6. 幕は上がっている

 俺、八重洲ともかは英語が苦手だ。


 中間で赤点を取り、期末で80点くらい取って挽回する。を毎学期。

 だから補習や追試は一度も受けた事がない。

 だがそんなやり方じゃ、ちっとも頭に残っちゃいない。


「あんたさ、先にもう少し点稼いどけばいいじゃん」


 3年も同じクラスになっている、元カノのヤスミがつっこんでくる。


「俺は追い込まれないと、本領を発揮出来ないタイプなの!」


「はいはい。

 どうせ私は、追い込まれるとダメになるタイプですよ」


「え、あ……そういう意味で言ったんじゃ……」


「分かってるわよ、冗談よ」


 イヤミな奴だ。

 あいつはいつも、しれっと嫌味を入れてくる。


 I love you くらいは知っているけど、

「今でも」って英語は何て言うんだろう……

 なんて考える。

 俺は本当に英語力が低い……


 20年以上も前の淡い思い出、か。

 そんな英語が苦手な俺でも、舞台関係で好きな言葉が2つある。

「To be or not to be」と、

「Show must go on」だ。

 前者は台詞。後者は役者の心構えみたいな言葉。


「トゥービーオアノットトゥービー」

 これはシェイクスピアのハムレットの中で一番有名で、一番カッコイイ台詞。

 たぶん。

 直訳だと、やるか、やらないか。とかだろうけど、全然違う。

 その言葉に幾重にも意味が重なって、深い、カッコイイーーッ!

 また、そこを立たせようと演出するから尚更なのです。

 生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。

 ってのが多いけど、やっぱり英語の方がカッコイイなあ。

 洋画とかで観れば、かっこよさが分かるかな?


「ショウマストゴーオン」

 同名の曲や舞台等の作品があるけど、言葉自体は古くからあるみたい。

 ここで言うのは劇団の先輩に教えられた言葉、というか気概。

 訳は、ショーは続けなければならない、とかだと思う。

 こっちは、先輩から聞いた日本風の言葉が好き。


「幕はまだ上がっている!」


 途中で止めるな、とか、続けろなんて直接的な言葉より、役者にとってこの言葉は痺れる。

 俺達役者の魂に直接響く言葉なのだ。

 でも、現場で使う羽目にはなりたくない言葉だな。

 

 だがもう幕は上がっている。

 そう、幕は今上がったばかりなのだ。




 俺達は舞台袖奥から、星月花子さんの歌う、斜めうしろ姿を見つめている。

 やはり舞台慣れしている。

 細かい所作が実に美しい。

 タイミング的に無理だったが、華山広子さんも観てみたかった。


(あら、その白いスーツも素敵じゃない)


 耳元に息を吹きかける様にして、華山さんが小声で話しかけてきた。


(……どうも。華山さんも花子さんの様子を?)


(さすが、不用意に袖で声音を上げたりしないわね。

 うふふっ、わたくしはあなたを見に来たのよ)


(有難う御座います。

 私は御姉様のステージが観たかったです)


(あら、その内いくらでも見れましてよ、テレビでですけど)


 ニッコリ自信たっぷりに。


(はい! テレビの御姉様も素敵ですよ)


 これは嘘じゃない。

 

(……莫迦ばか。ここで応援してるわよ)


(はい。行ってきます)


 華山は少し奥の方に下がる。


 俺はみんなと頷き合う。



「どうもありがとうございました!」

 ドワアアーーーーーーーーーッ!

 パチパチパチパチパチパチパチ!


 拍手と歓声。

 あのパフォーマンスには相応しい報酬だろう。

 果たして俺達に、あれだけの賛辞はあるか?

 いや、やすみに言ったのと同じ事。

 結果は後からだ。

 俺達は唯一発の弾丸たまを……見栄えいろが変わっただけの一発の弾丸をただ撃つだけだ。

 


「さあ、とうとう最後の組の登場です。

 チームひなえだ、ハリキッテどうぞ」


 昭和か!

 昭和だった。

 イントロが流れ出す。


「よし! 行こう!」

「「「行こう!」」」


 ダッ! 


 俺達は順に袖から飛び出した。


 動線よし!

 一見乱雑な動きも、計算され練習し尽くした綺麗なライン。

 動きもいい。

 みんな、表情がイキイキしている。

 青春の1コマを讃歌しているって感じだ。

 センターのなつきも可愛い笑顔だ。


 さっきまで悩んでたやすみはどうだろう。

 やすみの奴は……


「!!」


 俺は一瞬、ほんの一瞬だけ息を飲んだ。


 美しい。

 本当に美しい女性が……

 男装した美しい女性がそこにいた。

 

 やっぱりヤスミには敵わない。

 この演劇センス。

 この華やかさ。


 もしこのダンスを先生が演出したら、間違いなくセンターはやすみだった。

 俺は読み間違えた。


 だが、幕は上がっている。

 観衆にこうべを垂れるまで、今の全力を出しきる!

 

「来たアル! 我ピータン!」


 バーーーーーーーンと決めポーズ、決めたっっ! よし!



「ふざけんなーっ!」


 観客が拍手と歓声をあげようと息を吸ったその瞬間。

 ある意味絶妙な、その最悪の一瞬に、オッサンの罵声が響いた。


「てめえら男のくせに、なにがアイドルだ!」


 酔っぱらいか?

 なんてタイミングで……


「お前らが冗談半分で出てこなきゃ、

うちの娘が一次通ったかもしれねーじゃねーか!」


「もう、お父さんやめてーっ!」


 娘が落ちて、でも残って結果を見て帰ろうとしたら俺達が……て事か。


「幸子はなあ、こいつは毎日毎日がんばってぇ……」

「いやあーっ! ばか! やめてえー!」


 娘が可哀想すぎるだろう……

 兎に角、このまま中止は勘弁だ。


「おい! みんな、取り敢えず挨拶……」


 何だ?

 舞台つらから上がろうとしている男が。

 黒服に黒いキャップだからスタッフっぽいが……

 だけど、いくら騒ぎがひどいからって、舞台をよじ登らなくったって。


 いや、何だアレ?


 刃物だ。

 ナイフ持ってやがる。

 スタッフじゃない?

 暴漢だ!

 だ、誰を?

 じっと見据えた視線の先は……


 俺の背筋が凍りつく。

 視線の先は、先生……

 四谷陽二先生だ!


 先生のマルスでやった火星の侵略王子「バルス」は、当時の女性ファン、今でいう腐女子に絶大なる支持をうけた。

 主人公の人気なんぞ無いに等しい。

 そのバルスが切ない死に方をしたもんだから、腐女子どもが怒り狂って、カミソリ送るはデモするは。

 OVAや劇場版を出す約束で少しは収まったようだったが。


 その頭おかしい奴が先生を狙って?

 何故?

 いやそんな事より、絶対にさせない!


 俺は腐女子? めがけて一気に駆けた!


「ヤエちゃん!? 何?」

「ともかっ!」


 俺が走り出して、みんなも気付いたようだ。


「バルスが死んだのに……声のあなただけ生きてるなんて!」


 やっぱり女だ。

 狂ってやがる!


 俺は走る勢いそのままにジャンプした。

 止めに行っても間に合わない。

 

 俺は腐女子の顔面めがけて、跳び蹴りを仕掛けた。

 先生が座っている長机を挟んで、女は真向かいに迫っていた。

 彼女は先生にしか意識がいっていない。


 グワアシイィーッ!

 

 砕けたかのような音を立てて、彼女はもんどり打って転がった。

 砕けちゃったかも。

 ピクリとも動かない。


「イヤーーーッッ!」


 とん吉ヤスコが叫んだ。

 いやいや死んじゃあいないだ、ろ?

 ん!?


 熱いいっ! いや、痛いいいっ!


 腹を中心にして、焼けた火箸を充てがわれたみたいだっ。

 白いスーツが、版図を拡げるナチスの様にじわりじわりと赤く侵食されていく。

 よく見るとへその右10センチくらいの所に思いっきりナイフが突っ立っている。


「死」という文字が頭に浮かぶ。

 ガクッと膝が落ちそうになる。

 全身の力が抜けていく。

 俺はこのまま死ぬのか?

 こんな酔っぱらいや狂った女に邪魔された舞台の上で?


 イヤだ!

 それだけは絶対にイヤだ!


「ヤエちゃん!」「ともかあっ!」「ともかさんっ!」


 みんなが駆け寄ろうとする。

 あれこれ考えた時間は一瞬だったらしい。

 こりゃそうとうヤバいか。

 でも……


「来るなーッ!」


 大きな声に一瞬時が止まる。


「みんな、並べ。取り敢えず、終幕の挨拶だ」


「そんな!」「ダメッ! ヤエちゃん死んじゃう!」

「ヤエ! 落ち着け!」「ともかさんっ!」

「君! 無茶はよすんだ!」「ともかっ!」


 矢鱈とガチャガチャ騒がしい。

 ふざけんな、いい加減にしろ。


 周りの雑音を掻き消すよう……

 俺は、あらんかぎりの声で叫んだ。



「まだっ! 幕は上がっているっ!!」



 静寂が今度は、会場全体を包みこむ……


「ともかさんっ……急げっ! カーテンコールだっ!」

「「「おおおーーーーーーーっ!」」」


 なつきが俺に手を貸す。

 一同横に並んだ。


「「「ありがとうございましたあっっ!」」」


 よし。幕は、お、り、た……


 観客がどうしてるのか、もう、よく分からない。

 崩れるように、俺はその場に倒れ込んだ。


「死ぬな! 絶対に死んじゃダメだ!」


 薄れていく意識の中、四谷先生が泣きながら俺を揺すっている。

 先生もこんな顔、するん、だ、な……


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