第48話
「マリアの調子が悪い?」
朝の食堂で、いつもの様に朝食を取っていた時のことだった。
リヴェルとエルスターが辿り着くと、いつもクラリスと一緒に席を取ってくれているマリアの姿が見当たらなかった。一日だって姿を見かけない日は無かったのにと、リヴェルは心配になる。
「うん。今朝、だるそうにしていたからね。念のために熱を測ったんだけど、結構高くって」
クラリスが心配そうに頬に手を当てて、遠くを見つめる。
恐らくマリアが寝込んでいる部屋の方角を眺めているのだろう。
「そっか。じゃあ、数日は授業にも出られないよな。……でも、クラリスは大丈夫か?」
「え?」
「何だか顔色が悪いぞ。マリアの風邪? だかが移ったりしてないか」
「え? え、……。……あ、ありがとう。大丈夫だよ!」
ほんのりと彼女の頬が熱を持った様に赤くなった。
やはり具合が悪いのかとリヴェルが身を乗り出そうとすると、エルスターに左腕を引っ張られて止められる。
「何だよ」
「クラリスのは違うのだよ。安心したまえ」
どこか不機嫌そうに、彼がリヴェルの考えを否定する。
彼がそう断言するのならば、何か根拠があるのだろう。――ふっと、昨日の食堂での出来事を思い出す。
クラリスは、いつもと様子が異なった。リヴェルの隣に座っていたエルスターの席を強引に譲らせたし、腕を絡ませてきたり、すり寄ってきたりと、いつもなら考えられない行動を取っていた。
――もしかしたら、という予想は当たっているのかもしれない。
その後の、命の話のやり取りや襲撃者のことなどもあって、すっかり忘れてしまっていた。
とはいえ、こちらからは特に切り出すつもりはない。クラリスからも、特に話題にしてくる様子は無かった。
こうして通常通りに会話が出来るのならば、リヴェルとしてはそれで構わない。
「お見舞い。……行きたいけど、無理だよな」
「駄目だよ、リヴェル君。女子寮に入るなんて、痴漢騒ぎになって逮捕されちゃうからね」
「ならば、僕は大丈夫だろう。世の女性の皆様に愛されているのだからね!」
「エルスター君は、益々不審者扱いされた後に、女性陣にぼっこぼこにされて牢屋に入れられちゃうからね」
「何故、僕の方が酷い扱いなのかね!」
納得がいかない、と全身で叫ぶエルスターに、クラリスがおかしそうに声を立てる。
こうして二人のやり取りを見ていると、本当に昨日のあらゆる出来事が夢の様に思えてきた。そんなはずは無いし、実際まだ右手首はあまり動かせないのだ。夢で終わるはずがない。
だが、こうして日常を実感していると、何となく安堵に包まれる。人間、一休み出来るひとときがないと駄目なのかもしれないと、しみじみ感じ入ってしまった。
「じゃあ、マリアへの差し入れを渡すからさ。クラリス、帰りに持って行ってくれないか?」
「いいよー。マリアちゃんも喜ぶと思う。……リヴェル君、優しいね」
「ん? 普通だろ」
「僕も彼女への美と感謝を捧げるために、何か」
「エルスター君は、下心丸見えだからきっと喜ばないんじゃないかな」
「僕の扱いが本当に酷いのだよ!」
あはは、と楽しげに笑うクラリスは、どこからどう見てもいつも通りだ。昨日の異常さが全く無かったかの様に消え去っている。
――何か、悪いものにでも憑りつかれていたのだろうか。
最近は、リヴェル達の近くで魔法使いの事件が立て続けに起こっている。自分の近くにいる彼女達が巻き込まれても不思議ではないだろう。
途端に、背筋がうすら寒くなった。彼女達まで、と思うと気が気ではない。
「……なあ、クラリス」
「うん、なあに?」
「何かさ、身近で不穏なことがあったら言ってくれよ。力になれるかは分からないけど、対策なら立てられるかもしれないしさ」
「え、――」
幸い、ステラやエルスターが魔法関連には詳しい。こっそり聞いて対処することも可能かもしれない。
そういった希望的観測もあったが、クラリスはぽかん、と固まってしまった。表情という表情が抜け落ちた様な無が訪れ、リヴェルの心が内心震える様に跳ねる。
何か、変なスイッチでも押してしまっただろうか。
焦ったが、しかし彼女はすぐに、ぱっと花を咲かせる様に笑った。
「ありがとう、リヴェル君!」
「え? あ、ああ」
「やっぱりリヴェル君は優しいね。誰かさんとは大違い」
「……もう、クラリスの毒舌には慣れたのだよ」
がっくしと肩を落として
あまりの驚きで、彼女の思考が停止したのだろう。常の様な明朗な笑みを見せる彼女に、リヴェルは深く考えずに追究することを止めた。
――だが、それがいけなかったのかもしれない。
思っても、いずれ同じ結果に辿り着いたかもしれないが、それでも。
リヴェルは、この時もっと奥に踏み込まなかったことを、生涯後悔することになるのを知らないまま、仮初めの平和を堪能するのだった。
「ふむ、これなんて良いのではないかね?」
「ん? 何だ、……って、エルスター。君、どうして豚なんだ。嫌がらないか?」
「そうかね? 僕はこの豚、可愛くて好きなのだがね」
「んー。まあ、確かにまんまるくて、可愛らしい顔してるけどさ」
放課後。
リヴェル達はマリアへの差し入れを買い
その一角で、水晶の置物の店があったので、せっかくだし立ち寄ってみようという話になったのだ。クラリスも目を輝かせてあちこち眺めているし、女性はこういう綺麗なものが好きな様だ。
そういう流れで、マリアに何か一つ買ってみようという話になったのだが。
豚。よりによって、豚。
始めはそう思ったのだが、よくよく見てみると可愛らしい。手乗りサイズな上に、全体的にまるっとしたフォルムはどこか愛嬌がある。エルスターが目を付けるのも納得がいく出来だった。
「んー、……確かに俺も……好き、かな。かなり可愛く作られてるよな」
「そうだろう? 僕の美的感覚に狂いは無いのだよ」
「えー、駄目だよ、エルスター君。豚さんなんて。マリアちゃんに嫌われちゃうよ?」
「がーん!」
「ん、んー、……やっぱり駄目か? ……何か、俺も結構愛着湧いてきたんだけど」
最初は豚なんてと思ったのだが、本当に愛らしい顔をしているのだ。丸いフォルムに、にっこり笑った顔は妙に目を惹く。
だが、女性であるクラリスが駄目出しをするのならば、マリアも喜ばないかもしれない。やはり猫や犬やハムスターなど、人気のありそうな動物にするべきかとリヴェルが顔を上げると。
「その豚のガラス細工、結構人気があるんですよ」
ぎゃいぎゃい騒ぐ自分達を見かねてか、店員がにこにこと近付いてきた。
営業スマイルではあるが、温かみがある色に、リヴェルも、崩れ落ちていたエルスターも耳を傾ける。
「そうなんですか?」
「ええ。可愛いって、女性の方も買われていきますよ。それは、ラッキー豚と言いましてね。幸運を引き寄せるし、お守りの意味もあるんです」
「へえ」
まさか、お守りも兼ねて売られているとは。
「お守りって、災厄除けの意味もあるのかね?」
「はい。評判ですよ。おひとつどうですか?」
「もらおう。いくらかね」
即決だ。
エルスターの素早い決断力と行動力に、リヴェルは舌を巻くしかない。彼はこれと決めたら、
でも、幸運を引き寄せる効果があるのならば、彼女も喜んでくれるかもしれない。ましてや、エルスターからの贈り物だ。何だかんだ言いながらも、はにかむ様に目を細める姿が鮮やかに思い浮かぶ。
――きっと、二人は互いに思い合っているはずだ。
そうリヴェルが確信したのはあの祭りの時だが、恐らくずっと前から二人の想いは
「……お? エルスター、二つ買ったのか?」
「うむ。僕も気に入ったからね」
「はは。お揃いか。仲良いな」
「ち、ちちちちちち違うのだよ! これは、その! 本当に気に入って」
「ああ、そうだろうな。最初に目を付けたのは君だ」
一目見て気に入ったのだろう。即決したのも、店員の説明の後押しがあったからだ。
彼は、何だかんだ言いながら可愛いものが好きだと思う。マリアからもらったあざらしも律儀に鞄にぶら下げているし、本当に可愛いのが駄目ならば、身に付けたりしないだろう。
「……、何だね?」
「ああ、いや。マリアもきっと気に入ってくれるさ」
「……だと良いのだがね」
「そこは自信持てよ」
ばしっと背中を叩けば、エルスターが
「じゃあ、俺はスープとか、そういう病人が食べやすそうなものを買おうか。地下に食料品売り場があるよな」
「うん、あるよ! 行こっか」
「おーい、エルスター、行くぞ」
「ああ。……今、行くのだよ」
上品な袋を二つ抱え、エルスターが後に続く。
その袋をじっと彼が見つめているのは、遠くで苦しむ彼女のことだろうか。
――早く、また一緒に集まれると良いな。
願いを抱きながら、リヴェルはクラリスに案内され、地下へと続く階段を下りた。
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