第29話


「お前さん。一人になるのが、恐いかね」

「――やめろっ!」



 ――俺の心に、入ってくるなっ!



 血を吐く様な絶叫が、エルスターの翡翠の視線を強く貫く。

 なのに、彼は止まらない。刺されて尚、視線だけが自分の心を強く握り潰した。


「やはり恐いかね」

「違うっ!」

「よく言う。そんなに恐がっていては、説得力も皆無なのだよ」

「うるさい! 違う! 頼む、……もう、黙ってくれっ!」


 最後は悲鳴の様な声になった。まるで泣いているみたいだと、馬鹿みたいに自覚する。

 そう。



 泣いて。



 ――ああ、嫌だ。



〝……、おかあ、さん〟



 かつての自分の泣き声が、遠くに木霊する。

 ぱきん、と割れる様な音が胸の辺りに響いた。



「……っ、いやだ、……」



 耳を塞ぎ、目を瞑る。

 もう何も聞きたくない。何も見たくない。


 置いていかれるのは、――もう嫌だ。


 だから、心を凍らせて今まで耐えてきたのに、どうしてそっとしておいてくれない。

 どうして事を荒立てる。どうして距離を置いてくれない。そうしてくれれば、すぐに何もかも諦められたのに。

 彼女とのことも。家のことも。



〝僕は、お前さんとの仲を、学院生活だけで終わらせるつもりはないのだよ〟



 ――友の、ことも。



「……、……ど、……して」



 放っておいてくれなかった。



 声にならないまま、唇だけを動かす。

 だが、エルスターには通じたのだろう。強くて真っ直ぐな翡翠の視線が、わずかに辛そうに揺れていた。その事実に、またリヴェルの心も痛みで揺らぐ。


 本当に、何故放っておいてくれなかったのだろう。


 何も無ければ、淡々と日々を過ごせたのに。

 友達ごっこも学院生活の間だけだと、簡単に終わらせられたのに。

 それなのに。


〝僕は、お前さんの言葉を否定したりはしないのだよ!〟


「……」


 否定を、しない。


 そんな風に甘い言葉ばかりささやいて、凍り付いた決意を溶かしていく。自分に欲しい言葉ばかり届けてくれて、少しずつ心の隙間に入り込んでくるのだ。

 いつの間に、こんなに自分は弱くなっていたのだろう。昔はどんなに甘い言葉にも、こんなに強く揺さぶられることなどなかったはずだ。

 だけど。

 エルスターがくれた言葉も、マリアがくれた優しさも、クラリスがくれた励ましも。


〝リヴェル、気持ち良い?〟



 ――あの時、ステラがくれた温もりも。



 もう、無かったことに自分は出来ない。

 そんな当たり前のことに、今更気付く。


「……、俺、は」


 ぽろっと、言葉が口から零れ落ちる。

 駄目だ。やめろ。

 そんな風に引き止めるのに、別の自分は観念して首を振っていた。


「……こわ、いさ」


 唇がわななく。喉が震える。声が情けないほどにかすれて、息も苦しい。

 だが、止まらない。きつく閉めていたふたが外れたら、後は簡単だった。どっと氾濫はんらんする様に激情が、奥底から轟音と共に流れ出る。


「恐いさ。恐いさ、……恐いさっ! 母さんに捨てられた、あの日からっ。人が、恐い。……一人がっ! 恐いっ! 恐くて恐くて、たまらないっ!」


 黙れ。

 愛する価値も無い。

 触るな。

 早く出て行け。


 母の罵倒が、強く、深く、体にも心にも刻み込まれていた。何年経っても消えることはない。骨までえぐる様な爪痕つめあとだ。

 母は自分を否定し、拒絶し、突き飛ばした。

 その上、自分が戻ってくるのを恐れるかの様に、痕跡も残さず姿を消した。

 もしかしたら、という希望が、捨てられたという事実に絶えず踏み潰される。

 前にステラに語った時は綺麗ごとばかり並べたが。

 本当は。



「……母さんを、ひどく憎んだ時期もあった」



 祖母からの『しつけ』は、仲良くしたいという気持ちを一日で踏み潰し、一週間で粉々にし、一ヶ月経つ頃には死んでいた。

 どうして、こんな家にいなければならないのだろう。自分は貧しくとも、苦しくとも、せめて母と二人で生きていきたかったのに。


 その願いを引き千切る様に、元いた家はまっさらに消え去っていた。


 最後に見た母は、怒りで震えた背中だ。遠ざかっていくその背に、追いすがることも出来なかった己の弱さが憎々しい。


「かと言って、一人で生きていく覚悟もない。結局己のずるさから逃げ出せないことを思い知らされて……よけい、憎んで。……いっそ」



 ――後を、追おうか。



〝ねえ、父さん、母さん〟



「ずっと、思ってたんだ」



〝俺も、……そっちへいってもいい?〟



 父が死んだのならば、母がいないのならば、今ここに自分がいる意味は何なのだろうか。



 そんな衝動に突き動かされ、首に刃を当てる日も多かった。

 彼らも、きっと自分を憎んでいる。自分が、こんなに憎んでいる様に。いっそ死んでくれたらと、父も母も願っているかもしれない。

 なら、死ぬのも良いかもしれない。自暴自棄になって、壊れた様に笑い続けた。

 憎んでいた。憎んでいた。――憎んでいた。

 けれど。



 それでも憎み切れない自分が、いた。



 何故なら、それまで母は自分を確かに愛してくれていたから。

 怪我をしたら、心配して手当てをしてくれた。

 父のいないさみしさに涙する日は、抱き締めてあやして、枕を並べて共に寝てくれた。

 嫌なことがあった日は、夕食のデザートに大好物のオレンジパイを作ってくれて、一緒に楽しく語り合った。

 贅沢は出来なかったが、それ以上の幸せをたくさんもらっていた。

 愛してくれた。温かかった。腕に包まれれば安心した。

 そんな幸せな日々は、無かったことに出来はしない。



 あの日までは。確かに母は、自分を愛し、抱き締めてくれた。



「それを思い出したら、……少しずつだけど、母の幸せを願える様になって」


 二人がくれた命を、粗末にするわけにもいかなくなった。


 不意に胸を締め付ける激痛を覚えながら、それでも母の幸せを願って生きた。

 今、何処どこにいるのかも分からない母。生きていてくれればと、幸せでいてくれたらと願った。

 今だって、手を払われた時のことは思い出すだけで辛い。苦しくて、痛くて、心が引き裂かれ、身がばらばらになりそうだ。

 けれど、それでも。


 最後の、あの辛い別れは。


 金魚が死に、父が死に、母が自分を罵倒して去っていたあの日は、全て。



「……、俺の、両親との、最後の想い出なんだ……っ」

「―――――」



 どれだけ踏み付けられようとも。

 どれだけ心をえぐられようとも。

 あれは、自分に残してくれた父と母との最後の痛みおもいでなのだ。


 激しい熱を残してくれた。痛みこれがあるから、自分は過ちを、何より両親を忘れずにいられる。


 だから、大切なのだ。

 あの日から、自分は一歩も動けずにいるけれど構わなかった。両親を忘れるくらいなら、傷など癒えなくても良い。

 だが、そんな風に思ってはいても。



 もう一度、捨てられるのは恐かった。



 あれだけ幸せを感じても、いつか離れ離れになるのならば。

 どれだけ仲良くなっても、いつか置き去りにされるのならば。



 もう二度と、誰かを好きにはなりたくない。



 好きになって、愛想を尽かされ、背を向けられれば、今度こそ自分は壊れてしまう。

 それに。



 他の人を好きになって、両親への想いが、罪の意識が薄れるのも恐かった。



 だから、人付き合いも深く入り込まなかった。元々生い立ち上、自分と深く付き合いたいという者はいなかったから、好都合だった。

 そうだ。全ては上手くいくはずだった。

 誰も好きにならない。誰も好きになってはくれない。それだけで何もかも終わるはずだった。



 ――ああ。



〝彼を、僕と一緒に入れたまえ〟



 だけど。



〝俺は、リヴェル。良ければ、一緒に式に出ないか? お礼に後でおごるぞ〟



 新しい生活が始まったから、なんて言い訳だ。



 助けられ、舞い上がって。

 あの時エルスターに話しかけ、距離を詰めたのは自分だった。



「……君に出会って、マリアとクラリスが加わって、それなりに日常が楽しくなって」


 馬鹿騒ぎをして、馬鹿なことを言い合って、馬鹿みたいに優しい時間を過ごす。

 ひたりそうになった。その度に戒めて、心では距離を取る様にして。

 だが。



〝あなた、――死ぬのは、恐い?〟



「……非常識だよなあ」



 歴史にも描かれている魔法使いとの出会いが、揺らいでいた戒めを決定的にぶち壊した。


「非日常に、俺、弱かったんだな、きっと」

「……まあ、我慢している日々が続いたのだから、当然かもしれないがね」

「ははっ。……ああ、もう。彼女は本当に、色んな壁をぶち壊してくれたよ」


 それとも、待っていたのだろうか。

 自分が張りに張りまくった防壁を、言い訳も出来ないほど粉々に打ち砕いて、土足で踏み倒してくる者が現れることを。

 窮屈な日常が、危険と隣り合わせの非日常を求めたという側面もあるだろう。

 だが、恐らく。


 それ以上に自分は、この壁を飛び越えて、心に触れてくれる人を強く、深く、欲していた。


〝金魚は餌になるって、言っていたから〟


 最初は、とんでもないことを言われて怒ったりもした。

 簡単に馬鹿にされるし、金魚や猫の命に無頓着だし、腹は立つし、悲しくなるしで散々だった。

 けれど。


〝餌にしなければ、あなたの気持ちが分かるというなら、飼ってみる〟


 彼女は、とても素直な女性だった。

 自分が傷付いたと言ったら、その気持ちを理解するために金魚を飼うと言い出した。

 自分が猫と本当に会話が出来るのだと思って、きらきらした瞳で見つめてきた。

 分からないことには分からないと、正直に言って。それでも、分からないなりに歩み寄ろうと、真っ向からぶつかってくる。そんな女性だった。


〝じゃあ、私はリヴェルが好きだから、いいってこと〟


 よく、こちらを振り回すことばかり言ってきた。

 無防備に顔を覗き込んでくるし、「あーん」と平気でしてくるし、させるし、指ごとパイの欠片を食べてくるし、こちらは顔だけとは言わず、体中熱くなりっぱなしだった。

 彼女と話すたびに恥ずかしくなり、自分の変態ぶりを認識させられて、妙に疲れたりもした。

 だけど。



〝美味しい?〟



 ――彼女は、本当に。笑うと、とても可愛いのだ。



 いつも淡々とした声だし、表情もほとんど動かないけれど、最近は少しの変化が読み取れる様になってきた。

 彼女にも感情があるのだと分かって、一人舞い上がって。もっと変化が見たいと思う様になって。

 もっと、話がしたかった。もっと、彼女と笑っていたかった。


〝これからは、私がばんばんリヴェルの行く道の扉を開ける〟


 そう。

 彼女は、言ってくれた。これからも、扉を開けてくれると。

 なのに。



〝……ごめんなさい〟



 今。

 彼女は、どこにもいない。



「……、なあ、エルスター」

「何だね」


 聞くこと自体、愚問だ。

 なのに、聞かずにはいられない。苦しくて、破裂しそうで、心が悲鳴を上げて、溢れ出しそうだ。



「恋って、何だ」



 恋をするって、どんなことなんだ。

 愚かな問いかけなのに、彼は馬鹿にはしない。ただ、静かに耳を傾けてくれる。

 そんな優しさに、改めて気付かされる。どれだけ彼らとの距離が、縮んでいたのかを。


「店のおじいさんは、俺が教えられるなんて言ってたけど、そんなの無理だ」

「……」

「だって、知らない。俺は、知らない。恋をしたことが無い。恋をしようとも思わなかったんだ。……なのにっ」



 こんなにも、苦しい。



 心が、暴れ出す。



 醜くて、黒くて、どろどろした欲望が勢い良く噴き出すのを止められない。

 心が痛い。肌が痺れる。息が出来なくなって、たまらない。ぐちゃぐちゃに心の中が掻き乱されて、引き千切られて、暴れ出したくて仕方が無かった。

 彼女に会えない。彼女の声が聞けない。彼女の姿さえ見えない。

 何故だ。嫌だ。

 会えないなんて。声が聞けないなんて。姿が見れないなんて。

 許せない。


 ――許さない。


 彼女に触れたい。彼女のあの黒くて透き通った瞳を覗き込みたい。彼女の白くて柔らかな手を引いて、この腕の中に閉じ込めてしまいたい。

 もう二度と逃げられない様に、部屋に閉じ込めて、鍵をかけてしまいたい。

 背なんか向けさせない。今度は逃がしやしない。捕まえて、腕の中に抱き込んで、そのまま離れられない様に。

 そして。



〝ステラ君。君は、恋をしているね〟



 自分以外の誰かに、心を向けられない様に目隠しをしてしまいたい。



 自分だけを見て欲しい。他の誰にも取られたくない。

 誰にも邪魔なんて、させは――。



「……っ、は……っ」



 そこまで思考を巡らせて、身震いする。頭の芯が痺れて、震えが止まらない。


 ――何て、醜い。


 自分は、彼女がいつでも真っ直ぐに在る姿を好きになったというのに。何という酷い妄想を抱いてしまったのだろう。

 何物にも囚われず、常に己の凛とした音をまとう彼女が、そんなことを望むはずがないのに。

 彼女が誰を好きになるかも自由だ。人の心ほど縛れないものはない。

 己の心が、制御出来ない様に。誰かの心を束縛することほど恐ろしいものはない。

 それなのに。

 こんなに醜くて、穢い感情が自分の中に存在するなんて吐き気がする。

 ああ、――吐き気がする。



 ――こんな、醜くてどろどろした気持ちを、恋だというのなら。何と、きたない姿だろうか。



「俺が傷付けたのに、酷過ぎるよな。……でもこのままじゃ俺、次にステラに会った時、何て言ってしまうか分からない」

「……」

「なあ、これが恋なのか。こんな気持ちが恋なのか」


 相手を傷付けても構わない。

 相手の気持ちを無視して、思い通りにしてしまいたい。

 そんな風に、独りよがりなまま突っ走って、支配してしまいたいと。

 真っ黒な欲を抱く自分が、これ以上なく恐ろしかった。


「こんなの、恋じゃない。こんな、ステラの人格を無視する様な気持ち、許せない」

「……リヴェル」

「こんなぐちゃぐちゃに、真っ黒に欲する、こんな醜すぎる執着が恋だと言うのなら! 俺はっ!」

「リヴェル」

「――っ」


 ぐしゃっと、頭を強く撫でられる。

 そのまま、ぐしゃぐしゃと乱暴に何度も強くき回されて、一緒にごちゃ混ぜになった心も掻き回されていく。

 どろっとした真っ暗な熱が、それでもまだ心の中でゆだっていた。キッカケがあればすぐにでも噴火しそうだ。全てを傷付けていきそうな熾烈しれつさに、ぐっと己を抱き締める。


「エル……」

「リヴェル。……お前さん、よく頑張ったね」

「――」


 不意に、優しい声援をかけられる。

 意味が分からない。

 こんなに不条理な欲望を抱いているのに、何を頑張ったというのか。むしろ、誰かを傷付けることしか出来ないこの身の愚かしさが、何よりも許せなくなりそうなのに。


「お前さんは、思っても醜い実行なんてしないのだよ」

「……そんなの、分から……」

「実行出来ていたら、最初から諦めの道なんて選ばないのだよ。それこそ、黒い感情のまま憎い相手を殺したり傷付けたりして、今頃死んでいるか牢の中だ」


 呆れた様に嘆息され、リヴェルの視線が沈んでいく。

 何だか、エルスターの方が自分のことをよく分かっている様だ。むずがゆい感覚に、思わず胸を押さえてしまった。


「まあ、ともあれ。それだけお前さんは、魔女殿に強い心を向けているということなのだよ。……羨ましいほどに」

「……、うら、やましい?」


 予想外の言葉に、リヴェルは胸を押さえたまま彼を見上げる。

 彼は、先程と変わらずにこちらを真っ直ぐに捉えていた。その瞳は少し悲しげで、胸を突かれた様な衝撃を受ける。


「……エルスター?」

「僕は、本当は反対なのだけどね。……ウィルが賭けてみたくなる気持ちが、よく分かったのだよ」


 意味が掴めない。こちらには分からない納得の仕方をされて、リヴェルは抗議する様に眼差しに力を込めた。

 だが、彼は少し目を細めてから、にっかりと意地悪気に笑ってくるだけだ。絶対に口外しないという、暗黙の主張である。


「なあ、リヴェルよ。恋っていうのは、穢いものなのだよ。実際、僕は恋だけではなく、友情に関してもとっても穢い」

「……、何、言ってるんだ」


 こんなに助けられているのに。

 入学式からずっと、彼には精神的にも救われてばかりだ。自分が彼にどれだけ恩返しが出来ているのか。欠片かけらも返せていないと、心苦しくなることだってある。

 今だって、まさにそうだ。彼が――彼らがいなければ、自分はとっくに孤独の殻に閉じこもって、今度こそ世界を閉ざしていただろう。


「いいかね、リヴェル。人を好きになるということは、綺麗ごとだけでは乗り越えていけない」

「……きれい、ごと、だけじゃ」

「そう。その穢いところも丸ごとみ込んで、二人で乗り越えていくものなのだよ。乗り越えられなければ、……相手に受け入れてもらえなければ、それは縁が無かった。運命の相手ではなかった、ということさ」


 淡々と語る声は、どこかステラに似ていた。

 どうして今、彼女を連想したのだろう。小さな疑問が芽生えたが、彼は構わずに続けてくる。


「お前さんがそこまで彼女に気持ちを向けているのなら、今度こそ僕はもう邪魔はしないのだよ。……不本意だがね。彼女の気持ちも、分かるのだよ」

「……、エルスター?」

「そもそも、……元凶は、――――――」

「……、え? ……今」


 何て言ったんだ。


 その問いかけは、しかしエルスターが人差し指を口元に立てたことで防がれた。

 何故だろう。今、自分はとても大切なことを聞き逃した気がする。そんな予感がしたのに、聞き出すことも不可能だと嫌と言うほど分かって絶望した。


「エルスター、君は」

「ウィルに会うといい。……本当は反則だがね。彼女の過去を知っていた方が、お前さんは踏ん切りをつけそうだ」

「ウィル、に?」

「そう。今夜、約束を取り付けてある。僕が案内するから、この裏庭で会うといいのだよ」


 ぽんぽんと進んでいく話に、リヴェルの頭が混乱していく。

 そんな戸惑った自分の感情が強く顔に表れていたのだろう。少しだけ愉快そうに笑い、エルスターは軽く腕を叩いてきた。


「何をぼけっとしているのかね」

「あ、いや、……」


 茶化されたが、上手く言葉が出てこない。

 進んでいく話に付いていけないのもそうだが、今更ながらに自分の心をさらけ出したことが恥ずかしくなってきた。じわじわと、内側から熱が強く広がっていく。


〝うるさい! 違う! 頼む、……もう、黙ってくれっ!〟


 自分で振り返っても酷い言い草だ。

 こんな黒い激情をぶつけられて、さぞかしエルスターも困っただろう。八つ当たりまでして、愛想を尽かされてもおかしくは無い。

 だが、何を言えば良いのか。

 焦りと羞恥に押し潰され、リヴェルが必死に動かない頭に鞭打っていると、大袈裟に溜息を吐かれた。呆れた様に腕を組み、半眼をくれてくる。


「まったく……。いいかね、リヴェル。……」


 一度言葉を切って、エルスターは目を伏せた。

 だが、それも一瞬。



「リヴェルよ。お前さんは、一人じゃないのだよ」

「―――――」

「だから、もう少しだけ、諦めずに願ってみたまえ」



 一人じゃない。



 その言葉に、ぽん、と背中を押された。大丈夫と、まるで笑う様にリヴェルの中に沁み込んでくる。

 大丈夫。一人じゃない。

 だから。


 願ってもいいのだと。手を引く様に、彼の言葉が小さな自分を連れ出した。


「……っ」


 ぶわっと、心から噴き上がる様に体中が、目の奥が熱くなっていった。今まで溜めこんでいた熱が、かせが外れた様に溢れ出して止まらない。

 ずっと望んでいた。ずっと願っていた。――ずっと、願いたかった。



 誰かと、共に生きたいと。そう、声に出して叫びたかった。



 上がりそうになる嗚咽おえつを、必死に唇を噛んで堪える。どうせ彼には伝わってしまっているだろうが、これ以上情けない顔は見せたくなかった。

 だが。


 にっこりと笑う彼の顔は、泣いている。涙は見えないのに伝わってきた。


 何故、彼は泣いているのだろう。先程聞き逃した言葉が関係しているのだろうか。

 分からない。どうして自分のことを穢いと卑下するのだろう。誰が何と言おうと、彼はリヴェルにとって自慢の友人だ。

 そんな尊敬する彼が、自分の背中を押してくれている。それを無下にする様な無礼者には、絶対なりたくなかった。


「……、分かった」

「うむ。それでこそ、動いた甲斐があったのだよ」

「ありがとな、エルスター」

「……、うむ。もっと感謝したまえ」

「……ははっ」


 胸を張って笑う彼に、リヴェルは少し噴き出してしまった。

 本当に、彼は頼もしい。自分にはもったいないくらい、優しい人だ。



 そんな彼が自分の友人であることを、誇りに思う。



「ああ。――君は、俺にとって初めてできた大切な友人だよ」

「―――――」



 ずっと、ずっと大切にしていきたい。

 学院生活が終わっても、彼と友人で在り続けたい。

 例え何かがキッカケで、いつか彼が離れていってしまったとしても。

 決して憎しみだけに囚われず、大切にしていきたい。

 そう、強く願う。



「だから、これからもよろしくな、エルスター」

「……っ、……ああ。もちろんだとも」



 彼が、微かに息を呑んだ音がした。

 しかし、それには気付かない風を装って、リヴェルはもう一度「ありがとう」と笑って彼の好意を受け取った。


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