第43話


 金魚の埋葬を終え、リヴェルはステラと共に学院に登院した。


 正直、気分的には授業を受ける状態ではなかったが、学生の本分をおろそかにすれば、いざという時に祖母に反抗出来なくなる。

 自分のやるべきことをやって、初めて己の意見を通せるというのがリヴェルの信条だ。それに何より、ステラとの未来のためにも自分をおろそかにするべきではない。


 ――何だか、吹っ切れてるな、俺。


 あれだけ祖母に立ち向かうのを諦めていたのに、ステラと一緒に生きると腹をくくれば、枯渇こかつしていた己がよみがえる様な感覚が湧いてくる。

 これが恋だというのならば、本当に凄い力だ。魔法使いに寿命を与えるほどのことはあるのかもしれない。

 しかし。



 ――無残な、最期だったな。



 ステラが可愛がっていた金魚も、自分が昨夜取った金魚も、真っ二つに引き千切られ、打ち捨てられていた。あの死骸を思い出すだけで、寒気と吐き気が這い登ってくるが、震えてばかりもいられない。

 わざわざ、彼女の育てている金魚を狙ったのだ。

 しかも、自分達が足繁あししげく通っている裏庭で、猫にも暴行を加えている。自分達を狙っているのは明らかだった。


 一体、誰なのだろう。


 ステラが金魚を飼っていることを知っているのは、自分以外だとエルスター達くらいなものだ。

 ただ、ステラは時折水槽を持って仁王立ちしているし、ペットの餌専門店にも通っているから、そこで見かけた者もいるだろうか。

 だとすれば、一体誰なのか。

 考えが煮詰まって、溜息が重くなる。ぽいっと思わずペンを投げ捨てた。


「あー、分からん」

「何だね、こんな簡単な問題も解けないのかね」

「……、は?」


 頭を抱えていると、横からひょいっとエルスターが手元を覗き込んできた。はれ、と目を点にしている間に、しゃしゃっと、彼がノートに単語を書き込んでいく。


「まったく。少しぼけぼけしすぎではないかね。今は、一応来たるべき期末のテストに向けて勉強をしている時なのだよ」

「あ、ああ、ごめん」


 そう。

 今日は放課後に、エルスターが急に「期末テストに向けて、分からないところを潰しておかないかね」と提案してきたのである。

 だからこそ、こうして四人で学校のテラスに集まっていたのだが、マリアが飽きたのか欠伸あくびを噛み殺した。だるそうにテーブルの上に上半身を預け、クラリスに頭を撫でてもらっている。


「それにしたって、早すぎよー。まだ一ヶ月以上あるじゃなーい。日々の授業を聞いていれば、別に慌てなくも大丈夫だと思うわ」

「ま、マリアちゃん、正論過ぎだよ。いくらエルスター君が慎重過ぎるどころか臆病過ぎて、石橋叩いて叩きすぎて割って真っ逆さまに落ちていくくらい不安になっているからって」

「ちょ、ちょっと待ちたまえ、クラリス。何だか語弊ごへいがあるのだよ! 別に、叩きすぎたら壊れることくらい分かっているのだよ!」

「……そういうことじゃないよな」


 女性陣の呆れ顔に、エルスターが慌てながら抗議するが、何だかずれているなとリヴェルは可笑おかしくなる。

 マリアの言う通り、このメンバーなら、そこまで慌てなくても大丈夫なくらいにはそこそこ勉学をこなしている。

 それでも、エルスターは何故か今日に限ってぐいぐいと強引に引っ張ってきた。他の二人も大人しく従ったし、だからリヴェルも反論はしなかった。

 それに、理由は何となく察しがつく。



 恐らく、リヴェルが気落ちしていたからだろう。



 今朝の食堂での騒動を知っているし、リヴェルも彼らに簡単にだが顛末てんまつを報告した。

 痛ましげな顔をする彼らに、無理矢理笑って授業に促したが、ずっと気にかけてくれていたのも知っている。

 最近、彼らには心配のかけ通しだ。今度、何かおごるくらいはしないと、とリヴェルが秘かに計画を立てていると。


「でも、リヴェル君。残念だったね、その、……今朝は」

「―――――」


 理由に思いを巡らせていると、今まさに考えていたところをピンポイントで突かれた。一瞬呼吸を止めてしまって、動揺を全力で呑み込む。


「ちょっとー、クラリス。せっかくエルスターが話をらしまくっていたのに。珍しい彼の気遣いが台無しじゃない」

「ちょっと待ちたまえ、マリアよ。聞き捨てならないのだが」

「でも、リヴェル君、さっきからぼーっとしてるもん。あんまり成功してないよ」

「ぐっは!」


 クラリスの毒舌に磨きがかかり、エルスターが血反吐を吐く様に崩れ落ちた。

 あらー、とマリアが憐みを向けているが、抱き起こす気配はない。二人共薄情だ。当然、自分も同罪である。


「い、いや。結構気は紛れてるぞ? 一人だともっと考え込んじゃってただろうしな」

「そう? なら、エルスターも役に立ったってことねー。良かったわねー」

「……何か、納得がいかないのだよ」


 復活したエルスターが、恨みがましくリヴェルを見上げてくる。何故そこで自分に八つ当たりするのかと、笑ってしまった。――本当に、彼らのおかげで自分の気は紛れている。

 だが、それはリヴェルの場合だけだ。


「……ステラも、あんまり抱え込んでないといいけど」


 彼女とは、夕方の餌やりの時に落ち合う約束をしている。何やら用事があるらしく、今日は全ての授業をさぼると宣言していた。

 まあ、彼女は何度もこの学院をループして卒業しているようだし、今更学ぶことも無いのだろう。この学院はテストの成績さえクリアすれば大抵の授業は通るので、問題もなさそうだ。


「……、でも、……」


 一体、誰が金魚を。


 結局は堂々巡りになってしまう。相談しようにも、内容が内容だけに相手は限られた。

 特に女性二人を巻き込むわけにはいかない。

 ステラと違って一般人だ。変に推理に参加して、ターゲットに加えられたりしたら、生きた心地がしない。


「ま、とにかくさ。ありがとな。確かにぼーっとすることも多かったけど、いい気分転換にはなったしな!」


 ぱたん、とノートを閉じてお礼を告げる。

 本当に、彼らには感謝しかない。ここ最近はリヴェルも落ち込む回数が多かったから大変だっただろうに、見捨てずにそばにいてくれた。頭が上がらない。


「でも、大丈夫だよ、リヴェル君」

「え?」


 にこにこと笑いながら、クラリスが人差し指を立ててくる。

 何が大丈夫なのだろうと、首を傾げていると。



「だって、金魚なら、また飼えばいいんだから」

「―――――」



 刹那的に、時間が凍り付いた様に止まった。耳が音を拒否する様に、変な雑音を乱打する。

 あまりの言葉の暴力に、リヴェルの思考が追い付かない。錆び付いた様に止まってしまった頭を無理矢理動かして、クラリスの今し方の意味を反芻はんすうした。


 でも、大丈夫。

 金魚なら、また飼えばいい。



 そう、彼女は言ったのだろうか。



「……、クラリス?」



 一縷いちるの望みを託す様に、声をかける。冗談だと、今からでも撤回して欲しかった。

 なのに。



「だって、もう死んじゃったのは仕方がないよ。さみしいけど、終わったんだもん。だったら、また新しく飼えばいいんだよ」



 あっけらかんと言い切る彼女に、リヴェルの口が中途半端に開いたまま固まる。エルスターもマリアも、同じ様に彼女を見つめて石像の様に硬直していた。言葉が見つからないらしく、瞬きすら忘れている。


 彼女の言葉は、確かに一理あるかもしれない。


 終わってしまった命を、いつまでも悔やんでいても前は向けない。それは、とても強い前向きな思考として考えることも可能だ。

 けれど、死んだその日に気持ちを切り替えるのは、流石に無理がある。

 ステラが可愛がっていた金魚だ。リヴェルがステラと一緒に、覚悟を背負って取った金魚だ。



 それを「仕方がない」の一言で、決して終わらせたくはなかった。



「また、新しく、って。……そんな、使い捨てみたいに言うなよ」



 少し、責める様な口調になってしまった。

 即座に後悔したが、しかし後悔を打ち消すほどの衝撃がすぐに上回った。


「どうして?」

「……え?」

「だって、たかが金魚だよ? いくらでも代わりはいるもん。また、お祭りで取ればいいだけだよね?」

「――――――――」



 たかが。



 彼女は、そう言っただろうか。

 たかが金魚。

 金魚は、人に比べればわずかな時間しか生きられない生き物だ。人によっては、確かに『たかが』なのかもしれない。

 だが。



〝最近、かわいい〟



 たかが、と片付けるのは命への冒涜だ。



 その命に対して、その命を愛した者に対して、一番失礼な考え方だ。


「だからね、リヴェル君。今度――」

「やめてくれ、クラリス」

「一緒に、って、え?」

「たかが、って言うな。全ての命に、『たかが』なんていう命はない」


 真っ向から睨み据え、リヴェルは強い語気で言い切る。

 彼女は、きょとんと目を丸くして見つめ返してきた。その瞳は本当に「まるで分かっていません」と豪語するかの様に純粋だ。


 その瞳に、かつてのステラを思い出す。


〝たかが猫を助けるために、自分の命を投げ出すなんて。馬鹿以外の何者でもない〟


 そう。

 彼女は猫のことを、『たかが猫』と称したことがある。自分が、猫を助けて己を危険にさらした時だ。

 けれど、彼女は後で反省していた。リヴェルの言葉を真摯に受け止め、理解しようと努力していた。

 なのに。


「クラリスにとっては、たかが、かもしれないけどな。俺やステラにとっては、たかがじゃない」

「……えっと、リヴェル君?」


 彼女には、何故か通じない。


 今まで、そんなへだたりを感じたことは一度も無かった。彼女は普通に笑いたいことに笑い、悲しいことに悲しみ、気遣う時に気遣う、優しい人だと思っていた。

 それなのに、何故だろう。



 今、目の前にいる彼女は、まるで別人の様に映った。



 命を、たかがと平気で口にする彼女。

 そして、自分が怒っても、何故そんなに怒るのかと突き飛ばす様な反応。

 その全てに、リヴェルは強い衝撃を覚えた。湧いて出てくる暗い熱に、溺れない様に必死になる。


「ステラが飼っていた金魚も、俺が昨夜取ってきた金魚も、他の金魚とは違う。たった一つしかない命だ」

「……」

「だから、……そんな残酷な言葉、君の口から聞きたくなかったな」


 ノートや専門書を乱雑にバッグにめ、急いで席を立つ。ここにいたら、怒りが爆発して彼女を傷付けてしまいそうだった。


「ま、待ちたまえ、リヴェル! ああ、マリア。すまないが、後は頼む」

「わ、分かったわ」


 後ろから慌ただしいやり取りと足音が聞こえてきたが、止まれない。今止まったら、溢れ出すものが次から次へと氾濫はんらんして、何もかも吐き出してしまいそうだ。

 エルスターが息を切らして隣に並んでも、足を運ぶ速度は緩めないまま。リヴェルはひたすら、この学院から出るために歩き続けた。






「……クラリス」


 リヴェルとエルスターが去って行くのを見送りながら、マリアは不安気に彼女を呼ぶ。


 今日は、本当に彼女の様子がおかしい。


 特に、リヴェルがステラと良い雰囲気になったあの夜からだ。まるで吹っ切れた様に、前にも増して明るくなったが、その振り切れ具合が不穏な方向に突っ走っている気がする。

 クラリスが、リヴェルを好いているのは知っていた。

 エルスターも気付いていて秘かに応援はしていたが、彼女は奥手な上に、リヴェルも唐変木とうへんぼくに輪をかけた様な鈍さで全く進展はしていなかった。



 マリアとしては、彼女とリヴェルが上手くいけば良いと思ってはいた。



 ただ、強制をするつもりも無かった。

 恋愛とは、時と運と人を選ぶ。

 柄ではないが、その人が待つ運命の相手という者も実際にいると思っていた。生きている間に会えるかどうかは分からないが、会えなければそれこそ時と運が勝負を分けると考えている。



 そして、恐らくリヴェルは出会ってしまった。



 クラリスがもたもたしている間に、彼はステラと惹かれ合ってしまった。

 可哀相だとも感じていたが、どうしようもない空気も嗅ぎ取っていた。

 あれでも、リヴェルはそれなりに人気がある。家柄にすり寄る者しかり、彼自身のさりげない優しさに惹かれる者然り、様々だ。

 それでも彼は、一向になびかなかった。生い立ちが多分に影響していただろうが、恋をして結ばれるということ自体を諦めている節があった。



 なのに。彼は、恋をした。



 そして、少しだけ雰囲気が強くなった。たくましくなった、と評しても良いかもしれない。

 マリアから見ても、あの二人に割って入るのはご免被る。クラリスだって、それを感じていただろう。

 だが。


「……最初から、こうしていれば良かったんだよね、マリアちゃん」


 二人が去った方向を見つめたまま、クラリスが呼びかけてくる。

 その横顔はいつも通り、明朗活発な彼女のまま。

 それなのに。



「わたし、やっぱりリヴェル君、好きだなあ」



 どこか、底冷えするほどの陰を、横顔の奥に垣間見た気がした。

 ぞっとするほど暗い、底なしの闇が彼女の中に渦巻いている。まとう空気もうっすらとうごめいており、触手の様にうねって、今にも自分の喉元を締め上げそうな錯覚に陥った。


「クラリス。あなた、まだ」

「アタックするよ。だって、好きだもん」


 にっこり笑って、クラリスが不退転を述べる。

 友人なら、応援すべきだろうか。


「それでね」


 しかし。何故だろうか。



「いつか、ちゃーんと、リヴェル君に振り向いてもらうんだ」



 今、猛烈に、後先考えずに逃げ出してしまいたい。

 そう心の底から怯えてしまう自分を、マリアは抑えることが出来なくなっていた。


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