EpilogueーⅡ
金魚が死に。
父が死に。
母に捨てられ。
祖母に存在を否定され。
いつしか、ふとした瞬間に、脳裏を
〝あなた、――死ぬのは、恐い?〟
あの、未来を決定付ける、月が綺麗に
きっと、リヴェルはこう答えたのではないだろうか。
――死んだら、父さんと母さんに、もう一度会えるかな。
――死んだら、もう一度、あの時の様に。二人共、抱き締めてくれるだろうか。
ずっと抱えていた思いだった。
会いたい。触れたい。抱き締めたい。抱き締めて欲しい。
けれど、きっと二人は自分を恨んでいる。もらった命を大切に出来なかったこと。自分達家族を結びつける命を、死なせてしまったこと。
存在を否定され続けて育った自分は、何故生きているのだろうか。そんな風に思う様になっていた。
あの夜の質問の後、記憶が無かったのは、無意識に心を守るために自分で消してしまったのかもしれない。
弱いと思う。きっと、今でも恐くて、
けれど。
〝私も、過去を乗り越えたいから。……私の分も、一緒に背負って欲しい〟
自分は、もう。過去ばかりを見ていた日々に、終わりを告げる。
金魚の墓標に手を合わせ、リヴェルはステラと共にしばらく
「……守れなくて、ごめんなさい」
ぽつりと、ステラが涙の様に
淡々としているのは変わらないのに、微かにその奥に熱を帯びているのが伝わってくる。
彼女は、変わったと思う。前は金魚や猫の命をあまり尊重していなかった気がするのに、今では心を痛めて悲しんでいた。
当時は、自分の言葉の半分も届いていないと思ったが、あの時点で既に彼女の心に何かしら刺さっていたのかもしれない。
元々、彼女は必要以上の命を奪わない様に配慮している人だった。己自身が気付かなかっただけで、本来はとても優しくて温かな人物なのだろう。少なくとも、リヴェルにはそう思えた。
「ステラに、落ち度はないさ」
「……」
「悪いのは、金魚を殺した……犯人なんだからさ」
間を置いてしまったのは、未だその名前を口にするには、心への被害が
今でも、夢では無かったのか、夢であって欲しかった、と切望する自分がいることを誤魔化せない。
真っ直ぐ見ていることが出来なくて俯くと、ふと
その鞄の持ち手には、猫と金魚のマスコットが仲良く抱き合いながらぶら下がっていた。
クラリスが作ってくれた猫と、祭りの時にステラが取った金魚は、ともすれば内緒話でもするかの様に笑い合っている。
――こんな風に、彼らは仲良く笑っているのに。
どうして、現実にはもういないのだろう。リヴェルは思わずにはいられない。じっとしていると、時折発狂しそうだった。
もし、クラリスが真正面からぶつかってきていたら、お互い険悪になっていたかもしれない。この猫と金魚の様に、仲良く笑い合うなんてことも出来なかったかもしれない。
だが、それでも。正々堂々と、体当たりしてくれていたら。
今だって、彼女は『ここ』にいたかもしれないのに。
「……っ」
思い出すと、止まらない。あの夜から、ずっと考えない様にしていたのに。
口にしたらもう駄目だった。
どうして。何故。もしも。あの時。
そればかりが頭に浮かんで、どうしようもなく叫びたくなる。
「……、ごめんな、ステラ」
「……、リヴェル?」
自分は、何と未練がましいのだろう。
彼女は、リヴェルの友人を危険に
だが。
「成れの果ては、倒さなきゃならない相手。……実際、そうだっだんだって分かっているのに」
それでも。
〝わたしも、リヴェル君みたいに話の合う恋び……う、ううん! ゆ、ゆゆゆ友人が! できて、嬉しいよ!〟
「……それでもっ、……俺にとっては、大切な友人だったんだ……っ」
〝リヴェル君は、そろそろ察しが良くなろうよ。そんなんだから、いつまでもたった一人の女性に気付かないままなんだよ〟
〝ほら、マリアちゃん。できたよ! ネクタイもかわいく結べたし、ばっちり!〟
〝うーん、リヴェル君が疎くて朴念仁で察しが悪いのは同意だけど、エルスター君の口説きも変だと思うよ〟
楽しかった。大切だった。
時々変に挙動不審になることがあったけれど、いつも静かに、賑やかに背中を支えてくれる人だった。
あれが、全て彼女の演技だったのだとしても。
それでも、彼女の言動で救われていたのは本当だった。
だから。
「……、リヴェル」
震える喉を噛み殺し、懸命に感情が溢れそうになるのを堪えていると、ステラが静かに距離を詰めてきた。
そして。
「……最後、彼女。言ってた」
「……、え?」
思わず顔を上げると、彼女の漆黒の双眸と間近でかち合う。
磨き抜かれた黒水晶の様な瞳は、相変わらず吸い込まれそうなほど綺麗な輝きを放っている。不思議と、心の底を撫でられた様に落ち着いた。
「オレンジパイ」
「……オレンジ、パイ?」
「オレンジパイ、食べてもらえなかったなって」
「――」
最後。
最後とは、いつのことだろうか。記憶を辿って、リヴェルは彼女の最後の時を思い返す。
はっきりと聞こえた最後の声は悲鳴だった。絶望と共に頭を激しく振り回していた。
ならば、ステラが示すのはどこだろう。
更に記憶に潜り――最後の最後を思い出す。
ああ、そうだ。
最後に、彼女は。
――あーあ。……――――。
真っ白に爆ぜる瞬間、笑っていた。
自分が手を伸ばしかけたら、更に笑って目を閉じて。
その時、確かに何事かを呟いていた。それを、ステラは言っていたのだろうか。
オレンジパイ。
〝うん! だから、今度食べて欲しいなって〟
もう少しで出来そうだから、食べて欲しい。
彼女は、いつかそう言っていた。自分がオレンジパイが好きだから、今度作ってきてくれると。
食べ損ねたな、と思った。苦しかった。
けれど、きっと彼女にとってはそれすら演技なのだと諦めていた。
だが。
「……っ、どう、してっ」
何故、そんなことを言うのか。
だって。
「……成れの果てにも、感情はある」
「――」
静かに、囁く様にステラが紡ぐ。
その声が自分の頭を撫でる様に優しくて、目の奥がひどく熱くなっていった。
「理性は無くて、狂ってはいるけど。それでも、感情はある。目的のためなら手段は選ばないけど、それでも嬉しいとか、悲しいとか、そういう気持ちはある」
「……っ」
「きっと、目的の二の次だったかもしれないけど。それでも、確かにクラリスにとって、リヴェル達は友達だったんだと、……思う」
断言はしない。
だが、否定もしない。彼女が、そう思ってくれていたかもしれないと、可能性を示してくれた。
そうだろうか。――思ってくれていたのだろうか。
〝あーあ。……オレンジパイ、食べてもらえなかったな〟
――食べて欲しいって。少しでも友人だって、思ってくれていたのかな。
「……っ、……ふ……、っ」
止まらない。ぼろっと、何かが目から零れ落ちるのが自分で分かった。
一度流れたら止まらない。ぼろぼろと、次から次へと溢れ出る。
「……、……クラリス……っ!」
肩を震わせて
そろそろと、最初はおっかなびっくりに。次第に大胆に撫でられて、もう堪らなくなる。
「……っ、ご、め……」
「……、うん」
彼女の温もりに委ねる様に、リヴェルはされるがままになる。懸命に
頭に触れる彼女の優しさが苦しい。安堵を覚えながら、胸が痛くて崩れ落ちそうになる。
どうして、クラリスはもうここにはいないのだろう。
最後は、酷い言葉で終わってしまった。傷付けて、突き放して、――これからも拒絶をし続けるけれど、それでも思わずにはいられない。
彼女は、今どうしているのだろうか。
――あの夜。彼女は、辛うじて生き残った。
だが、魔法使いの『成れの果て』は、処分をするのが原則らしい。だから、あの後ステラとエルスターが、ウィルの所へと彼女を連れていった。
その後、どんな処分が下されたのか。そのまま、原則通り死刑になったのか、別の処置が施されたのか。リヴェルに知らされることはなかった。
この件に深く関わったのだから、リヴェルにも知る権利があるとステラが主張したが、ウィルが首を振ったのだ。
魔法使いの事件に最後まで首を突っ込めば、死臭に満ちた世界に完全に踏み込むことになると。
それは、一般人である限り、望ましくないことだ。
ウィルはそう主張して、最後まで譲らなかった。エルスターも目を閉じて黙認していたから、同意だったのだろう。
リヴェルとしては、友人だった彼女の最後を知りたい気持ちが強かった。
だが、自分の身を出来る限り案じてくれているということも理解出来た。片足だけではなく、完全に突っ込んでしまえば、今以上に危険が訪れるかもしれないから。
だからこそ、それ以上聞けなかった。彼らの気持ちを無下にしたくはなかった。
しかし。
――それでも、いつかは完全に足を踏み入れる日が来るのだろうか。
その日が来たならば、自分はどうするべきか。
彼女と過ごしながら、考えることにしよう。それが、クラリスを拒絶し続けると決めた、自分に残された課題なのだと思うから。
「……、ごめん。ありがとな」
「……ううん」
そっと、彼女の手を自分の頭から外す。彼女の温もりが離れていくのが
自分は、これから本当の意味で自分の足で大地に立ち、歩き出さなければいけない。
友人を傷付け、拒絶し、ステラとの道を選んだ。
それら全てを無駄にしないためにも、今度こそ彼女と真正面から向き合いたい。
「……、なあ、ステラ」
呼びかけて、一度静かに息を吸い込む。
そうして彼女の視線を
「俺さ。今まで生きることに、あまり意欲的じゃなかったんだ」
「……」
ステラの顔が少し陰る。
やはり彼女は、リヴェルが『自分の死』に対してどう思っていたのか知っていたのだろう。
あの、二人が邂逅した夜。質問に対して自分がどう返したのか、おおよそ見当が付いていた。
だから、決意の意味をこめて彼女に向き合う。
「両親と別れ別れになって、家や周りから拒絶され続けてさ。じゃあ俺、何で生きてるんだろうって、ずっとどこかで思ってた」
「……、うん」
「だから、きっと。君の質問に対する俺の答えも、結構後ろ向きだったんじゃないか?」
「――」
軽く目を
やはり予感は的中していた様だ。自分は、彼女に余計な心労をかけてしまっていたのだと、今更になって悔やむ。
「今も、多分そんなに変わってはいないんだと思う。俺は、どうして生まれてきたんだろうって、……ふとした瞬間に、思ったりも、する」
「……リヴェル」
「……、でもさ」
この大学院に入学してから、少しずつ状況は変化していった。
自分は、今まで得られなかった友を得て、彼女と出会った。
失ったものもあって、もう二度と取り戻せないものもあるけれど。それでもここに来なかったら気付けなかったこと、手に入れられなかったものが沢山ある。
ささやかだけれど両手に抱えきれないほどの幸せを、たくさんもらった。
「エルスター達や君と出会ってさ。初めて俺、生きてて良かったなって思えたんだ」
「……」
「それに、未来を見ることも出来る様になった。君と、共に生涯を歩いていきたいっていう未来を」
ステラに手を伸ばしかけて、一度止める。彼女が不思議そうに中途半端な位置で固まったリヴェルの手を見ていたが、苦笑いで誤魔化した。
自分は、まだ肝心なことを言っていないのだ。祭りの夜の自分を殴りたいと、今の今まで悔いてきたことだ。
〝……、それが、嫌だからっ! こんな手を使ったんだよ!〟
一瞬、『彼女』の悲痛な
彼女を拒絶した自分に、そんな資格はあるのか。
けれど、口にすればきっと、エルスター達に殴られる。もしかしたら、彼女にも殴られるかもしれない。何となく、彼女の最後の笑みを思い返して想像してしまった。
だから、リヴェルは進む。
自分が責任を持って選んだ道を、精一杯歩くのだ。
「ステラ」
すっと立ち上がって、リヴェルは遠くを見つめる。
彼女に告げる前に、もう一人、頭を下げたい人物がいたからだ。
「もう一ヶ所、付き合ってくれないか?」
腹を
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