第44話


「リヴェル、待ちたまえ。僕の、体力が、持た、ないのだよ……っ」


 はあっ、はあっと息を切らしながらも懸命についてくるエルスターに、リヴェルはようやく足の速度を緩めた。

 しかし、緩めたが最後、だんだんと勢いを失くし、仕舞にはぴたりと立ち止まってしまう。一緒に気持ちも立ち尽くしてしまった。

 先程、クラリスに言われた言葉がひどく胸に突き刺さる。共にいて、友人として過ごしてきた彼女だからこそ、苦しかった。

 何故。


「……たかが、なん、て……っ」


 視線を下ろせば、バッグの持ち手にぶら下げた猫と金魚が視界に入る。

 彼女は以前、お礼にと言ってこの猫の方のマスコットをプレゼントしてくれた。自分が猫を好きなことを知っていたからだ。

 そんな風に相手を思って相手の好きなものを贈ってくれた彼女が、同じ口で金魚を「たかが」と片付けてしまう。

 その落差が信じられない。


「クラリス、……どうして」

「……リヴェル」


 二匹のマスコットを軽く手で包み込んで、嘆きを落とす。油断すると別のものも零れ落ちそうで、必死に踏み止まった。


「……、リヴェル。クラリスは、……」


 肩をぽんと軽く叩きながら、エルスターが口ごもる。

 彼女の異変とも言えるべき変わり様に、何か心当たりがあるのだろうか。すがる様に目を向ければ、彼は沈痛な面持ちで目を伏せた。


「彼女は、……」

「エルスター?」

「……もしもの時は、覚悟しておくのだよ。僕から言えるのは、それだけなのだよ」


 すまない。


 謝罪の声が、酷く暗い。闇に呑まれてしまった様に、一瞬彼の周りも黒ずんでいって、リヴェルは咄嗟とっさに彼の腕を掴んだ。

 いきなり腕を掴まれて驚いたのか、彼が目を丸くしてこちらを見つめてくるが、構ってはいられない。


「エルスターは悪くないだろ。謝らなくていいからな」

「……、だが」

「言えないことなんだろ? なら、今は言わなくていいさ。もし伝えられそうになったら、教えてくれよな」


 にっこり笑ってリヴェルが安心させる様に笑う。

 言えないことなのか。それとも。



 ――言えるとしても、言いたくないことなのか。



 どちらかと言えば後者の気がしたが、えて指摘はしなかった。

 言葉にするのに途方もない勇気が必要になる時は、誰にだってある。自分だってそうだったのだ。王族であるエルスターは相当だろう。

 だが、彼はリヴェルの言葉に益々顔を苦く潰していった。自分の言葉に落ち度があったかと不安になる。


「エルスター?」

「……お前さんはもう少し疑うべきなのだよ、色々」

「疑うって、……疑って欲しいのか?」

「そう思う時もあるさ。お前さんは、騙されやすそうだから心配になるのだよ」


 いっそ、疑ってくれた方が。


 そんな言い草に聞こえて、リヴェルは視線を一度下げる。

 確かに、彼は隠し事が多い。口ごもることもあるし、問い詰めても絶対に答えない時もある。



 だが、決して嘘は吐かない。



 彼は、彼なりに誠実であろうとしている様に思えた。

 だからこそ、リヴェルは彼を信じている。

 しかし。


 ――何で、そんなに苦しそうなんだ。


 眉間にしわを刻み、エルスターはこちらを見ようとはしない。己を責める様な雰囲気は、見ているリヴェルの方が胸を押し潰されそうになる。

 話せないならば、せめて軽く出来ないだろうか。

 その思いから、リヴェルは一つの質問を口にした。


「じゃあさ、一つ聞いてもいいか?」

「……何だね。答えられることなら」

「何で、ステラのことが嫌いなんだ?」

「――」


 案の定、彼の息が止まった。表情も停止した。なかなかに分かりやすい動揺である。

 これも教えてはもらえないだろうか。

 リヴェルとしては特にどちらでも構わなかったが、エルスターは一度強く目を閉じてから、細く長く息を吐き出した。

 そして、盛大に不快そうに眉間にしわを刻みまくってから、ぼそりと心情を吐露し始める。



「……僕は、魔女殿ではなく、魔法使いそのものが嫌いなのだよ」



 大きくも小さくもない、極めて普通の声量だった。

 しかし、真っ平らな声音は、努めて感情が出ない様に制御している。それが強く伝わってきた。

 その、深い憎悪を裏付ける様な声に、リヴェルは口をはさめなくなる。


「まあ、魔女殿に関しては、それだけではないのだけどね。言っていたらキリが無いから割愛するのだよ」

「……」

「そもそも、魔法使いが不老になったのは、始祖が原因なのだそうだよ」


 始祖。


 それは、前にステラが口にしたことがある単語だ。

 魔法使いは、気が遠くなるほどの悠久の時を生きる中で、人と同じ様に生きることを望んだ。

 だから、それを叶えるために理性で人にしたのだ、と。

 逆に言えば、理性が無くなったらもう、その魔法使いは人でなくなる。そう、言っていた。

 そして。



〝誰かに恋をして、添い遂げる〟



 そうすれば、人と同じ寿命を手に入れられる。

 最初の魔法使い――つまり、始祖が子孫に残した希望だと。ステラはそう言っていた。

 だが、エルスターは言う。

 始祖は、魔法使いを不老にした諸悪の根源なのだと。


「不老は、始祖が身勝手な願いを行使した末の、副作用みたいなものだったと言われているのだよ」

「……、副作用?」

「何を願ったかは知らないがね。結果、始祖とそれに連なる者が全員不老になり、ごく普通の人生をこいねがった者達まで巻き込んだ。はた迷惑な連中、というより、傍迷惑な奴なのだよ」


 淡々とした声が、ところどころでぶれる。

 彼はよほど魔法使いに憎悪を抱いているらしい。ウィルは魔法使いに、むしろステラに好意的だったが、ウィルと仲の良い彼がその正反対の位置にいることが不思議に思えた。



「魔法使いが嫌いなのだよ。魔法もね」

「……」

「僕の母は、魔法使いに手籠てごめにされたのだよ」

「―――――」



 いきなり予想を遥かに超えた真実を暴露された。

 リヴェルの思考が一気にパンクする。理解の範疇はんちゅうを超えていた。

 彼の顔は、まっさらだ。怒りも悲しみも憎しみも、何物も感じさせないほどの無を保っている。

 だが、それは裏を返せば、表にあらわに出来ないほどの様々な感情が渦巻いているという証に他ならない。リヴェルの心が、じわじわと不快な圧迫感で潰されていった。


「その魔法使いは、理性が飛ぶ寸前だった様でね。まあ、始末されたよ」

「……」

「母は、僕を産んだ。何故産んだのか分からなかったのだよ。殺せば良かったのに、わざわざ苦しみの対象を生み出した」

「……エルスターっ」

「事実なのだよ。実際母は、最初の頃は相当苦しんでいた。小さい僕を見るたびに、殴りかかりそうになるのを必死に抑え。けれど、そうはせずに、……抱き締めて。今ではもう、笑って僕と話せる様になって、がばっとはばらずにところ構わず抱き締めてくるのだよ」



 とても、強い人だ。



 語る眼差しがほんの少しだけ和らぐ。細まる瞳は、心なしか揺れていた。

 現在進行形ということは、母親は恐らく生きているのだろう。そして、関係は良好なのだ。

 それが、どれほど凄いことなのか。リヴェルには想像しか出来ないが、彼の滲む様な語り口から痛いほどに伝わってきた。


「だからこそ、一層魔法使いが憎いのだよ。……あれだけ強く、優しい母に、生涯癒えない傷をつけた奴が許せなかった」

「……」

「今、母は愛しい伴侶はんりょも得て、幸せになってはいるけれどもね。それでもやはり、……許せないのだよ。魔法使いに連なる者は、全て」


 ぐっと拳を握り締め、彼は仇を見る様に視線を落とす。

 その瞳には、暗い炎が揺らぎ、くすぶっていた。

 まるで自らを通して全てを焼き尽くす様な激しい感情に、リヴェルの心がたまらず悲鳴を上げる。思わず彼の拳を覆い被せる様に握った。

 弾かれた様に彼が顔を上げたので、少し軽はずみだったかと後悔もしたが、引きたくはない。


「エルスター」


 呼びかけて、リヴェルは口をつぐむ。

 こんな時、何を言えば良いのか。何を口にしても慰めるどころかあおるしか無い気がして、ひるんでしまう。

 だが、一つだけ、確かなことがある。

 それは。



「それでも俺は、……君が大切だと、思うよ」

「……、――」



 彼は、自分にとって大切な大切な友人だ。



 どんな生まれであったとしても。例え、どれほど彼ら親子が苦しんできたとしても。そんな彼に自分は何度も助けられ、救われてきたのは真実だ。

 彼がいなければ、今自分はとても平坦で、色の無い世界を歩き続けていただろう。



 生きるでもなく、死ぬでもない。ただ息をするだけの存在になっていたはずだ。



 ステラに興味を持つことも無かったかもしれない。こんな風に、友人と過ごす日々だって考えられなかっただろう。

 そんな幸せになるキッカケをくれたのは、間違いなく彼だった。そして、彼を生み出してくれたのは、どんな嫌な事件であれ、彼の母親だ。


 感謝している。


 だが、どれも言葉にした途端、陳腐ちんぷな内容に成り果てる気がする。

 どうして自分はこう、下手くそなのか。今まで積極的に人と交流してこなかったことを激しく悔やんだ。


「……ふふっ」


 手をつかんだまま微動だにしないでいると、笑う様に彼が揺れた。

 顔を上げれば、彼は自嘲気味に、苦しそうに、けれどほんのりと和らいだ様な色を乗せて額を押さえている。

 傷付けてしまっただろうかと懸念けねんが過ぎったが、彼は、はあっと大きく息を吐き出した。


「嫌になるね。こんな時なのに、お前さんの考えてることを、都合良く解釈しようとする自分がいるのだよ」

「……、都合良く、ないぞ、きっと」

「そうだね。お前さんは、強くなったよ。入学式の時よりずっと、……頼もしくなった。性格はそのままなのに、不思議だね」


 心底不可解そうな声に、リヴェルも頬を掻く。自分ではあまり自覚が無い。強くなりたいと願う様にはなったが、それだけだ。

 疑問がそのまま顔に出ていたのだろう。エルスターは、面白そうにくしゃりと笑って、頭をわしわしと豪快に撫でてきた。豪快過ぎて痛い。


「おい、やめろよ。痛いぞ!」

「受け取っておきたまえよ。……おかげで、落ち切らずにすんだのだよ」


 最後は、聞こえるか聞こえないかくらいの、小さな小さなささやきだった。

 けれど、近くにいたリヴェルはきちんと拾い上げる。彼の緩んだ様な吐息に、ほっと胸を撫で下ろした。


「まったく、お前さんはお人好しだね! いつか騙されても知らないのだよ」

「別に騙されたりなんかしないぞ! 騙されたら、まあ、俺の責任だが」

「はあ。だから、魔女殿と仲良く出来るのだろうね。理解に苦しむのだよ」

「そうか?」


 本気で首を傾げれば、益々エルスターの目が半眼になっていく。彼なりに気遣ってくれているのも分かったので、文句は垂れないことにした。


「ありがとな、エルスター」

「うむ? 何がかね」

「俺も少し落ち着いた。……クラリスの変貌とかは、まだ受け入れられないけど。今は、自分がやるべきことをやろうと思うよ」

「うむ、それがいいのだよ」


 彼女と次に顔を合わせたら、どんな会話になるだろうか。そもそも、彼女は自分の伝えたかったことを理解してくれているだろうか。

 分からないが、表に形にしなければ、伝わるものも伝わらない。

 ならば、根気強く言葉に出さなければな、と決意した、その時。



「――リヴェル! 飛びたまえ!」

「――、えっ」



 鋭く指示され、リヴェルは反射的に横に飛んだ。

 直後。



 どおんっと、桁外れの爆風が少し前にいた場所で巻き起こった。


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