きられない。

 だから「いただきます」なのだ。

 宗教とはまた別の、感謝の気持ちなんだ。


 弟は、甥っ子たちは、この間のヤスコは、そしてたぶん俺もーー

 さっきまで動き回っていたコッコの悲劇に号泣する。

 だがその生命に手を合わせ、感謝して食べる。

 そしてあまりの美味しさに、泣きべそも思わずニッコリしてしまう。

 そう、今のヤスコの笑顔みたいに……


 ヤスコは美人だ。

 特に笑顔が魅力的だ。

 全く嫌味のない、赤ん坊の様な笑みを向けてくる。

 これもうちの家族は好きなのだろう。

 オッサンとん吉も同じで、客商売にはいいスキルだ。

 ニカッとやられると、大概の事は許せちゃう。

 だが、親が今でも、

「とん吉くんが親友で本当に良かった」

 と言わせてしまうのは、笑顔とはまた別の顔である。


 それは真剣な時の顔だ。

 特に俺を心配して、睨むように見詰めてくる時の、鬼の様な顔だ。

 天才が本気を出せば、俺の誤魔化しや言い逃れなんぞ全く通用しない。

 結局は奴に相談する羽目になる。

 まあ、感謝はしてるんだけどね……


 ただ、そういう時のとん吉は所構わず怒る。

 うちの両親の前だろうと、気にせず怒鳴る。

 だがそれが俺を思っての事なので、親は逆に感動する。

 んなもんで、さっきの言葉なのだ。


 そして今日のヤスコは、そんなとん吉の雰囲気を醸し出していた。



「じゃあな、ヤスコちゃん。ゆっくりして行けな」


 そう言って父ちゃんは後ろの窓を開けて足を下ろし、床に腰掛けた姿勢で靴を履き始めた。

 その背中を見たら堪えきれず、俺は勝手口から外に出た。


「ん? どうしたんだ?」


「たまには、見送りにね」


「めずらしいなぁ。じゃあ早く帰らないとな」


「うん! 行ってらっしゃい!」


「ああ、行ってきます」


 車に乗りエンジンをかける。


「お父さん!」


「なんだ?」


「……またね」

 ニッコリ微笑む。


「ははは、行ってくんぞ」


 父ちゃん、半年間楽しかったよ。

 遠ざかる車を見えなくなるまで見送った。

 つい感傷的になってしまった。


「ん?」


 振り返るとヤスコが立っていた。

 その目は真剣で、怒っているようにも見える。


「ヤエちゃん! 話して頂戴!」


 そうだな。

 今の俺の態度を見てたら、勘のいいヤスコの事だ、変に思うに決まっている。

 いや、最初から何かしらを聞きに来てた様だったな。


「わかった。私の部屋でね」


 居間の窓から母ちゃんが、心配して様子を見てた。


「お母さん、ヤスコちゃんにも先生の事、話すね」


「そうね、その方がいいかもね」


「先生?」


「来て、ヤスコちゃん」


 2人、俺の部屋に入り、向かい合って座る。


「何? 先生の事って」


 すぐに話を切り出すヤスコ。


「まあ待て、先ずはお前からだ。

 俺に何か聞きに来たんだろう?」


「う、うん……

 今日ね、10時にみんながここに来るの」


「みんな? 何で」


「ヤエちゃんのお誕生会をやろうって。

 ほんとは先月やりたかったけど、忙しかったでしょ」


「あ、ああ」


「それで、休校日にしようって。

 ヤエちゃんには秘密で、おじさんとおばさんにも言って」


「それでか……」


「そしたらヤエちゃん、祭りのあと、明日は家の用事で居ないって」


「………」


「みんな、『え?』ってなって……

 でもヤエちゃん、思い詰めた顔してたから聞けなくて」


「そうか、顔に出てたか」


「それで私が聞きに来たの。

 でも……それ以上に心配なの!

 ヤエちゃんが消えそうで!」


「ヤスコ……」


「昨日の別れ際も、さっきのおじさんの時もそう。

 何だか今生の別れって感じだもの!」


「やっぱり、お前は誤魔化せないだろうな」


「やだ……」


「さっきの先生の事ってのは、前に助けた四谷先生の話だ」


「……うん」


「助けたお礼に、中学から東京で、弟子にしてやるって」


「え! じゃあヤエちゃんも別の中学!

 カナちゃんとヤエちゃんは春にはお別れ……」


「春、にはね」


「……でも、それじゃあさっきの表情の」


「そう……これは別の話だ。

 母ちゃんにはこの話をしたていで、お前には本当の事を話す」


「おばさんにも言えない事……」


 ヤスコには誤魔化しは効かないだろう。

 それよりは……


「この話は、なつきと2人だけの秘密だった」


「なつきちゃんと……」


「だがお前には、なつきに言えなかった事も話す」


「え?」


「俺はオッサンみたいじゃなく、オッサンだ」

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