4. 舞台に潜む魔物


 舞台には魔物が棲んでいる。


 よく聞くフレーズだと思う。

 本番まで数ヵ月間、一生懸命稽古して台詞は完璧に入り、動きも体に染み込んで、不安要素は消え去ったはずなのに。

 日程をこなし、小屋に入る。

 準備万端、順風満帆。

 だが魔物は、静かに地獄の釜の蓋を持ち上げる。


 俺の場合は、台詞がスコーンと頭の中から消え去った。 

 シェイクスピアのマクベスという作品で、おれはマクベス。 


 この舞台、演出は今では超大物声優の小山田力太さん。

 演出は舞台で一番エライ人。

 映画でいう監督が、舞台では演出家だと思えばいい。


 この時小山田さんは売れ始めって感じで、うちの劇団の講師をやっていた。

 その小山田さんに酒の席で、


「この舞台の人選、八重洲を一番に決めたんだぞ」


 と聞かされていた。

 俺がどれほどの熱量をもって、この舞台に挑んだかわかるだろうか。 


 舞台の一番前中央、つらでドセンター。

 シェイクスピアお馴染みの長い独白。

 これまで練習で、何十回何百回とやったシーン。

 忘れるはずのない台詞ーー


 消えた。

 思考ごと全て。


 頭の中が真っ白とは、実に上手い表現だと今なら分かる。


 一瞬の思考停止後すぐに状況の修復を図る。

 舞台上には俺ひとりしかいない。

 袖から遠くて、そっとセリフをおしえるプロンプができない。

 誰も助け舟は出せない……

 どうするべきか。

 一度堂々と舞台袖に引っ込んでプロンプ入れてもらうか?

 その時、俺が取った答えは……


 なにもしない!


 動きを止めて、息もしない。

 絶対に気持ちは切らずに、客席の呼吸も一緒に止めるくらいの緊迫を。

 そうしておいて、もう1人の自分は脳みそフル回転。


(よし、一旦止めたぞ、落ち着いて、台本をひらいて……)


 もう頭の中に焼き付いてる台本の、長ゼリのページを心の中で見る。

 思い出したっっ!


「ええい、目には見えても手には掴めぬか!」



 

 嫌な記憶は頭を振って追っ払う。

 俺たちはもう舞台に飛び出したんだ。

 魔物が居ようが居まいが、今さら後戻りは出来ない。



 皆一斉に舞台上を駆け回る。

 客席に手を振ったり、ジャンプしたり。

 一見乱雑な動きだが移動の道筋、いわゆる動線は、練習でキッチリ作って決めてある。

 この動線は大事で、これをおろそかにすると舞台を台無しどころか、本当の大ケガをしてしまう恐れがある。


 今のところ順調ぅ。

 このゴチャゴチャした空間をっ、真ん中にキューっと集めてっと。


「ピータン! ピータン! ピータン!」


 よしっ!

 第一関門突破だ。


 この、良い流れをっ、引っ張りつつっ、手足をホッ! ハッ!

 大きく開いて伸ばしてっ、キュッと縮むうっっ……

 横にステップっ、背中合わせにスライドぅ、ワンツー!


 いいぞ!

 良い感じだ!

 他のっ、連中もっ、上手く連携してるっ。


 ん?


 何だ?

 今チラッとなつきの方が気になったが。

 んん……?


 あっ! 上着がはだけてるっ!


 なつきの上着の結びがほどけてピラピラ揺れている。

 ダンスに支障はないが、ああいう素のトラブルは矢鱈と目が行く。

 完全に悪い意味で注目される。

 演目に意識が向かなくなるのだ。

 これが1つの公演の、冒頭のダンスシーンだとしたなら絶対スルーする。

 だが俺達は、このダンスだけが作品なのだ。

 速やかに処理しなくては。

 

 俺はススっと、動線に触れない流れを通り、

「笑顔! 笑顔!」

 と、すれ違う燐光寺、国立に言いながら中央へ。

 チラととん吉ヤスコを見れば、ちょっと遅れ気味ながら、俺と同じ流れで中央へ移動して来て、ウインクしやがった。

 さすが天才、頭の回転が早い。

 

「なつき、笑顔。

 気持ち切らすな」


 丁度曲調が変わり、なつきがセンターで歌い、俺らはアンサンブルとしてサイドで踊る、というシーンだった。 


 なつきの首後ろからセクシーに手を回し、俺はそこを支点にし、脇の下を舐めるようにして前に出た。

 客席から見てーー

 美少女の首に絡みつき、尻をこちらに向けくねらせているエロい女。

 そんなとこだろう。


「ヤスコ、結べ!」


「了解!」

 言いながらもう、ヤスコはほぼ結び終えている。


「いいよ!」


「散開!」

 俺とヤスコは定位置にステップで戻り、舞台を広めに使ってた国立と燐光寺も、自然に幅を戻す。


 さあ、クライマックスだ。

 みんな、気を抜くなよ!



 「来たアル、我ピータン!」


 ドゥワアアアーーーーーーーーーー!

 パチパチパチパチパチパチパチパチ!

 

 客席からの歓声と拍手の嵐。

 4人を見ると、顔を火照らせ満面の笑み。

 その頬の紅さはダンスのせいだけではないだろう。

 舞台を一度味わったら止められなくなる、と言われるのは、この感動を知ってしまった事による所が大きいと思う。



 俺はそっと燐光寺の耳元へ、


「どうだ、良いだろう、舞台は」

 と言ってやった。


「うん!」

 振り向いた燐光寺は大粒の涙を流していた。


「ようこそ。役者の世界へ」


 今ひとりの少年が……

 あるのは達成感だけの、報われない人生に足を踏み入れてしまった。


 

 エントリーナンバー38番

 チームHINAEDAは、本選へと駒を進めた。



ー第十話 おわりー

 



 

 



 


  

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