5. そこに立つべき理由は必要か

 燐光寺ヤスミにはセンスがあった。

 舞台では、その美しさだけではない体全体から溢れる魅力で、観ている者達は視線を奪われずにはいられない。

 には華があったのだ。


 俺が欲しくても手に入らない、天性の演劇センスと華やかさ。

 彼女はそれを持っていた。


 その頃、俺は彼女を愛していた。

 確かに、それは恋だった。

 平川の時とも、国立の時とも違う……

 あのオレンジの夕陽になつきを見た、あの時と同じ感情だった。


 その感情が……

 彼女から、結果的に演劇を奪う事になってしまうなんて。



 アナウンスが流れた。

 俺達の決勝進出は、取り消しになる事はなかった。

 あのような盛り上げ方をして、はい失格サヨウナラでは収まりがつかないだろう。


 何はともあれ、俺達にはラストダンスが待っている。

 泣いても笑っても、これで最後。

 やれる手は全て打った。

 後は俺らの頑張りと、何と言っても審査員の腹ひとつ。


 うちの師匠、四谷陽二は演劇的センスの塊。

 芝居小屋が服着て歩いているような御方。

 舞台をやる時は作演出が普通で、演出つけながら台本ほんが出来ていく。


 最初は派手にダンスで始まり、下らないギャグで明るい内容。

 今回の舞台は楽しそうな話だなあ、と油断する。

 中盤から、「ん?」と雲行きが怪しくなり……

 終盤、壮絶な展開からの絶望的なラスト。


 基本、すんなり大団円と行く事は無い。

 明るい話から暗い話、正しい主人公が悪人に。

 陰と陽、正と邪、喜と悲、美と醜ーー

 いつもどちらかに偏ることはない。

 白黒つけない。


 白でなく、黒でもない、常に灰色だ。

 この曖昧ともいえる、グレーゾーンこそが、先生なのではないか。


 俺はこの「グレーゾーン」を攻めた。つもり。

 これで先生の琴線に触れてくれればいいが……

 ん?

 楽屋を見回すと、トイレにでも行ったか誰もいない。

 実にめずらしい。

        

 いや?

 燐光寺がひとり、部屋の隅っこでうつむいて座っている。

 最近の奴は、舞台に対して真剣に向き合っている。

 練習に取り組む態度も人一倍だし、向上心も旺盛だ。

 俺の知ってる、彼女だったヤスミを彷彿させる。

 あいつも彼女と同じタイプなら気を付けないと。


 彼女は直感型の俳優。

 本能で動くような、役に入り込んで感情を表に出す様な感じ。

 俺は計算型。

 こういう気持ちでくれば、こんな気持ちを込めようと考えるタイプ。

 まあ大雑把な分け方だから、そんなに単純じゃないんだけど、兎に角2人は質の違う役者って事。

 ヤスミの様なタイプが考え込むと、かえってうまくいかなくなる。


「やすみ、下手な考えやすみにニタリだぞ」


 ニタリと笑ってやる。


「ともかさん、役者のセンスあんのに、ギャグのセンス皆無だね」


 クククッ、と2人で笑う。


「やれる事はやったんだから、後はいつも通り普通にやればいい」


「はい」 


 そこでやすみは、周りに人がいない事に気づいた様だ。


「あ、あの、ともかさん」


「何だ?」


「俺、さっきから、嫌な感じがとれないんです」


「そうか?

 一次の動きはすごく良かったぞ」


「え? ありがとうございます。

 見ててもらえてたんですね」


「当たり前だろ。

 俺は基本、俯瞰ふかんで全体を見ている」


「さすが……です」


「特にお前の動きは意識して見てるよ。

 最近のお前の意気込みを知っているからな」


「ともかさん……」


 しばらくやすみは自分の足下を見詰めていたが、意を決したというように顔を上げた。


「ともかさん!

 今のこの衣装を着て、今までのダンスを踊るとき、どうしても気持ちがしっくりこないんです」


「そういう事か」


 女装して、女になりきって踊っていた所へ急な男装だ。

 直感型の役者は気持ちに違和感があると、非常にりづらいらしい。

 計算型はある程度妥協してやっちゃうんだけど……


「そ、それでも、がんばれるオマジナイというか。

 もし、今回うまくやれたら、俺、その、ともかさんに言い……」


「やすみ! 今それを口に出しちゃ駄目だ!」


 俺は大きな声をあげて、やすみの言葉の続きを遮った。

 言われたやすみはビクッと動きを止める。


「今からお前が向かう先、そこは浮わついた気持ちで立ってはいけない場所だ!

 それはお前自身が一番後悔する」


 ゆっくりと俺はやすみの両肩に手を置いて、やつの目を見据えた。


「お前はあそこに、誰の為に立つ。

 俺か? 観客の為か? それとも名誉の為か?

 いいや違う!」


 とん。


 軽くやつの胸にグーの先を当てる。


「ここだろ。

 お前自身のここにある情熱をぶつける為だけに、あの場所は存在する」


 俺は片膝をついて、目線を合わせて話を続ける。


「俺へどうするなんて物にすげ替えるな。

 舞台は役者がまさに、全身全霊をもって挑む場所だ。

 だからこそ観ている人間の心を揺らす事が出来る。

 その対価、最後の喝采を浴びる資格のある奴は、全部出し切った奴だけだ」


「はい……」


 燐光寺休は素直に頷く。


「今お前のここにある物全てをぶつけてこい!

 でないと、あの拍手をお前は、みんなと真逆の気持ちで受け取る事になるぞ」


 今度は強めに胸を叩く。


「はい!」


「やすみ、お前には他の連中にはないセンスがある」


「えっ?」


「それはお前にも分かっているはずだ。

 それに今日よりもっと先、自分の歩くべき先の道も」


「……はい」


「このコンテストは、みんなにとっては大切な青春の1ページ。

 お前にとってもそうだ、それは間違いない。

 だがお前にはその先がある。

 いい思い出だが単なるひとつの通過点。

 ひとつの経験。ひとつのきっかけ」


「はい」


「だから最初に間違えるな。

 楽だと思う方に逃げるな。

 壁にぶつかれば、成長できるチャンスだと思え。

 他人ひとの為、俺の為、皆の為、ましてや社会の為なんかで舞台に立つな。

 お前はお前の為にだけ舞台に上がれ! 足掻け! 情熱を注げ!

 為為為の偽物になるな。

 本当の本物の自分をぶつければ、結果は後から勝手についてくる」


「はいっ!」


 やすみの目にもう迷いの色は消えていた。


「あと、お前は女のままでいいんだぞ。

 女が男装して踊っているつもりで考えたんだから」

 

「えっ! そうなの?

 ……なんだ、……うん、もう大丈夫です」


 彼女のヤスミは俺を意識した。し過ぎた。

 最初はセンスあるヤスミが圧倒的に上手かった。

 だが俺は、経験と応用力でぐいぐい成長していった。

 ヤスミはヤスミの表現をすればそれで良かったのだ……

 やすみ君には、他人の影響で役者をやめる道を進んでほしくない。


「それにしても、ともかさんって一体……」


「前にも言ったろ、俺は昔のお前のだよ」


「ええ! 彼?」


「冗談だよ。

 そろそろ出番だぞ、みんなどこだ?」

 

 ガチャ。

 言ってるそばから、ゾロゾロみんなで帰ってきた。


「ご、ごめーん、トイレ遅くなっちゃったあ……」


 絶対外にいたな。

 真剣な話を聞いて入れなかったんだな。


「よーし、そろそろじゃない?

 みんな、心の準備はできた?」


「「「おーーーーーっ!」」」


 コンコン、ガチャ。

「それではお願いしまーす」

 スタッフがドアを開け、顔だけ入って出番を知らせる。



 さあ、もうとっくに幕は上がっている。

 やすみだけではない。

 舞台の魔力に取り憑かれた俺達みんなの瞳は今、獲物を狙った猫科のように爛々と輝いていた。

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