第20話
キャットフードを求めて、動物のエサを専門に取り扱う店に足を踏み入れた。
リヴェルがこの半年で、よくお世話になっている場所だ。入ると、にこにこしたおじいさんが迎えてくれた。
「リヴェル君じゃあないか。よく来たねえ」
「こんにちは。キャットフードが欲しいんですけど」
「ほほほ、待っていなされ」
笑って体を揺らし、奥の方へ入っていく。お得意様の商品は、ある程度取り置きをしてくれているらしく、頭が上がらない。
温かみのある店内を、ぐるんと見回す。猫だけではなく、犬やリス、トカゲなどの様々な食品を取り扱っていて、緩やかな客足ではあるが評判は良い。金魚など魚の餌もあるし、おじいさんは生態に詳しいから相談も可能なのがありがたかった。
「今日は、お友達も一緒なんだねえ」
「はい、エルスターって言って、入学した頃からの友人です」
「ご紹介に
「おい!」
「ほうら、出た」
「ぬぐっ」
「ほほほ、仲が良くて結構じゃ。ほれ、裏庭の子に持っていってやりなさい」
エルスターとの掛け合いを笑いながら、袋を渡してくれる。何だか子供扱いされている気がして照れくさいが、悪い気はしなかった。
だからだろうか。
――祖父が生きていたら、こんな感じだったのだろうか。
そんな風に、思う時がある。
父が、死ぬ数日前にこんなことを言っていたからだ。
〝聞いてくれ! 父が、――ああ、お前にとっては祖父なんだけどね。味方になってくれると言ったんだ! もうすぐ、一緒に住めるかもしれない〟
はしゃぎながら報告してくれた父に、リヴェルも母も喜んだものだ。
母などは、目尻に涙を溜めていて、父が抱き締めて慰めていたくらいだ。「すまない」とか「苦労をさせた」とか色々呟いていたが、二人が抱き合っている姿は、本当に幸せそうだった。リヴェルも、深く事情を理解はしていなかったが、心が温かくなったのを覚えている。
結局、祖父と父は、一緒に事故で亡くなってしまったけれど。
叶えられなかった夢が、何となくここで満たされた気がして、リヴェルはこの店とおじいさんが好きだった。
「……ふふ」
何やら、隣でエルスターが忍び笑っている。
何だよ、という意味を込めて目を向けると、彼はまだ笑いながら打ち明けてくれた。
「いやね、ずいぶんと嬉しそうな顔をしているから。まるで、孫がおじいさんに会いにきた様な表情だったのだよ」
「っ、な!」
「ほほ、エルスター君は分かっているのう。わしにとって、彼は孫みたいに可愛いから。ついついサービスしてしまって」
「お、おじいさん!」
エルスターの言葉に乗っかって、おじいさんまでからかってくる。
しかもあまりに嬉しい言葉なので、リヴェルの頬が、かっかとたちまち熱を持っていった。鏡を見なくても分かる。絶対に真っ赤だ。
現に、エルスターはにやにやと、おじいさんは微笑ましそうに視線を向けてきた。ううっと唸って、
「ったく。エルスター、からかうなよ! おじいさんも」
「いいじゃないか。おじいさんもその気なのだし、良いことなのだよ」
「そうだねえ。買い物が無くても、いつでも遊びに来て良いからの」
「……、ありがとう、ございます」
ほっほと笑う彼の声が温かい。じんわりと滲む優しさに、目と鼻の奥がつんと痛くなった。
慌てて二人に背を向けて誤魔化すと同時に、からからっと扉が開いた。
おじいさんの「いらっしゃい」という愛想の良い声を背中越しに聞きながら、リヴェルは誰だろうと顔を上げ。
固まった。
扉の前に立っていたのは、黒いコートを羽織った一人の女性だった。大きい水槽を右手で抱え、仁王立ちする姿はいつ見ても豪快である。
「……す、ステラ?」
「リヴェル。こんにちは」
「ああ、……こんにちは」
彼女の登場は、いつも突然だ。
普通に挨拶したいのに、当惑が先立ってしまう自分が悲しい。
「おや、リヴェル君、ステラ君と知り合いなのかの?」
「え、……はい。友人です」
「そうかいそうかい。じゃあ、ステラ君が言っていた、金魚のことを教えてくれた相手とは、リヴェル君のことだったんだね。いやあ、これはまた良い巡り合わせだ」
おじいさんの言葉に、リヴェルは思わず彼女を振り返る。
彼女は無言。特に表情は変わっていなかったが、少し視線が下がり気味だ。何となく照れている予感がして、妙にリヴェルも気恥ずかしくなった。
「ステラ君は、金魚の餌だね。ちょっと待っていておくれ」
「うん」
「金魚の状態も見てあげるからね。そこに置いておくれ」
「分かった」
慣れた様なやり取りで、ステラが奥へと進んでいく。
普通に会話をしているのを見ると、おじいさんとの関係は良好の様だ。嬉しくなって、リヴェルの頬が緩む。
「金魚。ちゃんと、面倒見てくれてるんだな」
「うん。……リヴェル、見て」
「ん?」
こっちへ、と小さく手招きをされたので、何も疑わずにリヴェルは近付く。
置かれた水槽を、ステラは無言で凝視していた。その視線はあまりに強く、鋭く、水槽に穴が豪快に開いて水が溢れ出そうなほどで、リヴェルは疑問符を大量に撒き散らすしかない。
だが、それくらい熱心に眺めて満足したのだろうか。
「私、すごい発見した」
「お、おう?」
どこか得意気に頷くステラに、リヴェルは戸惑いながらも成り行きを見守る。
自分が動きに注目し始めたのを確認し、彼女はおもむろに人差し指を、ぴっと水槽の面にくっつけた。
そして。
「……金魚、見て」
彼女の人差し指に気付いたのだろう。金魚が、ふわふわと彼女の指に寄ってきた。
すいっと、彼女が指を右に移動すれば、金魚もふわふわと付いていき。今度は左に流せば、金魚は物珍しそうにやはり付いていく。
それを何度か繰り返し、ステラはくるんとこちらを振り向き。
「金魚、ついてくる」
「――、ああ」
ぐっと拳でも握り締めそうなほどの勇ましさに、リヴェルは思わず噴き出した。世紀の大発見とでも豪語しそうな物言いが、子供っぽくて可愛らしい。
そういえば昔自分もやったな、と懐かしくなりながら、ふわふわ泳ぐ金魚を覗き込んだ。
「ほんとだな。ずいぶん懐いたじゃないか」
「うん。……最近、かわいい」
「へえ。そっか! それは、託した甲斐があったな」
「―――――」
ありがとう、と頭を撫でてお礼を述べる。もう、無意識の反射だった。
そして、手を引いて――はっと唐突に我に返る。思わず彼女の頭を撫でた手の平を見つめ、ざっと血の気が引いていく。
自分は、一体何をした。
お礼を述べるだけではなく、許可もなく、彼女の頭を――。
「う、うわ!」
「……、何?」
「ご、ごめん! 急に、その。変な意味は、なくてな!」
「別に、いい。気持ちいいから」
「きも、ち、いい」
前にも同じ感想を耳にしたな、とぐるぐる回る世界と頭で懸命に手繰り寄せる。確か、ステラと友人になった日だ。
あの日は、目を丸くする彼女に構わず、強引に髪に触れるという大変
――思い出しただけでも、身悶えする。
何故、ここの床は大理石なのか。穴が掘れない。埋まれない。そもそも、何故自室ではないのか。顔を両手で塞いで床に這いつくばりたかったが、変態行為にしか見えないので、ここでは思いとどまるしかない。
「すて、ら。そういうことは、外では、あまり」
「あまり?」
「そういうこと、言うなよ」
「どうして?」
「っ、ど、どうして、って」
「ほほっ、なるほど。二人は、恋人なのかの」
「はっ!?」
「こいびと?」
商品を持ってきたおじいさんが、とんでもない爆弾を投下してくれた。正しく爆発して、リヴェルの心を爆風で吹き飛ばす。
「ち、ち、違う、違うぞ! いや、違います! ステラとは、友人で」
「なるほど。まだ発展途上といったところかねえ」
「ち、ち、違う! おじいさん、あの、ステラって、そういうことに理解があまり」
「おじいさん」
慌てふためく自分を
おじいさんは、彼女の無言の圧力にも屈しない。むしろ、優しく包み込む様に受け入れて、何じゃね、と語りかけた。
「恋人って、どうやってなるの」
「……、ほうほう」
「恋をするって、どんな気持ち」
「ほほーう」
真っ直ぐな問いかけは、ひどく真剣味を帯びていた。普通は、自分達の年齢に達したら馬鹿にされそうな質問にも思えるが、リヴェル個人は笑えない。
何故なら、自分も。物語で読んだり、他人の話を聞いたくらいでしか、恋というものを知らないからだ。
隣にいるエルスターを横目で見ると、彼は腕を組んだまま微動だにしていなかった。ただ無言で、彼女を見つめている。
彼女が現れてから一言も発していないのも気になったが、彼は一体何を考えているのだろう。以前の様な殺気染みた眼差しは見受けられないが、二人の間には自分の知らない関係が隠されているのかもしれない。
「ステラ君。君は、恋をしているの」
「……、してる?」
「――」
瞬間。
ずぐりっと、リヴェルの心臓に、刃で突き刺された様な衝撃が走った。
思わず胸を手で押さえる。小さな痛みが、手の平の向こうで脈打っている気がしてならなかった。
何故だろうと、己の反応に首を傾げている合間にも、彼女達の会話は続く。
「そのうち、ステラ君にも分かるじゃろう。焦らないのが一番じゃ」
「……、でも」
「それに、その解答を口にするなら、もっと相応しい人がおるよ」
「ふさわしい?」
「ほれ、そこに」
ぴっと、おじいさんが指差した先には、自分がいた。
くりっと後ろを振り返ってみたが、エルスターにばしんと背中を叩かれる。なかなかに痛い。
「な、何だよ?」
「お前さん、この期に及んで何ボケているのかね。馬鹿なのかい?」
「な、何だよ、馬鹿って」
「リヴェル君」
優しい優しい声がする。
だが、その柔らかな声音が、かえって自分の逃げ道を失くした。
おじいさんの指は、己を差したまま。それは、背後をすり抜けているのではない。
ならば。
「……、え」
「リヴェル君じゃよ、ステラ君」
「リヴェル?」
「彼が、君に教えてくれるじゃろう。焦らなくても良いからの」
「―――――」
穏やかに、しかし真っ直ぐにおじいさんはリヴェルを指名した。
恋を、教える。
訳の分からない論理に、がたっと近くのテーブルにぶつかってしまった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! おじいさん、何言って」
「おや、真実じゃろうて」
「いや、無理だ。だって俺、恋人なんていたこともないし、ましてや恋なんて」
「ほうほう」
「だから、俺じゃあ……」
「本当にそうかね?」
「……っ」
本当に。
指摘されて、咄嗟に反論が出てこなかった。ぱくっと、虚しく口が開閉しただけで終わる。
恋など、知らない。何故なら、知る必要も無かった。
それは真実だ。故に、断言すれば良いだけなのに、何故か形にはなってくれない。
どうして。
回る疑問は、しかし待ってくれない。おじいさんは一度目を閉じて、微笑ましそうに目を細めた。
「二人とも、大丈夫」
「……」
「いつか、きっと。『ああ、こういうことか』と悟る日がくるよ」
「悟る、日」
「だから、それまでは、青春を甘酸っぱく過ごしていなさい」
ほっほと、楽しげに笑うおじいさんの声が店内に響く。
リヴェルも、ステラも、そしてエルスターも、何も発せられないまま。店の外では、既に一日の終わりを告げる様に、日が茜色に傾いていた。
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