第34話
「よーし、見てろよ、リヴェル! お父さん、張り切っちゃうからな!」
お祭りの日に、父は張り切って腕まくりをし、金魚の前に立ちはだかった。
今思えば、息子であるリヴェルに良いところを見せたかったのだろう。もうすぐ、一緒に暮らせるかもしれないという浮き足立った気持ちもあったのかもしれない。
だが、リヴェルにとっては、どちらでも構わない。
ただ、父が自分のために何かをしてくれた。
それだけで、充分だった。
例えば、この時に金魚が取れなかったとしても、リヴェルには不満など一切無かった。
父と共に祭りを回れる。普段いない父が、自分に笑いかけ、一緒に過ごしてくれる。
それが、どれほどの幸せを与えてくれていたか。父は、きっと最期まで気付かないままだっただろう。
「大切にするんだぞ。父だと思って!」
絶対に大切にすると誓い、受け取った金魚。
その約束の金魚は、無残にも死なせてしまった。直後、父の訃報も届けられた。
あの日から、自分は後悔と後ろめたさで足踏みしてしまっていた。実際、今でもふとした瞬間に
だけど。
もし、許されるのならば。
「君の腹が決まったなら頼むよ。今度こそ」
彼らに、背を押されながら。
もう一度、自分はあの日から一歩を踏み出そう。
「やっと来たわねー、遅かったじゃない。二人で逢引きでもしてたのかしらー?」
祭りが賑やかに
空と同じ色の
エルスターと、そしてマリアが説得してくれたおかげで、この祭りの日にステラが会ってくれることになった。
喜びが大きい反面、緊張も大きかったのだがマリアには全てお見通しの様だ。相も変わらず口の減らない彼女に、リヴェルは苦笑してしまう。隣で憤慨するエルスターを横目に、肩を
「マリア……俺、男に興味はないからな?」
「その通りなのだよ、マリア!」
「あらー?」
首を捻って、マリアが扇子で口元を隠す。その仕草がまるで「本当かしらー」と語っている様で、エルスターが更に憤慨してしまった。
「まったく、失礼なのだよ。この美男子を捕まえて、よくもそんなことを言えたものだね」
「あらー。だって、仲が良いじゃない」
「絶世の麗しの美女ならばともかく、こんな
「ひどい言われ様だな。……やっぱり襲うか」
「おい、リヴェル! 冗談はやめてくれたまえ! 気色悪い!」
「俺も言ってから気色悪くなったぞ。はあ……」
軽口を叩き合うリヴェル達に、マリアは扇子を口元に当てて面白そうに笑うだけだ。自分が仕掛けた悪戯が成功した様な笑い方に、益々リヴェルの顔に苦みが広がった。
「マリアは本当に性格が悪いよな。何で、世の中の男はマゾが多いんだ」
「あらー、それは需要があるからよー。解放されたいの、新たなる世界へ」
そんな世界は嫌だ。
心の底からの本音が
竦めた肩を落としていると、何故か隣のエルスターは忙しなく体の位置を変えている。どうしたんだ、と声をかけようとすると。
「あー、……し、しかし、えー、マリアよ」
「なあに?」
「……あー、その扇子、なかなか良いではないか。確か、東の国の品物だったかね」
いきなり腰に手を当てて、何度も咳払いをするエルスターに、マリアと一緒にリヴェルは目を点にする。
「ええ、そうよー。……ふーん、流石プレイボーイ。東西南北のプレゼントに通じているわけねー」
「当然だろう。男の
しどろもどろになりながら、エルスターは視線を斜め下に落とした。落ち着きなく視線がぶれているのをリヴェルは見逃さない。
こうして彼の気持ちに気付いてしまえば、察するのは簡単だ。本当にマリアの前では挙動不審になるな、と温かい目になってしまった。本気の相手にはなかなか上手くいかないというのが、彼の可愛いところだ。
「扇子、好きなのかね」
「んー、まあねー。本当は学院にも持って行きたいんだけど、東の扇子だと季節感ってあるしねー」
「……」
「だから、お祭りならと思って」
「季節など関係ないのだよ。……ふむ。前に、お前さんに似合いそうな扇子を見かけたのだよ。今度贈ろう」
「え」
珍しく、今度はマリアの方が口ごもった。虚を突かれた様に彼を見上げる彼女に、リヴェルは「ああ」と腑に落ちる。
――二人は、両想いなのか。
普段、お互いにどれだけ男を、女を落とせたかと競い合っているのに、本命には奥手らしい。素直になれない、という複雑な恋心なのだろうか。
前までは見えなかった二人の心理状態が、今のリヴェルには明確に伝わってくる。何故だろうと思ったが、追究してもしきれないのも分かっていたので、大人しく成り行きを見守った。
「あらー、何かしら。エルスターが私にプレゼントだなんて。山でも降ってきそうねー」
「山とはなんだね! あー、お前さんは一応女性なのだよ! 僕にとって女性とは、あー、……とにかく! 前にマスコットももらったし! 今回の『彼女』の件もあるし! お礼! なのだよ! 黙って受け取りたまえ!」
最後は無意味に胸を反らして命令していた。エルスターは、時折馬鹿っぽくなる。今もその時で、リヴェルはひっそりとエールを送った。
そういう効果があったわけでもないだろうが、マリアには彼の心が届いた様だ。目を一瞬だけ伏せた表情は、幸せが滲み出た様に彩られていた。
まるで周囲が静かに、けれど鮮やかに花開いていく情景に、リヴェルは少しだけ眩しくなって目を細める。
「分かったわー。楽しみにしておくわね」
「う、うむ! 僕の感性の豊かさを見せつけてやるのだよ!」
どもりながらも偉そうにするエルスターには呆れてしまうが、二人が幸福なら良いかと、リヴェルは無理矢理納得させる。
恋の、愛の形は人それぞれだ。彼らの形は、こうなのだろう。
奥ゆかしくて、静かに花開く暖かな風景だ。見ていて幸せになってくる。
――自分は、どうだろうか。
意識して、どくりと心臓が不安げに跳ねる。ぎゅっと思わず胸元を掴んで、懸命に鎮めた。
考えてみれば、まだ出会って二ヶ月も経っていない。しかも、出会いはお世辞にも良いとは言い難かった。
最初からぶつかってしまうし、馬鹿にされるし、もどかしくなるし、自分とは違い過ぎる人生背景に怯えたりもした。
今だって恐い。あの日、人が目の前で死んだ夜のことを思い出すたび、背筋が震える。
魔法が恐い。魔法使いが恐い。
――魔法を扱う、ステラが、恐い。
それでも。
〝……ごめんなさい〟
――あんな顔をさせたくて、今まで一緒にいたわけじゃない。
自分は、確かに楽しかったのだ。隣にある温もりが、心地良かった。
傍にいると訳もなく心臓が騒いで落ち着かなくなったし、彼女が表情を変える瞬間を垣間見るたび、満たされる自分がいた。
もっと、彼女の色んな顔が見たい。声が聞きたい。凛と真っ直ぐに前を見る、憧れたその姿に近付きたい。
許されるのならば、彼女の隣に並んで、これからも共に歩いていきたい。
魔法使いの抗争に巻き込まれるのは、正直恐い。人の死を見るのも嫌だ。出来ることなら、もう二度とお目にかかりたくはない。
だが、それでも。
〝……、良かった〟
あの夜、怪我を負った自分を抱き起こしてくれた時に見せてくれた、彼女の笑顔が忘れられない。
生きていると実感して、安心した様な笑顔はとても可愛らしかった。
例え弱くとも。彼女の笑顔の隣に、自分は在りたい。
「そういえば、マリアよ。クラリスはどうしたのかね」
きょろっと辺りを見渡すエルスターに、リヴェルも沈んでいた思考から浮き上がる。
そういえば、彼女の姿が見当たらない。
リヴェルの事情でステラが飛び込みで参加する予定は入ったが、みんなで祭りへ行こうと誘ってくれたのは彼女だ。
疑問に思えば、マリアが気まずそうに目を逸らした。「うーん」と唸るその声も、どこか複雑だ。
「クラリス、来ないって」
「え。どうしてだ?」
「……」
リヴェルが素直に問えば、マリアは益々押し黙ってしまった。エルスターも察したのか、視線を明後日の方向にずらす。
二人は理由に心当たりがあるのか。時折こういうことが発生するので、リヴェルは追い付くのに苦労する。
「なあ。言いにくいことなのか? それとも、何かあったとか」
「何かあったと言えば、あったけど。……リヴェルが、もう、こうだからかしらねー」
「え?」
自分が原因だと言わんばかりの物言いに、己の行動を振り返ってみる。知らず知らずの内に、傷付ける様な愚行を犯してしまったのかと
ならば、謝らなければならない。
だが、その考えを見透かしたのか、エルスターがすぐさま否定する。
「謝っては駄目なのだよ」
「え?」
「これはもう、どうしようもないことなのだよ。……人の気持ちは、ままらないものだ。薄情と言われようと、ね」
腕を組んで気難しげに眉を
マリアも努めて無を保とうとしているが、感情が滲み出てしまっている。先程まで幸せそうな空気だったのにと、リヴェルまで落ち込んでいった。
自分が、原因だ。それは間違いがない。
だが、その理由を二人は決して教えてはくれないだろう。謝罪も駄目だと通達されては、もう為す術がない。
ならば、自分は己自身が決めたことをやり通す以外にない。
せっかく、エルスターとマリアが引き寄せてくれた機会だ。これを逃せば、会いたい人に会えなくなってしまうかもしれない。
クラリスには申し訳ないが、腹を
「分かった。……二人共、ありがとな」
「……、リヴェル」
「振られたら、思いっきり慰めてくれ」
「……、やる前から失敗すること考えるんじゃないわよー。当たって砕けたら、また再生して当たってきなさいな」
マリアからの根性ある激励に、リヴェルは笑ってしまった。
――ああ、そうか。砕けたら、また積み直してぶつかれば良いのか。
一、二度の挫折で諦めなくて良いと背中を押され、リヴェルは外に続く門を見やる。
あそこを
――だから、どうした。
元より、後ろを振り返る選択肢は無い。
「……よし、行こう」
ぐっと拳を握り締め、門の外へと一歩を踏み出す。
もう一度、あの凛とした黒き翼がはためく姿に出会うため、リヴェルは夜の祭りへと飛び込んだ。
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