第49話


「じゃあな、クラリス。頼んだぞ」

「うん、任せて! 仕方がないから、エルスター君のプレゼントも渡しておくね」

「……任せたのだよ」


 最後までエルスターに毒舌を吐きながら、クラリスが女子寮へと入っていく。

 貴族子女を預かる大学院だからか、寄宿舎は男女別々だ。寄宿舎同士は渡り廊下でつながっており、共通のリラックスルームや食堂などもあるが、一定の時間が過ぎると扉が閉まる様になっている。規律がしっかりしている印象だ。

 クラリスが去って行くのを見届けてから、リヴェルはふと隣を見て――眉根を寄せた。

 エルスターは、厳しい顔で女子寮を眺めていた。どことなく鬼気迫った威圧感を覚えて、リヴェルの心に小さな棘の様な疑問が生まれる。


「エルスター? どうしたんだ」

「いや、……」


 言いよどむ彼は、伝えるか伝えまいか悩んでいる風に映った。

 故に、急かさずに待つ。彼が口をつぐむならそれまでだし、そうでないのならば受け止めたい。

 しばらく彼は迷った様に目を伏せたり上げたりしていたが、ぐっと唇を結んだ。

 そして。



「お前さん。ウィルから、懐中時計をもらったね」

「――」



 どきっとして、思わず手を懐に当てそうになったが、寸でで止める。

 ウィルが自分に、王族の秘術の元である懐中時計をくれたことは、どこまで伝わっているのか。口外禁止の最重要案件なことは知っていたので、エルスターに対しても確信が持てるまで明かさないことにしていた。

 彼も、既に察しているのだろう。前を向いたまま、厳しい表情で続ける。


「答えなくいいのだよ。そのまま聞いて欲しい」

「……何だ?」

「それを使う時がきたら、躊躇わずに使うのだよ。誰が相手であってもだ」

「……エルスター?」

「僕は、お前さんを裏切らない。いや、……裏切りたくない」


 強い口調なのに、苦しげだ。

 眉根を寄せて彼を見上げても、彼はこちらを見ない。その行為が、どの様な感情からくるものなのか、今のリヴェルには図りかねた。


「エルスター、……君……」

「だから、もし何かあったら。……誰であっても、必ずその力を使って欲しいのだよ。約束してくれないかね」


 こちらを向かないまま、真っ直ぐに女子寮へ視線を固定して告げてくる。

 その語気が、いつになく強く、静かなのに底知れぬ迫力が備わっていた。それだけ彼が真剣な頼みごとをしているのだと知る。


 誰が、相手であっても。


 それは、彼に対しても、という意味か。

 考えてみれば、デパートでも一度様子が変だった。彼は何か自分の知らない事実に気付いているのかもしれない。


「……、エルスター」

「約束してくれないのであれば、懐中時計を返すのだよ。そして、何もかも忘れて、幸せに暮らしたまえ」

「できるわけないだろ。……分かった、約束する。誰が相手でも、だな」


 念を押して頷けば、エルスターは少しホッとした様に表情を緩めた。

 だが、こちらを振り向かない。そのまま、あろうことか女子寮の方へと足を進めた。


「お、おい? エルスター、そっちは男子禁制だぞ!」

「心配ないのだよ。……リヴェル、また夕方に」


 ひらひらと手を振って、彼の姿が寄宿舎へと消えていく。

 その消えていく様が、本当に彼がいなくなっていく気がして、思わず手を伸ばしかけた。

 だが。


「……夕方」


 夜ではないのか。

 その言葉に引っ掛かりを覚え、リヴェルは待つしかないのだと悟る。

 自分は、魔法使いではない。ただの一般人だ。

 例え、秘術の元を託されたとはいえ。


「……、魔法」


 ウィルに教えられたことを思い出す。

 王族でないリヴェルは、秘術を完全には扱えないこと。効果が完全耐性にはならないということ。

 ただし、この懐中時計を持っていると、いくつか特殊能力が魔法の様に宿るということ。



〝これを知っている魔法使いは、極僅ごくわずかでね。きっと、君に有利に働くはずだよ〟



 使い方は簡単。念じるだけだという。

 ただし、王族は念じなくても勝手に発動してくれるのだそうだ。何と便利な代物か。

 リヴェルは王族ではないから、念じる必要性があるらしい。身に着けてさえいれば、必ず発動すると言っていた。


「……不意打ち食らっても、すぐに念じられる様に構えていないとな」


 不穏な気配を感じるのは、得意な方だと認識している。

 あの虐待の様に育ててくれた祖母のおかげで、気配を察知することだけは無駄に敏感になった。ありがたくないと思ってはいたが、生まれて初めて祖母に感謝する。

 それに、特殊能力の一つには、『通話』というものがあるらしい。いざとなったら、気付かれずに魔法使いや王族相手なら会話が出来るのだそうだ。

 もしどうしようもない状況になっても、魔法にはある程度対抗出来るし、通話も扱える。エルスターやステラが相手なら、それが可能なのだ。

 大丈夫。何とかなる。

 そう。



 ――何とか、なる。



「……夕方」



 もう一度、言われた単語をぽつりと反芻はんすうする。

 彼の身に、何が起こっているのか。

 それとも、自分達の周りで、もう既に動き出しているのか。

 分からないまま、知らないまま。

 それでも立ち向かうために、リヴェルはきびすを返し、いつもの場所へと向かっていった。











 かつかつと、静謐せいひつな足音が廊下に乱反射する。

 本当に静かだと、エルスターは女子寮を進みながら淡泊に感じた。放課後ならば、普通はこの時間帯でもぱらぱら人がいるはずなのに、今はそれが全くと言って良いほど見当たらない。まるで、自分以外の人間が、全て息絶えた様な錯覚に陥る。

 当然だろう。



 何故なら今、自分は、別次元の世界を歩いているのだから。



「……クラリス」



 目指すべき最終到達地点に辿り着き、かつっと足を止める。名を呼んでみた瞬間、舌に転がる不快さに眉をひそめてしまった。

 扉の前に立つ彼女は、しかし笑顔だ。

 花がひっそりと笑う様に咲きほころぶ笑みを浮かべているのに、その奥に眠る獰猛どうもうな毒が舌なめずりをしている姿が見えて、身震いがする。

 エルスターとしては、一刻も早く片したい案件だ。さっさと本題に入るに限る。


「マリアに何をしたのだね」

「真っ先にマリアちゃんのこと聞くってことは、もう朝からずっと疑ってたんだね。エルスター君も、人が悪いなあ」


 扉を後ろ手に閉めながら、責められたクラリスは屈託なく笑う。まるで、無垢な少女の様な姿は、見る者全てを騙す老獪ろうかいな狸だ。

 それもそのはずだ。

 エルスターは最初から、それこそ出会って友人になる前から気付いていた。知らないフリをしているのは、自分達にとって暗黙の了解だった。

 何故なら、彼女は。



「同じ魔法使いなら、わたしの気持ち、分かってくれると思ったんだけどな」



 ねえ、エルスター君。



 無邪気に呼ばれて、エルスターはハエを叩き落とす様に手を振った。

 彼女に同意を求められることほど腹が立つことは無い。魔法使いとして、――思いたくもないが、同士としては決して踏み込んではいけない領域に彼女は分け入ってしまったのだ。


 自分は、魔法使いが嫌いだ。大嫌いだ。


 けれど、彼女には最初からそれほど嫌悪を抱かなかった。

 魔法使いは、大抵ステラの様に淡泊で人の心にうとい者が多い。無神経な発言が多いし、それが余計に腹立たしかった。母の嘆きも思い起こしてしまうし、堪らなく拒絶反応が出るのだ。


 だが、クラリスはおよそ魔法使いらしくない魔法使いだった。


 感情の起伏が激しく、表情もよく回り、魔法使いというよりは一般の人間だった。自分の憎む匂いがしなかった。

 だからこそ友人となった時も、かなり珍しいことに彼女に憎悪を抱くことなく平穏でいられたのだ。

 それなのに。


「分からないのだよ。分かりたくもない」

「冷たいなあ。エルスター君だって、寿命、手に入れたいでしょ?」

「だからと言って、友人を傷付けてまで手に入れた命に何の意味があるのかね? お前さんは、マリアとも」

「だって、わたしとリヴェル君の邪魔をするんだもの。みんな消して当然でしょ?」

「――――」


 まるで伝わらない感触に、エルスターは歯噛みする。

 彼女自身が、既に宣言してしまっている。

 みんな消して当然。邪魔をする者はみんな消す。



 ――エルスターを襲ったのも、自分が邪魔をするから消そうとしただけ。



 ただ、それだけの理由だったのだ。

 結果的にリヴェルが大怪我を負ってしまったが、彼女にとっては些細なことなのだろう。



 それは、理性を失いながらも、頭脳を生かして立ち回る、厄介な成れの果て。



「……、いつからだね」

「え?」

「いつからだね。リヴェルが、魔女殿とくっついたその夜かね」

「ええ? 違うよお。わたしは昔から、こんなんだよ?」

「……、何だと?」


 きゃははっと楽しそうに笑う彼女が、妖しげに揺らぐ。

 こてんと首を傾げる様は、せ返る様な色香を急激に匂わせてきて、ぐらぐら世界が震えそうだ。


「あいつは、いっつも邪魔するんだもん。だから、好きな人ごと消そうと思ったのに、好きな人だけ消えちゃった」

「……、消す?」


 誰を、と聞く前に、クラリスが冷たく笑う。



「タリス」

「――――――――」



 その名を聞いた瞬間。

 エルスターの世界が、ぐらりと軋む様に揺らぐのがはっきり分かった。


「タリスは、最初からわたしが目を付けてたんだもん。なのに、あいつが横からさらっちゃって。だから、消しちゃった。王様にも頼まれたしね」


 てへっと舌を出しながら、クラリスはぺろりと白状する。

 軽快な口調なのに、その内容は至極凄惨だ。あっさりと暴露された所業の残酷さに、エルスターの息が乱れていく。

 タリス。

 その名をウィルが聞いたのなら、目の色を変えるだろう。

 タリスとは、ウィルの弟の名だ。



 ウィルが当時拠り所としていた、たった一人の――唯一の家族の名だ。



「タ、リス……だと?」



 何故、彼女の口からその名が出る。

 ウィルの弟は、成れの果てに殺されたと言っていた。もう二十年も前の事件だと聞かされていた。

 そしてこの二十年、ずっと首謀者を追っていると。ウィルは、狂った様な殺意を押し込めながら淡々と話していた。

 だが。

 まさか。



「……そんな前からなのか、お前さんが堕ちたのは!」



 見抜けなかったことに愕然とする。

 確かに、魔法使いと成れの果ての識別は決め手があるわけではない。

 ただ、成れの果ての場合は、言動のどこかに狂気が見え隠れするし、時折魔力も乱れる。知性はあっても、理性は無い彼らは、やはりどこかで異なる様子を見せるのだ。

 だが。



「堕ちたなんてひどい。わたしは、ただ欲望に忠実になっただけだもん」



 彼女は、それを今の今まで狡猾こうかつに隠していたことになる。

 その事実に、エルスターは深き底に叩き込まれた様にぞっとした。



 ――これが、狂気を隠した『成れの果て』。



 知識としてはあったが、出会ったのは初めてだ。だからこそ、余計に己の愚かさに絶望する。

 ふんふんと、後ろで手を組んで背伸びをするクラリスの姿は、可憐でいたいけな少女そのものだ。

 しかし、その手から伸びている糸は、か弱い動物を甚振いたぶる様に狙う鋭い狂気だ。触れれば最後、奥深くえぐられ、自由を奪われ、彼女の思い通りの道具に成り果てるだろう。

 そんな彼女が、今度はリヴェルを狙っている。

 つい先程別れた彼の姿が、やけに脳膜のうまくに貼り付いて離れなかった。


「だけど、やっぱりタリスが死んだら悲しくて、気が狂っちゃいそうだったの。だから今度は、殺さないことに決めたんだ」

「……リヴェルを、生け捕りにするつもりかね」

「そう。手も足も無くて構わないよ。ただ、逃げられなくすればいいだけだもん」


 笑顔で舌を可愛らしく出すその内容は、その実、無慈悲で残酷だ。

 その落差に、エルスターの心が凍える様に震えていくのが分かる。


「……、クラリスっ」

「でも、せっかく普通の女の子のフリしてたのになー。男の子って、そういうのが好きだと思ったのに、リヴェル君はすっごい鈍くて。やんなっちゃった。あんまり攻め過ぎて引かれても、近付いた意味ないし」

「……っ」

「でもでも、顔は可愛くて声はカッコ良いの! そのギャップもいいよね! 笑顔も素敵だし、優しくしてくれるし! 彼に触れるたびにあったかくて、やっぱり直接話せるって大事だなあって思ったよ」


 ふふ、と口元に手を当てて笑う彼女は、本当に恋する乙女そのものだ。

 なのに。



 ――その口で、彼女は言うのだ。好きな人の手も足も、文字通り無くて構わない、と。



「……、お前さん、リヴェルが好きなんじゃないのかね!」

「うん、そうだよ。だから今度は遠くから見てるだけじゃなくて、ちゃあんと友人にまでなったんだもん」

「だったら……!」

「でも、あいつに惑わされるリヴェル君は嫌い。だから、取り戻すの。もぎ取って」


 扉を開けて、クラリスが床に転がった影を鷲掴わしづかみにする。

 ぐいっと彼女に引っ張られた姿を目の当たりにして、エルスターの腹の底が凍える様に冷え切った。


「……マリア!」

「大丈夫。まだ生きてるよ。爆弾は埋め込んだけどね」

「っ!」


 さらっと文字通りの爆弾発言をして、クラリスは可愛らしく舌を出す。

 ぐったりと彼女の手の中で眠るマリアは、両手足をきつく縛られていた。魔法の縄だということは、すぐに知れる。普通の道具では切れない様にしたのは、リヴェルがもしもの事態で反乱を起こした時の保険か。


「マリアは関係ないだろう!」

「あるよ。だって、エルスター君の運命の相手だもん」

「……何?」

「ねえ、エルスター君だって、寿命が欲しいよね? だって『正統な』ハーフだもん。欲しいよね?」

「……っ」


 彼女が何故、マリアを狙ったのか。

 エルスターは、愛し合った者同士の子供ではない。だから、魔法使いの特性を引き継いでいる。寿命も、不老ではないが人よりも遥かに長いのだ。



 それを断ち切るのは、『恋をし、添い遂げること』。



 他の魔法使いと同じ手段しかない。

 最悪の予感が当たって、エルスターは膝を折りそうになるのを必死でこらえる。ここで膝を付けば、本当に彼女に敗北したことを認めることになるのだ。

 それだけは。


「ねえ、エルスター君、手伝ってよ。リヴェル君、夜に中庭まで連れてきて」

「……クラリス。君っ」

「怪しい素振りをしたら、即マリアちゃんの爆弾、起動しちゃうね」

「――っ!」


 はーいっと、親指でスイッチを押す様な動作に、エルスターの心臓が凍る。

 自分の青褪めた顔が傑作なのか、けらけらと彼女がお腹を抱えて笑った。目に涙まで溜めて床にうずくまる彼女に、歯がかちかちと鳴るのを止められない。


「恋を取る? 友情を取る?」

「……っ」

陳腐ちんぷだなーって自分でも思うけどね」


 ぐっとマリアの首根っこを掴み上げ、クラリスはデパートの紙袋を取り出した。そのままごそごそと中身を開き、器用にころんと手の平に乗せる。

 それは、エルスターがマリアにと差し入れたガラスのラッキー豚だ。可愛らしく、まんまるなフォルムが愛嬌を誘うお守りだ。

 何を、とエルスターが阻む前に。



 クラリスは、それを床に叩き落とした。



 ぱりん、と呆気なく豚が粉々に砕け散る。

 だが、それでも足りなかったのか、クラリスは容赦なく足で叩き潰した。ばりっ、ぐしゃっと、嫌な悲鳴を上げて、豚が無残に粉々に砕け散っていく。

 彼女の足元で鳴り響くガラスの絶叫は、後のマリアかもしれない。

 その瞬間。



「――っ!」



 あまりにも無残な光景を連想し、エルスターの喉が悲鳴で潰れる。

 それをおかしそうに笑いながら、クラリスは歪んだ眼差しで突き刺した。


「恋か友情か。陳腐な質問。ねえ、エルスター君。答えてよ」


 クラリスは今までの、どの笑顔よりも輝いた満面の笑みでエルスターに近寄り。



「リヴェル君。ちゃーんと、連れてきてくれる?」

「――――――――」



〝それでも俺は、……君が大切だと、思うよ〟



 ――リヴェル。僕は――



 吐息が触れるほどの至近距離でささやかれ。

 嘲る彼女の瞳に貫かれたまま、エルスターは視界が暗転していくのを感じ取った。


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