第33話


「ふむ。良い気味だね、魔女殿。――恐くなったのは、お前さんの方だとはね」

「――」



 言われた意味が分からない。

 だが、どこかで自分の深い部分を刺された気がして、ステラは反射的に彼を睨んでしまった。

 何故、こんなに感情が荒れているのだろうか。普段なら、怒りが湧いたとしても特に波立たないはずなのに。

 それなのに。



〝――うああああああああああああああああああああっ!!〟



「――っ」



 リヴェルの絶叫が、耳にこびり付いて離れない。



 目の前で人が破裂し、彼はひどく混乱していた。取り乱し、自分さえ拒絶した。

 彼は、元々魔法を恐がっていた。人の死を恐がっていた。本当なら、自分と言葉を交わすことだって恐かったはずだ。

 けれど。



〝俺と、友達になってくれないか?〟



 それでも、彼は自分に歩み寄ろうとしてくれていた。



 自分を知りたいと。

 自分と友人になりたいと。

 自分のことを教えて欲しいと。

 震えながらも、彼は手を差し出してきた。

 二十年前の友人と同じく。

 いや。



 ――それ以上に。彼は、真正面から自分にぶつかってきてくれた。



〝話せないから馬鹿とか、簡単に人を馬鹿にするなよ! 正論だからって、相手を傷付けていいわけないだろ!〟



 彼は、自分の無礼を真っ向から怒鳴って、叱りつけてきた。

 だけど。



〝じゃあ、任せるぞ。飼い方とか、分かるか?〟



 さっきまでは怒っていたのに、笑って、謝ってきて。

 自分に、大切な『命』を任せてくれた。



〝……、ただの、自己満足だよ〟



 戦う力も無いのに、猫のために命を張って。



〝だから、……たかがって、言わないで欲しいんだ〟



 傷付きながら、命を抱き締める強さを持つ人だった。



 不思議だった。

 何故、彼はこんなに一生懸命に他者の命を守ろうとするのだろう。

 怯えていたのに。震えていたのに。

 何故、命を張ってまで猫を守ろうとしたのだろう。



〝ひ、人が死んだら、普通は恐いし、悲しいだろっ〟



 かつての友人と、同じことを言った彼。

 自分はあの時、友人のタリスの言葉を思い返していた。

 タリスは、自分が死んだら嫌だし悲しいし泣くと言っていた。

 理解が出来なくて悩んでいる自分に、あの時友人は噴き出していたけれど。

 彼は、違った。



〝少なくとも、俺は。人が死ぬと、……恐いよ〟



 リヴェルは、笑わなかった。



 人が死ぬのは嫌だ。恐い。大切な友人が死んだら、崩れ落ちる。

 何故、人が死んだら恐いのか、嫌なのか。

 悩む自分に真正面から向き合って、己の考えを、感情を教えてくれた。


〝い、いやな、ステラ。あのな、女性がそんなに男性に顔を近付けたら、駄目だ〟

〝どうして〟

〝どう、して。えーと、……無闇むやみに誘ってるって、周りに誤解される、から?〟


 彼はどんなことでも、自分が分からないことはきちんと説明をしてくれる。


 だからと言って、やっぱり自分が意味を全て理解することは出来なかったけれど、それでも根気強く向き合ってくれた。

 彼は、意味も無くよく慌てるし、頑固だし、色々ぶつかって怒らせてしまうこともよくあった。その度に、どうして彼は慌てて、頑固になって、怒っているのだろうと疑問だった。


〝さすが、愛人の子は愛人。落とす相手が違うねえ〟


 彼が落ち込んでいるのを見ると、何となく胸の辺りがもやもやして。

 それでも、最後に笑ってくれた時には何となく安堵する自分がいた。

 だけど。



〝……っ! い、っ〟



 最後に見た彼の顔は、恐怖と拒絶で歪んでいた。



「……、私は、……」



 何か反論をしようとしたのに、全て口の中で雪の様に溶けていく。焦れば焦るほど、頭の中から言葉が零れ落ちて行った。

 そんな自分を、嘲る様にエルスターが見つめてくる。その瞳がまるで、「ほら見たことか」と突き刺す様に自分の胸の奥を痛めつけてきた。

 恐い。


 ――違う。


 恐くない。恐いはずがない。自分に、恐いものなどない。

 だけど。


〝じゃあ、改めて。俺はリヴェルだ。よろしく、ステラ〟


 追い打ちをかける様に、彼の優しい笑顔が胸を叩く。



 ――そういえば、いつから彼の笑顔を見ていないだろう。



 思って、また彼のことを考えてしまう。これ以上考えたら、恐怖の原因に突き当たりそうで胸の辺りがざわざわした。

 だから考えたくなかったのに、それでも考えてしまうのは、普段から彼の笑顔が何となく気になっていたからだ。

 彼の笑い方には、ふとした瞬間に諦めの色が混ざることがよくあった。どうしてそんな笑い方をするのだろうといつも不思議に思っていた。



 ――もっと、笑えば良いのに。



 そんな諦めの色なんて混ぜずに、普通に笑えば良いのに。

 もっと、普通に。

 そう。


〝あ、はは! そうだな。……嬉しいぞ〟


 倉庫から出てきた時みたいに、晴れやかに。あんな笑顔が彼には似合う。

 そう、思った。

 これからも、そんな笑顔が見れるだろうか。

 彼の隣で、もっと色々教えてもらえるだろうか。

 分からないことが、分かっていく様になるだろうか。

 そう、思っていたのに。



 自分は今、彼に拒絶されている。



〝――恐くなったのは、お前さんの方だとはね〟



 先程のエルスターの言葉が、胸に棘の様に刺さって抜けない。

 何が恐いと言うのだろうか。恐いことなんて、今まで何もなかった。

 なのに。


〝死ぬのを恐がる様になってくれたら〟


 ――自分は。


「ねえ、ステラ」


 マリアが、思考の合間に割り込んでくる。

 顔を上げれば、彼女は少しだけ笑っていた。先程は友好的ではなかったのに、何故だろうと首を傾げる。



「あなた。リヴェルのこと、好きよね」

「――」



 ぐさりと、心臓を貫かれた様な痛みが走った。

 リヴェルのことが好き。

 それは事実だ。

 それなのに、咄嗟とっさに返せない自分がいることに二重の意味で衝撃を受けた。


「……はーあ、やっぱり。エルスター、これはもう観念するしかないわー」

「……」

「……待って。リヴェルのことは、好き、だけど。何が観念なの」


 ぽんぽん話が進められていって、頭の芯が熱にてられた様に火照ほてってくる。

 意味が分からない。

 ――否。


 何となく、意味が分かっている。


 この曖昧なもやもやした感覚に、心がざわざわと揺れてもどかしい。きゅうっと心臓を掴まれた様に圧迫されて、自然とステラの体が震えた。


「ステラは、自分からリヴェルに触れたりしてたんですってねー」

「? 触れた」

「エルスターから聞いたわー。二人は時折触れ合ってたって」


 どうだっただろうか。

 示唆しさされて、ステラは思い返す。

 確かに、リヴェルから髪に触れられたり、頭を撫でられたりしたことはあった。泣く様に、肩に顔をうずめられたこともある。それが気持ち良くもあったし、嬉しくもあった。

 自分からだと、頭を撫でたり――後は倉庫の事件の時だろうか。あの時は彼の手を自ら取った様な気もするが、それが何だというのか。


「あるけど」

「じゃあねー、他の男に触れられるのって、どうかしらー?」

「他の男」

「そう。誰彼かまわず、体を許したりする?」

「ちょっ、……マリア、下品なのだよ」

「あらー、だってこれくらい真っ直ぐ言わないと、通じ無さそうなんだものー」


 エルスターのたしなめに、マリアが悪びれも無く言い切る。

 だが、ステラには意図が掴めない。そもそも、意味が分からなかった。


「マリア」

「なーに?」

「体を許すって、どういうこと」

「……」


 途端、唖然あぜんとしたマリアの表情が目に入った。

 何故、そんなに驚いているのだろうか。彼女の反応が不思議で、じっと見つめてしまう。


「……なるほどねー。ここまでとは思わなかったわー」

「学習したかね」

「ええ。……うーん、そうねー。つまり、誰彼かまわず男に髪とか体に触れられるのって、嫌でしょーってことよー」


 言い直されて、合点がいく。

 体を許すというのは、髪や体に触れられるという言い換えなのだと知った。覚えておこうと、ステラは秘かに脳内のメモに刻む。

 そして、誰か別の男が体に触れてきたらどう思うか。

 リヴェル以外の男に、髪に触れられたり頭を撫でられたり肩に顔を埋められたりしたら。



 ――ぞわっと、一瞬で肌が逆立つ様に粟立った。



「うん。嫌」

「でしょー」

「リヴェル以外、嫌。……」


 断言して、唐突にステラの目の前が開けていく。急に広がった視界に、しかし戸惑うことしか出来ない。

 リヴェル以外に触れられるのが嫌。

 それは、どういう意味だろうか。


〝い、いやな、ステラ。あのな、女性がそんなに男性に顔を近付けたら、駄目だ〟


 不意に、いつかのリヴェルの言葉が浮かんだ。

 あの時、彼は女性が男性に顔を近付けたら駄目だとさとしてきた。

 何故だろうと、最後まで理解は出来なかったけれど。


〝と、とにかく! 恋人にだけしような! うん!〟


 恋人。

 好きな人。

 その相手にだけなら、許される行為。

 それは。


「分かったかしらー?」

「……」

「もう一度聞くわー。あなた、リヴェルのこと好きよね」


 質問ではなく、確認だ。

 いくらステラでも、それくらいの空気は読める。

 彼女は、断言しているのだ。



 ――自分は、リヴェルに恋をしているのだと。



「……、それは」

「私はねー。ずっと、リヴェルにはクラリスとくっついて欲しいと思っていたわー。だって、クラリスは可愛い友人だものー」


 さえぎって、マリアがわざとらしく大声を上げる。

 何故このタイミングでそんな話をするのだろうか。それに、クラリスとくっついて欲しいと願うなら、ステラにこんな気持ちに気付かせる必要が見当たらない。

 だが。



「でもね。……私にとっては、リヴェルも大切な友人なのよー」

「――」



 挑む様に、マリアがステラを真っ直ぐに射抜いてくる。

 それを受けて、自分も逸らすわけにはいかなかった。理屈は分からないが、何故か逸らしては相手に失礼だと直観したのだ。

 どれだけの間、彼女と見つめ合っていただろうか。

 先に視線を逸らしたのは、マリアの方だった。溜息を吐き、一瞬だけ悲しそうに眉根を寄せる。


「リヴェルは、本気であなたを求めているわ。それが分かったし、彼は頑固だし、もう腹も決めちゃったらしいから。……ここまできたらもう、背中を押すしかないじゃない」

「……、マリアよ」

「エルスター。あなただって同じでしょー。じゃなきゃ、ステラに一人で会いになんてこなかったでしょうよ」

「……、その通りなのだよ」


 苦虫を潰した様に、エルスターが視線を逸らす。

 別に、ステラが歓迎されているわけではない。

 だが、彼らはリヴェルのためにここに来たのだ。自分に会って、膠着こうちゃくした状況を動かそうとしたのだ。



 ――彼らは、本当にリヴェルを大切に思っている。



 それが伝わって、何故だか泣きたい気持ちになった。


「リヴェルのこと、二人共大切に思ってる」

「……っ、ま、まあそうなのだよ! 友人だからね!」

「何でそこでツンデレデレになるのかしらー。もちろん大切よー。私のことも、色眼鏡なしで見てくれる人だしねー」

「だったら、本当に私でいいの」


 そこまでリヴェルを思っているからこそ、謎だった。

 エルスターは、自分を嫌っている。マリアも、クラリスの方がより好ましいと感じている様だ。

 それなのに、彼らは言うのだ。リヴェルに会えと。

 だが、ステラの発言にマリアは呆れた様に肩を竦めた。「あらあらー」と、少し楽しげに口元に笑みを乗せる。


「弱気ねー。初めに抱いていた印象とずいぶん違うわー」

「……」

「でも、……そっちの方が、私は好きよー」

「……、好き」

「そ。だって、お話してからの方が、ずっと好みだものー」


 人間らしくて。


 ぱちんとウィンクする彼女の瞳には、嫌悪は見当たらなかった。その視線に、とんと背中を押された気がして、思わず手を背に回す。


「あ、でも勘違いしないでよねー。ちゃーんとクラリスの背も押すわよー。フェアじゃないでしょう?」


 にっこり笑って、牽制けんせいの様なものもしてきた。やはり、彼女の心情としては友人に肩入れしたいのかもしれない。

 だが、彼女の瞳には微かにさみしそうな色合いが乗せられていた。その出所がステラには思い当たらなかったが、エルスターになら分かるのだろうか。

 彼の方を見やれば、依然として苦々しそうな表情を晒している。腕を組んで、じっと耐える様な姿勢は、ステラを拒絶もしていた。

 だが。


「魔女殿、リヴェルに会って欲しい」

「……」

「嫌だと言うのなら、僕がこの手で引きずってでも連れていくのだよ。覚悟したまえ」


 ぎっと、一度だけ真っ向から視線を刺してきた。

 すぐに逸らされてしまったが、その眼力の強さで彼の思いは十二分に伝わってくる。本気だろう。――彼なら、恐らくそれが可能だ。


〝金魚。ちゃんと、面倒見てくれてるんだな〟


 いつか、金魚を前にリヴェルと二人で会話していた時を思い出す。

 確か、自分が大発見をした話をした時だ。水槽の外で指を滑らすと、金魚が可愛らしく付いてくるのだと、リヴェルにお披露目をした。

 そうしたら、リヴェルが嬉しそうに笑って。

 それが、自分も嬉しくて。

 何気ない話をして、そして。


〝ほんとだな。ずいぶん懐いたじゃないか〟

〝うん。……最近、かわいい〟

〝へえ。そっか! それは、託した甲斐があったな〟


 ――頭を、撫でてくれた。


「……、リヴェル」


 無意識に、頭に手がいく。

 撫でられた感触は、とても暖かくて気持ちが良かった。まるでリヴェルの優しさがそのまま伝わってくる様で、心地良かったのだ。


 ――ああ。自分は、こんなに彼に惹かれていたのか。


 思い知らされて、観念する。

 彼と、何でも良いから話がしたい。笑って欲しい。泣いていたら、また頭を撫でたい。


 ――あんなに、恐いと拒絶されたのに。


 それでも会いたがっている自分がいた。認めざるを得なくて、一度瞳を閉じる。

 瞼の裏に浮かぶのは、木漏れ日の様に笑う彼の優しさ。

 もう一度会いたい。会って、話がしたい。


 ――会って、くれるだろうか。


 葛藤していると、すりっと足元で柔らかな感触が触れてきた。

 目を開けて見下ろせば、いつの間に寄ってきていたのか、綺麗な毛並みの猫が丸まっている。



〝手を動かせば良いさ。撫でてあげな。喜ぶぞ〟



 忘れもしない。

 足元にすり寄ってくれている鮮やかなグレー色の猫は、リヴェルのおかげで初めて自分が触ることが出来た存在だ。


 ――応援してくれているのだろうか。


 自分は、猫と会話が出来るわけではない。

 だが、ちらりと見上げてくる猫の目が、何故か頷いている様に見えた。

 意を決して顔を上げれば、二人もそれぞれに頷いてくる。

 ここまでお膳立てされてしまったのだ。それに、既に自分の気持ちが定まってしまっている。

 ならば、もう会うしかない。



〝死ぬのを、恐がって欲しいんだ〟



 かつて、友人から授かった言葉が遠くから聞こえてくる。

 何を恐がれば良いのか。

 分からないけれど、今なら何となく分かる気がした。


 ――あの夜。


 初めて、リヴェルと言葉を交わしたあの夜。



〝――死んだら、―――――――――〟



 自分の質問に、答えてきた彼の言葉を聞いた時から。

 もう、こうなることは決まっていたのかもしれない。


 思った時にはもう、ステラの心は彼のところに飛んでいた。


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