第41話


 食堂でステラを連れ立って出て行った後、リヴェルはひたすらに駆けた。

 走っている内に、足がどんどんにぶっていく。そのせいでいつの間にかステラに追い越されてしまったが、迷う心を振り切りながら真っ直ぐ裏庭を目指した。


 予感など、当たって欲しくはない。


 実際、ふっと彼女にまつわることを考えていたら、裏庭が頭に浮かんだだけだ。それが正しいなどと、誰が証明できる。

 けれど、薄暗い不安というものは、足元から寒々しくい上がってくるものだ。怯えて足がもつれそうになるのを、叱咤しったしながら強引に走る。

 そのおかげで、何とか裏庭が見えてきた。はっと、乱れる息を整えながら、先に辿り着いたステラに並び――。



「―――――っ」



 広がる光景に、言葉を失った。



 呆然とリヴェルが見つめる先には、猫が数匹輪を描いて何かを囲んでいた。ちょこん、と礼儀正しく全員で座り、一心に地面にあるものを凝視している。

 輪の中には、赤い色が鮮やかに落ちていた。それを認識した瞬間、リヴェルは目が見開かれていくのを感じ取った。


「……、そ、んな」


 ふらりと、リヴェルの足が頼りなげに土を踏みしめる。

 そのまま、一歩、二歩と進み、崩れ落ちる様に猫達に近付いた。



 猫が輪を描いていた中心には、無残に千切られた真っ赤な魚が転がっていた。



 頭と胴部が切り離され、その成れの果てとなった二匹が仲良く並んでいる。

 それは、最近よく見かけた姿と、昨夜迎え入れたばかりの姿。



「……、きん、ぎょ」



 零れる様に呟いて、確信してしまう。

 これは、ステラの水槽で泳いでいた金魚だと。――昨夜、二人で取って喜び合った金魚だと。

 何故、ここに金魚がいるのか。金魚が自力でここまでくることは絶対にない。寄宿舎からも距離がある。不可能だ。

 ならば、誰が。


「……、まさか」


 囲んで大人しくしている猫に、リヴェルは知らず目を向ける。

 だが、すぐに首を振った。


 ――彼らじゃない。


 普段何度か一緒にいたのに、猫は全く金魚に興味を示さなかった。それは、猫が金魚に対して餌という認識をしていなかったからだ。

 それに、この猫達が寄宿舎に忍び込んで、綺麗に二匹だけを持ってここまで来るとは思えない。もしそうだったならば、ステラが猫の仕業だと気付いていたはずだ。

 ならば、何故猫の輪の中に金魚がいるのか。

 いや、そもそも。



 金魚の体を引き千切ったのは、一体誰なのか。



 猫か。それとも、他の動物か何かか。

 それとも――。


「……っ」


 疑問ばかりが頭に羅列して、混乱のあまり吐きそうになっていると。


「……リヴェル」


 名を呼びながら、ステラが猫の一匹に手を伸ばす。

 びくり、と猫が怯える様に跳ねた。その姿に、リヴェルは己の心を見出して縮こまる。

 ステラは構わずに猫を抱き上げ、腹を見せる様に裏返した。

 最初は触るのもおっかなびっくりだったのに、随分と慣れたものだ。こんな時に彼女の変化を目の当たりにして、少しだけ心がほぐれた。


「リヴェル、見て」

「え? ……っ!」


 ステラに促されて猫を見やると、真っ白なお腹に痛々しい跡があった。

 殴られたか蹴られたかしたのだろう。その事実にリヴェルの体から、ごっと音を立てて血の気が引いていく。


「え、……何でだ? 何で、猫が」

「この金魚を、運んだ人かも」

「え?」

「金魚、頭と胴体、真っ二つに斬られてる。猫じゃ、こんな切り口は無理」


 冷静に観察して、ステラが説明してくれる。

 言われてみれば、食い散らかした様な後は微塵みじんも無い。猫が千切ったならば、もう少しスプラッタの如くばらばらになっていても良さそうだ。

 淡々と状況を把握していたステラの目は、見れば少しだけ揺れていた。

 冷静ではあるが、高ぶる別の感情もあるのだろう。むしろ、こんな風に残酷な報告をさせてしまったことを申し訳なく思った。


「……ごめんな、ステラ」

「どうして」

「嫌な説明をさせた。……駄目だな、俺。動揺しすぎだ」

「それが普通。リヴェルは、それでいい」


 懇願する様に明言される。

 彼女を再度見つめると、揺れているのに先を真っ直ぐに見据えていた。

 恐らく、死と真っ向から絶えず見つめてきた強さなのだろう。

 長い歴史が、それこそ残酷な歴史の積み重ねが背景にあるとしても構わない。彼女の逃げない姿勢を、リヴェルは心から尊敬する。



 ――自分も、この死から逃げたくはない。



 未だ、震える軟弱な心は健在だ。

 金魚が、また死んだ。

 昔は、直後に父が死んだ。母も、いなくなった。

 だから。



 ――また。



「……っ」



 ぶんっと頭を大きく振る。唇を噛み締めて、目に力を込めた。

 ここでうずくまるわけにはいかない。死んだ金魚は決意の証だった。

 その強い決意と覚悟を、こんな残酷な形で踏みにじられたのだ。

 まだ見えない敵が相手であろうと、男として、ここで引くわけにはいかない。

 何より。


「……ステラ」


 彼女と、生きると決めた。

 ならば、昔抱いた罪の意識を、今度こそこの身で乗り越えなければならない。


「金魚、埋めてあげよう」

「……、リヴェル」

「猫の手当て、お願いできるか? 俺は、ちょっとスコップとか持ってくるからさ」

「駄目」

「え?」


 提案を却下され、目を丸くする。

 直後、ステラが指を鳴らした。ぱちん、という高い音と共に、ぽんっとスコップが現れる。


「これ、使って」

「……、魔法、便利だな」

「使える時に使う。鉄則。それに、リヴェルはあまり一人で歩いちゃいけない」

「……狙ってる犯人が、捕まってないからか」

「うん」


 即答されて、苦い気持ちが広がっていく。

 本当に、どこまでも肝心な時に役に立たない。特に魔法に関しては、彼女に頼る以外にないのだ。


 ――男としてのプライドが、その内真っ平らになっていそうだな。


 少し涙ぐみながら、リヴェルが土を掘るためにしゃがみ込むと。


「ありがとう、リヴェル」

「え?」


 いきなりお礼を言われて振り向く。

 ステラは、猫のお腹に手を当てたまま振り向かない。

 だが、その横顔はほんの少し、泣きそうに湿っていた。


「あなたがいたから、冷静でいられた」

「……」

「ありがとう」


 打ち明けられて、不意に熱いものが込み上げてくる。自分の心を見透かした様なタイミングでの感謝に、目の前が歪みそうになったが根性で呑み込んだ。



 ――そんなの、俺も同じだ。



 口にしたら、何かが零れてきそうだった。

 だから無言で頷くしか出来なかったが、彼女には充分伝わったのか、少しだけ微笑んでくれた気がした。


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