第30話


 夕食を終え、ある程度時間を潰した後。

 エルスターに導かれ、リヴェルは裏庭に向かう。

 人払いはされていると笑って教えてくれたので、一切邪魔は入らないらしい。本腰を入れていると、肌で感じた。


「でも、いつの間にウィルと連絡を取ったんだ? ずっと俺と一緒だったのに、そんな素振そぶり、全然無かったぞ」


 エルスターに黒い感情をぶちまけた後、幾分冷静になった頭でリヴェルは疑問を口にする。妙にすっきりした気持ちになったことに気恥ずかしさを覚えたが、それは根性で胸の中に押し込んだ。

 対するエルスターはと言うと、ふむ、と妙に冷めた眼差しを地面に向ける。


 ――いや。


 一瞬彼の翡翠の瞳に走った影を、リヴェルは見逃さない。努めて冷静になろうとしている様に見えて、自然と眉が寄った。


「エルスター?」

「……僕たち王族には、秘術みたいなものがあってね。その内の一つに、連絡手段があるのだよ」

「連絡手段?」

「そう。僕の一存で教えることは出来ないが、まあ、周りに気取られぬ様に会話が出来ると思えば良いのだよ」

「へえ……魔法みたいだな」

「……」


 何気なく口にした言葉に、エルスターは渋面になった。地雷を踏んだ気がして、リヴェルは口をつぐむ。

 だが、それで秘術とやらへの印象が変わることはない。王族は魔法使いではないが、魔法に似た力を持っているのだろうかと推測した。

 しばらく微妙な空気が流れたが、彼は話を終わらせはしなかった。意地の様に絞り出す。


「……王族の秘術は、魔法ではないのだよ」

「……、そっか」

「……うむ」


 言い捨てて、今度こそ彼はそれっきり黙り込んでしまった。だから、リヴェルも納得して頷くしかない。

 彼は、ステラのことをあまり良く思っていない様だったが、魔法に関してもあまり良い感情を抱いていないのだろうか。ここに来て、また彼に対する謎が増えて少しだけさみしさが過ぎる。



 ――何か、我がままになってきたな、俺。



 一度、何もかもぶちまけてしまったからだろうか。彼との距離が開くのを、恐がっている自分を感じる。

 だが、人生など何処どこで何が起こるか分かりはしない。

 どれだけ仲が良くとも、理由によっては離れる未来はどこにだってある。

 反対に、どれだけ仲が悪かろうとも、キッカケがあれば歩み寄れるかもしれない。

 彼と離れるかもしれない未来を考えると、今でも胸が苦しい。一度自覚してしまうと、恐くてたまらなかった。

 けれど。


〝お前さんは、思っても醜い実行なんてしないのだよ〟


 エルスターは、自分を信じてくれている。

 それがどれだけ奇跡なことか、今のリヴェルには痛いほどよく分かっていた。

 だから。



 自分も彼を、――人を信じられる人間で在りたい。



 一度母に、祖母に、周りに絶望してしまったからこそ、もう一度人を信じてみたい。――信じたい。

 静かに誓いを立て、リヴェルはいつの間にか迫っていた裏庭を意識する。その一歩に決意表明をこめ、足を踏み入れた。


 月影を浴びる裏庭は、昼間とは違った様相をかもし出している。


 ほのかな明かりによって、陰影を色濃く映し出す風景は、しっとりと濡れた様な雰囲気が漂っていた。茂る木々も、短く生え揃う瑞々みずみずしい緑も、昼間の生き生きとした様子から一転して、眠る様にさざめいている。

 静かな世界を包み込む月夜には、これ以上ないほどに相応しい空間だった。


「猫、……は、もう寝てるか」

「何だね。ウィルと話しに来たのに、浮気かね」

「そういうわけじゃないけどさ。何か、裏庭に来て猫に会わないのって、変な感じなんだよ」


 適当な場所に座り込み、いつも猫が顔を出す茂みの方を見やる。

 当然と言えば当然だが、もちろん草むらがうごめくことは無い。行儀よく沈黙を保ち、自分達の様子を見守っていた。

 ――が。


「ん?」


 がさり、と茂みがぶれた。

 何だ、と猫の姿をほんのり期待して、リヴェルが身を乗り出すと。



「――わっ!」

「――うわあああっ!?」



 勢い良く飛び出してきた人影に、リヴェルは度肝を抜かれて飛び退いた。ざざっと、尻餅をついた箇所がすれて痛いが、気にしている余裕など皆無だ。


「な、何だ!? また、まさか、魔法……!」

「あ、はははっ! いい反応だね。隠れていた甲斐があったよ」

「って、……え?」


 がさりと、今度は品の良い足取りでくだんの音が近付いてきた。

 ぱちぱちと、次第に暗闇に慣れてきた目を瞬かせれば、「やあ」と人の良さそうな笑みで手を上げている人物が見える。その、人の良い笑みでありながら、実質は人を食った様な表情に、どっと肩から力が抜けた。


「何だ、ウィルか。驚かさないでくれ」

「何を言っているのかな。せっかくの夜の逢引きなんだよ。驚かせなければ、君に失礼だよね」

「……ウィルが、何を言っているか全く分からないんだが」

「そうかな。まあ、座って座って」


 ほら、と手を差し出して促すので、渋々とまた腰を下ろす。

 何と言うか、彼は顔を合わせるごとにふてぶてしさが増している。慣れてきた証拠なのだとしたら、嬉しいやら悲しいやら、複雑な気分だ。


「あの、嫌な事件から一週間くらい経ったのかな? 聞いたよ。ステラのこと、忘れられないんだってね」

「……、エルスター」

「おや、違ったかね」

「違わない。……そうだよ。会いたくてたまらない」


 なのに、全然会えない。


 どこにいても、自然と目が探してしまう。

 いつもの様に、唐突に彼女が姿を現さないか。猫と戯れている時にも、定期的に裏庭につながる方向を一瞥いちべつしてしまうのだ。

 大きな水槽を抱え、仁王立ちして、それに猫が反応して振り向かないか、と。

 だが、期待はむなしく、ぱったりと気配が拾えなくなってしまった。あちらがとことん避けているのならば、何の力も持たないリヴェルでは対策のしようもなかい。


「ふーん。あの事件で諦めるかな、とも思ったけど……うん。やっぱり、ボクの目に狂いはなかったな」

「……ウィル。お前さん、最初から」

「うん。変な輩がいるって、君とステラから聞いた時にね。ボクにとっては、賭けのようなものだったよ。……ほら、猫たちも」


 すっと後ろを指差される。導かれるままリヴェルは振り返り、目を丸くした。

 背後には、いつの間にか猫が数匹、自分を見上げて座っていた。にゃあん、とか細く鳴いて、ぴょんっと膝に飛び乗ってくる。


「え。寝てなかったのか。……よしよし」

「ここの猫たちは、よっぽど君が気に入ったんだね。うーん、動物に好かれる子に、悪い子はいないよ」

「凄い理屈なのだよ……」


 エルスターの疲れた様な声に、リヴェルは笑ってしまった。彼らは本当に仲が良い。

 そして、同時にやはりエルスターは、ウィルに自分のことを「変な輩」と告げ口していたことを知る。油断ならない存在だ。

 しかし。



「動物に好かれる子に、悪い子はいない、か」



 ならば、ステラもきっとそうだ。



 何故なら猫達は、最初警戒していたけれども、最近は彼女の元に進んで近付いていた。

 それに彼女は嬉しそうに応えて、寄ってきた猫の背中を撫でていた。時折、変な感嘆を上げながら、金魚の横で戯れていた。


〝……ふわっふわ〟


 嬉しそうに、はにかんで。

 実際は、そこまで表情が動いていたわけではない。

 けれど、確かに彼女は弾んだ声で笑っていた。

 わざわざ口に出しながら撫でるのが不思議だったが、彼女は夢中で猫と戯れていた。


〝リヴェル。ふわっふわ〟


 そう言いながら、彼女が満ちたりた顔で振り返ってくる。

 いつも、自分の隣に座って。そうやって、笑いかけてきて。

 毎回、何故か暗い話や重たい話に発展してしまっていたけれど。



 それでも、彼女と共に過ごす時間が、好きだった。



「……ふわっふわ」



 ぼそっと呟いて、我に返る。

 慌てて顔を上げれば、二人が目を見開いてこちらを凝視していた。かあっと、頬が熱くなるのを止められない。


「い、いや! 今のは、その」

「ふーん。そんなにステラが恋しい?」

「い、いや! ……はい、恋しいです」

「敬語」

「……っ! 恋しいさ! 会いたい! 今すぐ!」

「ね、熱烈なのだよ……。いや、素直なお前さんは、時として眩しすぎだね」


 やはり疲れた様にエルスターが笑う。遠い目をしているのは何故だろうか。

 だが、仕方がない。会いたいのだから。

 自覚してしまうと、益々暴走しそうな心を止めるのに必死だった。もふっと、手の中にいる猫を軽く抱き締める。


「いやあ、青春はいいね。ボクは、とうにそんな日々は過ぎ去ってしまったから」

「……、まだ、若いよな?」

「一応、奥さんとはラブラブだよ? 子供も可愛すぎて最高だね。ねえ、エルスター?」

「……知らないのだよ」


 呆れた様に嘆息するエルスターを、にこにこしながらウィルが見つめる。そんな二人のやり取りに、本当に仲が良いなと嬉しくなった。


 しかし、ウィルに子供がいたとは初耳だ。


 確か、王妃は今臨月を迎えていて、そろそろ産まれそうだとは聞いていた。

 ということは、その子供のことだろうか。

 軽く思考を巡らせていたが、ウィルは構わずに話を続けた。


「……まあ、だからこそ、君に全てを託したいんだけどね」


 からかう顔から一転、笑顔が改まる。笑ったままだったが、真剣な色が差したので、リヴェルの背中も伸びた。


「今のボクたちが……ボクが幸せで在れるのは、二十年ほど前、彼女が助けてくれたからだ。……君がここまで彼女に近付いてくれたのならば、ボクはその機会を逃したくはない」


 彼の柔らかな声に、微かに熱が帯びていく。

 そういえば、彼は以前、ステラを恩人だと口にしていた。だから、彼女が二十年前に死にたいと告げて来た時、彼は拒否をしたのかもしれない。

 しかし、二十年前か、とリヴェルは首をひねる。



〝目の前で。成れの果てに、殺された〟



 ――そういえば。



 彼女は、こうも言っていた。

 昔、たった一人の友達が殺された、と。

 彼女が死にたいと願ったのは、二十年前。

 ウィルは、彼女が『ボクたち』を助けてくれたのが二十年ほど前だと言った。



 ――まさか。



 じわじわと、嫌な予感が蛆虫うじむしの様に這い上がってくるのを感じて小さく震えた。


「さて、ステラのことだったね」


 本題に入る。

 その事実に腰が引けそうになりながら、ぐっと踏み止まる。ここで逃げたら、自分は本当に情けなくて醜いだけの男になってしまう。それだけはご免だ。


「彼女が魔法使いということは聞いているね」

「ああ」

「他は?」

「えっと、……成れの果ては、元魔法使いだということ。成れの果ては理性を失っていて、大体血に飢えているから、見境なく人を殺すこと。それから」



〝誰かに恋をして、添い遂げる〟



 一瞬、怯みそうになりながら。

 それでも、向き合うために口にした。


「魔法使いは、悠久の時を生きるけど。誰かと両想いになって添い遂げれば、一般人と同じ寿命が得られる、ということ」


 恐らく、これで全てだ。

 言い終えれば、エルスターとウィルは意外そうに押し黙った。顔を見合わせて、ウィルは楽しそうに、エルスターは苦虫を百匹以上噛み潰した様に顔をゆがめる。


「……魔女殿は、もうそんなに踏み込んでいたのかね」

「ははっ。お互い無自覚か。……リヴェル君も、かなり罪な男だね」

「え」

「結構話しちゃってたから。恋の話をするということは、ステラもかなり君を意識していたんだね」


 目を伏せて、感慨深げにウィルが呟く。

 彼が感慨にふけるのは結構だが、恋の話はリヴェルが質問したから答えてくれただけだ。

 そう言おうと思ったのだが、見透かした様にウィルは補足してきた。


「ステラは、そんなに口は軽くないよ。まあ、魔法は躊躇いなく使うけどね」

「あー、うん。そうだな」


 ウィルの言う通り、彼女は自分がいる前で普通に魔法を使っていた。

 夜に邂逅した時は緊急事態だったからともかく、裏庭で出会った時も、何の躊躇いも無く水槽を虚空から取り出していた。魔法使いだと知られても、痛くもかゆくもなさそうだったな、とリヴェルは思い起こす。

 だが。



「それでも、恋は別だよ」



 断言される。

 その際、ウィルの炎の様な瞳が一層深まり、リヴェルの瞳ごと飲み込む様に燃え上がったのを見逃さなかった。


「魔法使いにとって、恋は相当重要な要素なんだ。それこそ、普通の道を歩ける唯一の道。そんな大事な秘密を、そんじょそこらの一般人に話すわけがないだろう?」


 指摘されて、納得するしかない。

 魔法使いが、もしその道に焦がれに焦がれ、大切にしているのだとしたら軽々しく口外はしないだろう。利用される危険性だってあるかもしれない。

 リヴェルだって、大事な秘密をぽんぽん他人に話すのはご免だ。弱みは、出来る限り見せたくない。

 そう。

 自分も。



〝だから、俺の両親は、悪いことをしたんだ〟



 ――ステラだから、話したんだ。



 少し前を振り返って、リヴェルは認める。

 両親の歩んできた道も、母に捨てられた時のことも、今まで誰にも詳細を話したことはなかった。自分勝手な理屈だが、変な慰めをかけられたくなかったからだ。

 当時の気持ちはどうしようもなく辛くて、いっそ忘れてしまいたいほど憎らしかったが、同時に何よりも大切な想い出だった。

 だから、話さなかった。


 なのに、あの時、自分はステラになら話しても良いと感じたのだ。


 あの時は、ほとんど綺麗な面しか話せなかったが。

 本当は自分の綺麗ごとも、穢い部分も。全て丸ごと、知って欲しかった。


「……そこまで知っているのなら、じゃあ、ボクの過去を話すくらいだね」

「……過去」

「そう。二十年ほど前のことだ」


 とつとつと、ウィルが静かに語っていく。

 その語り口は優しくて、穏やかで、けれど、とても悲しい響きを伴っていた。聞いているだけでこちらの胸が潰されそうなほどで、話の先の予感に震える。



「ボクにはね、弟がいたんだよ」

「弟? あ、もしかして、エルスターの」

「……。……二つ離れた弟でね。ボクたちは、とても仲が良かった。よく、近隣の村にも遊びに行っていてね。もちろん、お忍びだよ。お付きはいていた」



 なかなか行動的な王様だ。

 こうして今もよくお忍びに来るし、昔からやんちゃな気質は変わらなかったらしい。

 弟も、かなり昔に亡くなったとは聞いていた。その弟も、兄と同じでやんちゃだった様だ。さぞかし周りは手を焼いただろう。

 想像したら微笑ましくなった。少し、その光景を見てみたかったと叶わない夢を見る。


「さて。ボクには昔、当時の王である父がいた。母は早くに死んだから、顔もよく知らない」


 声が、一気に刺々しくなった。

 弟を語る時とのあまりの落差に、鈍いリヴェルでも関係性が見通せてしまう。


「ボクたちがお忍びに行く様になってから、近隣の村が焼かれるという事件が発生する様になった」

「……、え」

「その頃問題になっていた野盗の仕業だろうと軍は睨んでいた。再発を防止し、野盗を討伐するための編成が王の命令で為された。そして、速やかに作戦は実行されたけれど、事件はなかなか防げなかった」


 滔々とうとうと語られる内容は、淡泊な語り口に反してかなり不穏だ。

 しかも、速やかに民のために国王が対策を取ったのに、事件は防げない。そこまで無能な軍人だったのだろうかと、首をひねってしまった。


「そして、そんな状況でもボクたちは、父に反発していつもの村に遊びに来ていた。危ない奴らが来たら、知らせて逃げようって無謀にも息巻いていた。ボクが十七、弟が十五の時だ」


 話が肝に差しかかった時に、ウィルは笑った。

 その顔は、ぞっとするほどにほの暗い。まるで遠くに見つめる相手を刺し殺す様な気迫さえ感じて、リヴェルは喉を鳴らした。


「その村は、野盗に襲われた」

「――っ」

「村人は、咄嗟とっさにボクたちを気付かれない様に隅に追いやってくれてね。次々と殺されていく彼らを、ボクたちはただただ、為す術もなく見守っていた」


 くっくと、額を押さえて笑う彼の顔がどんどん歪んでいく。当時の凄惨な光景を想起しているからだろう。

 もういい、と腕をつかみたくなったが、それを反対側の手で止める。

 彼は、塞ぎたかった傷口をえて広げて話しているのだ。その決意を、自分は受け止めるべきだ。


「しかも、その野盗っていうのはね。なんと、ボクたちも顔を知っている奴らだったんだ」

「……、は?」

「そう。その野盗はね、――王が編成した軍人どもだったんだよ」

「―――――」


 その瞬間。

 淡々とした冷たい声が、瞬時に空気を凍らせた。


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