第31話


「そう。その野盗はね、――王が編成した軍人どもだったんだよ」

「―――――」


 言われた瞬間、リヴェルの息が止まる。ざあっと、周りの空気が瞬時に凍り付いていった。

 何を言い出したのかと耳を疑って、反芻はんすうする。

 野党が、村を襲った。

 だが、その野盗というのは、王が討伐に差し向けた軍人達だった。

 それは、つまり。


「村を襲っていたのは、王だって言うのか? ……何だ、それ。どうして」

「ボクたちだよ」

「は?」

「王は、ボクたちが嫌いだったんだ」

「……、は?」


 思わず声が低まる。

 その自分の様子に少しだけ微笑んでから、ウィルは凍った炎の瞳で薄ら寒い事実を続けた。


「愛人に産ませた子供の方が大事でね。そいつに王位を譲りたくて、ボクたちを野盗の仕業に見せかけて殺してしまいたかったのさ」


 信じられない事実を、ぽんぽんと明かされる。

 未だに耳が壊れているのではないかと疑ってしまう。実の息子を平気で殺そうとするとは、何て親だ。

 ふつふつと湧いてくる怒りを必死に押し止めていると、ウィルが苦笑を零した。その笑い方は、先程の暗さが少し減った様で安堵する。


「……、君は感情が豊かだね」

「……そうか?」

「……、まあ、ボクたちがどこかの村に遊びに行っていることを、父は知っていたんだね。だが、どこの村かまでは突き止められなかったから、村人ごと片っ端から虐殺していたんだ」


 守るべき民を、あろうことか目的のために虐殺する。

 そんな王がいたなんて、とリヴェルには衝撃が大きかった。


「つくづく王には向かない人だった。……ボクたちも、愚かだったけれどね」

「……、それで。その、村は」

「ああ、……そこでステラの登場だよ」


 待ちに待ったと言わんばかりに、ウィルの顔が輝く。

 満面の笑みといった風情に、リヴェルの目が遠くなった。彼の方が感情が豊かだ。断言したい。


「どこだどこだって探し回る軍人が、次第にこちらに近付いてきてね。もう駄目だって、せめて弟だけはって抱き締めて隠そうとした時、ふっと近くに黒い影が現れたんだ」

「……黒い、影」

「そう。ステラさ。……彼女も王に頼まれてね、討伐隊にいたらしい」

「え……」

「彼女は、その頃は世界を気ままに旅していたんだ。それに、魔法使いの中では結構力の強い方でね。たまたま城に立ち寄った彼女に、父が頼んだんだって」


 だが、それが幸いした。


 不敵に微笑むウィルの顔は、策を練る者そのものだ。

 上に立つということは、どうしても策略とは無縁ではいられない。それを、改めて実感した。


「彼女は、魔法使いの中でもかなり信念が固まっている子でね。必要のない人殺しはしたくないって子だったんだ」


 言われて、頷く。

 確かに、彼女は成れの果ては始末すると宣言していたが、魔法使いではない人間は、襲ってきても命を奪わなかった。

 彼女は、倫理観がしっかりしている。だからこそ、ウィルの言葉にも納得出来た。


「だから、彼女は魔法で、虐殺されかかった村を救ったんだ」

「……、え? ど、どうやって」

「魔法で、幻影の村人を創り上げたのさ。そうして、本物は別の場所に避難させる。そう教えてくれたんだ」


〝おい、魔法使い! そっちにはいたか!〟


 粗野そやな声を飛ばしてくる軍人に、ステラは興味無さげに一度だけ首を振り。


〝――いない〟


 そう言って、軍人の元へとあっさり引き返したそうだ。

 結果、ウィル達は助かり、村人達とも別の場所で再会し、手を取り合って喜んだ。そう、語ってくれた。


「……もう駄目だって思ったのに。彼女が逃がしてくれたから、ボクたちは生き延びることができた」

「……」

「おかげで、父の陰謀もつかめた。その日から、ボクは父の王位を簒奪さんだつする策を本格的に巡らせ始めたってわけさ。もちろん、愛人の子は蹴落としたよ」

「……、そうか」

「まあ、愛人はともかく、子供の方とは実は仲が良かったんでね。今はボクの右腕だよ」


 にこにこと笑う彼から、真意はうかがえない。

 監視のためか、本気で信用できるからか。

 判断は付かないが、エルスターが呆れた顔で肩をすくめているので、悪い事態に陥る危険性は少ないだろう。

 しかし、そんな経緯があったのか。それは、ウィル達にとってステラが恩人になるはずだ。感謝も計り知れない。

 そして、改めて確信もする。


「昔から、ステラは優しかったんだな」

「ふふ、まあね。いつも無表情だし、声も淡々としているし、人の心の機微きびに疎いし、常識からかなり外れているから誤解されやすいけど」

「……ひどい言われ様だな。まあ、間違ってはいないけど」

「だろう? それでも彼女は、とても思いやりに溢れた人物だね。人の命以外には無頓着ではあったけど」

「ああ、……」

「だから弟も、そんな彼女を好きになったのさ」

「――」


 彼の言葉が、自分の頭を横殴りにした。鐘の音の様に脳内でぐわんぐわんと、不安定に響く。

 弟も、彼女を好きになった。

 それはつまり。


「最初はお友達から。弟は、一目惚れに近くてね。王族は昔から魔法使いに近しい場所にいたから、特に恐がることもなく、彼女に猛烈アタックをしていたよ。いや、すごかったな」


 くすくすと顎に手を当てて笑う姿は、本気で楽しそうだ。その眼差しにはどこか慈しむ様な色も見えて、彼が弟を心から大切にしていたのが垣間かいま見える。

 本当に仲の良い兄弟だったのだろう。ならば、弟の恋を応援しても当然だ。

 だが、何故だろう。


 ――じくりと、嫌な棘が変な形で心に刺さった。


「……うーん。本当に、感情が豊かだ」

「……、え?」

「いや、青春だね。きかな善きかな」


 にこにこと笑うウィルに、リヴェルは首を傾げる。エルスターは無言だが、複雑そうに腕を組んでいた。

 教えてもらいたかったが、ウィルの目は笑うだけ。何となく、エルスターの暗黙の主張に似通ったものを感じ取ったので、諦めて続きを待った。


「魔法使いっていうのは英雄とは言われているけど、その強大な力故に人々からは恐れられていてね。今も昔も化け物扱いされるのが普通だ」

「……、それは」

「だから、ステラの方も弟の態度が意外だったみたいだね。無愛想ではあったけど、来る者拒まずな感じで相手をしている内に、徐々に仲良くなっていったよ」


 淡々と当時の二人を語られる。

 確かに、ステラは近付いてくる者達には普通に接するし、去って行ったらそれはそれで気にも留めずに見送りそうだ。

 故に、彼女の身近にいる者は、必然的に自分から近付いてくる人達に限られる。

 それは、彼女にとっては貴重な人との接触の機会だっただろう。恐れられていたと言うのならば、余計にウィルの弟は新鮮に映ったに違いない。



 だったら、彼女がその人に惹かれても、おかしくはない。



「……、そうか」



 口にしながら、心が更に沈んでいく。自分はこんなに心が狭い人間だったのかと、思い知らされて更に落ち込んだ。


「続けて良いかな?」

「え! あ、も、もちろんだ」


 慌てて頷けば、おかしそうにウィルが忍び笑う。そんなに笑わなくてもとふて腐れたが、彼はお構いなしに話を再開した。


「その一年後くらいかな。いつもの様に二人で逢引きなんかして、仲良く近くの丘を散歩したりなんかしていてね」

「あ、あいび、き」

「ふふ。……だけどね。まあ、幸せは長くは続かなかった」


 また、声が一瞬で沈む。一緒に気温まで極寒に急降下した錯覚に陥った。

 人は、こんなに低くて、暗くて、出口の見えない、闇よりも真っ暗な声を出せるのか。初めて聞く底なしの暗闇に、リヴェルも共に落ちていきそうだった。



「成れの果てがね、いきなり現れて。……あっという間だったそうだよ」

「―――――」



 わざとぼかした様に語るウィルに、何も言えなくなる。

 誰が好き好んで、『その』単語を使いたいだろうか。出来るならば、一生使わずにすませたい類の呪詛じゅそだ。


「ステラもすぐに撃退したんだけどね。もう、手遅れだったらしい。他に首謀者がいたかも分からないくらい、突然のことだったそうだ」

「……っ」

「弟は最後に、こうのこしたそうだ。王族という性質上、死を覚悟していた弟だったけれど。それでも」



〝――あ、あ……やだ、なあ……っ〟



 ステラに抱きかかえられながら、最後にこう告げたという。



〝き、みや、……に、さん……っ、に会えなく、な、……のは――〟



 ――恐い、なあ。



「ふふ。何とも弟らしかった。……死ぬよりも、ボクたちに会えなくなるのが恐いなんて」

「……っ」

「そんな顔をしない。……ステラは、弟の亡骸を抱えて、真っ先にボクのところへ来たよ。……あの時の彼女の顔は、もう、二度と見たくはないね」


 いつでも凛と前を向いていた彼女が、その時は一切顔を上げなかった。黒をまとう姿そのままに、底知れぬ闇を背負って佇んでいた。


 そう語るウィルの顔にも、言葉のままに暗い影が差し込んでいる。

 母を亡くし、父の命を狙われた彼にとって、弟はたった一人の唯一の家族だった。その弟を亡くした当時の彼の心境は、リヴェルではとても計り知れない。


「彼女は、言ったよ。死にたいって」

「――」

「彼女は、……そうだね。きっと、弟にぼんやりと人生を見始めていたのかもしれない。そういう、一生を共にする気持ちが当時の彼女にあったかは分からないけど、少なくとも彼女にとって大切な存在になっていた」



 その人物が、殺された。しかも、目の前で。



 他愛のない話をしながら、丘の上を散歩するほどに仲の良かった存在。魔法使いである自分を恐がらずに、むしろ積極的に接してくるその人に、彼女が惹かれないはずがない。

 どれほどの絶望だっただろう。手を伸ばせばすぐ届く距離にいたのに、むざむざと死なせてしまった無念は到底思い描けない。

 それに。



 話が進むたび、リヴェルは自分の臆病さを思い知らされる。



 自分は、彼女に助けられた。

 なのに、彼女が恐い。魔法が恐い。

 けれど、ウィルの弟は恐がらずに体当たりをしていたという。

 それがどれほど凄いことなのか。今のリヴェルには身に積まされるほどよく分かり、敬意を抱きながら――悔しかった。


「ボクは、彼女に幸せになって欲しかった」

「……、ああ」

「恩人だったし、何より、……弟が愛した女性だ。人生を投げ出して欲しくなかったのでね」


 遠くを見つめながら、ウィルが願う。

 その先に見ているのは当時の彼女か、それとも弟か。両方だろうと、おぼろげにだが推察が叶った。


「ただ、……その頃から彼女は、自分に寄ってくる人に変な質問をする様になってね」


 変な質問。

 それは、きっと自分にもされた内容だ。その頃からだったのかと、半ば納得してしまう。


「死ぬのが恐いかと尋ねて回る彼女は、まあ、うん。やっぱり異様に映るみたいだね。やめておきなよって言ったんだけど、彼女は聞かなくて」

「はは……」

「どうしてそんな風に聞いているのかは分からないよ。弟と何か話したのかもしれないし、思うところがあるのかもしれない」


 その言葉に、リヴェルの心がぐっと痛む様に沈んでいく。

 彼女の大切な友人の死と、その死が与えた彼女の痛み。


〝あんたの父は死んだよ〟


 一瞬、幼い自分が重なって、息が出来なくなるほど苦しくなった。


「ただ、これだけは言えるよ。彼女は、死を恐れる人に近付いて欲しくは無かっただろうね」

「……、どうして」

「自分といたら、どうしても巻き込んでしまうからね。成れの果ては、魔法使いの『力』そのものに惹かれるらしい。ボクたち王族は秘策みたいなのがあって、魔法を無効化できるんだけど。一般人はなかなか、ね」


 死ぬのが恐くない人とだけ、付き合っていこう。


 そんな、悲しい結論を出したというのか。死を恐れない人間など、滅多にいないだろう。

 ならば、恐くないと答えた人に「死んでみるか」と聞いているのは、本当に恐れていないか試していたということだろうか。

 それとも、やはりウィルの弟と何か話したから、質問しているだけなのだろうか。

 情報が少ないし、当人ではないので推測するのが困難だった。


「君も、聞かれたんだろう? 死ぬのが恐いか」

「……、ああ、まあ」

「でも、覚えてないってね。エルスターから聞いたよ」

「……、エルスター」

「ははは。まあ、いいではないかね。こうして、色々手間が省けているのだからね」


 悪びれも無く両手を広げる彼に、リヴェルは溜息しか出てこない。逐一ちくいち自分との会話を報告されていたかと思うと、おちおち下手なことを零せない。

 だが、結局気を付けないで話すのだろうな、と己の呑気さに呆れながらウィルの話を聞き続けた。


「まあ、ステラが言っていないことを君に伝えるのは反則だからね。言わないよ」

「……、やっぱり俺、何か答えたんだな」

「そうだよ。ステラは君の答えが気になって、君を意識する様になったみたいだね」

「俺の、答え」


 そこまで言われると、益々気になる。自分は一体何と答えたのだろうか。

 彼女が気にする上に、強く突き放さなかったということは、自分は単純な「恐い」「恐くない」という以外の答えを口にしたのだろう。

 でも。


 ――何となく、予感はあった。


 だが、それを認めると、今までの自分を否定してしまう結果につながる気がする。夕方、エルスターに暴かれたばかりだが、一度に己と向き合うのは正直しんどい。

 つくづく臆病である。自分で自分を殴り付けたくなった。


「とはいえ、まあ、その前に君と視線が合ったから質問したみたいだし。もしかしたら、初対面から気になっていたのかもしれないけどね」

「……、え?」


 ウィルの推測に、引っかかりを覚える。

 視線が合ったから、質問した。つまり、あの運命の分かれ道とも言える夜の出来事より前から、彼女は自分を知っていたということになる。

 視線が合ったというのは、あの、自分が初めて彼女を見かけた日のことだろうか。

 彼女の黒い瞳に惹かれて、吸い込まれそうになって、目を逸らせなかった。あの時、視線が絡まった様な感覚がしたが、彼女もその時に自分を認識してくれていたということだろうか。


 あの昂ぶりが、自分だけのものではなかった。そういうことだろうか。

 だとすれば。


「……っ」


 知った途端、かあっと体の中から猛烈に熱くなる。

 じんわりと汗を掻いていく様な暑さを覚え、耐えきれずに視線を落とした。今は、誰とも視線を合わせられない。


「……はあ。魔女殿は本当に、……許せんのだよ」


 大袈裟に嘆息し、エルスターがどっかりと椅子に座り直す音がする。

 何故、彼がそこまで怒り心頭になるのだろう。ウィルは噛み殺す様に笑っているし、意味が分からない。

 それに、エルスターは何故そこまで彼女を敵視しているのだろう。

 考えて――はた、っと一つの疑問に行き着いた。


「あれ? そういえばさ、エルスター。君って、ウィルの甥、なんだよな?」

「―――――」


 一瞬、二人が息を止めた様に固まった。

 その不自然な反応に、リヴェルは、はてっと首を傾げる。そんなに変なことを言っただろうか。


「えーとさ。ウィルの甥ってことは、その、弟の、子供ってこと、で、……」


 言いながら、だんだんと恐ろしい結論に導かれていった。

 ウィルの弟の子供。それが、エルスター。

 そして、弟が愛していた女性は、ステラ。

 それは、つまり。

 考えを整理していくにつれ、リヴェルは青褪あおざめていった。

 まさか。いや、まさかではなく、もしかして、いや、もしかしてでもなく。

 エルスターは。


「……す、ステラの、こ、ここ、こど」

「気色悪い予想をしないでくれたまえ! 違うのだよ! ありえないのだよ! あの魔女殿がとか考えただけで末恐ろしいのだよ!」


 震える指を差し向ければ、思いっきり、力強く、全力で否定された。

 そんな彼の様子に、ウィルが視線を明後日の方にやりながら苦笑いをしている。二人の反応からすると、本当にそういう関係では無い様だ。身勝手ながら、心の底からホッとしてしまった。

 しかし、だとしたらやはり疑問が残る。


「……じゃあ、エルスターって、……えーと」

「まあ、ステラの話はここまでかな。エルスターの話は、きっと本人がそのうちするだろうからね」


 強引に話を打ち切られた。

 あまりに不自然過ぎる断ち切り方に思わず目を丸くしてしまったが、ウィルはにこにこと笑うだけだ。

 横を見れば、エルスターは表情という表情を削ぎ落としていた。そこからは何の感情も読み取れず、ただひたすらに無を貫いている。

 そんなに、複雑な内情なのだろうか。

 だが、ステラ周りだけでも色々な闇があったのだ。王族だって、人に知られたくないことの一つや二つはあるだろう。

 ならば、無理に聞き出したくはない。それでエルスターを傷付けてしまうことこそ、望むところではなかった。


「分かった。ありがとう、ウィル」

「……どういたしまして。ボクが言えた義理ではないのだけど、……ステラのこと。もし、君の腹が決まったなら頼むよ。今度こそ」


 人の良さそうな笑顔で、ウィルが言う。

 相変わらず人を食った様な笑みなのに、何故だろうか。その奥の奥には、深い深い、切実な熱が閉じ込められている様に感じられた。



〝彼女は、言ったよ。死にたいって〟



 死ぬのは、恐いか。



 質問する裏には、底の見えぬ悲しみが潜んでいた。

 自分が、彼女の質問に何と答えたのかは分からない。

 だが。


〝――よけなさい〟


 あの夜、自分の命を救ってくれたその時から、きっともう未来は決まっていた。

 ずっと己の内でくすぶっていた死から、遠ざけてくれた彼女に。

 今度は、自分が。



「――俺の腹は、決まってる」



〝……ごめんなさい〟



 二度と、あんな悲しい目をさせないためにも、追いかけて、捕まえて、話をして。

 今度こそ、真正面から向き合おう。


〝もう少しだけ、諦めずに願ってみたまえ〟


 自分は、一人ではない。

 未だ恐怖は抜けなくとも、後悔はしたくないから。



 もう、迷いはしない。



「ステラに会いたい。協力して欲しい」



 力強く真っ向から宣言して、彼らに誓う様に頭を下げる。

 そんな自分の決意に、ウィルもエルスターも一瞬だけ、震える様に目を伏せた。


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