2. 最後の朝食

 朝のロードワークから柔軟、筋トレと、いつものメニューをこなす。

 今日の夕方には自分の世界に戻るはず。

 だから、もう日課をやる必要はないのだが……

 

「おーい、ボケの水、用意してやってくれ~!」


 父ちゃんが愛犬「ボケ」に引っ張られ、ひいひい言って帰ってきた。

 俺が毎朝走っているのに触発されて、たまに父ちゃんもつき合う様になった。


 父ちゃんは学生時代、地域を代表するランナーだった。

 東京五輪の時、聖火隊の一員として走った過去を持っている。

 記念のネクタイピンとカフスは、小さい頃に見た覚えがあるのだが……

 あるというか、俺が紛失なくしてしまった。

 珍しくって、よく勝手に遊びに使っていたのだ。

 因みに聖火隊っていうのは、聖火ランナー正走者、副走者、随走者の20人位の事。

 各地域の成績優秀者が選ばれたらしい。

 だから、一応聖火ランナーって事になる。本人談。

 聖火持ってない随走者だけど。

 

 当時、国を挙げて盛り上がっていた東京オリンピックの、特に地域レベルで熱狂されたのが、この聖火リレーだったらしい。

 この聖火、4つのルートで全国各県を回って、各地の沿道を人で埋め尽くした様だ。

 昔の映像とかで見た事があるが、確かに凄かった。

 街灯のてっぺんにまで見物人が登るって、今じゃまず無いだろう。

 そんな晴れ舞台を父も味わっていたのかと思うと、誇らしかったり、微笑ましかったり……


 母は毎朝通学する列車の窓から、田園風景の中を走って登校している父を見ていた。

「あ、八重洲君、今日も走ってる」

 クラスメイトの練習を兼ねて登校する姿に、好感は持っていたらしい。

 母のバレー部仲間が、

「あの人が好きなの」

 と、指を差していたのが父だったそうだ。

「え~、どこがいいの?」

 最初はそう思っていたらしいのだが、人生どうなるのかは分からないって事だ。


 うちの両親の夫婦仲は非常に良い。と思う。

 まあ、母の寛容さによる所が大きいとは思うのだが……

 兎に角、両親は60過ぎた今でも仲がいい。

 なつきの家とは大違いだ。

 おっと、それはまた、違う話だな。

 

 この思いがけず再会出来た若き日の両親。

 見た目はもちろん若い。

 性格は少しキツイ。

 まあ、子育て真最中なのだから仕方ないけれど。


 まだアラサーで、ちょっとはしゃぐ母ちゃんも見れた。

 まだまだ血気盛んで、人に殴り掛かろうとしていた父ちゃんも見れた。

 だけど全く変わらないもの……

 我が子に対する愛情の深さ。

 これは年を取っても若くても、ちっとも変わらない。

 俺も今だからよく見える。

 俺は親に本当に愛されて、見守られて生きて来たんだな、と。


 今日でおそらく若き日の両親とは会えなくなる。

 そう思うと、胸が張り裂けそうに辛くなる……

 でもそう思う反面、未来の、いや、本来の父ちゃん、母ちゃんに会える。

 そういう風にも思ってしまう……

 そうだな。

 元の世界に戻ったら、とりあえず実家に帰ろう。

 父ちゃんと母ちゃんに、「ただいま」と言おう。

「ありがとう」は恥ずかしくて言えないだろうが……



「おかーさーん! ボケのエサはー?」


 ボケちゃんに水をやってから、家の奥に向かって大声で聞く。


「何にも無いからねー! カリカリに味噌汁掛けてやってー!」


 風呂場辺りから返ってきた。

 洗濯でも始めたのだろう。

 さすがは田舎の一軒家。

 朝7時前に大声出そうが、洗濯機回そうが問題ない。

 ていうか他の家も、もうとっくに起きている。

 田舎の朝は早いのだ。

 この辺は今も昔もそう変わらないな。


 ドライタイプのドッグフードに味噌汁を掛けてボケにやる。

 もし昨日の残飯があれば、ごはんをまぜまぜして、やっぱり味噌汁掛け。

 どちらの場合も、

「ガッ! ガッ!」

 と、勢いよく食らい尽くし、あっという間にペロペロ皿を舐めてピカピカにする。

 好みなんて有ったもんじゃない。


 まあ、食べ物じゃなければ、こいつはとん吉が好きだ。 

 ヤスコが好きだし、俺の世界のコジローとん吉も好かれてた。


 中学の時にとん吉とローラースケートの上に板を乗っけてくくりつけ、簡易犬ぞりを作ってボケに引かせてみた。

 ボケは狂ったようにハイテンションでそりを引き、俺らも狂喜して、数日間はこの遊びの虜になった。

 最後はそりが大破。

 2人して土手を転げ落ち、田植えしたばかりの水田に頭からダイブした。


 こっちの世界の夏休みに思い出し、ボケも生後1才近いので行けるだろうとやってみた。

 やはりボケの奴は喜んで引き回し、俺となつきは夢中になった。

 最初は恐る恐る乗ったヤスコも魅入られ、3人で遊び倒した結果ーー

 今度は1日で破壊し、3人揃って土手を転がり落ち、結構な稲を横倒した。

 またしても春太おいちゃんにこっぴどく叱られる。

 調子こいて3人乗りにチャレンジしたのが敗因だ。

 仕方がない、俺達はいつでもチャレンジャーなのだ。



「ごはん食べなさーい」


 奥から声がする。

 

「はーい、すぐ行くーっ!」


 俺はダッシュで居間に向かった。


 この世界最後の朝食だ。

 仕事に出たら、若い父ちゃんとはもう会えない。

 一緒に食事をしたらお別れだ。

 最初は若ッと思った両親も、すっかり見慣れたというか、思い出したというか。

 やっぱり両親は両親なんだよな。


 懐かしい風景に出会えて良かった。

 確かにいい時代だった。

 黄金の時代だった。

 でもそれがずっと続いた先が現在になり、未来になる。

 これからは俺達がそんな時代を作らなきゃいけない。

 ああ、弟、英次ヒデジのように……

 そ、そうだな。

 そこはあいつに一任しよう。


「いただきまーす」


 うん、やっぱり母ちゃんの味噌汁は何時も変わらずに、美味い!

 

 

 ワン! ワン! ワン! ワン!


「おい、誰か来たんじゃねえか?」


 ボケは番犬としては優秀で、知った顔でも、家人かじんが対応するまで警戒する。

 俺はキッチンの勝手口から半身を出して様子を見た。


 ボケに吠えられていたのは、渡邉康子。

 とん吉ヤスコがうちに来ていた……

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