第42話


「……、よし」


 穴を二つ掘り、金魚を埋め、リヴェルはその上に墓石を立てた。

 ステラと一緒になるべく形の良い丸い石を探し当て、金魚の供養にと並べる。

 墓は、木陰に目立たない様に立てた。

 本当は日の当たる場所が良かったのだが、ここはリヴェルとステラだけの裏庭ではない。万が一倒されたら困ると思い、良い場所を選んだつもりだ。


「……安らかに」


 ささやいて、リヴェルは両手を合わせて目をつむる。隣に並ぶ気配も静かだ。恐らく彼女も、同じ様に黙祷もくとうを捧げているのだろう。

 何故、金魚が犠牲にならなければならなかったのか。

 自分がすくってしまったからだと、何度も己を責めそうになっては首を振る。

 そうではない。何でも自分のせいにして逃げるのは終わりにする。

 そう決めたからこそ、リヴェルは強く前を向かなければならなかった。


「……、ごめんなさい」

「え?」

「私が、散歩に出たから、……」


 ぽつりと、ステラが静かに零す。

 振り向くと、彼女は淡々と目を伏せていた。

 彼女の睫毛まつげが微かに震えている。泣きそうだな、と胸が締め付けられる様に痛み、リヴェルは無意識に彼女の頭を引き寄せた。


「違うぞ」

「……」

「ステラが謝ることじゃない」


 こつん、と額を軽く合わせる。

 瞬間、彼女は唇を短く震わせた。彼女の痛みが苦しいほどに空気を通して伝わってきて、リヴェルは頭を優しく撫でる。


「悪いのは、金魚の命を奪った奴だよ」

「……、でも」

「それに、金魚がいなくなっても俺の覚悟は変わらない。……ステラは? もう一緒に歩いてくれないのか?」


 少し意地悪だろうか。

 思ったが、彼女の本音を引きずり出したいから撤回はしない。じっと彼女の瞳を覗き込んで言葉を待つ。

 彼女は、そろそろとリヴェルを見上げ、揺らいだ瞳を真っ直ぐに固定する。

 いつでも凛と前を向く、彼女の強さは健在だ。間近で貫かれるこの黒い輝きに、リヴェルは何度だって魅せられる。


「ううん」

「……、うん」

「一緒に、……リヴェルと一緒に歩く」


 強い口調で言い切ってくれた。

 彼女の熱い決意に、リヴェルはたまらず破顔した。思わず抱き締めそうになって――根性で肩を抱くだけに止める。これ以上不埒ふらちなことをしてはいけない。



 何しろ、自分達はまだ恋人ですらないのだ。



「……っ、俺って、本当……っ」

「リヴェル?」

「いや、……何でも、無いぞ」


 しぼり出す様に声が低くなった。

 ステラが不思議そうに首をこてんと傾げているのがまた可愛くて、リヴェルは激しく悶絶する。恋人だったならここで抱き締められたのにと、遠吠えの様にうなった。


 何故、自分は祭りの日に「好きだ」と言わなかったのか。


 己の情けなさを思い出し、リヴェルは心の中で盛大に頭を抱えた。好きだと告白するタイミングも逃しまくっている。

 これでは、想いを告げられるのはいつの日か。誤解されない様に時と場所を考えなければと、リヴェルは改めて心に誓う。


「……、でも……」


 一通り悶絶し終わって、頭が冷えた。

 改めて金魚の墓を見つめていると、疑問が次から次へと湧いてくる。


「どうして、こんなことしたんだろうな……」


 わざわざステラの部屋に忍び込み、二匹の金魚だけを持ち出し、殺した。

 随分と手が込んでいる。そもそも、何故金魚を狙ったのだろうか。


「ステラ。……犯人って、分かるか?」

「……、……魔法の匂いが微かにした。だから、魔法使い、もしくは成れの果てだと思う」

「……、そっか」


 一般人ではない。

 ならば、今まで自分達を狙ってきた人物なのだろうか。えて裏庭を現場にしたのだ。その確率は高い。

 自分達ではなく、金魚にした理由。

 尽きない疑念に、リヴェルは忘れかけていた恐怖が呼び覚まされるのを自覚した。


 初めて操られた青年に攻撃された時。

 倉庫に一人で閉じ込められた時。

 前に絡んできた人物が目の前で爆発した時。


 どれも、一歩間違えればリヴェルは死んでいたかもしれない。

 自分は、常に危険な死と隣り合わせなのだ。

 ステラといる自分。ステラと共に取った金魚。

 その金魚をわざわざ殺した意味。



 この金魚の死は、リヴェルへの最後の警告の様にも思えた。



「……考えすぎかな」



 全て憶測でしかない。確固たる証拠など何処にも無いのだ。

 だが、間違いであるという証拠も無い。それが更にリヴェルの恐怖をあおった。

 昔は金魚が死んだ時、大切な人がいなくなってしまったけれど。

 今度は。



〝あんたの父は死んだよ〟



 ――今度は。



「……リヴェル」

「――っ」



 声をかけられ、びくりとリヴェルの体が跳ねる。

 ステラが少しだけ怯えた様に目を丸くしたのを見て、慌てて彼女の腕を掴んだ。ここでまた離れられては、後悔してもしきれない。


「ごめんな。……想像で恐がるなんて、子供だよな」


 ふるふると頭を振って、悪夢を散らす。これ以上醜態しゅうたいさらしたくはない。

 そう思って立ち上がろうとすると、ステラが手を握ってきた。いきなり与えられた熱に、リヴェルの体が先程とは別の意味で跳ね上がる。

 きゅっと握られた彼女の手は、自分よりも小さい。伝わる肌は滑らかで、とても熱かった。


「す、ステラ?」

「……」


 話しかけるが、彼女は少しだけ俯いて、決してこちらを見ようとはしない。


 いつかの夜と同じだ。

 しかし、あの時とは違う。手だけは、決して離さずに自分を強く求めてきた。

 きゅうっと更に握り締められ、彼女の手が震えていることに気付く。

 そこでようやく、ああ、そうか、とリヴェルは目を伏せた。



 ――彼女も、恐いんだな。



 思い至って、リヴェルは己の弱さにまた気付く。呆れを通り越して自分自身を踏み付けたくなった。

 リヴェルが彼女を失うのが恐い様に、彼女だって自分を失うのを恐がっている。

 そして、リヴェルが魔法や魔法使いを恐れれば、彼女はあの夜を思い出して怯えるのだろう。――また、突き放されてしまうのだろうかと。



 そんな風に彼女に傷を残したのは、他ならぬ自分だ。



 あれは一生消えない、己の罪だ。どれだけ彼女と強く結ばれたとしても、リヴェルは生涯背負い続けるだろう。

 そして、きっとこれからも自分は彼女を傷付ける。



 何故なら自分は、魔法や魔法使いを、これからも恐がるからだ。



 何て酷い人間だろうか。傷付けながらも彼女を求める自分は、本当に浅ましい。

 それでも、これがリヴェルの選んだ道だ。

 彼女を手放したくない。彼女の隣を歩きたい。彼女と未来へ向かって笑い合いたい。



 彼女と、幸せになりたい。



 そのために、自分はこれからも彼女を傷付けながらも、乗り越えていこうと前を向く。誰に言われようと、もう決めた。

 それはきっと、彼女も同じだろう。だからこそ、こうして手を握って精一杯寄り添おうとしてくれている。

 彼女のいじらしさが、リヴェルにこれ以上なく勇気を与えてくれた。



 だから、きっと大丈夫。



 恐怖を振り払い、リヴェルは笑って顔を上げた。ぽんっと、彼女の頭を叩いて周りを見渡す。


「ステラ、ごめんな。もう大丈夫だ」

「……、うん」

「ほら。……猫も、心配してる」

「え、……」


 微笑んで促せば、ステラは恐る恐る周りを見て、大きな目を丸くした。

 リヴェルとステラを囲む様に、猫達がすり寄っている。自分達が見つめているのに気付き、ぴょんっと可愛らしく乗ってくる猫もいた。


「……本当」

「な? ……ほーら! ありがとな、心配してくれて。もう大丈夫だぞ」


 ひょいっと猫を抱き上げて、リヴェルは柔らかく笑う。

 抱かれた猫は、にゃーんと嬉しそうに鳴いて肩にすり寄ってきた。それを見て別の猫達もわらわらと体をよじ登ってくる。


「あはは。こら、くすぐったいぞ」

「……」

「ああ、もう。順番な。あ、こら。喧嘩するな」

「……」

「よしよし、良い子だな」

「……」


 可愛らしい猫達に囲まれて、リヴェルは至福のひとときを迎える。

 毛並みも良く、気持ちが良いこの触り心地はやはり癒しだ。影を落としていた心も明るく光が差しこんでくる。

 猫達だけではない。自分には、まだ心配してくれる友人達もいる。ウィルもいる。

 だから、まだ金魚の死は痺れるほどに痛い傷跡を残してはいるけれど。



 ――それでも、絶対に乗り越えてみせる。ステラと一緒に。



 秘かに決意しながら猫達の相手をしていると、不意に視線を感じた。

 不思議に思って見上げれば、ステラがじーっと真っ直ぐにリヴェルを視線で貫いてきていた。彼女は寄り添ってくる猫達を無表情で抱き上げながら、それでも視線だけはこちらに固定してきている。


「ステラ?」

「……」

「どうしたんだ?」


 何となく物言いたげな瞳に、リヴェルは分からずに首を傾げる。

 何かあったのだろうかと心配して、手を伸ばそうとすると。



「……、……猫になりたい」

「……、は?」



 唐突に、とんでもない願いを口にされた。リヴェルの目が点になる。


「え? 猫?」

「うん」

「どうしてだ?」

「……、……何となく?」


 疑問形で返され、リヴェルとしても返しようがない。彼女本人が答えを理解していないのならば、謎の解き様も無かった。


「そ、そうか」

「うん」

「……。……って、あ」


 辺りに鐘の音が鳴り響く。

 時計を見れば、もうとっくに一時限が始まる時間が過ぎていた。これは授業の終わりの合図である。


「ごめん。授業、サボらせた」

「いい。単位は足りてる」

「そ、そうなのか。……でも、俺ももう行かなきゃ」


 朝ご飯を抜いてしまったが、仕方がない。金魚の件であまりお腹がすいていないのが不幸中の幸いか。

 猫に別れを告げて立ち上がれば、ステラも一緒に追いかけてきた。


「送る」

「え?」

「守るって言った。リヴェルは一人になったらいけない」


 当然の様に言い切られ、リヴェルは喜びと一緒に羞恥が湧き起こる。彼女の堂々たる断言に、頼もしいと同時に不甲斐なさで頭がいっぱいになった。



 ――やっぱりそれ、俺が言いたかったな。



 君を守る。

 いつか、そう言えたならば。



 果たして生きている間に叶うのかどうか分からない願いに、リヴェルは更に肩を落とし、ステラに首を傾げられたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る