Epilogue ここから始まる新たな命(みらい)

EpilogueーⅠ


「おや。またお見舞いかい? 律儀だね」


 花束を持ってエルスターが王宮内を歩いていると、ウィルに声をかけられた。

 その声には、いかにも「楽しんでいます」と言わんばかりにからかいが混じっていて、自然と顔がむくれていく。


「うるさいのだよ。……僕が傷付けたのだからね。仕方がないのだよ」

「マリア君だっけ。君の想い人」

「っ、いちいちうるさいのだよ! いいだろう、僕が誰と付き合ったって!」

「おや、付き合っているのかい?」

「……まだなのだよ!」


 情けない事実を白状させられ、エルスターは益々肩を怒らせた。

 だが、ウィルは何処吹く風で、愉快そうに身体を揺らすだけだ。全く歯が立たない相手で、腹が立つ。

 本当に、出会った時からいけ好かない人間で――誰よりも信頼出来る相手だった。


「リヴェル君の方にも、お見舞いに行ってあげたらどうだい?」

「彼はもう二日前に退院して、あの魔女殿と毎日ラブラブ状態なのだよ」

「ああ、そうだったね。さみしいのかい?」

「淋しくなんかないのだよ! いちいちうるさいね!」


 重箱の隅をつつく様に冷やかされ、エルスターは再度爆発した。

 なのに、彼には本当に骨を折るだけだ。折るだけ折って、疲労だけが蓄積していく。


「リヴェルとは、毎日寄宿舎で嫌でも会うのだよ」

「ふーん。嫌なんだ」

「言葉のあやなのだよ! 嫌なわけ無いではないかね!」

「そうだよね。初めて出来た親友だもんね。しかも、君を信頼して危険な賭けを提案してくれたし」

「っ、ああ、そうだとも! 彼を手放したら、この先一生あんなお人好しで臆病でそのくせ頑固で押しが強いボケボケ親友など出来はしないだろうね!」


 ふんっと鼻息荒くして外向そっぽを向けば、ウィルは腹を抱えてうずくまってしまった。そのまま、床を掘って埋まってしまえ、上から踏み付けてやると毒突いたが、彼はけらけらと笑うだけで取り合わない。

 彼にいつか「まいった」と言わせてみたいが、一生来ない気がする。しかも、それを宣言したら即座に「まいった」と平気でのたまいそうなので、余計に腹が立った。

 しかし。


「……。本当に、よくそんな賭けを提案してくれたのだよ。僕は、その前に気絶させて爆弾を……、……っ」

「君は、何と言うか色々下手くそだよね。通信手段があるって知ってたんだから、魔法をぶっ放す前に、心の中で会話をすれば良かったのに」

「ぐっ!」

「そしたら賭けだって、土壇場の一発本番なんてことにはならなかったのにね?」

「う、ぐっ、……マリアのことで混乱していたのだよ。すまなかったのだよ。何度も土下座をしたのだよ、彼にもマリアにも魔女殿にもね!」

「おお、やったんだ。流石」


 ぱちぱちと、わざとらしく拍手してくる彼に益々怒りがうなぎ上りだ。本当に、彼は人を茶化すことに関しては天才である。一度、顔面からはっ倒したい。

 とはいえ。


「……土下座ですむのなら、いくらでもするのだよ」

「おや。殊勝だね」

「マリアはもちろんだが、……リヴェルの傷は、簡単に癒えないだろうからね」

「……、うん。そうだね」


 ウィルも茶化さずに同意してくれる。流石にこの点については、彼も複雑な思いがある様だ。



 リヴェルは、今回の事件で大切な友人を一人失った。



 マリアも同じではあるが、リヴェルは『彼女』に真っ向から立ち向かい、そして毅然きぜんと否定した。彼女を、拒絶した。


 それは結果的に、『命』を拒絶したにも等しい選択だった。


 それでも己の意志を、信念を、逃げずに貫き通したのだ。

 しかし、いくら彼自身が決意して彼女を拒絶したからと言って、心の負担がそれで軽くなるわけではない。



 彼にとって、間違いなく彼女は友人だった。わずかながらも、心を許せる友だったはずだ。



 その友人が、狂気に満ちた成れの果てで、しかも他の大切な者の命を平気で危険にさらす存在だったのだ。

 そのショックは、しばらく消えることはないだろう。恐らく、一生傷跡となって残る。

 彼は、生涯彼女を許さない一方で、彼女の命を拒絶した己のことも許さない。そんな男だ。

 どこまでもお人好しで、およそ謀略の世界には向かない人物である。


「ふん。まったく、頑固なのだよ。……彼女の件については、リヴェルにはもうどうしようもなかったのだがね」

「おや。頑固だと呆れながら、彼をかばうのかい。君も大概たいがいお人好しだね」

「うるさいのだよ! ……まあ、できることなら、苦労した分幸せを大量に掴むくらいの気概きがいを見せて欲しいものだよ」

「なるほど、幸せになって欲しいと。流石。ボクの可愛い息子は優しいね」

「っ、ウィル!」


 鋭く叫び、慌てて周囲を見渡した。

 どうやら、近くに気配は無い様だ。誰も今の発言は聞いていなかったと知って、胸を撫で下ろした。

 ――が。



「そうそう。そろそろ、君をボクの子供だと公表しようと思っていてね」

「――はっ!?」



 唐突な爆弾発言に、エルスターは文字通り飛び上がった。魔法で思わず噴火しそうになったが、ここは王宮内なので寸でで取りやめる。



 ――ウィルの子供だと、公表する。



 青天の霹靂な事態に、エルスターは唇をわなわなと震わせた。


「な、何を言っているのだね! ただでさえ、僕を王族の甥として受け入れたことで、当時は重鎮が騒いだというのに!」

「だって、ボクの子供でしょ?」

「血の繋がりが……!」

「あるじゃない。遠いけど」

「あるから問題なのだよ!」

「問題ないよ、法律上もね。君は、ボクの子供だよ。君のお母さんが、ボクの王妃なんだし」


 さも当然と言わんばかりの態度に、エルスターは開いた口が塞がらない。



 ――エルスターの母は、先王の愛人の孫娘だ。



 先王は、ウィルの母と結婚してから長らく子をもうけなかった。愛人ばかりを愛し、その子供を可愛がり、政略結婚した正妻をないがしろにした。

 結果的に、かなりの時を隔ててウィルとタリスが生まれたが、先王は二人をうとんじ、邪魔者扱いした。むしろ、同じ時に生まれた愛人の孫娘ばかりを可愛がっていた。

 つまり、ウィルとエルスターの母は、叔父と姪の関係だ。


 それでも王族は、親等が近くても兄弟間でなければ婚姻が認められる。


 エルスターの母は、自身に起こったことも踏まえて躊躇していたが、ウィルが時間をかけて掻っさらっていった。彼の歳の離れた兄からも、頭を下げて「娘を頼むよ」と涙ながらに託された。それが、エルスターが十歳の時である。

 紆余曲折を経て今はラブラブだが、エルスターは母と相談して一つの決断をしたのだ。


 彼に、これ以上迷惑はかけない。


 母の父親が、必死になってウィルと共に事件の背景を潰しはしたが、いつどこでほころびが出てくるか分かったものではない。

 その上、エルスターはウィルと実の親子ではない。しかも魔法使いの血を引く子供を戸籍登録させると、かなりややこしい事態になる。

 だからこそ、渋る彼を説得して『甥』の立場になったのに、彼は今になって公表すると言う。

 ぱくぱくと金魚の様に酸素を求めて口を開閉させていると、ウィルはにっこりと指さした。


「あ、金魚」

「誰のせいだね!」

「ボク? 違うよね。君が勝手に金魚になったんだし」

「違う! 何で」

「何で? それを君が――『君達』が聞くのかい?」


 すっと目を細めて、ウィルが微笑む。その鋭く冷えた目つきに、ぎくりとエルスターの体が強張った。

 彼は、普段は人を食った様な笑みをしていても穏やかだが、少しでも怒りが混じると、途端に威圧感が爆発的に高まる。



 これは、相当怒っている。



 察して、堪らず一歩引いた。


「い、や。分かっては」

「そう。分かっているよね。ボクは最初から、君をボクの子供として戸籍に登録しようとしたのに、君達親子が拒否したんだ」

「……っ」

「魔法使いと人。愛し合って生まれた子ではないから、不老とまではいかなくとも、君はかなりの永い時を生きることになる。添い遂げる相手が出来なければ、君の成長は二十前後で止まり、そのまま生き続けることになる」

「それは、その通りで……っ」

「そうすれば、ボクに迷惑がかかるからって。エレナが泣きながら懇願するから、しかたなーく、一度は受け入れたんだよ」


 腕を組んで、にこにこと笑いながら当時を振り返るウィル。

 しかし、その瞳は全く笑っていない。むしろ、刺々しい。肌をちくちくと執拗に刺してきて、じわじわ追い詰められていく。

 彼は、かなり根に持っている。母からも話に聞いてはいたが、なるべくこの話題に触れないまま今日まで来て正解だった様だ。


 だが、それもここまで。


 彼は、逃すまいと言わんばかりに、一気に距離を詰めてきた。


「……、あー、その、ウィル」

「父さんって呼んで欲しいな」

「……っ、だがね」

「年齢がちょうど良かったから、弟の隠し子として登録したけど。そろそろね、我慢の限界なんだ。いいよね?」

「いや、あの」

「エレナにはもう認めさせたから。後は君だけなんだ」


 母が屈している。


 相当時間をかけて説得したのだろう。ちょっとやそっとで、この件に関して母が譲る場面が想像出来ない。

 ――と、思ったのだが。


「君に、永遠に添い遂げる相手が出来たと教えたから。安心して、ぽろっと頷いてくれたんだ」



 こんの腹黒親父――!



 あっさり種明かしをされ、エルスターは床にめり込む勢いで突っ伏した。

 母も母だ。そんな見え透いた懐柔策で落ちるとは。ウィルとの結婚を承諾した時の決死の覚悟はどこへ行ったのか。


「……母さん。騙されているのだよ」

「おや。本当のことだろう?」

「いや、その、……まだ、告白していないのだがね」

「時間の問題問題。リヴェル君も、恋愛初心者なのにステラと上手くいったんだし。君もプレイボーイっぷりを発揮……したら駄目なんだっけ、マリア君は」

「……面白がり過ぎなのだよ」


 はあっと大袈裟に溜息を吐いて、のろのろと立ち上がる。出会ってこの方、本気で彼に勝てた試しは無かった。今回も敗北の色が濃厚である。

 はあっと、また一つ大きく溜息を吐く。嘆息が止まらない。このまま溜息病になったらどうしようかと、半ば真剣に考え始めた時。


「エレナ、泣いていたよ」

「……」

「君が、人並みの人生を送れそうだと聞いてね。……ボクも、嬉しいよ」


 よしよしと、子供にする様に頭を撫でてくる。

 そんな年齢ではないと突っぱねても良かったが、何故かそんな気にはなれなかった。されるがままになる。

 暖かくて、大きい。エルスターも成人に近付いて、背の高さも彼に追い付いてきたはずなのに、それでも手の大きさがこんなにも違う。



 ――悔しいが、彼は自分の『父』なのだ。



 そこまで思って、ふて腐れそうになる。

 自分だって、彼を公に『父』と呼べたなら。そんな風に夢見たことは、幾度となくあった。見透かされているのがまた腹立たしいが、三人で――。

 否。



 今度生まれるはずの弟妹も含めて、『四人』で堂々と家族として過ごせたらと、願っていた。



 それが、遂に叶うのか。

 だとしたら。


「……ようやく、リヴェルに嘘を吐かなくてすむ様になるのだね」

「やっぱり、そこはリヴェル君なんだね」

「……そうなのだよ」


 彼とは入学式からの知り合いだった。

 彼は最初、自分を王族だと知らなかった様だが、知った後でも全く態度が変わらなかった。

 それだけでも驚きだったのに、魔法使いだと知っても、どこまでも態度が変化しなかった。

 魔法に怯えているのに。魔法のせいで傷付いたのに。彼はぼろぼろになりながらも、成れの果てに襲われたエルスターの無事を知った時、そのことだけを喜んだ。



 助けてくれて、ありがとう。



 そう言われた時、どれだけ自分の心を救ってくれたか。彼は、きっと一生分かることはないだろう。


 ――穢い自分。嫌いな魔法使いを利用し、誰よりも卑怯だった自分。


 そんな自分を友人として受け入れてくれる人間など、これからもお人好しの彼しかいないだろう。

 彼は平凡な一般人だ。少し生きることに意欲がなかったが、お人好しで、優しくて、恐いことは当然の様に恐がって、そのくせ危険を顧みずに他者の命を大切にする、ごくごく普通の人間だ。



 それでも彼の持つ、みんなが持っていそうで持っていない、底抜けなまでの優しい強さに、自分は心から敬意を抱いている。



 この大学院に来て良かった。

 ウィルが勧めてくれなければ、今でも惰性な日常を送っていだろう。


「まあ、夜にでも打ち明けるのだよ。公式発表は待たなくても良いのだよね?」

「うん。よし、息子の許可も取れたし、明日には発表しちゃうよ」

「……早すぎなのだよ」


 これは、あらかじめ布石を打ちまくって、公にする段階まで進めていた証拠だ。

 やはり、彼には敵わない。思い知らされて、打ちひしがれてしまう。


「そうそう。そういえばエルスター、ルリアという名前に聞き覚えはないかい?」

「……ルリア? いや、無いが」

「そう。じゃあ、やっぱり捜索を進めなければね」


 ふむ、とあごに手をかけてウィルが考え込む。

 深刻そうではないが、どこか思案に沈む様な顔つきに、エルスターも心に引っ掛かりを覚えた。


「ルリアとは、誰なのだね?」

「リヴェル君の母親だよ。いやね、彼の体質が少し気になったものだから、聞いてみたんだよ。そしたら、どこかで聞いた様な名前だったからね」


 うーん、と唸る彼を前に、エルスターも過去を模索する。

 だが、自分の記憶には何一つ引っかからなかった。別に、ルリアという名前もそこまで特殊なものではないから、探せば国中に引っ掛かりそうではある。

 だが、ウィルが「聞いた様な」名前という言い方をするということは、何か特別な案件に関わっている可能性がある、ということになる。


「リヴェルが、精神作用系の魔法に耐性があるということは、稀になら一般人にもあるのではないのかね?」

「うん、稀にね。でも、それでも普通は半減程度なんだ。リヴェル君は、ほぼ……というよりは、全く効かない感じだったから。ちょっと気になってね。それに」


 一旦言葉を切って、ウィルはちらりと見つめてくる。

 何となくのけ反る様になってしまったのは、彼が国王の顔をしていたからだ。父とはまた別の、策謀を蜘蛛の巣の様に張り巡らせる、策士の顔だった。


「彼、秘術をね。半分ではなく、ほぼ八割方効果を発揮できたんだよね。しかも、魔法の威力を防ぐだけなら完全相殺だったから、驚いた」

「……そうらしいね。僕が仕掛けた爆弾が小規模だったとはいえ、随分な作戦だと最初は思ったものなのだよ」

「うん。威力半減程度だったら、体の中で爆発したら確実に死ぬからね。まあ、それでも衝撃は八割までしか減らせないから、相当苦しかったとは思うけど。本当、よくリヴェル君はそんな作戦を遂行してくれたよね。良かったね、エルスター。すっごく信頼されているよ」

「……っ、ぐ。そう、だね。……また土下座しそうなのだよ……」


 何度も念押しされると、本当に心が苦しい。

 体の中で爆発など、エルスター自身は頼まれたってやりたくはない。

 だが、リヴェルはえてその提案をしたのだ。それしか道が無かったとしても、爆弾を含めて自分を全面的に信用してくれたその純粋さが眩しい。


「だからね、彼がそこまで効果を発揮できるってことは、魔法使いか、薄く王族の血を引いていると思ったんだ。彼も母親の行方は気になっているみたいだし、調べてみようと思って」

「……、魔法使い」


 リヴェルが、彼らに関わっているというのか。

 何となく気が重くなったが、ウィルにぽんと頭を叩かれ、顔を上げる。


「リヴェル君は、今更気にする様な人間ではないよね?」

「……、まあ」

「なら、見守ってあげればいいよ。もし万が一、彼が崩れそうだったら支えてあげれば良い」


 ね、と微笑まれてしまえば、頷くしかない。

 最後の最後まで彼には勝てそうにない。これが、親子というものなのだろうか。だとしたら、理不尽である。

 だが。



 ――悪い気は、しないね。



 父といい、リヴェルといい、強い人ばかりだ。弱いままの自分でいたら、いつか彼らに呆れ果てられるかもしれない。

 そうならない様に、自分もそろそろ前を向こう。下ばかり向いていたら、綺麗な空も拝めなくなる。


「では、行ってくるのだよ」

「ああ、気を付けて。ちゃんと、夕ご飯までには帰ってくるんだよ」

「いや、寄宿舎で食べるのだよ」

「ん? ボクも食堂へ行く予定だから。大丈夫」

「は? ……この父親、やることなすことが酷過ぎなのだよ……!」


 さらりと、とんでもない計画を暴露してきた彼に、エルスターは肩を怒らせて怒鳴り散らす。

 そんな王宮の賑やかさは、いつもと変わらない。通りゆく王宮内の人々は、微笑ましそうに、そっと遠ざかるのだった。


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