第6話


「実はな。今朝……裏庭に、ステラが来たんだ」

「―――――」


 友の優しさに触れ、意を決してリヴェルが切り出した瞬間。



 場の空気が、一気に強張った。



 特にエルスターとクラリスの周りは氷点下まで一気に落ち込んだ様に凍り付き、リヴェルは内心で跳ねた。切り出し方が悪かっただろうかと、不安になる。


「お、おい。どうしたんだ?」


 聞いてみるも、全員無言。

 これは、本格的に順序を間違えただろうかと、だんだん口に出したことを後悔し始めた時。



「い、いや。もう呼び捨てとは、……やるのだよ」

「……、は?」



 何だか予想外の方向から驚愕が来た。

 訳が分からないまま、リヴェルが何ら反応が打ち出せずにいると。


「あの黒き魔女殿を呼び捨て……やはりタラシなのだよ」

「は?」

「り、リヴェル君……やっぱり、いやらしい」

「……はっ!?」


 わなわなと震えだす爆弾発言に、リヴェルは爆風に吹っ飛ばされた様な衝撃を受けた。

 何故、そんな着眼点になるのか。話が違う。

 助けを求めてマリアを見てみるが、彼女は面白そうに目と口を細めて笑うだけだ。薄情極まりない。


「何でマリアもそんな顔なんだ!」

「えー、だって。昨日の今日で、もうそんな深い仲になるなんてねー。お姉さん、ビックリだわー」

「ち、違うぞ! いや、ステラっていうのは、相手が呼び捨てにしろって言うから!」

「ふーん」

「敬語にしたら、敬語は嫌いって言うし。だから呼び捨てなんだよ。断じて! いやらしくない! エルスターじゃあるまいし!」

「まあ、確かに。エルスターじゃあるまいしねー」

「う、うん。エルスター君じゃないしね」

「そこは同意するのかね!」


 いつの間にか標的にされたエルスターががなるが、女性二人は「うんうん」と頷き合う。結託した女性ほど恐ろしいものはない。

 彼女達には魅力が通じない、と何故か泣き崩れるエルスターはリヴェルも放置し、女性の結託を逸らすために続きを口にした。


「俺も、最初混乱してさ。猫に餌をやっていたら、いきなり猫たちがうなるから、……」


 その上、猫達は何故か自分を守る様に布陣を敷いていた気がする。

 本来なら自分が彼らを守らなければならない立場なのにと、嬉しいやら悲しいやら複雑な気分だった。


「ふーん。それで? 猫ちゃんたちが唸って、どうしたのー?」

「ああ。ぼけっとしてたら、いきなり金魚を突き出してきたんだ」

「金魚? どうして金魚なのかしらー」

「さあ。何か、通りすがりの知人に、投げて寄越されたって言っていたが」

「投げ……っ、投げては駄目ではないかね! その金魚がメスだったら、丁重に扱わねば」

「……君、それしか頭にないのか」

「当然だろう! 女性は、清く、正しく、美しく! 丁寧に扱うべき可憐でささやかな花なのだよ!」


 手の平を掲げ、太陽に捧げる様に膝を付くエルスターに、リヴェルは「そうか」とだけ返した。

 時々別世界の住人になる彼に、いちいち付き合っていては神経が持たない。


「で、猫に餌をやっている変な輩が裏庭にいるから、餌として持って行ったらどうかって知人に言われて俺に持ってきたんだと。……あああ、その知人! 金魚を餌にするとか、許せん! 今度誰だか聞き出さないとな!」

「り、リヴェル君。落ち着いて」

「うーむ。お前さんの怒りはもっともだが、……その知人も斬新なのだよ。まあ、リヴェルが変な輩というのはその通りだがね」

「さりげにリヴェルのことおとしめてるわよねー。ま、変なのは事実だけど」

「そうだね。変わってるもんね」


 三人も大概たいがい酷いと思う。

 だが、ここまで忌憚きたんなく言い合えるのも、彼らだからだ。その他大勢では、こうはいかない。


「しかし、金魚を餌にしろと言われて、餌にどうぞと言ったのかい? 魔女殿、素直だね」

「ああ、素直だと思う。それで、俺が猫に、金魚を食べるなって言い含めていたら、会話できないのに会話するなんて馬鹿なのかって言われたし。馬鹿だ馬鹿だ言われたし」

「……、……お前さん、実はかなり怒っていないかね?」

「怒ってるぞ。金魚投げて寄越したり、餌にって言ってきたり、馬鹿って言われたり。初対面でいきなり何なんだ! ……実は、怒鳴ってしまったんだ」

「まー」

「え、ええ?」

「……ほう」


 意外そうに三人に目を丸くされ、少し居心地が悪くなる。特に、エルスターなどは観察する様に目を細めてきたので、椅子から立ち上がって逃げ出したい気分になった。

 だが、ここで逃げても仕方がない。観念して、洗いざらいぶちまける。


「だから、最初、俺が金魚を飼うって言ったんだが。急に、彼女が飼うって言い出したんだ」

「え、そうなの? あの人、そんなこと言いそうにない感じだったよ」

「ああ。俺も、最初ビックリしたよ。……でも、理由にもビックリしたな」


 思い出して、少し笑ってしまった。その時に心をくすぐった喜びがよみがえって、目を伏せる。

 だから、その時にクラリスの顔が曇ったことに、リヴェルは気付かなかった。


「ちょっと、俺、酷いこと言っちゃったんだ。金魚を餌にする奴なんかには、俺の気持ちなんて分からないだろって」

「おお。リヴェルよ、勇ましく聞こえるぞ」

「勇ましいもんか。でも、そしたら、……金魚を飼えば俺の気持ちが分かるかもしれないから、飼うって言ったんだ」

「……まー。あらあら」


 今思い返せば、あれは謝罪だったのだろうか。

 直接「ごめん」と言われたわけではないが、傷付いたのだと認識はしてくれた。分かろうと、努力もしてくれた。

 都合の良すぎる解釈かもしれないが、努力は本物だ。ならば、リヴェルにとってこれ以上の謝罪は無い。


「ふーむ。じゃあ、金魚は魔女殿に?」

「ああ。一応、飼い方は教えた。分からなかったら裏庭に来てくれって言ってある」

「あらー。ずいぶん世間話っぽいわねー。あの先輩、普通の話もするのねー」

「……何だか、みんなの認識、やっぱり酷くないか?」

「仕方ないだろう。彼女と世間話をしているところなど、みんな見たことはないはずだからね」

「それに加えて、エルスターは光の速さで逃亡したものねー」

「だ、だだだだから! 忘れたまえ!」


 わたわたと顔を上気させながら両手を振るエルスターに、マリアがおかしそうに手を口に当てる。クラリスが呆れて溜息を吐いているが、口の端が少しだけ上がっていた。

 相変わらず仲が良い。彼らといるだけで、気持ちが明るくなる。


 いつか、ステラとも、こんな風に打ち解けられるだろうか。


 願うと同時に、どっしりと重石を落とされた様に、気分が潰される。



 ――魔法使い。



 昨夜の、残忍な事実。

 美しい中庭の光景が無残に抉られ、血が流れた場所。

 考えるだけで、周囲が陰る様に落ちた。


「リヴェル君?」

「……っ」


 クラリスに呼びかけられ、我に返る。

 恐らく、そのまま心の暗さが顔に滲んでしまったのだろう。心配をかけてしまって、落ち込みたくなる。


「……さっき、クラリスに言った似た様な話ってさ、ステラのことだったんだ。何か、思い出したら腹が立ったりして、色々、……考え込んじゃってさ」


 やはり彼らには話せない。

 魔法使いの件は、未だにリヴェル自身も呑み込めていないのだ。ぼかして、上手く伝えられる自信も無かった。

 彼らも、自分の様子に納得したわけではないだろう。

 しかし、話せるところまでは話したと信用はしてもらえた様だ。仕方ないな、とエルスターが少し方向性を変えてくる。


「そういえば、彼女と話したのなら、例の『質問』はされたかね?」

「え? ――」


 質問。

 一瞬何のことか分からなくて首を傾げたが、すぐに思い至った。

 だが、その質問すらも昨夜の事件に直結して、リヴェルの喉が嫌な音を立てる。


「……、えっと」

「その様子だと、されたのだね。何て返したのかね?」

「い、や。実は、覚えていなくて」

「え? 覚えてないの? ぼけちゃった?」

「クラリス、色々酷いぞ。でも、本当に覚えてないんだ」


 どうやって寄宿舎に戻ったかすら記憶にない。今朝だって、あの魔法使いの話の後の帰路も曖昧だ。

 魔法で忘却処理でもされたのだろうか。しかし、それならば昨夜の出来事ごと綺麗さっぱり消し去っていなければ不自然だ。

 それに。



〝死ぬのは、恐い?〟



 今、同じ質問をされたとして。

 自分は、何と答えるだろうか。



〝――あんたの父は〟



「……、俺」



 遠くに聞こえる声に、目を閉じる。

 あったはずの温もりも、目の前の微笑みも。

 みんな、みんな、遠くに置き去りにされていく。


 自分を置いて、みんなは何処どこへ行ったのか。


 リヴェルは、その答えを何一つ知らない。



「……俺、何て答えたんだろうな」

「―――――」



 恐いと答えたのか。

 それとも――。


 彼女は、それにどう返してきたのだろうか。

 知りたい気もしたし、知りたくない心地でもあった。

 教えてもらってしまえば、長年箱の中に封印して、きつくきつく閉まっていた蓋が、簡単に外れてしまいそうな気がして、恐ろしかった。

 せっかく閉じ込めたのに。己の身勝手な願いが溢れ出してしまうのは、何故か友人達に失礼だと思ったのだ。

 だから、知りたくない。



 ――向き合える様に、なるまでは。



 なれないままなら、知らない方が良い。


 いつもと異なる自分に遠慮したのか、エルスター達はそれ以上この話には触れてこなかった。


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