Episode2 夢現の不和

第5話


「ああ、君の心を惑わせ狂わせる甘い香りが、僕の理性を掻き乱す。ひっそりと瑞々みずみずしく微笑う、そんなささやかながらも凛とした君に、僕の目はどうしても惹かれずにはいられない」

「え、エルスター様……っ!」

「ほら、もっと、よく見せてくれないかね? できれば、君からあふれる甘い蜜を、唇が触れ合う距離で舐めたいのだよ。さあ、こちらへ……」

「ああ……!」

「も、もちろん……っ、ああ……エルスター様……」


 右を向けば、エルスターが街中で群がってきた少女を絡め取って、次々と気絶させており。


「あらあらー、私の美貌に見惚みとれるなんて、あなた、見どころがあるわねー。ご褒美をあげたい気分だわー」

「ま、マリア様……!」

「ああ、我らが女神様よ……っ」

「ふふ、素直でよろしい。……さ、ひざまずきなさい。可愛いあなたたちに、私自ら奉仕してあげるわよー」

「おおおおおおおおっ!!」


 左を向けば、マリアが囲まれた男性に艶めく視線を悩ましげに送り――嬉々として踏ん付けている。


 休日の午後。

 友人達と四人でリヴェルは街に繰り出したわけだが。

 行きつけになったカフェのテーブルで紅茶を啜り、クラリスと一緒に遠い目で、二人の手癖の悪すぎる行為を眺める羽目に陥った。

 エルスターに触れられた少女は、頬を上気させながら眩暈を起こして倒れているし、マリアに意味ありげに見つめられた男は、ひどく興奮した後にヒールのある靴で踏み付けられ、歓喜の涙を零している。

 リヴェルにはさっぱり理解不能な彼らの反応に、紅茶を啜る以外にやることがなかった。

 時折、エルスターのせいで倒れてしまった少女を助け起こしたりもするのだが、余計なお世話だろうかといつも迷う。

 が、女性を倒れさせたままにしておくわけにもいかないし、迷惑がられない限りは続けようとも思っていた。


「なあ、クラリス。俺さ、友人よりも、二人を取り巻く彼らの反応の方が分からないんだが。変か?」

「ううん。わたしも分からないもん。特に、マリアちゃんにヒールで踏まれている男性。真正のMだよね」

「ああ」


 次々と踏まれていく男性の狂喜乱舞っぷりに、リヴェルはそっと視線を外した。友の高らかな笑い声も、根性で遮断する。清く正しく美しい友情を保っていたい。


「クラリスみたいに、まともな感性の友人がいて、俺は幸せだな」

「え! ……う、うん。わたしも、リヴェル君みたいに話の合う恋び……う、ううん! ゆ、ゆゆゆ友人が! できて、嬉しいよ!」


 少しだけ動揺した様に肩を跳ねさせ、何故かどもりまくりながらカップで口元を隠して微笑むクラリス。

 彼女の言動は時折おかしくなるが、それ以外はおおむね普通だ。リヴェルは少しだけ疑問に思いながらも、「ありがとな」と返す。同じ様な考えの持ち主が傍にいるのは、心強い。


「そ、そうだよ! エルスター君ばっかりモテてる気がするけどね! リヴェル君だって、すっごくいいところたくさんあるんだよ!」

「お、おう?」


 いきなりクラリスが、拳を握り締めて立ち上がる。

 何だ、と思う間もなく、彼女は握った拳をぶんぶんと上下に揺らし、空を尊く仰ぎ始めた。

 何かに宣誓する様な態度で、若干リヴェルは椅子を引く。やっぱり、彼女も普通ではないかもしれない。


「そう、リヴェル君はとっても優しいし、声がいいし、目がオレンジみたいに綺麗だし、頼もしいし、実は強いし、さりげなく倒れたり困ってる人を助けたりしちゃってるところなんか、ときめきポイントが高いし!」

「そ、そうか? あ、ありが――」

「結構鈍感すぎてれったいし、背が男性にしては少し低めだったりするけど、わたしと並んだらちょうどいい感じの背で、低めでありがとう! って思ったりするし、一生懸命アピールしてる時に限って全く聞いていないし、でも、色々可愛かったりカッコ良かったりして、もう、素敵なんだからね!」

「……、ああ、うん。ありがと、な?」


 だんだんと、褒められてるのかけなされてるのか分からなくなってきた。特に後半は、駄目出しをされていないだろうかと、少し気にしているコンプレックスを刺されて落ち込む。どうせ、背は170にも届かない。

 だが、こうして色々言い合える仲の者がいるのはありがたいことだ。

 特に、今のリヴェルには、気心の知れた誰かが近くにいてくれるという現実が、心を少し軽くした。



〝よろしく、……リヴェル・ライフェルス〟



 ――まさか、魔法使いだなんて。



 今朝の裏庭でのやり取りを思い起こし、リヴェルはまた途方に暮れた。現実離れし過ぎていて、どう処理して良いのか判断が付かない。


 魔法使い。


 名前だけは知っている。歴史の教科書にも書かれている有名な人種だ。

 魔法という、常人では扱えない奇異な現象を用い、国の危機あらば颯爽と駆け付けてくれる存在で、王族とは盟友だという話だった。

 百年前まで戦が絶えなかったこの国――ウィストラのために戦争に参加し、どの国の機関銃や戦車よりも圧倒的な力を振るった。そのおかげで、この国の地位は不動のものになったという。

 そのおかげで、今は小競り合いはあっても大きな戦争は撲滅ぼくめつされた。その頃から、魔法使いも一般人として街中に紛れているというが、真実は誰も知らない。


 その魔法使いの一人が、あの魔女と呼ばれているステラだという。


 朝は、あの時の異様な雰囲気に呑まれてしまったが、納得してしまう自分もいた。

 不思議な空気をまとい、自分達とは価値観がずれている言動。人の心の機微にも極端に疎そうだし、平気で金魚を餌にとか言う。

 だが。



〝餌にしなければ、あなたの気持ちが分かるというなら〟



 ――悪い人では、無さそうなんだよな。



 昨夜の出来事は恐怖でしかないし、腹もいっぱい立てた。彼女との会話など成立するかも分からないし、正直また出会ったらどんな顔をして良いかも分からない。

 けれど。



 吸い込まれそうなほど、澄み切った漆黒の瞳。



 綺麗だと、素直に感懐かんかいを抱いた。

 どんな時でも真っ直ぐに自分を見据えてくる姿勢も、彼女が己の道を堂々と歩いている様に伝わってきて、少しだけ眩しい。


 ――自分も、いつかあんな風に、「これが自分の道だ」と歩ける日は来るだろうか。



〝あんたの意見なんか求めていないんだよ!〟



 散々祖母に否定され続けてきた自分も、堂々と胸を張れる様になるだろうか。

 夢見てしまう己を自覚し、自嘲気味に目を伏せた。


「はあ、金魚の知人のせいで、とんでもないことになったな」

「金魚?」

「え、ああ、いや。こっちの話だ」


 クラリスがきょとんと目を丸くしてくるのには、乱雑に手を振って話を切る。

 問い詰められても、あの夜の事件を暴露出来はしない。信じてももらえないだろう。あまりに非日常に過ぎる。

 しかし。



 裏庭での出来事の後は、どの様にして寄宿舎に帰ったのだったか。



 昨夜の帰りと同じで、記憶が曖昧なのがかえって恐怖を煽った。


「あ。そういえばね、金魚っていえば、この前わたしも小さなお祭りですくったんだよ」

「う、ん!?」


 切ったはずなのに、金魚の話が続けられてしまった。

 だが、嫌とも言えず、リヴェルは大量に冷や汗を背中で掻きながら、ひきつった笑顔で頷く。


「へ、へえ?」

「どうしたの、リヴェル君。何だか、顔が青くない?」

「ん! いや、気のせいじゃないか!」


 指摘されて、益々汗が噴き出てくる。

 しかし、認めはしない。強引に、話を戻したくない方向へと泣く泣く転がした。


「そ、それで? 金魚がどうしたんだ?」

「あ、うん。東の国に似たお祭りって楽しかったし、やったこと無かったしで取ったはいいんだけど、でも、飼う自信が無かったから。たまたま通りがかった知り合いに、『あげる』って渡しちゃったの」

「わ、渡しちゃった、のかー。うん」

「そしたらね、何て言ったと思う?」


 聞きたくない。


 反射的に耳を塞ぎそうになって、寸ででこらえた。嫌な予感を覚えながら、外れろとリヴェルはかつてないほどに強く念じる。

 だが、もちろん願いは叶わなかった。



「その子、『猫の餌にする』って言ったんだよ! ひどいと思わない? 思わず説教しちゃった」



 とてつもない既視感だ。



 今朝の出来事をまざまざと思い起こしてしまい、リヴェルは恥も外聞も無く突っ伏したくなった。頭を押さえただけで終えられた自分を褒め讃えたい。

 しかし、随分と似通った話だ。変な偶然もあるものだと、首を捻る。

 金魚をあげたことも、猫の餌にすると言ったことも。彼女の知人も、ステラも、ステラの知人も、思考回路が似通い過ぎている。


 ――まさか。


 一種の予感に震え、リヴェルは恐る恐るクラリスを見つめてしまった。


「……なあ、クラリス」

「うん、なあに?」

「もしかして、君、彼女と、……」

「彼女?」

「――」


 不思議そうに首を傾げるクラリスに、我に返った。ぶんぶんと首を振って、両手を上げる。


「いや、何でもない! 最近、似た様な話を聞いたと思ってな」

「似た様な話」

「ああ。……金魚を餌にって発想する奴、……もしかして多かったりするのかな」


 だとしたら悲しい話だ。

 ステラに無感動に差し出された時のことを思い出し、リヴェルの心が沈む。



〝大切に育てようね〟



 昔、一度だけ両親と共に祭りに出かけた時に、父が掬った金魚。

 自分は大切に育てようと母と約束したが、他の者はそうではないのだろうか。


「えーっと、リヴェル君」


 ぽんぽんと肩を控えめに叩かれる。

 頬杖を突いたまま視線を向けると、クラリスが困った様に微笑んでいた。心配させたかな、と申し訳なくなって無理矢理笑って見せる。


「ごめんな、暗くなっちゃったな!」

「少なくとも、わたしは餌にしようとは思わないよ」


 うんうん、と頷いてクラリスが両手を握る。

 思わず彼女の言葉に引き込まれ、リヴェルは不覚にも呆けてしまった。


「……、クラリス」

「わたしもそう思うし、リヴェル君だってそうでしょ? だからきっとね、一生懸命育てようとする人も、たくさんいるよ。大丈夫」


 ね、とにこにこ笑う彼女は、陽だまりに咲く花の様だ。

 真っ白な光をいっぱいに受けて育つ、可憐な香りを連想させる。とても可愛くて健気で、リヴェルの心を和やかにしてくれた。



 ――『彼女』とは、正反対の人。



 何かを考えるにつけ、彼の人物を思い浮かべることを不思議に感じながら、リヴェルはしおれた自分に水をくれた彼女に感謝した。


「そっか」

「うん」

「ああ、そうだよな。ありがとな、クラリス」

「うん」

「でも、祭りか。やってるなんて知らなかったぞ。今度は、みんなで行きたいな!」

「う、うん! 一緒に行こうね!」


 ぐっと両の拳を握って、クラリスがやたらと張り切って返事をしてきた。時々、彼女の張り切り具合の発揮されるタイミングがよく分からないのだが、元気なのは何よりだ。

 幾分晴れた心地で紅茶を啜る。

 ふわりと香る優しさに癒されていると、堪能したらしい満足気な顔で戻ってくるエルスターが見えた。


「やあやあ、諸君。今日も少女たちの華やかな蜜の味は最高なのだよ。実に美味い」

「エルスター。君、最低に聞こえるぞ」

「む。これは、最高の賛辞なのだよ。朴念仁なお前さんには分からないだろうがね」

「分からなくていいわ、そんなもん」


 ふふん、と得意げに胸を張るエルスターは、一刀両断にする。

 リヴェルの言葉で、ぐふっと胸を押さえてしまった彼は放置しておき、同じく満たされた顔で帰還するマリアを見やった。


「君たち、本当に似てるな。背中から刺されるなよ」

「大丈夫よー。エルスターを盾にするから」

「なるほどな」

「納得しないでくれたまえ! ほら、クラリスからも何か言ってあげたまえ!」

「え? うん。リヴェル君は、紳士だね」

「何でそっちの評価を上げるのかね! ……いや、まあ、クラリスなら当然か」

「っ、ちょっと、エルスター君!」


 顔を真っ赤にして怒鳴るクラリスに、はっはっはと爽やかに笑い飛ばすエルスター。マリアもにまにましながら彼女を見守っているし、何故クラリスが赤くなっているのか原因を知らないのはリヴェルだけの様だ。

 時折起こる現象なのだが、そろそろ自分にも教えて欲しい。仲間外れの気分だ。


「なあ、何の話だ?」

「え!」


 しかも、またどもられた。そんなに知られたくない話なのだろうか。


「クラリス?」

「え、あ、えっと! ね! あの、リヴェル君はカッコいいね! って話!」

「へ? あ、ああ、ありがとう?」

「……それだけの素直さを発揮するなら、いっそもっと素直になれば良いと思うのだがね」

「ねー。朴念仁には効果的よー」

「ちょ、ちょっと二人とも……っ、あうー……」


 意味ありげに頷き合うエルスターとマリアに、益々リヴェルの疑問が深まる。クラリスはよく分からないまま突っ伏すし、今日も謎は解けそうになかった。

 人付き合いは難しい。大学院に入るまで、あまり友人という者がいなかったリヴェルには、難解に過ぎる。

 だが、ゆっくり慣れるしかないと言い聞かせ、目の前のデザートに手を伸ばした。彼らが来るまではと、戒めていた心を解禁する。


「いただきます」

「うむ、大切に食べたまえ」

「って、あらー、リヴェルったら。またオレンジパイ?」

「ああ、好物だからな」


 ひょこっと覗き込んで手元を見てくるマリアに、相変わらずだなと苦笑する。そのまま、リヴェルは「ほら」と切り分けたパイを、彼女の口に突っ込んだ。

 んー、と幸せそうに頬張る彼女に、ちょうど顔を上げたクラリスが更に真っ赤になっていたが、いつもの光景である。みんなからお菓子をもらうのが、マリアの儀式の様なものだった。


「んー、美味しい。ここのパイは最高ねー」

「マリア、毎回リヴェルに一口ねだるのは止めたまえ」

「大丈夫よー、あなたからもクラリスからももらうから」

「うん、いいよー」

「はあ……。しかし、ほんとに好きなのだね、リヴェルも」

「ん。オレンジのパイってなかなか無いし。ほとんど家でしか食べられなかったから、メニューにあるこのカフェは大好きだ」


 薔薇の様に広がるパイを切り分け、もくもくと噛み締める。じゅわりと滲む汁の甘酸っぱさに、リヴェルの頬がとろけていった。

 オレンジの甘みと酸味、そしてクリームのまろやかさが絶妙で、どんなに曇っていた心も一気に晴れ渡っていく力がある。家でアップルパイの様に焼かれていた形とは、異なる見た目も華やかで、発見して以来お気に入りの逸品だ。

 慌ててがっつかない様に注意しながら、紅茶を楽しみつつリヴェルが楽しんでいると、席に着いたエルスターがやれやれといった風にオレンジパイを盗み食いしてきた。彼にも毎回つまむなと、一言たしなめたい。


「まあ、確かに美味いのは認めるがね。オレンジばっかり食べてるから、瞳の色もオレンジなのではないかい?」

「む。まあ、同じ色と言われて悪い気はしないな」

「……これは、治しようがないのだよ」

「まあまあ。リヴェル君、今度作ってみようか? わたしも、そろそろ新しいレシピに挑戦してみたかったし」

「本当か? 嬉しいな、楽しみにしてるぞ」

「う、うん!」


 顔を見合わせてにやにやと笑うエルスターとマリアの様子には、もちろんリヴェルは気付かない。当然、クラリスが頬に両手を当てて、椅子の上で器用に飛び跳ねていることにも感付かなかった。

 クラリスは時々デザートを作って、昼食時に振る舞ってくれることがある。かなりの腕前で、みんな密かに楽しみにしているのだ。

 そんな彼女が作るパイなら、味もかなり期待できるだろう。今から待ち遠しい。


「そういえば、リヴェル。お前さん、今朝、餌やりから帰ってきた時、元気がなかったが。何かあったのかね」

「え」


 いきなり話題を切り替えられて、リヴェルの反応が鈍った。

 しかも、まさか逃げ場のないこの囲みで話を切り出すとは思わなかった。逆に言えば、エルスターの「逃がす気はない」という意志表明でもある。

 しまったと思うも、もう遅い。マリアもクラリスも、こちらの心を覗き込む様に身を乗り出してきた。


「ふーん。リヴェル、また一人で抱え込もうとしてたわけー。いけない子ねー。お仕置きしなくっちゃ」


 かっと、テーブルの下でヒールを鳴らされ、リヴェルは飛び上がって千切れんばかりに手を振った。先程のM男達の気持ち良さそうな声が耳元でよみがえり、ひくりと恐怖で震える。

 あの、快楽の犬の如き変態には、断じてなりたくない。

 心の底からの絶叫に従い、必死に土下座する心意気で、誠心誠意弁解した。


「い、いやな? 別に、一人で抱え込もうとかはしてないぞ! 話そうと思っていた!」


 ――本当は、聞かれなければ話すつもりは無かった。


 ちらりと脳裏を過ったが、マリアの目が更に細まったので、頭を振って強引に掻き消す。


「そ、そう! 心の底から誓って思っていた! だから、ヒールはやめてくれ!」

「じゃあ、むち?」

「嫌に決まってるだろ! クラリス、君からも何とか」

「そうそう。リヴェル君、最初の頃、上級生に『愛人の息子』って言われまくっていた上に、自作自演の盗みの濡れ衣を着せられそうになったんだよね。エルスター君が主犯をぶん殴って、証拠をぶんどって、リヴェル君を猛烈に説教して、大変だったね」

「……、ああ。はい。申し訳ございませんでした」


 助けを求めたクラリスに、にこやかに前科を述べられ、リヴェルは小さくなる以外になかった。この友人達に囲まれた時点で、為す術もない。

 そう、彼女の言葉は正しい。



 ライフェルスの跡取りであるリヴェルが愛人の子だという内容は、もう既に暗黙の事実だ。



 幼き頃よりも周りに認められ、陰口も沈静化はしてきたが、それでも刺す人間は刺す。

 入学したての頃は、すれ違いざまに嫌味を言われることも多かった。何しろ、入学式当日から嫌がらせがあったくらいだ。

 ただ、それだけでは終わらなかった。


 入学から一ヶ月くらい経った頃。

 自作自演で上級生が窃盗を仕立て上げ、その罪をリヴェルに着せようとする事件が起こったのだ。


 相手は、大貴族であるライフェルス家と拮抗きっこうした立場の生徒だった。

 寮長に言い付け、大学院の責任者まで寄宿舎に駆け付け、野次馬が必然的に集まっての大騒ぎだったのを覚えている。


〝俺は、やってない! そもそも、先輩の部屋に入り込むなんて――〟


 部屋には鍵が付いている上、寄宿舎は寮長をはじめとして世話係がおり、無人になることはまずありえない。

 必死に弁解したし、現に盗んだという明確な証拠は出てきてはいなかった。

 しかし。



〝……だって。あいつ、愛人の子だろ〟



 ぽつり、と。誰からともなく、批判的な意見が上がったのだ。


〝人のもん盗んだ奴の子だし、……なあ?〟

〝泥棒の子は泥棒だろ〟

〝ほんとにやったのかも〟


 仕掛け人は、もしかしたらいたのかもしれない。

 だが、それを差し引いても、リヴェル側は愛人の子というマイナス面が目立った上に、自分の言葉に目を背ける者が多かった。


 ――ああ、またか。


 結局どこにいても変わらないと、失望もあった。すぐに抵抗の声を上げることを諦めたため、危うく冤罪になるところだったのだが。



 それを助けてくれたのが、エルスターだった。



 いつも穏やかに、女性ばかりを相手にしていた彼が、騒ぎ立てる上級生の懐に飛び込み、殴り飛ばし、瞬く間に無実の証拠をぶんどり、学院長を飛び越えて国王に直訴した。

 彼が、国王の甥だという事実も、その時初めて知って驚いたものだ。


 結果、リヴェルの無実は証明されたのだが、その後が酷かった。


 何故言葉にしないと、エルスターに怒涛どとうの勢いで叱り飛ばされた。

 周りに、特に彼に助けを求めなかったことに腹を立てられ、その時は本当に怖い顔で怒りを畳み掛けられたものだ。

 頭から雷を落とされ、彼に迷惑をかけた申し訳なさと、己の不甲斐なさと。

 けれど、この期に及んで己の言葉の力を信じきれない卑屈さと、様々な感情がい交ぜになっていた時。



〝他の輩は知らないがね! 僕は、お前さんの言葉を否定したりはしないのだよ!〟



 だから、今度からきちんと言葉にしたまえ。



 最後は泣きそうな顔で叫ばれた。

 彼の悲痛な、心からの訴えに、リヴェルの方が崩れ落ちた。


 ――ああ、そうか。



 ここでは、自分の言葉は否定されないのか。



 思って、崩れ落ちたまま、動けなくなった。

 家でも、外でも、散々言葉が届かないことだらけだった。届かないどころか、嘘だと決めつけられ、陰口の材料にまでされた。


 だが、彼は聞いてくれる。


 自分の言葉が、届く人がいた。

 聞いてくれる人が、受け入れてくれる人が、いた。

 その真っ直ぐな信頼に安堵してしまって、リヴェルはようやく、彼と本当の意味で友人になれた。

 彼の方はとっくに友人だと思ってくれていたのに、不義理だったと猛省したのも懐かしい。

 マリアやクラリスとはその前後からの付き合いだったが、自分が何か言われていると、彼女達なりのやり方で報復していたりして、頭が上がらなかった。


「……、忘れてなんかいないぞ。ただ、その、……俺が大人げないというか」


 魔法使いの話など、して良いのかも判断が付かない。

 だから、どうしたものかと考え込んでいると。


「別に、話せるところまでで良いのだよ。誰しも、人には言えない秘密の一つや三つや百はあるだろうからね」

「百もあるのー。最低ねー」

「うん、最低」

「なっ! も、ももも物の例えなのだよ!」


 マリアに揚げ足を取られ、エルスターの挙動が途端に怪しくなる。どうして毎回締まり切らないのだろうとおかしくなるが、彼らしくて和んだ。

 ――話して、みようか。

 どうせ彼らに隠し事は無理だし、とリヴェルも腹を決めて座り直した。



「実はな。今朝……裏庭に、ステラが来たんだ」

「―――――」



 切り出した瞬間。

 場の空気が、一気に強張った。


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