7. 送る、送られる


「え!? 今朝帰って来たのか!」 


 とん吉コジローが驚いた。

 

 火葬場へと向かうマイクロバスの中で、俺はとん吉にあらまし伝えた。

 告白直後が今朝だった事、来なかったはずの親が来てる事、等。

 

「そっか、なつきちゃんだったんだ……」


 俺ととん吉の会話を聞いていた国立が呟く。

 どうやらとん吉は、みんなにだけは話してくれていた様だ。


「おい、何がなつきなんだ?」


 相変わらずニブチンな平川が話の流れを止めようとする。


「ミッキー聞いてた? 鈍い奴だなあ」


「何だと? ヤスミンてめぇ分かんのかよ」


「もう! 2人とも、言葉使い!」


「カナチュンの言うとおりだよっ! 女性の言葉使いじゃないよっ!」


 ……またあだ名増えてる。


「多分ね、なつきちゃんはずっと想い続けてたの。

 それで、ともかちゃんが過去に来たのよ」


「……ああ、そうなんだ」


 平川が納得した風に言った。

 真相は正確には分からん。

 どうしても想像の域を出ない。


「多分、最期の時が来る瞬間に、奇跡を起こしたんだわ」


「それで、オバサンともかがやって来たって訳」


 ん?


「ちょっと待てやすみ、オバサン?」


「そうだろ? あの時期だけオバサン。

 未来に帰ってからは暫くオッサンで、じきに普通になったな」


 どういう事だ?

 まあ、男女逆ならばオバサンになるのか……

 だが何だ?

 未来に帰った後、オッサン?

 神になったなつきが歴史を守る為に、俺の学年だけ性別の変わった世界に入れた、いや、入れ換えた。

 そう思っていたが、ちょっと違うのかもしれん。


「まあ、中学であんた東京行っちまったから、オッサンの時期は分からんけど」


「でも高校はヤスミン、追いかけてっちゃうんだもんね~」


「バ、バカ、私は純粋に演劇をもっと勉強したかったの」


「そう? でも四谷先生んとこでいい感じだったんでしょ?」


「え? そうだったのか?」


「「このニブチン!」」

 

「だから言葉使い!」



 全く、なつきの葬式後だってのに……

 だが、やはり高校では俺とやすみは付き合っていたみたいだ。

 中学で上京するのは、本来の俺とは大分違う行動をとった事になるのだろう。

 しかしアパートや愛車のボロい軽ワゴンを見るかぎり、歴史はそう変わってはいない。


「どうした? ヤエ」


 とん吉が顔を覗き込んできた。


「ん? ああ。

 何かが噛み合わないというか、今一つ胃の腑に落ちない」


「仕方ないさ、情報が足りないんだ。

 後でり合わせよう」


「そうだな、休むにニタリだな」


「今はただ、なつきをいたんでやれ」


「ああ、そうするよ……」


 そうだ。

 その通りだ。

 なつきは死んだのだ。

 実感が湧こうが湧くまいが、同一視出来ようが出来まいが。

 せめて最期の灰になるまでを見届けてあげよう。

 俺がやれるのは、所詮その程度なのだから……



 暫く走ると前方に小山があり、その中腹辺りに煙突のある施設が見えてきた。


「……そうか、彼女とはもう会えないんだな」


 とん吉がポツリと呟いた一言が、丁度物思いで静まっていた車内に通った。


 すすり泣きが重なり合う。

 仲間達も、本来なら居るはずの場所に、彼女が居ない事を再認識する。


「そうよね……

 ねえミチちゃん、最後に会ったの何時いつ?」


 やすみがベソかく国立に聞く。


「うぅっ、一昨年おどどぢ正月ぢょうがづ……」


「ミッキーもだよね」


「ああ」


「私も」と、雛枝。


 闘病で帰省出来なかったのか、心配かけたくなかったのか。

 多分その両方だろうな。


「もう全員揃って、とん吉で飲む事は無いんだな……」


 平川が寂寥せきりょうを持って言った。


 そうか、なつきも大人だもんな。

 俺もなつきと一緒に呑みたかったな……




 火葬場に着くと、最期のお別れをする。

 棺に花を入れたり、頭や頬をさすって別れを惜しむ。

 俺も顔の脇に一輪供え、なつき君にもやった様に頬を撫でた。


「じゃあな……」


 それを見ていた母と麻美おばちゃんは、2人寄り添うように泣き崩れる。

 それでも、俺は泣けない……

 胸は悲しみと虚無感でどうにかなりそうなのに。

 自分が自分でないような。

 今が今でないような。

 この現実が全て、偽りであるような。


 ただ、君の頬を撫でた手……その手はとても冷たかった。



 旦那が作動のスイッチを押し、なつきはその存在の殆どを天に還し始める。

 皆ため息をつき、とぼとぼと控え室へ向かう。

 終わるまで結構な時間があるので、酒を飲みながら故人を偲ぶのだ。


「八重洲ともかさん、ですよね」


 控え室のある別棟に向かう途中、後ろから声を掛けられた。


「ああ、ご主人」


 なつきの夫、小山内おさないカオルさんだったか。


「八重洲さん、ちょっとお話ししませんか?」


 2人並んで建物を脇にそれ、庭の奥、林だか森だかの近くに来た。


「八重洲さんだって、すぐに分かりましたよ」


「え?」


「10年くらい前は、よくテレビに出てらしたでしょ。

 でもそうじゃないんです」


 ええ!

 そうなんだ……

 いやまあ、出るっちゃ出てたけど、その口ぶりはそんなレベルじゃないよな。

 やっぱりちょっと、この世界は変化しているのか。


「やっぱり似てるな、って思って。

 私は八重洲さんに、雰囲気が似ているんです」


「………」


「妻はよく、八重洲さんの事を話してくれました。

 テレビであなたを見るたびに、あの時ともかはああだった、あの時は、ともかにこう言ったのよって。

 ああ、失礼、なつきはそんな感じであなたの事を……」


「はい。分かります」


「なつきは本当に、あなたの話をする時は目が輝いていた」


「そうでしたか」


「なつきは、あなたと一緒にいた方が幸せだったんじゃないか。

 私はあなたの替わりに幸せにしてあげられなかったんじゃ……」


「バカな事言わないで下さい!」


 俺は声を抑えて、しかし厳しく言った。


「確かに似ていると思いました、失礼ながら。

 でもそれは、出会った頃の距離を縮める切っ掛けくらいなもんです。

 2人の人生をそんな中途半端な理由で、決断できる様なアイツじゃあない!」 


「………」


「そんな事、あなたが一番分かっているでしょう?」


「……はい」


「目を輝かせていたのは、俺を想ってたんじゃない。

 あなたに知ってもらうことが楽しかったんだ」


「はい……」


「あなたと共有する事が出来て、嬉しかったんだよ」


「はい……はい……」


 泣きながら何度も頷く彼の肩に、そっと手を置く。


「あなたも優しい人だ……

 なつきは本当に幸せだったんだよ。

 そうじゃなきゃ、あんな安らかな顔では逝けない」


 すると、ガバッと小山内さんは顔を上げた。


「違うんです!」


 この反応……

 俺は、ある嫌な予想をしていたが、当たっているかもしれん。


「小山内さん、人は何かを成し遂げても、あんな顔では逝けないと思います。

 たとえそれが、命懸けで成されたとしても」


 小山内さんは驚いて、俺の目を見詰めた。


「葉月の……娘の事をご存知でしたか」


 やはり!

 悪い想像ってやつは、矢鱈と当たる。

 俺は目を閉じ、ゆっくりと頷いた。


「身内ですからね、自然とね……

 あの姿を見れば、過酷な闘病だった事は分かります。

 それを押してなお、彼女は挑み、結果を残した」


「その通りです」


「でもね、あんな安心した穏やかな顔は、満足だけじゃない。

 あなたですよ、小山内さん」


「え?」


「あなたがいるから、安心して逝けたんだ。

 全てを託せる、あなたがいたから、安心して逝けたんですよ」


「うう、うぐうぅぅ……」


 泣き崩れる彼を見て、俺は正直羨ましかった。

 おそらく辛く険しい道を2人、いや、家族で歩いて来たんだろう。

 だが、きっとそれすら、幸せに変えていたに違いない。

 失った幸せの反動に、この悲しみがあるのだ。


 過去の苦労も幸福も、受けた愛と温もりも、そして今の悲しみも全部、小山内さん、あなたの物だ。

 あんただけの特権だ。

 俺もせめて涙でも流せたらな……


 ぐい!


 急に背広の後ろを引っ張られた。


「お父さん、みんなが探してるよ」


 振り返ると高校生くらいの美少女だ。

 目元がお父さんにそっくりな、だが、お母さんに負けず劣らずの美形。


「お、とうさん? じゃない!」


「ぷ、ははは、いや、ほんとに参ったな」


 小山内さんが苦笑しながら立ち上がる。


「実の娘が間違えるんだ、こりゃ、相当なもんですね」


「違いない」


 あはははと2人笑い合った。

 泣いて、笑えて、少しは心に余裕が出来たかな。




 小山内父娘はみんなの元へ向かって行った。


「八重洲さん、今度、娘に会ってやって下さい」

 去り際に声を掛けられた。


「娘さん?」

 チラと、反射的に今紹介された香月ちゃんを見た。


「いえ、この子の妹の葉月にです。

 今入院してますが、今度見舞いに来て下さい」


 来月にでも病院に伺う事を約束した。



 煙突の上は熱で空が歪んで見え、うっすらとした煙が出ていた。

 遠目では見えないよう、フィルターなどが着いているのだろう。

 なつきの身体だった、煙までが儚い。


 なつきが青空に溶けていくようなその光景を、俺はただ見詰めるだけだった。

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