第56話
「――――っ! あ、がはっ!」
全身がばらばらに引き千切られそうな衝撃に、堪らずリヴェルは転がった。がはっ、ごほっと、咳き込むたびに真っ赤な液体がぶちまけられる。
焼ける様に、体の中が燃える。引き裂く様な激痛が絶えず震動し、腹を押さえてひたすら痛みに悶え転がる。
「……っ! リヴェル!」
――彼女だ。
リヴェルは激しすぎる痛みのせいで
『――大丈夫』
届いてくれと願いながら、リヴェルは巻き起こる爆風の隙間から、外の世界を見つめる。
何が起こったのかと、呆然としたクラリスの顔が
そして。
その横に倒れ込んでいるマリアの元に、エルスターが駆け付けた。
クラリスが気付いて振り返ったが、もう遅い。
「……すまない、マリア。しばらく、かなり痛いぞっ!」
「……、やりなさいな」
信じるわ。
確かに、そんな風に彼女の唇が動いた。気がした。
遠いのに、何故聞こえてくるのだろうと不思議に思ったが、胸元の不自然な熱さに、リヴェルは悟る。
直後。
――どっと、エルスターの右腕が、彼女の体を一気に貫いた。
「……っ、は? 何? ちょっと、エルスター君、何、やって」
「っ、ステラ! 呆けてないで、早くリヴェルを助けたまえ!」
目まぐるしく変わる情勢についていけないらしく、クラリスが右に左にと体を揺らし続ける。
エルスターは、猛然とマリアの体から右手を引き抜き、可能な限り手の中にあるものを遠くに放り投げた。そのまま、目にも留まらぬ速さで、彼は右手から炎と風の弾丸を苛烈に弾き飛ばす。
遅れて、どおんっと、大爆発が夜空に弾け飛んだ。
ばあっと、真っ黒に広がる線上の束は、悪趣味な花火の様だ。リヴェルは絶え絶えの意識の中で皮肉を飛ばす。
引きつる様な痛みと、焼け焦げているかの様な
その時。
「――リヴェル!」
「――」
不意に、抱き起こしてくれる温もりがあった。
優しくて、温かい。
自分が焦がれて止まなかった、たった一つの自分だけの熱。
「……っ、ス、テ……ラっ」
「リヴェル! 馬鹿。こんな、無茶……っ」
ぽうっと、体の中が白くて柔らかな感触に包まれていく。
ああ、きっと彼女の魔法だと、リヴェルは安堵してしまった。彼女に包まれているという事実に、心地良さを覚える。
彼女の腕の中から見上げると、コートが所々裂けて痛々しい。覗く皮膚はまだ赤く染まっていて、見ているだけで苦しくなる。
彼女に手を伸ばそうとすると、ぴくりと反応した。
潤んだ瞳。黒を彩る透明な滴は、彼女の凛とした空気に綺麗に彩りを添えていた。
「無茶、しな、きゃな。助け、ら、れなかったか、らな」
「……っ、だからって」
「君も、よく、生きて、て、くれた。……こん、な、ぼろぼ、ろに、な、って」
そっと、伸ばした指を彼女のコートに引っ掛ける。まだ爆発の衝撃が強烈過ぎて、上手く身体が動かせなかった。
そんな自分の状態を悟ったのか、ステラが自分の手に己の手を重ねてくれる。きゅっと握ってくれたその手は、思ったよりも小さくて、小刻みに震えていた。
「……、生きてて、良かった……っ」
「ん。……大丈夫だ、って、言ったろ」
ようやくまともに舌が動く様になってきた。息を吐いて、胸元にある懐中時計に想いを馳せる。
王族の秘術の最大の効果は、魔法を遮断することだ。
だが、能力はそれだけではない。『通信能力』もその一つだ。
秘術の内容は、魔法使いにはごく一部を除いて知られてはいない。
だが、エルスターは王族だ。故に、その内容を知っていた。
その性質を利用して、リヴェルは彼に一方的に作戦を伝えたのだ。――エルスターが同じ作戦を思い付いてくれるかどうかは正直賭けだったが、恐らく分かってくれると妙な確信もあった。
だからこそ、伝えたのだ。
――もし、その時がきたら爆弾を爆発させろ、と。
リヴェルがその時期を、分かる様に合図を送る。
その時にエルスターには爆弾を起動してもらい、マリアを助けに行ってもらう。
クラリスは、エルスターが爆破をするなど露ほども思ってはいなかったはずだ。必ず隙が出来る。
その、最初で最後かもしれないチャンスを狙って、リヴェルはタイミングを計ったのだ。
エルスターは、誰が相手であっても懐中時計の力を使えと念押ししてきた。ある程度、この事態を想定していたからだろう。
リヴェルも、あらかじめ念を押されたからこそ思い付いた作戦だ。
ウィルの立ち会いの元、ステラに協力してもらったおかげで、リヴェルでも魔法の威力を完全に相殺出来ることを知った。
故に、魔法の爆弾にも対処は可能だ。リヴェルは己に埋め込まれたと知っても、冷静に判断出来た。
埋め込まれた爆弾は秘術を利用し、爆弾を壁で包み込む様に念じて威力を遮った。
幸い実験通り、威力は全て遮断出来た。エルスターもあらかじめ、爆弾を仕掛ける時に思い切り加減もしてくれていたのかもしれない。
だが、威力は完全に相殺できても、衝撃の余波は相殺しきれなかった。熱に煽られるし、殺しきれなかった余波で内臓がやられたのが分かる。しばらくまともに動けそうにない。
「だからって、正直、爆弾、体の中で爆発は、死にそうだった。もう、二度と、やりたく、ないぞ」
「……すまなかったのだよ。でもまさか、そんな風に爆弾を使われるとは思わなかったのだよ……」
マリアを抱き上げ、エルスターが近付いてくる。
彼の姿はくたびれきっていた。
それでも、彼の腕の中に、大切な友人が生きてそこにいる。それだけでリヴェルは泣きそうになった。
「マリア、……無事、で良かった」
「……、ええ。お互いに、ねー」
「……良かったのだよ、……本当に」
「でも、リヴェルはぼろぼろ。……エルスター。後で、私の仕置きを受けなさい」
ステラが、ぎらりと物騒な光を秘めてエルスターを睨み上げる。
その妙な迫力に、ぎくりとエルスターが固まった。一応持ち直して
「ぐ、だ、誰が魔女殿の……」
「……ああ、それには、私も付き合うわー。こーんな可憐な少女の体に、風穴ぶち開けるなんてねー。……、恥を知りなさーい」
「……分かったのだよ! 後で、まとめて受けるのだよ!」
やけくそ気味に叫ぶエルスターは、しかし心配そうにリヴェルを見つめてくる。
爆弾を爆発させたのは、どう取り繕っても彼だ。後悔が渦巻いているのだろう。
だが、リヴェルは全てを承知で実行したのだ。他に、手も無かった。
だから、力の限り笑ってみせる。彼を安心させる様に。
実際は全く力が入っていなかっただろうが、それでも伝わったのだろう。彼の瞳が微かに潤んでいた。
――守れた、だろうか。
未だ揺れる意識の中で、リヴェルは遠くを見つめる。
目の前の現実を拒絶する如く、呆けた様にこちらを眺めているクラリスに顔を向けた。
「……、どうして?」
ふらっと、彼女が一歩を踏み出す。
続けざまに、二歩、三歩と前へよろけ、どさりと崩れ落ちた。力なく両腕が垂れ、彼女の心がへし折れたことを物語っている。
「どうして、リヴェル君、無事なの? だって、爆発したよ? 普通、死ぬでしょ! どうして、……どうして!」
「……簡単さ」
彼女のこの世の終わりの様な叫びに、リヴェルは軽くその『終わり』を導く。
「ウィルと、ウィルの弟さんが、俺に力を貸してくれたのさ」
「――――――――」
その時の彼女の落ち
「タリス、……タリス、が、……っ。……また、タリス。……どうして」
ぶつぶつと、狂った様に口から垂れ流しながら、クラリスがふらりと立ち上がる。
浮浪者の様に寄ってくるその瞳は、どこか別の次元を見つめる様に遠く、自我を失っていた。
「……、ステラ、また、お前、が」
「……、違う」
ステラが、リヴェルをゆっくり地面に横たわらせ、立ち上がる。
彼女の背中は、もう迷いが無かった。凛とした音色を羽ばたかせ、迫りくるクラリスを迎え撃つ。
「これは、あなたが招いた最後」
「……、そん、な。ばかな」
「タリスが、リヴェルを導いたというのならば。最初から、あなたに待っていたのはこの結末だけだった」
「――――――ぁあああああああっ!!」
ステラの口からタリス、という単語が飛び出すと、クラリスが突如激しく頭を振り回す。
唸る様な獰猛な叫びは、獣の雄叫びの様だ。リヴェルはぼやけた視界の中で、唇を噛み締めた。
「……何で? 何で、またあんたなの」
ゆらっと、クラリスが陽炎の様に立ち上がる。髪が幾重にも彼女の顔面を隠し、その隙間から覗く瞳だけが別の生き物の様にステラを捉えた。ぎょろっと
「リヴェル君は、わたしのだよ。最初に好きになったのは、わたしだよ。あんたなんて、途中から横取りした泥棒猫じゃない」
「……」
「……ああ、そうか。泥棒猫だもん。だから猫と仲良いんだよね。リヴェル君も猫が好きだもん。一緒に猫同士仲良くなれば、リヴェル君を奪えるって思ったんでしょ。ねえ?」
きゃはは、と甲高く笑いながら、クラリスはぐしゃりと髪を握り締める。
ぷち、ぷち、と髪の毛を一本一本震えながら引き抜いていく様は、もう狂った獣にしか映らなかった。
「リヴェル君もひどいよ。何でその女なの。わたしの方が、ずっとリヴェル君のこと見てきたのに。好きなのに。愛してるのに。だって、そうでしょ? リヴェル君を幸せにできるのは、わたしだけ。だって、こんなに思って尽くしてるんだもん。ねえ、そうだもん」
「……クラリス」
「ああ、分かってるから。何も言わないで。今は、そこの魔女にそそのかされて洗脳されてるんだもん。好きにならないなんて、わたしを守る言い訳なんだよね? 分かってるよ。だってリヴェル君は優しいもん。優しいからわたしを拒絶する。そうだよそうに決まってる」
だんだんと熱がこもっていく様に早口になっていく。意味も支離滅裂になっていき、ぞわっとリヴェルの体が真っ黒な影に撫でられる様に震えた。
「クラリス、君は」
「もう、いいや。リヴェル君さえ手に入れば」
「――」
どんっと、近くの地面がいきなり
ぱらぱらと、巻き上がった土の粒が地面に落ちていくのを見ながら理解する。
今、彼女は自分を攻撃したのだ。
それを悟って、リヴェルの視界が苦しくぼやけていった。
「リヴェル君。手も、足も、いらないよね?」
「……っ」
「だってわたしが抱き上げて移動すればいいだけだもん。抵抗する手足なんていらない。舌も引き抜いちゃおっか! 声が聞けなくなるのは残念だけど、大丈夫! わたしは、リヴェル君の言いたいこと、ぜーんぶ分かってるから! ね!」
残酷な内容を、恋人に話しかける様に無邪気に提案してくる。
その間にも、彼女はゆらゆらと揺れながらリヴェルに近付いてきた。無意識に強張る体は動かなかったが、対峙するステラがクラリスの行く手を遮る。
ステラが立ちはだかった瞬間。
クラリスの目が限界までに見開かれ、牙を思い切り剥き出しにした。
「……邪魔、……するなあああああああああああっ!!」
「……リヴェルには、触れさせないっ!」
同時に、互いが魔法を振り上げる。
そのまま、どんっと真正面から光の束がぶつかり合った。猛烈な爆風が噴き上がり、背後にいたリヴェルは耐え切れずに吹き飛ばされそうになる。
「……、リ……っ!」
「集中したまえ、魔女殿!」
振り向きそうになるステラに、エルスターがリヴェルを支えながら
同時に、彼は燃え盛る炎の塊を勢い良く飛ばし、隙間を縫って迫ってきたクラリスの黒い波動を弾いた。
「エルスター……っ」
「リヴェルよ、見ていたまえ。これが、お前さんが導いてくれた結末なのだよ」
「……、結、末」
「二十年前、タリスが殺された時から。彼は、いつか魔女殿を導いてくれる人に、託せる日を待ち望んでいたのかもしれないね」
「……、タリス」
二十年前。殺されたタリス。
先程クラリスは、彼の名前を確かに口にしていた。
〝……何で? 何で、またあんたなの〟
その符号でようやく合点がいく。
ステラと彼女の因縁は、二十年も前から続いていたものだったのか、と。
そして、今日。
――これで。
「……ううううう、……うああああああああああああああっ!!」
莫大な光と轟音が両者の間でぶつかり合い、力強く弾き合う。
だが、少しずつ、本当に少しずつだがクラリスの方が押されていた。足元も、ざりっと、地面を抉る様に後ずさりしている。
どちらも厳しい表情だ。ステラも、クラリスも、互いを真っ向から睨み合い、両手を前面に押し出してありったけの力を繰り出しているのはリヴェルにも分かった。
クラリスが、泣きそうなほどに顔を歪ませる。唇を噛み締め、時に獣の様に唸り、懸命に真っ黒な光を膨らませるが、真っ白な光を羽ばたかせるステラの魔法が更に空に伸びる様に黒い光を覆っていった。
――不思議だ。
真っ黒なコートを、翼の様に凛々しく羽ばたかせているのはステラなのに、その彼女は太陽の様に激しく、月の様に優しい光で世界を満たしている。
まるで、クラリスの闇さえも抱き締める様に、ステラの光は今、夜空に羽ばたきながらどこまでも広がっていった。
――終わりが、来る。
素人のリヴェルにも、痛いほど伝わってくる。
目を離すまいと、エルスターに体を支えられながら必死に顔を上げ、ステラを、そしてクラリスを凝視した。
「どうして、……どうして……っ!」
悲痛な
彼女を拒絶したのは自分だ。許さないと、絶対好きにはならないと死刑宣告を出したのも自分だ。
それは本心だ。今更変わらないし、これからも変わることはない。
けれど。
〝そうだ、リヴェル君。オレンジパイのこと、覚えてる?〟
「……っ」
遠くで、かつての彼女の声が響く。
〝ちょっと難しくて、今まで失敗ばっかりしちゃったけどね! もう少しで、満足いくものが出来そうなんだ〟
懐かしい。まだ、明るい日常が咲き渡っていた頃の声だ。
ああ、そうだ。約束、したのに。
――オレンジパイ。結局、食べられなかったな。
何故だろうか。
彼女を拒絶して、もう戻れないところまで来てしまったのに。
こんな時に、苦しいくらいに彼女との想い出が脳裏を過る。
それは、彼女も同じなのだろうか。
――そうであって欲しいと。そう思うのは、我がままだろうか。
「……っ、リヴェル、君……っ!!」
ばちいっと、盛大に光が真っ黒に、真っ白に破裂する。
反動で倒れたのはクラリスの方だった。どっと地面に転がり、膝を付く。
それでも彼女は、懸命にリヴェルの方を見つめてくる。暗く、深く、憎む様に、恨む様に、――
〝わたしも、リヴェル君みたいに話の合う恋び……う、ううん! ゆ、ゆゆゆ友人が! できて、嬉しいよ!〟
〝ぱ、ぱぱぱぱい! パイ! オレンジパイは、美味しいよね!〟
〝この前、先生に頼まれた資料とか地球儀とか、運んでくれたでしょ! だから、お礼だよ!〟
〝ま、ままま、前に、リヴェル君、言ってたでしょ。みんなでお祭りに行きたいって〟
彼女との想い出が、色鮮やかに甦る。
あの時、確かに自分は彼女と過ごしていて楽しかった。
彼女に心を救われたこともある。一緒にいて、本当に楽しくて、いつまでもあんな日々を過ごせれば良かった。
どうして、思い出してしまうのだろう。どうして、こんなに苦しいのだろう。
――どうして、もう、後戻りできないところまで来てしまったのだろう。
思いながら、リヴェルは彼女の暗い視線を真っ向から受け止めた。
もう、戻れないと。もう、戻らないと。
そう決意を乗せて、強く見つめ返す。
「――」
彼女は、静かに自分を見つめてきた。
逸らさずに、逃げずに、彼女はひたすらに自分を見つめてくる。
それが、どんな意味を成すのか。今のリヴェルにはどうしても分からなかった。
「……、どう、して、……っ」
彼女は俯き、遂には人形の様に繰り返す。
どうして、どうして、と。
きっとそれは、この場にいる誰もが思っている――答えの無い結末だ。
そして、それを破るのはもう、一人しかいなかった。
「……私は」
ぽつりと、ステラが右手を掲げて零す。
その背中には、凛然たる覚悟が眩しく宿っていた。
「他者の命を粗末にして生きてきたあなたに、このことだけは感謝したい」
「……、は?」
「おかげで、ようやく気付けた。――大切な者を守るということは、その人に続くあらゆる命の連鎖をも、守るということなのだと」
だから、と。
ステラは一息吐いて、淡泊に、けれど静かな決意と共に続けた。
「守る命だけではなく、奪う命のこと。今まで、そして今からこの手で潰える命と、それに連なる命のこと。生涯抱えたまま、生きていく」
「――――――――」
「だから、あなたのことも、一生忘れない」
さよなら、クラリス。
ステラが
クラリスは、ふと遠い目をしながら笑みを浮かべた。
その笑みには、先程までの狂気など微塵も見当たらない。リヴェルが思わず手を伸ばしかければ、彼女はまた笑って目を閉じる。
「あーあ。……―――――」
そうして。
目の前は、彼女の呟きごと真っ白に爆ぜ、世界は
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます