第22話
最近、ほわほわした心地でいることが多い。
友人達に名を呼ばれるたび、我に返って気まずくなる回数が多くなった。
何となく、ステラと裏庭で昔話をしてから、ぼんやりした気分になる。
ぼんやりしたかと思えば、急に恥ずかしくなって熱が込み上げてきたり、すぐにじっとしていられなくて身悶えしたりと、自分でもかなり変人だと呆れたくなる。
恐らく原因は、あの時彼女に話した内容だろう。自分の、過去の境遇だ。
何故、話してしまったのだろうか。
思いながら、一方で誰かに打ち明けてしまいたかったのだとも考える。
下手な慰めはして欲しくない。思いながらも、ただ静かに聞いて欲しい。それだけで良いと、心のどこかで
何と自分勝手な願いだろうか。分析して、自己嫌悪に陥ることも
しかし。
〝リヴェル、気持ち良い?〟
「―――――」
あの、頭に乗せられた感触が忘れられない。
優しくて、染み込む様に胸に迫ってきたあの熱は、確かに自分が求めていたものだった。ステラらしい反応に、リヴェルはあの時救われた。
思い出すだけで、熱がまた甦る。一緒に顔まで火照ってきて、己の調子の良さに呆れ返った。
「はあ……」
「何だい、辛気臭いね。うつるからやめて欲しいのだよ」
しっしっと右手で追い払う様に、ベッドに腰をかけて本を読んでいたエルスターが抗議をしてくる。
彼と同じ部屋で生活しているリヴェルは、自分の机で予習をしようと専門書を開いていたのだが、ページが進んでいないどころか一文字も頭に入ってこない。まるで身に入らなかった。
全く進んでいない現実に見切りをつけ、リヴェルも己のベッドへとダイブした。ばふん、と柔らかく受け止めてくれる感触に顔を押し付ける。
「んー。寝るか」
「早すぎなのだよ。まだ夕食を食べたばかりだろう。お風呂に入りたまえよ」
「んー。そういえば、そうか」
ごろん、と寝返りを打って納得する。
最近考え事ばかりの自分に頭が痛くなってきた。学生としての本分を
よっ、と弾みをつけて起き上がり、床に着地した。そのまま、部屋に備え付けの湯船に準備をしようと、続き扉のドアノブに手をかけると。
「リヴェル」
「ん? 何だ」
呼ばれて振り返れば、エルスターは本から視線を上げないままだった。
気のせいだっただろうか。思っていると、彼は少し眼差しに憂いを乗せ、ぱたんと読んでいた本を閉じる。
「お前さん、最近魔女殿とはどうなのだね」
「……、え」
急な話題に、リヴェルの返答が詰まる。
どう、と問われても、何を答えれば良いのだろうか。友情の深さか。それならば、遥かにエルスター達との方が深い気がする。
「どうって、普通さ。裏庭で猫と遊びながら話したり、見かけたら挨拶したり」
「ふーん」
気の無さそうな返事に、少し
ただ、一方で、予感も覚える。
彼は、今この時、決して視線を上げてはこない。そこに彼の意地が垣間見えて、前から抱いていた予感が確信に変わっていった。
「なあ、エルスター」
「何だね」
「君、ステラに告白して、光の速さで逃げて行ったんだよな?」
「……、その話は止めたまえよ」
反応が鈍い。
マリアが相手なら、かなり大袈裟に慌てるのに、今は冷静だ。怒った様な声は、むしろ彼がリヴェルに抱いていた予感が的中したと、観念した様な響きに聞こえた。
だから、迷ったが、腹を決めて踏み込むことにする。
恐らく、もう上辺だけの付き合いで流せるところにはいない。
「それ、嘘なんだろ」
「……」
「エルスター。君、本当は」
「やめておきたまえ」
踏み込む決意をしたそばから、制止された。
何故、と問う前に彼の方から畳み掛けてくる。
「それ以上、魔女殿の真実に踏み込まない方が良いのだよ」
「エルスター?」
「彼女は、魔法使いだ。一般人とは違う。……リヴェル。お前さんは、まだ魔法使いに付き
静かに指摘されて、リヴェルは押し黙る。
彼は、言葉を切って一旦止まった。言うか言うまいか
「それに、一度巻き込まれて怪我をしたのだろう?」
「……ああ」
「倉庫でも、恐い目に遭ったはずだね」
「……、ああ」
「恐らく、彼女と共にいれば、これからもその危険は付いて回るだろう。下手をすれば、命を落とす」
「……」
それは、ステラとの会話で、何度もリヴェルも予想したことだ。
魔法使いを狙う者がいる。その相手は、きっと同じ魔法使いだ。元でも現でも、同士なのだろう。
ステラは違う様だが、彼らの中には、その場に居合わせた者も関係なく巻き込む輩もいるかもしれない。だから、リヴェルもあの裏庭で襲われたのだと思っている。
死ぬかもしれない。常に死の危険と隣り合わせだ。
しかし。
「……エルスターはさ、やっぱり優しいよな」
「――」
自分の言葉に、戸惑った様に空気が揺れる。
そんな彼がおかしくて堪らない。
入学した当初から、そうだった。彼は、かなりのお人好しで――優しい人間だ。
「なあ、覚えてるか。俺が、入学証明書を盗まれた時のこと」
「……、当たり前なのだよ」
はあっと溜息を吐いて、エルスターは苦笑しながら肩を竦める。
「大抵、初対面だと僕の話し方に『偉そうだな』って因縁をつけてくる者ばかりなのに、お前さんは全然でね。よーく覚えているとも」
「何だよ。俺が馬鹿みたいな言い方だな」
「実際馬鹿だったのだよ。その後、大抵の者たちは王族だと知って顔色を変えるのに、お前さんときたら」
「……別に良いだろ。本当に知らなかったんだし」
ぷいっと
だが、あの出会いは忘れられない。リヴェルにとっては、とても大切な出来事だ。
入学式当日のことだった。
この大学院は、初めて学生として門を
だが、その門の直前で、生徒達の集団がリヴェルにぶつかってきた。
その際に、手にしていた証明書をすり取られたのだ。あはは、と笑いながらリヴェルの証をひらひらさせる彼らを見て、すぐに
返せ、と短く言い放てば、彼らは互いに顔を見合わせて、肩を竦めて大笑いした。
〝はあ? 何の話だよ〟
〝そうそう。愛人だから難癖つけるのも慣れてるのか、ライフェルス家のお坊ちゃま〟
手の中の証明書を握り潰しながら、彼らが
追いかけたが、係員に止められてしまった。どうやら彼らの息がかかっているらしく、事情を説明しても「入れられない」の一点張りで、ほとほと途方に暮れてしまった。
どうしたものか、と、何とかして敷地に入り、彼らをぼこぼこにして取り返す算段をしていると。
〝彼を、僕と一緒に入れたまえ〟
とん、と背中を押され、強引に門を通過させられた。
係員が色めき立って邪魔をしようとしたが、すぐさま顔の色が白いを通り越して土気色に変わっていったのは見物だった。
ど、どどどどどうぞ、お通り下さい、と情けないまでの土下座をして許可され、リヴェルは分からないまま、助けてくれた人物と通り抜けた。
そして。
〝あ、ちょっと待っててくれ〟
見失わない内にと、
そのまま、転ばせた者の手の中にあった証を素早く取り返し、「足元にはご用心ってな」と皮肉を置いて、名も知らない人物の元へと戻った。
彼らも、それ以上は何故か追いかけては来ず。
そして、一連の自分の行動を、ぽかんとした顔で見守っていたらしい彼に笑いかけた。
〝ありがとな。助かったよ。おかげで大事な証明書を取り戻せた〟
〝う、うむ。何よりなのだよ〟
〝俺は、リヴェル。良ければ、一緒に式に出ないか? お礼に後でおごるぞ〟
今思えば、不敬罪だったのかもしれない。
国王の甥だと知らなかったし、何より
彼はといえば、屈託なく笑って勧誘したからか、益々呆けた顔になった。
強引過ぎただろうか、と反省もしたが、お礼をしたいのだから仕方がない。そう言い聞かせて、彼の返事を待っていると。
〝……ふふ。お前さん、面白いのだよ〟
楽しそうに、本当に楽しそうに彼は笑った。
その後、偶然にも寄宿舎で同室だと知り、必然的に友人になっていった。
――エルスターとの出会いは、優しさと光に溢れていた。
少なくとも、今までと同じく、冷たい孤独の中で過ごすことになると思っていたリヴェルにとって、彼の優しさは救いだった。
一ヶ月後の冤罪事件を晴らしてくれたり、今でも何かと気にかけて助けてくれたりと、頭が上がらない。
今回も、自分を心配してくれたからこそ、敢えて嫌な言い方をしているのだろう。
「ありがとな、心配してくれて」
「……リヴェル」
「でも、ごめんな。俺、ステラとの付き合い、やめないよ」
「どうしてだね」
問い詰められ、苦く笑うだけだ。
何故と問われると、明確な答えを打ち出せない。感覚的なものでしかないからだ。
優しいから、助けてくれたから、もっと知りたいから。
言葉にすることも可能だが、どれも今一つ足りない。
だから、黙るしかない。
エルスターは、その返答に苛立った様だが、同時に理解もしてくれた様だ。苦虫を潰した様に目を閉じる。
「……お前さんは、本当に頑固なのだよ」
「エルスターほどじゃないけどな」
「いいや。お前さんは、筋金入りの頑固さなのだよ」
だから僕も、――。
最後に呟かれた言葉は、聞き取れなかった。
ただ、とても大切な彼の声を聞き逃した気がして、もやもやする。聞き返しても答えてはくれないだろう予測が、また胸を掻き乱した。
いつか、聞かせてくれるだろうか。
眼差しだけで問うたが、彼の視線は床に投じられていて、何の返答も無かった。
「エルスター、……」
「ん? 何だね?」
顔を上げた彼は、いつも通りだ。
けれど、壁に阻まれる様に、彼の本音が封じ込められてしまった。あっという間の出来事に淋しさを覚えながらも、自分も同罪かと考え直す。
だから、吹き飛ばす様に声を上げた。彼も乗ってくれればと、願いながら体を伸ばす。
「……あーあ! 風呂入る前に、散歩してくるか! エルスターも行くか?」
「嫌なのだよ。男二人で散歩など、気色悪すぎるだろう? やはり、ここは美人で妖艶な女性と、甘い夢の様なひとときを」
「あー、分かった分かった。じゃ、行ってくるなー」
彼の長くなりそうな口上をぶった切り、リヴェルは早々に部屋を出た。
その際、去った扉を見つめながら遠い目をして自嘲する彼に、リヴェルが気付くことは無かった。
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