第27話


 最近、一日がひどく味気ない。


 あの惨劇が起こった夜から一週間。リヴェルは絶えず、心にぽっかりとした虚無を抱えたまま日々を過ごしていた。

 だが、それでも学生の本分を忘れてはいけない。エルスターに叩き起こしてもらい、今日も今日とてノルマである授業をこなしていた。ようやく授業が終わったと、体を伸ばす。


「んー……やっと休み時間か。長かったな」

「リヴェルよ、欠伸あくびをしすぎなのだよ。教授が時折ぷるぷる震えていたのに気付いていたかね」

「ぐ。……眠かったんだよ。仕方ないだろ」

「まーまー、大丈夫よー。エルスターなんか、授業に飽きてノートに落書きしてたからー」

「わー、かわいいー!」

「ぬあっ! マリア、クラリス! 返したまえ!」


 リヴェルの素行の悪さを注意していたエルスターが、あっという間に立場を叩き落とされていた。マリアとクラリスにきゃーきゃー言われながらノートを覗かれ、真っ赤になってエルスターが手を伸ばしている。

 一体何を書いたのだろう。可愛いという単語が気になって、リヴェルも笑いながら身を乗り出そうとすると。



「そういやさ。この間、街で爆弾魔とか出たんだろ」

「―――――」



 いきなり入ってきた単語に、どきりと嫌な風に心臓が跳ねた。一緒に、目の前で人が爆発した光景が脳裏に閃き、反射的にぎゅっと拳を握る。

 だが、そんなリヴェルの震えそうな様子を周囲が見抜けるはずがない。故に、恐ろしい会話は平然と、不釣り合いなほど明るく続けられていった。


「そうそう。犯人は自殺だって」

「犠牲者、学生の人たちもいたんだってー」

「恐いよなあ。捕まってくれて良かったぜ」


 恐怖を口にしながらも、どこか他人事に聞こえる。当事者ではないからだろう。

 しかし、リヴェルはあの惨状を知っている。

 目の前で、まさに犠牲者である彼らは亡くなったのだ。毎晩悪夢を見るくらいに、未だ爪痕は深く残っている。



 ――目の前で人が弾け飛ぶ場面を見たら、口にだって出せないだろうさ。



 やさぐれる様に心の中だけで吐き捨て、リヴェルは無表情で席を立つ。今は、一刻も早くこの噂話から離れたかった。


「あ、リヴェル君、荷物持つよ。まだ、右腕動かすの辛いんでしょ?」

「え?」


 ひょいっと、右――ではなく左肩が急に軽くなった。

 我に返って横を見れば、クラリスが「えへへー」と悪戯っぽく笑っている。荷物をあっさり取られてしまった。


「クラリス……」

「ほら、次も授業があるんだから。行こう!」


 元気良い掛け声と共に、クラリスが先導を切って歩いていく。

 最近、教室から教室へ移動する途中、彼女をはじめとし、友人達が鞄を半ば強引に奪っていくのが通例となっていた。

 左があるから、と反論しても、誰も聞き入れてはくれない。それが数日続いたので、観念して好きにさせている。


「ごめんな。でも、だいぶ良くなってきたんだぞ。動かしてもそこまで痛くないし」

「だーめ! 骨折を甘く見たら危険なんだよ。変な風にくっついちゃったらどうするの」

「そうよー。それに、最終兵器、エルスターがいるんだから。じゃんじゃんこき使っちゃいなさいな」

「何だね、その言い草は! お前さんたち、本当に僕への配慮が足りないのだよ」


 ぶつぶつ文句を垂れるエルスターに、二人が楽しそうに忍び笑う。リヴェルもつられて少し笑えた。

 なのに、心から笑えていない自分に嫌でも気付く。

 彼らと過ごす日々は、楽しい。虚無で穿うがたれた心の穴が、少しずつ埋まっていくのを感じた。

 それなのに。



 ――足りない。



 体は、正直にさもしく奥底から訴えてくる。

 何て贅沢なのだろうか。呆れるしかないのに、その切望を持て余す自分がいることも確かだった。



〝……ごめんなさい〟



 ――もう、そんな資格、ありはしないのに。



「そういえば、リヴェル君。このマスコット、今もつけてくれているんだね」

「――」


 リヴェルの鞄を見つめながら、クラリスが嬉しそうに微笑む。

 意識を戻し、リヴェルは彼女の視線を追いかける様に鞄の持ち手に目線を下げた。

 持ち手の付け根には、可愛らしい猫のマスコットがぶら下がっている。それは前に、彼女からお礼として渡された手作りの猫で、その日から早速着けさせてもらっていた。

 自分の好きな猫が、常に傍にいてくれる。心がささくれ立った今も、微かにだが癒してくれるお守りの様なものだった。


「ああ。可愛くて、和むしな。二人とも、ほんとにありがとう」

「いいのよー。あーあ、エルスターも、リヴェルみたいに甲斐性があったらねー。知ってる? 彼ってば、せっかく作ってあげたのに、渡した時の反応酷かったのよー」

「むむ。……僕も、つけているではないかね」


 エルスターが膨れる様に反論したが、「はいはい」とマリアは軽く流してしまった。

 その反応に不満を持ったのか、彼は恨めしげに持ち手のマスコットを見つめる。


「しかし、やはり可愛すぎるのだよ。僕にはあまり……」

「あらー。それのおかげで、『きゃー、エルスター様、かーわいいー!』って、更に人気が出てるって聞いたわよー」

「……ふっ。そのことには感謝しておくのだよ」


 ふぁさっと、きらきらした金の髪を掻き上げて、エルスターが高飛車に礼を告げる。調子に乗った彼を、マリアは笑いながら白い目で見つめた。

 しかし。


 彼女の彼を見つめる白い目は、どことなく楽しそうだ。


 何となく、自分に対する時とは違った彼女の反応に、リヴェルは少しだけちらついたものがあったが気付かないフリをした。気を紛らわせる様に、エルスターの鞄の持ち手を見やる。


 そこには、真っ白なフォルムの、可愛らしいあざらしがぶら下がっていた。


 きゅー、とでも鳴きそうなほど愛くるしい表情は、マリアお手製のものらしい。彼女達は本当に器用である。

 つん、とリヴェルがあざらしをつついてみれば、エルスターがふて腐れた様に口をへの字に曲げた。マリアからもらったその夜、かなり喜んでいたのを知っている身としては、素直になれば良いのにと苦笑してしまう。


「そうだ、リヴェル君。オレンジパイのこと、覚えてる?」

「ん? ……ああ」


 そういえば前に、クラリスが今度オレンジパイを作ってくると約束してくれた。

 その時は、自分も大好物ということで心が弾んだものだ。懐かしい。


〝はい、あーん〟


「――……」


 そうだ。


 懐かしい。

 あの恥ずかしかった思い出も、振り回された悔しさも、何もかも。


 ――何故だろう。


 二ヶ月も経っていないことのはずなのに、随分と遠い日のことの様に感じられる。


「……。オレンジパイ、出来そうなのか?」

「うん! ちょっと難しくて、今まで失敗ばっかりしちゃったけどね! もう少しで、満足いくものが出来そうなんだ」

「お、そうなのか」

「うん! だから、今度食べて欲しいなって」


 にこにこと花の様に笑うクラリスに、リヴェルも釣られて口元が緩む。

 きっと、自分に元気が無いから励ましてくれているのだろう。

 オレンジパイは、自分の大好物だ。彼女の料理は美味しいから、少なからず元気が出るだろうと自分でも思う。


「そっか。楽しみにしてるな!」

「うん! 任せて!」


 どん、とクラリスが胸を強く叩き――叩きすぎてせてしまい、マリアに背中を撫でられるというコントがあったが、ほんの少しリヴェルの心も上向きになった。

 いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。

 そう思って、リヴェルが深く息を吸うのと同じくして、更にクラリスが上目遣いで聞いてきた。


「あ、あとね、リヴェル君。今度の休日って、空いてる?」

「休日? 特に予定はないけど、どうかしたのか?」


 聞き返せば、クラリスが何やらもじもじと両手の指を絡ませてうつむいてしまった。頬もほんのりと朱が差していて、熱があるのかと心配になる。

 だが、声をかける前に、ぐいんと彼女は勇ましく顔を上げ、噛み付く様に迫ってきた。


「あ、あのね!」

「あ、ああ。何だ?」

「ま、ままま、前に、リヴェル君、言ってたでしょ。みんなでお祭りに行きたいって」

「ん? ……、ああ」


 言われて、記憶を遡る。

 確か最初は、クラリスが祭りの時に金魚を取ったという話になったのだ。

 彼女が金魚を知人に渡し、その金魚を猫の餌にすると言われてしまい、説教をしたという内容になったのも覚えている。

 だがそもそも、金魚の話になったキッカケは――。



〝餌にしなければ、あなたの気持ちが分かるというなら、飼ってみる〟



「……っ」


 思い出して、胸がぎゅっと鷲掴わしづかみにされた様に痛んだ。

 ふるっと頭を振って彼女の声ごと面影を追い出し、リヴェルは力の限り笑ってみせた。


「そうだったな。でも、祭りがどうかしたのか?」

「うん。今度の休日にね、一日限定なんだけど街中でお祭りをやるんだって。何でも、昔の王様の即位記念だとかなんとか」

「まあ、口実だがね。この街はお祭り好きが多いから、しょっちゅう何かしらやるのだよ」

「へえ、そうなのか。……じゃあ、みんなで回りたいな」

「うん! じゃあ、四人で回ろうね」

「……、ああ」


 四人。


 何も不思議な人数ではない。いつも通り、日常を過ごしているメンバーの数だ。

 そう。どこにも不審な点はない。エルスターとマリアとクラリスと、四人で回る祭りはさぞかし賑やかな夜になるだろう。リヴェルも今から楽しみだ。

 そうだ。

 なのに。



「――――――――」



 瞬間。

 ざっと、凛とした黒い風が視界の端を横切った気がした。



 思わず顔を上げれば、遠くで長い黒髪が風に躍っているのが見える。

 あれは。



〝リヴェル〟



「……っ!」



 反射的に駆け出した。背中で慌てて自分を呼ぶ声がしたが、構ってなどいられない。

 走って追いかけ、口を開き――。



 すぐに、足が止まった。



「お待たせー!」

「―――――」



 黒髪の女性を追いかけた先。振り返った顔は、全くの別人だった。

 彼女を待っていたらしい男性と腕を絡ませ、仲睦まじく歩いていく。楽しげな会話が、離れているのにここまで聞こえてきた。


「ねーねー、聞いて! 今日ね、朝起きた時、寝ぼけすぎて『あ、ご飯が呼んでる』って、わたし窓から外に出ようとしちゃったらしくって」

「おいおい。何やってんだよ」

「ちゃーんと、友人が止めてくれたよー。持つべきは友だよねー」

「……後で、お礼言いに行くわ。お前、前にそのまま中庭にダイブして寝転んでたことあっただろ」


 呆れ混じりの男性に、あははー、と誤魔化し笑いをする女性。

 何気ない会話だが、とても楽しそうだ。合間に挟まる沈黙も弾んでいて、二人の仲の良さがここまで伝わってくる。



 ――自分達は、どうだったのだろうか。



〝ほんとだな。ずいぶん懐いたじゃないか〟

〝うん。……最近、かわいい〟

〝へえ。そっか! それは、託した甲斐があったな〟



 ――はたから見たら、自分達も、あんな風に見えていたのだろうか。



 仲良く並ぶ、名も知らない二人に自分達を重ねる。

 彼女は、かなり他人から誤解される様な言動が多かった。自分も無意識に手を伸ばして失態を犯したりしたが、彼女はそれを更にあおる様な言い方をして、慌てさせてくれたものだ。

 その中でも最たるものは、まだ友人になりたてだった頃。中庭で誤解をされる様な発言をされたことだろう。



〝じゃあ、私はリヴェルが好きだから、いいってこと〟



「……、好き」



 彼女の『好き』は、果たしてどんな気持ちからくるものだったのだろうか。



 自分も、彼女のことは好きだ。

 だが、その『好き』は、果たしてエルスター達に向けているものと同じ種類のものだろうか。


 そこまで考えて、頭を振る。


 当たり前だ。同じだ。友人だ。

 そうでなければ、一体何だというのか。

 一体。



〝いつか、きっと。『ああ、こういうことか』と悟る日がくるよ〟



 でも――。



「リヴェル、どうしたのよー。急に走り出したりしちゃって」



 遅れて追い付いてきたマリアが、心配そうに声をかけてくる。

 振り返れば、エルスターやクラリスも同じ様に案じる色を浮かべていた。気を遣わせてしまったと、己の駄目さ加減を思い知らされる。


「ごめん。知り合いに似てたからさ。でも、人違いだったみたいだ」

「人違い、かね」


 言いながら、エルスターが視線を遠くにずらす。

 恐らく、彼は的確に自分が見ていた人物を捉えただろう。誰と勘違いしたかは一目瞭然だ。

 案の定苦い顔をした彼に、目を伏せるしかなかった。


「と、とにかくさ。祭り、楽しみにしてるな」

「え? あ、うん! 色々回ろうね」

「ああ。……祭りは、昔に両親と回ったっきりだから。楽しみだな」


 無理矢理話を戻し、リヴェルは暗い空気を吹き飛ばす。

 祭りも、苦い想い出の塊だ。正しくは、幸せな記憶に罪悪感を垂らした象徴なので、一人で踏み込むのはかなりの激痛を伴うだろう。

 だが、今回は彼ら友人が一緒だ。それならば、少しは乗り越えられるかもしれない。

 そうだ。乗り越えよう。

 こんな、ぐずついた傷跡を刺し続ける様な痛みは、消し去ってしまおう。

 そうすれば、きっと。



 ――彼女との想い出も、いつかは懐かしい宝物として、思い返せる様になるだろう。



 そう。

 会いたい、なんて。思うことも、――。


「……っ」


 ちらつく願いを、頭を振って散らす。

 強引に振り切る自分の背後で、三人が顔を合わせる様な気配がしたが、リヴェルは全てを頭からも心からも閉め出した。



 そんな風に、必死に心に目隠しをしていたからだろう。

 だから。



「――、今度こそ、大丈夫」



 そんな風に呟く、誰かの声がしたことに。

 リヴェルは、気付くことはなかった。


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