8. 歩き出そう、未来へ

「おい! いい立ち姿だなあ」


 俺がひとり、煙突から出る薄い煙を見詰めていると、後ろから声を掛けられた。

 振り返るまでもなく、とん吉だ。


「その後ろ姿だと、明日は筋肉痛になってなきゃいけねーな」


 アイドルコンテストの振り付けでシゴかれた事の仕返しか。

 俺にとっては数ヶ月前だが、お前の記憶だと20年以上前の出来事だろうに。


「俺位になると、意識しなくても綺麗な立ち姿なんだよ」


 俺は心配性の親友に、さっきまでなつきだった煙を見詰めたままでそう答えた。 


「減らず口叩けるようじゃ、大丈夫だな」 

 

 とん吉が横に並んで、同じ空を見上げる。



「お前だって、さっきはオセンチな事言ってたじゃねえか」


 俺はマイクロバスでの、とん吉の一言を蒸し返した。


「あ? そりゃあ、会えなくなんだから、その程度は言うわ」


「女の俺じゃなくて悪かったな」


「………」


 とん吉が一瞬黙り込む。

 奴の視線を感じる。


「……気づいてたのかよ」


 チラと顔を見てみれば、そう重くもない様子だ。


「存外俺も勘がいいだろう?」


「まあな」


「まだ未練があんのか?」


「いや、そんなんじゃないよ。

 ひょっとしたら、彼女にもう一度会えるかもな、位だな」


「そんなに、いい女だったのか?」


 言いながら変な質問をしたなと思う。


「ああ! いい女だったよ」


 言い切りやがった……


「あの頃、お前はまだ女みたいな顔してただろ、長与ナントカみたいな」


「中学ん時よく言われた」


「普段はうちの母ちゃんみたいなオバサンでさ、温かい人だった」


 まあ、俺の女バージョンだからな、そんなもんだろ。


「でもたまに、ドキッとする程セクシーなんだ」


「セクシー!?」


「ああ、不意に見せる視線や仕草に、大人の女性オンナの色香があった」


「それを言うなら、お前も美形でセクシーだったぞ」


「セクシー!? ……まあ、そうかもな。

 俺とお前の女装で、会場を沸かせたからな」


 アイドルコンテストの事か……

 そうか、なつき達は女だから、俺ととん吉が隠し球になるのか。

 ちょっとパンチが弱い気もするが、遣って退けたのだろう。

 セクシーの件もだが、ひょっとして女の俺は、俺より出来る奴なのか?

 いやいやいやいや、おかしいだろう。

 

「「………………」」


「確かに腑に落ちねえな」


 とん吉も考え込んでいる。


「今夜、お前んとこで徹夜のお勉強会だ。

 明日会社休めよ」


 とん吉は、川崎のアパートに泊まりに来るつもりらしい……


「休むつもりだったけどさ……

 その、汚ないよ、部屋」


「知ってるよ、そんな事。

 何回も泊まってるじゃねえか」


「う、うん、そうなんだけどさ……

 襲わない?」


「ば、馬鹿野郎! そんな趣味無えよ!」


「そ、そうだよな。すまん!」


「今度、娘だって産まれて来んのに」


「なに! 頑張ったなあ」


「……俺はな、ともかさんだったから、惚れたんだよ……」


 そういえば、ヤスコもそんな事言ってたな。

 そう、ヤスコ、か……


「おい、ヤスコなんてどうだ? 決まってなければ」


「ん? 康子か……いいなあ」


 消えた生命もあれば、新たに芽吹く生命もある、か。

 そうやって人は綿々と命を紡いで来たのだろう。

 なつき、とん吉、お前達は立派だよ、ちゃんと命を繋いでる……



 ーーーーーーーーーーーー



「2人とも、そんな所にいたのか」


 なんか、後ろから声を掛けられてばかりだな。

 振り返るとなつきの両親、江藤春太、麻美夫妻だった。


「うん、煙をさ、見てたんだよ」


「……そっか、ありがとう」


 今度は4人で空を見上げる。

 親の悲しみは、俺なんかでは想像もつかない。

 陽炎のように揺らめきながら、薄く遠慮がちに昇る煙を見て、子に先立たれた2人は何を想っているのだろう。



「ともちゃん、覚えてる?」


「ん?」


 おばちゃんが煙突から、視線を外さず聞いてきた。

 俺達も姿勢は変わらない。


「なつきをお嫁さんに貰ってあげてって……」


「ああ、小6の頃でしょ」


「そう。あの頃は楽しかったわ。

 久美ちゃんと衣装縫ったりして。

 なつきも毎日楽しそうだった……」


「おばちゃん……」


「内気で引っ込み思案だった子がステージなんてねえ。

 あなた達と一緒にいると、どんどん明るくなって……」


「そうだな、嬉しかったなあ……」


 夫婦で懐かしむ。


「後から聞いたけど、あの子1年からずっといじめられてたんだって。

 行き帰りと帰ってからの、ともちゃんとの時間だけが楽しみだったって」


「いじめ……」


 こっちの世界のなつきは勝ち組じゃなかったのか?


 いや、知らない。

 本当の所は何も知らないし、知ろうともしていなかった。

 俺は自分の事ばかりで、見えないし、見ようともしていなかった。

 当時も今も。

 

 同じだったんだ……


 俺も、なつきとの時間だけが救いだった。

 その時間を失いたくない、それだけしか考えていない小学生だった。

 あっちの世界のなつきの苦境に気付けたのは、俺が大人の視点で俯瞰していたからだ。


 そうだった。

 中学の部活で仲間が増えたが、後ろをついて歩く様な性格は変わらないな……

 と、彼女を見てて思っていた。

 本当の勝利者が、そんなタイプでいるわけない。

 現になつき君の方は、皆と並んで歩く様になっていた。



「あの時、あの修学旅行の校庭。

 あれがあの子の、ターニングポイントだったのね」


 スッと、麻美おばちゃんが2枚の写真を差し出す。


「なつきがずっと大事にしてた写真なの。

 一緒に燃やしてあげようと持ってきたら、裏にメッセージが書いてあったの」


 俺は受け取り、写真を見た。


 修学旅行の海で、2人でソフトクリームを食べた時に撮った写真。

 運動会の昼休み、なつきがいなり寿司を食べさせてくれた時の、母ちゃんが撮った写真。


「ともちゃん宛に書いたみたいだけど、随分前みたいね。

 たぶん、見せるつもりもなかったんでしょ……」



 繋がってしまった……



 俺の中で、今荼毘だびに付している人と、あのオレンジの夕陽に別れた愛する人とが重なってしまった。

 そこに写っているなつきは僅かに違う。

 女の子だ。

 しかし、その表情に、その光景に、俺の刻が合致した。


 1枚目は、なつきのアップの写真。

 海を背景に、はにかんだ、でも少し陰りのある笑顔を見せるなつき。


 溢れ出る涙に、だんだんボヤけて見えにくくなる。

 裏にあるメッセージを見る。

 涙を拭い拭い、必死に読む。


「この日、私は変わった。

 変わる事ができた。

 ありがとう、ともか」


 くずおれそうな体に耐え、もう1枚に目を移す。


 運動会の1枚。

 なつきが顔を真っ赤にして差し出す箸を、幸せそうにくわえている俺。

 麻美おばちゃんが頬に両手をあてて悶えている。

 春太おいちゃんはビール片手に笑ってる。

 背景の青空同様、みんな晴れやかで、光に満ちている。


「ともか、もう会う事のない、大切な人。

 私は成長出来たかな?

 あなたは成長出来たのかな?

 きっと私達、離れていても繋がっているんだよね。

 そう信じると歩いて行ける。

 前に進める。

 一緒に歩いて行こうね、明日へ」


 なつき……成長してるじゃないか……


 耐えられなくなり、写真を胸にうずくまる。


「ううっ………………」


 涙で溺れそうになる。


「ヤエ」


 とん吉が背中に手を置いてくれる。

 おばちゃんも、おいちゃんも、寄り添ってくれた。



「ともちゃん、ありがとう。本当にありがとう」



 4人で暫く声もなく泣き続けた。

 一塊ひとかたまりになって、むせび泣いた。


 そろそろ煙突の熱も冷めたという頃、


「おばちゃん、やっと泣けた。ありがとう」


 何とかそれだけ、言うことが出来た……


 

 ーーーーーーーーーーーー



 葬式からひと月ちょっと経った。

 今俺は病室の扉の前に立っている。

 表札には「小山内葉月」と書いてある。

 ここで間違い無い。


 先日、なつきの亭主だった小山内さんから、

「葉月が一般病棟に移ったから来ませんか?」

 との、お誘いの連絡をもらっていたのだ。


 トントンとノックをして引き戸を右に滑らす。


「失礼し……」


「遅ーーーーーい!」


 入る前から怒鳴られた。


「全く! 何度私をないがしろにすれば気が済むの!」 


 また葉月は激昂している。

 

「無茶言うなよ! 俺だって行きたいの我慢してたんだからさ!」


「ほんと?」


「当たり前だろ」


「じゃあ、許してあげる」


 相変わらずのツンデレだなあ。


「おかえり、葉月」


 とりあえず、2人とも無事に元の世界に戻れた訳だ。


「ただいま、ともか。

 そしてお帰りなさい」


「ああ、ただいま」


 ニッコリほほえみ合う。


 それにしても?


「何で入る前に俺だって分かったんだ?」


「あー、さっきのね。

 お母さんが教えてくれたのよ」


「なに!?」


「ともかがドアの前に来てるわよって」


「えーっ! なつきが居るの? 神様なのに?」


「だってお母さんの心臓なんだもん、仕方ないでしょ。

 んん? それと、これは残滓ざんしなんだって、本体じゃないって」


「そうなんだ」

 それはちょっと寂しいな。


「ふんふん。それでも銀河系くらいなら100ぺんは消せるって」


「物騒だなっ!」


 でも、あの時の「あの方」を思い出せば、さもありなん、だな。

 葉月の奴、慣れよなんて言ってたが、手前てめえの母ちゃんじゃねえか。


 全く、なつきの死んだ記憶も消すし、葉月見ても娘って発想出来なくしてるし。

 普通、一番に考えるぞ、娘かなって。

 ……まあ、それだけなつきは葉月を守りたかったって事か。


「じゃあ、聞かせてもらえるか? 事の真相」


「真相って、どんな?」


「う~ん、そうだなあ」


 とりあえず、とん吉と話した推論を言ってみた。


 俺が過去の世界に行くには、俺が世界の流れを変えない状態にしなくてはならない。

 しかしその状態を作った場合、それ自体がその世界を変える事になる。

 じゃあどうするか。

 もともとその変わった状態の世界があれば、俺同士の心を入れ替えればいい。

 ただその場合、どちらも共通した歴史の流れを持っていなければならない。


 当てはめると、女にすれば異性に手が出なくなる。

 ただし男女入れ替わった世界の2人が同じ歴史を歩んでなければならない。

 偶然、そういう世界があり、2人のともかは精神を入れ替えられ、また偶然に同じ行動をとる。

 その間葉月がそうだった様に、小学生ともかの人格が魂と繋がっていて、ともかの視点で一部始終を見ていた。

 それで元の世界に戻ったあとも精神年齢が高くなってて、また、慣らすのに時間がかかった。 

 ざっと言えばこんな感じか。


 勿論とん吉には「あの方」がなつきで、神様になったなんて言ってはいない。

 だがあいつの事だ、あらかた気付いているだろう。

 その上で俺の思いを汲んで、知らない振りをしている。

 そんな所だろう。  



「ふんふん、なるほど……

 あのね、大体合ってるって。

 ほんとは秘密なんだけど、もう関係者だから教えちゃうって」


 ゴクリ!


「そもそもはね……」


 葉月、いや、なつきの話はこうだ。


 元々の全ての世界は造物主が創った。

 あまりにも多岐に拡がる世界に細やかさを求めた主は、神になり得る清らかな魂の者に、その者の世界を代行をさせた。


 それになつきは選ばれた。

 なつきは余命尽きるまでを、自らの心臓を娘に残す事にのみ捧げた。

 それが叶うと安堵した時、ずっと二の次にしていた、自分の想いに直面した。


 夢の中で何度も見てきた世界。

 オレンジに染まった明晰夢の、止めてきた時間。

 それが唯一の心残りとなった。


 死の間際、造物主の力が注ぎ込まれた時、世界の枝葉の一番端に新しい世界が生まれた。

 それが2人のなつきの小さな世界。

 偶然に、ともかとなつきの性別が違い、且つ世界がほぼ同じ歴史だった為に可能だった創造。


 小さくとも、世界の枝葉に繋がっているため、影響は全体に出てしまう。

 それで「あの方」となって、影でサポートをしていた(らしい)のだ。


「似たような感じだけど、ともかの魂の辺りがちょっと違うって」


「どこが?」


「子供もあなたも、ともかの魂は1つ。2つあるわけじゃないって」


 なに?


「過去に戻った時点で上書きみたいになってるの。

 だから、こっちの世界のあなたがオバサンからオッサンみたいになったのは」


「俺自身だったってのか!」


「今回はイレギュラーで、小さな世界から帰ってきたから別みたいだけど、魂は1つだから、精神のコントロールで空白の記憶も浮かび上がってくるだろうって」


「そうか……なんか、スッキリした」 


「うふふ、これにて一件落着ね」


「そうだな、その通りだ」


「じゃあ、残された案件を片付けましょうか?」


「ん?

 残された? 何かあったっけ」


「あんたっ、バッッッカじゃないの!

 私達にとって、一番の大問題でしょ!」


 何だろう?

 俺と葉月の。

 俺と葉月の……なんて言い方、男女の問題みたいな響き。

 あ!? 大切な人! 


 ん?

 キラキラした目で見てるじゃないか。

 ひょ、ひょっとして……


「もう、じれったいわね! それよそれ、大当たり」 


「おいっ、もしかして」


「うん、全部聞こえてる」


「やめろよなーーーー!」


「これも前と一緒じゃない」


「そりゃそうだけど……」


 参ったなあ、BLの次はロリコンかあ。


「BLもロリコンも大差ないじゃない」


 俺捕まっちゃうんですけど……


「え? なになにお母さん」


 何です、なつきさん?


「20年は待てなかったけど、5年位なら待っててあげるって」


 そんな事言われたら、俺は嬉しいけど……


「って、なつき、小山内さんがいるだろ!

 お前は浮気じゃねえのか? 娘の前で」


「ん? うん。

 あのね、私はもう高次元の存在だから、あなた達は犬とか猫みたいな感覚なのよ、だって」


「なっ!?」


 それはそうなんだろうけど。


「あなた達が乳繰り合ってたって、動物園のモグモグタイム見てるようなものよ、だって」


「わあーーっ! もうその下りは勘弁しろよっ」


 ま、まあ、神様になったなつきは分かるが、父親のようなオッサンでは葉月の方が……


「お前は、いいのか?」


「バカじゃないの。

 聞くだけ野暮ってもんでしょ」


 言いながら目を閉じ、顎を上に向けてきた。

 おいおいおいおい、早いだろ!

 さっき、5年待つって言ったばかりじゃねえか。 


「もう! 状況説明はいいからっ」


 ったく。

 これは役者の性分だっつーの!



 俺は右手でベッドの端を。

 左手は葉月が膝の上に揃えて置いている両手に、そっとかぶせて握った。


 まあ、これぐらいなら、大目に見てもらえるかな。

 頑張ったご褒美には定番だろう?


 雲間から光が射し込み明るくなった病室。

 俺は葉月と、やさしく唇を重ねあった……


 葉月──

 ともに行こう。

 一緒に進んでいこう。


 さあ! 歩き出そう、未来あしたへ。

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