第32話


「ステラはさ、死ぬのって恐いか?」


 ある日、いつもの様に丘から街並みを見下ろしていると、風に銀の髪をなびかせながら友人がそんなことを聞いてきた。

 彼が言った意味を噛み砕き、ステラは首を傾げる。何故そんなことを聞くのか、不思議でならなかった。


「私は、死なない」

「ぐっ! ……い、いや、確かに不老だけど! それでも、致命傷負ったり、病気になったら死ぬんだろ?」

「うん」

「じゃあ、何で死なないなんて断言できるんだ……。ステラは相変わらずよく分からないなあ」


 困った様に笑われて、ステラも困ってしまった。

 そうは言われても、自分は本当に遥かな時間を淡々と生きてきた。戦の中で死ぬこともなく、命に関わる病にかかったこともない。戦闘力も魔法使いの中では上の方だということは、自他ともに認めるところだった。

 故に、己の死が想像出来ない。


「じゃあ、あなたは死ぬのが恐い?」


 なので、淡泊に問い返してみた。特に興味があったわけではないのだが、前に「会話をつなげよう!」と彼に言われたので、実行してみただけだ。

 しかし。


「うーん、どうかな?」


 質問をした当人が、答えを持ち合わせていなかった。

 彼はよく笑い、よく喋り、よく動く。

 だからだろうか。結構な確率で、彼が理解出来なかった。


「あなたに分からないのに、分かるわけがない」

「えーっとー、……あー。いや、恐いとは思うんだけど。実際、村でステラに助けられた時は死ぬんじゃないかって恐かったし」


 では、恐いのではないのか。


 そう思ったが、彼は分からないと言う。

 やはり彼の言葉は理解出来ない。死にそうになって恐いと言うのなら、死ぬのは恐いのではないのか。

 ステラにとっては単純な話に思えたが、彼にとってはそうではなかったらしい。うーん、と更にうなって、また困った様に微笑んだ。


「確かに恐いんだけど、なあ。……何か、しっくりこないっていうか」

「どうして」

「う、ぐ。……どうしてだろう。でも」


 丘から街並みを見下ろしながら、彼は遠くを望む。

 何となく、街ではなく別の何かを見つめている様な雰囲気に、ステラも大人しく黙った。

 さらさらと、風が心地よく吹き抜けていく。彼の銀の髪を撫でながら、嬉しそうに風が踊っている様にステラには思えた。


「死にそうになった時、確かに恐かったんだけど。それ以上に、何か、別の意味で恐かったっていう、か」

「何?」

「うーん、……あー。死ぬことよりも恐かったっていうか、……あー! やっぱり恥ずかしい! 無理!」


 いきなり大声でわめいてしゃがみ、ぐしゃぐしゃと髪を乱暴に掻き混ぜる。

 彼は言葉だけではなく、行動も意味不明だ。友人になってもうすぐ一年経つが、ステラは一向に彼を理解することは出来なかった。

 疑問符を盛大に浮かべていれば、彼は何故か顔を真っ赤にして睨み付ける様に見つめてくる。風邪でも引いたのだろうか。ならば、早々に城に戻らなければならない。


「風邪? 帰る?」

「え! いや、……も、もう少し」


 一緒にいたいんだけど。


 真っ赤だった顔が更に真っ赤にで上がった。

 こういう症状も彼にはよく表れるのだが、彼曰く「自然と治る」のだそうだ。やはりステラには論理が見えない。


「あー、もう! これじゃあ、いつステラに想いが届くんだか……」

「思い?」

「おうっ!? ……いや、あ。あー、……す、ステラ! それよりさ、頼みがあるんだけど」

「何」

「……そういう淡々としているところ、好きだけどなあ……」


 でも、そうじゃなくて。


 がしがしと頭を掻きながら、彼が改めて向き合ってくる。炎の様に燃え上がるその瞳の色には真剣な光が差し込んでいて、ステラも向き直った。

 彼は、少しの間何かを言いかけては止めていたが、視線は一度も逸らさなかった。よほど大事な話があるのだろう。

 だから、ステラも何をするでもなく、彼の視線を受け止めた。彼の語る内容は大半が意味が分からないが、それでも何かしら自分に重要な意味を持つ気がしたからだ。


「……ステラはさ、死が恐くない、のかもしれないけど」

「うん」

「でも俺は、……死ぬのを、恐がって欲しいんだ」


 いきなり何を言い出したのだろうか。

 本気で意図が掴めなくて首を傾げると、彼も苦く笑った。「あー」と上手く伝えられないのがもどかしいのか、頬をぽりっと軽く掻く。


「ステラは、死が恐くない。ってことは、いつ死んでも別に構わないって言われてる気がするんだよなあ」

「うん。構わない」


 自分は、充分過ぎる時間を生き抜いた。普通の人間にとっては化け物の様な時間を渡り歩いてきた。

 特に、目的も無い。だから、死んでも特に何も思わない。

 だからこその即答だったのだが、彼は何故かとても悲しそうに目を細めた。何となくその瞳が濡れている気がして、失言だったらしいと気付く。


「でも、俺は嫌だ」

「……何が」

「ステラが死んだら、嫌だ」


 笑って、けれど静かな強さで言い切られる。

 その語気に、何故か胸が穿うがたれた様に痛んだ。まるで、彼の全てをぶつけられた様な衝撃に、ステラは彼を真っ直ぐ見つめ続ける。


「ステラは死んでも構わないのかもしれないけど、俺は君が死んだら嫌だよ。悲しい。泣くよ」

「嫌。悲しい。泣く」

「そう。……だからさ、何ていうか、……もっと、自分を大切にして欲しいんだよ。君は何というか、自分の命に無頓着な感じがするから。死ぬのを恐がる様になってくれたら、もっと、……自分を大切にしてくれるかなって、思って」

「……」


 だから、あの質問だったのか。


 おぼろげにではあるが、彼の質問の意図を見出してステラは納得する。

 ただ、納得はするが、理解は出来ない。

 自分が死んだら悲しむし、泣くと彼は言う。そんな風に告げられたのは初めてで、ステラは困惑するしかない。


 命ある者は、いつか必ず死ぬ。


 自分は死なないと思ってはいるが、確かに彼の言う通り殺されれば死ぬし、命に関わる病にかかっても死ぬ。

 そして、本来死ぬという事実は、命を持つ者にとっては自然の摂理だ。ただ、魔法使いが異質なだけである。

 だから、悲しむ必要も無い。何故泣くのだろうか。

 疑問が更に疑問を呼び、ぐるぐると考え込んでいると彼は思い切り噴き出した。


「何?」

「いやあ、……ステラは、やっぱりステラだなって。まあ、そういうところが好きなんだけど」

「そう」

「……そういう淡泊なところも好きだよ! 馬鹿!」


 何故か怒鳴る様に宣言され、ステラは「ありがとう」と平坦に返す。

 自分も、彼は好きだ。

 魔法使いである自分を友人だと宣言し、毎日の様に会いに来てくれる。

 おかげで、一人で淡々と過ごすのが当たり前だったのに、この一年ですっかり彼がいない一日が味気なくなってしまった。

 ステラ自身、少しは変わったのかもしれない。


 ――ならば、変わるのだろうか。


 今は、死が恐くないけれど。

 いつか、彼が言う様に――。


「はあ……。死ぬのが恐くなる様な理由に、俺がなれればなあ……」

「理由?」

「そうだよ! 俺が恐い理由がある様に」

「何」

「……っ! だから! 恥ずかしいんだ! 兄さんにも散々からかわれたし!」


 ウィルのことを思い出したのか、彼が「ああああ」と頭を抱えてうずくまった。ごん、と地面に頭をぶつけ、今度は痛みで悶えている。

 彼の兄であるウィルは、彼と違って割と落ち着いた言動を取る人物だ。

 しかし、その反動か、かなり性格が悪い。「愛しい弟よ」とのたまいながら、彼をからかうことに全力を注いでいた。

 故に、いつも弟が叫ぶ羽目に陥り、ウィルは楽しそうに笑っている。王宮の中でも「またあの二人は」と呆れられながら、微笑ましそうに見守られているのが常だった。

 彼らはいつも喧嘩が絶えなかったが、仲はとても良さそうだった。

 ステラとしても、二人を見ているのは悪い気がしない。つまり、そういうことなのだろう。

 ステラはこんな風に過ごす日々に、満足していた。

 そう。

 いつまでも、続くと思っていた。

 それなのに。






「……、タリス?」


 真っ赤な血。虚ろな瞳。潰れた体。千切れた腕。

 全てが、夢の様に流れていった――現実。



「……、すて、ら。……どう、かっ、……い、……っき、て、―――――」



 こんな風に、呆気なく。

 命の終わりは、くるものなのだと。


 ステラはこの日、初めて知った。









「魔女殿」

「――」


 ぼんやりと、ステラが何をするでもなく裏庭に座り込んでいると、声をかけられた。

 その声は知っている。リヴェルを通して会う前から、本当は顔見知りだった。城で何度も顔を合わせている。

 ただ、互いに知らないフリをしていただけだ。魔法使いは、周囲に詮索をされると面倒なことが多いから初対面を装う。ただそれだけのために。


「……、エルスター」


 動くのも億劫おっくうだったが、振り返らないわけにはいかない。

 故に、緩慢に視線だけをそちらに向ければ、彼は物凄い不服そうに佇んでいた。腕を組んで、今にも背を向けそうな勢いである。

 実際、彼は自分に声をかけてくるのは避けていたはずだ。理由は知らないが、それだけ自分を嫌っていたのだ。

 しかし、彼は今、自分から声をかけてきた。

 隣には、見覚えのある少女も並んでいる。紺碧の髪を優雅に流した彼女は、確か一度カフェでやり取りをしたリヴェルの友人だ。


「……と、マリア?」

「はーい、そうよー。覚えててくれて嬉しいわー」


 にっこり笑って、マリアが手を上げる。

 だが、目はあまり友好的ではない。自分が魔法使いだとは知らないだろうが、何か感じるものでもあるのかもしれない。


「授業サボった甲斐があったわー。エルスターってば、ほんっと水臭いんだからー」

「……別に、来て欲しいと頼んだ覚えはないのだよ」

「あらまあ。あんなに誰か殺しそうな顔をしていたら、誰だって気になるでしょー?」


 あっけらかんと言い切られ、エルスターはこれ見よがしに嘆息していた。

 しかし、言葉に反して邪険にしている感じではない。外向そっぽを向きながら、少し視線が和らいだ。


「……まったく。まあ、お前さんがいてくれた方が、僕も冷静になれる気はするのだよ。だから、感謝だけはしておこう」

「ほんっと、素直じゃないんだからー」

「感謝は示しているではないかねっ」

「はいはい」


 何となく殺伐としているが、二人共特に不快ではなさそうだ。むしろ、どことなく寄り添っている風にも映って、ステラは首を傾げた。

 二人の距離は特別近いわけではないし、顔も背けている。

 なのに、何故寄り添っている様に見えたのだろう。一度だけ、こしっと目をこすってみたが、特に変わらない。目がおかしくなったわけではない様だ。


「何か、用」

「ふむ。リヴェルが全くお前さんに会えないと言うからね」

「――」


 ぴくっと、反射的にステラは体を強張らせる。

 そんな自分の反応に、彼はあからさまに眉を寄せた。不快そうに、ふんっと鼻息を鳴らす。


「けれど、彼が授業に出ている時間に、お前さんがこの裏庭にいるのを僕は知っていたのだよ」

「流石、エルスター。プレイボーイなだけあるわー」

「マリア! だから」

「リヴェル一番なあなたとしては、プレイボーイの情報網を使わない手はないわよねー」

「―――――」


 一瞬、エルスターが絶句する。何となく、不意を突かれたのだとステラも気付いた。

 マリアは、してやったりな顔をして微笑んでいる。どうやら、この二人だと彼女の方が一枚も二枚も上手うわてな関係らしい。


〝兄さんにも散々からかわれたし!〟


「……」


 一瞬。

 ほんの一瞬だが、ウィル達兄弟の仲睦まじい姿を思い出し、ステラは自然と視線が下がっていった。


「ふむ! そんなことはどうでも良いのだよ! 魔女殿、話がある」

「……、何」

「決まっている。リヴェルのことなのだよ」


 直球で斬り込まれ、ステラは切り返しが出来なかった。

 同時に、あの夜の彼の様子を思い出してしまう。


〝……っ! い、っ〟


 彼は、怯えていた。

 自分に。

 魔法に。


 ――殺される、と。


 本気で怯え、震え、後ずさった。

 自分から、大きく距離を取った。

 その瞬間。



 とてつもなく強い恐怖がステラを支配し、嘲笑う様に真っ黒に抱き込んだ。



「……、リヴェルとは、会わない」

「何故だね」


 分かっているくせに。


 思わず出かけた言葉に、ステラ自身が驚いた。目を丸くして、今度は自分が絶句する。

 その隙を、エルスターが見逃すはずが無かった。



「ふむ。良い気味だね、魔女殿。――恐くなったのは、お前さんの方だとはね」

「――」



 瞬間。

 深い部分を刺された様に、ステラの胸に痛みが走った。


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