Episode3 理想の狭間
第13話
「ふーん。それで、魔女殿とお友達にね。相変わらず、リヴェルは大胆なのか小心者なのか分からんのだよ」
ステラとの友達宣言の翌日。
エルスター達と四人、中庭で昼食を楽しんでいる時に、リヴェルは彼らに裏庭の
マリアやクラリスには、エルスターからきっちり説明がなされていたらしい。ただし、『魔法使い』の部分などは綺麗に外してくれていたらしく、彼の気遣いには感謝した。
「何だよ、小心者って」
「ふ、そこで『ああ、黒い姫君よ。この僕と夜の花園で語り明かす仲とならないかい』と、男らしい申込みくらいはしてほしいものだよ」
「ん? 夜の花園って、中庭のことか?」
「は? 何故そうなるのだね!」
「……エルスター、あなた、分かりにくいわー。ほんっと、それでよくプレイボーイの名を欲しいがままにしてるわねー」
「な、ななな何だと! リヴェルが
「うーん、リヴェル君が疎くて朴念仁で察しが悪いのは同意だけど、エルスター君の口説きも変だと思うよ」
「がーん!」
クラリスの毒舌に落とされたエルスターは、盛大なる影を背負って地面に突っ伏した。
一緒にリヴェルまで落とされていて納得はいかないが、マリアも「うんうん」と激しく同意しているので、旗色が悪い。その点は、大人しくしていることにした。
「でもー、いつの間にそんなに先輩と仲良くなったのかしらー。うーん、隠れタラシだからかしらー」
「何だよ、隠れタラシって」
「リヴェル君って、エルスター君とは別の意味で女泣かせだよね。同情しちゃうな」
「クラリスまで……。エルスターが女泣かせなのは確かだけどさ」
「みんなで僕を
ぶつぶつと空に文句を連ねるエルスターに、リヴェルは笑ってしまった。
こうして、いつも通りみんなと話せるのも彼のおかげだ。感謝している。
だから、リヴェルは準備していた小さな袋を鞄からおもむろに取り出した。そのまま、ぱさっと彼の頭の上に乗せる。
むはっと意味不明な悲鳴を上げながら、彼は乗せられた袋を手に取って
「何だね、これは」
「レスタリア店の毎日十個限定ドーナツカップ」
「っ!? な、何と!」
「昨日の礼だ。味わって食べてくれよ」
「おおおおおお! もちろん! だとも! 友よー!」
がしいっと暑苦しく両手を握り、涙ぐんですらいる彼にリヴェルは若干引いた。
しかし、この反応も無理は無い。この店の限定ドーナツは大評判で、瞬殺されるほど入手が難しいのだ。
夜明け前から並ぶのは禁止。並び始める時間を指定されており、その時間目掛けて全員が走る姿は一種の名物だ。店員の厳しいチェックもあり、連日違反者で溢れている。
リヴェルは、何とか違反すれすれの際どい部分を狙い、ぎりぎり十人目に滑り込めた。夜明け前に起きて急いで出かけ、虎視眈々と機会を窺った甲斐があったというものだ。
エルスターには、裏庭の一件でかなり心配をかけたし、後押しもしてくれた。これくらいで返せる謝意ではないが、一端でも伝わればと思う。
「あと、マリアとクラリスにも買ってきたぞ。限定じゃなくて申し訳ないが」
「いいわよー。あらー、ハニーレモンパイじゃない。これも結構人気で、すぐ無くなるのよねー」
「私は、このダブルチョコクリームドーナツ好きなんだよね。覚えててくれてありがとう」
嬉しそうに袋を受け取る二人に、リヴェルの頬も緩む。やはり、誰かが喜んでいる顔は見ていて嬉しいものだ。
「ほら、お前さんたちも一つ食べたまえ」
限定ドーナツを差し出しながら、エルスターが髪を
いちいち何故髪を掻き上げるのだろうと疑問ではあるが、様になっているので、リヴェルも特には
「え、いいの? ありがとう」
「さっすがエルスター。女泣かせねー」
「マリアは別に食べなくても良いのだよ」
「食べるわよー。そんなんだから、光の速さで逃げることになるのよー」
「だから! 忘れたまえ!」
わいわいと楽しそうにドーナツを
レスタリア店は、通りのカフェとは別の意味で、様々な珍しい飲み物を扱う貴重な店だ。このオレンジもこの国の、しかも城下にしか出回っていない種類のものらしい。味も申し分ないし、重宝している。オレンジは至高の逸品だ。
「そういえばリヴェル、裏庭で青年に襲われたって言ってたわよねー」
「あ、そうそう。麻薬中毒だったんだって? リヴェル君も殴りかかられたって言ってたけど、本当に大丈夫だったの?」
「ん? あ、ああ。平気だぞ。
「ははは、魔女殿がお強いとは。
一瞬ぎくりと顔が強張ったが、エルスターがばしんと背中を叩いたおかげで、悟られずにすんだ。力が強すぎたので恨めしげに睨んだが、何処吹く風でドーナツを
そんな乱暴なやり取りはさておき。
彼らの話は、表向きは真実だ。
結果的に、ステラは青年を殺してはいなかった。
あの騒ぎは、エルスター以外にも聞いていた者がいたらしく、あの後教師も慌てて駆け付けてきたらしい。
その時はもう既に、青年の意識は混濁としていたそうだ。あまり表沙汰にしたくない事情もあって、国の特殊警備隊に引き取られていったと聞いた。
友人宣言が終わった後、ステラに青年のことを尋ねた時、彼女はとても不思議そうな顔をしていた。
〝彼は、魔法使いじゃなかった。だから、殺していない〟
魔法使いの成れの果てはともかく、人間は手にかけない。それが、彼女達魔法使いの基本的な信念である様だ。そのことに安堵したのは記憶に新しい。
だが、あの青年は魔法使いではないのに、魔法を使った。しかも、あまり人の区別がついていない様にも思えた。
それが疑問で問い質してみると、彼女は更に首を傾げて。
〝……魔法使い……か、成れの果ての仕業かも〟
ぽつりと、そう零したのだ。
青年は魔法使いではないのに、今回の事件は魔法使いの仕業だという。線が繋がらなくて尚も問いかけたが、彼女はそれ以上何も言わなかった。
故に、リヴェルは事情を知らない。踏み込んではいけないのならば、境界を越えてはいけないとも感じた。
自分は、人間。彼女は、魔法使い。
魔法使いの歴史も内部事情も、何も知らない。そんな自分では土足で踏み込むことは危険だし、何より無礼だとも思った。
〝リヴェルが泣きそうな顔をしていると〟
けれど。
「……リヴェルよ。また、暗い顔になっているのだよ」
「―――――」
エルスターに苦々しく諭され、我に返る。
見れば、マリアとクラリスも心配そうにこちらに顔を向けていた。最近、上手くいかないなと自嘲する。
大学院に来る前までは、それなりに取り繕うのは得意だったはずなのに――。
「……ああ、ごめんな」
「何よー。もしかして、本当に恋してたりするー?」
「え」
「え……」
マリアの言葉に、リヴェルだけではなく、何故かクラリスも青くなっていた。
二人揃った蒼白に、マリアは微かに罰が悪そうに手を振る。
「ちょっと、冗談よー。クラリスも本気にしないでちょうだい」
「う、うん。ごめん。……でも、リヴェル君、そうなの?」
「クラリスまで……あのな、違うぞ。別に、……」
言いかけて。昨日、彼女に触れた時の記憶が唐突に、ぽんっと音を立てた。
何でこんな時に、と悪態を吐きたくなりながらも、回想の再生が止まらない。彼女の髪に触れた時の感触が、触れてもいないのに鮮明に思い出された。
指の合間を滑るなだらかな感触が、指に悦びを与えてくれた。夜を表した様な髪に黄金色が差した色合いはとても絶妙で、見ているだけでも心が震えた。
色も感触も綺麗な髪は、彼女の息吹を宿している様に凛としており、もっと触れていたいと願ってしまった。
思い返してしまうと、それだけでは止まらない。暴走した心が、更なる欲を掻き立てる。
――もしあの時、あの髪に口付けていたら、どんな想いを抱いただろうか。
彼女は、逃げただろうか。それとも、ビックリして動けずにいただろうか。
自分は、どうだっただろうか。唇越しにあの感触を味わったら、どんなに――。
「……って、……」
そこまで生々しく考えてから我に返り、リヴェルの体温が一気に爆発した。
「――っ! 違う! 本当に違うからな!」
背筋を伸ばすだけ伸ばし、リヴェルは叫ぶ。
その時点で、既に潔白ではありませんと明言している様なものなのだが、混乱しまくったリヴェルに気付く要素は皆無だった。
「違う、あれは、ほんと……ああああっ」
「……、説得力、皆無なのだよ……」
「り、リヴェル君……そんな……」
「ちょ、ちょっとクラリス。しっかり。まだ分からないわよー。だって、リヴェルだもの」
頭を抱えて、リヴェルは懸命に昨日の光景を散らす。ぶんぶんと頭上を手で振り仰ぐが、一向に消えてくれないどころか、かえって鮮明に映し出されてきて、益々自分を追い詰める。
周りで呆然とするクラリスを慰めるマリアや、考え込むエルスターが見られたりしたのだが、今のリヴェルに気にする余裕は無い。
「ああ、もう! 俺、ほんと、変態……」
ひたすらに懺悔と後悔を繰り返していると、不意に視界の端にひらりと黒い羽が舞った。
何だろうと顔を上げれば、ばさりと真っ黒な翼が中庭に羽ばたく。
否。
正しくは、翼の様にコートが風にはためいて、中庭を突っ切っていった。
が。
今のリヴェルには、その美を堪能する余裕など、絶無だった。
「う、わあああっ!」
「―――――」
がたん、と椅子から立ち上がって絶叫する。何だ何だと周りが注目する中、当然の成り行きで彼女――ステラもこちらを振り向いてきた。
ばちっと、強く視線がかち合う。漆黒の瞳に吸い込まれながら、リヴェルは気まずいを通り越して、罪人の如く逃げ出したい気持ちに駆られた。
だが、そうは問屋が卸すはずもなく。
「リヴェル」
「お、おおおっ! は、はい!」
気まずさ大爆発の張本人が、わざわざ手間をかけて歩み寄ってきた。
これで逃亡しようものなら、本気で失礼無礼変態の名を欲しいがままにしてしまう。心の中だけで盛大に泣きながら、びしっと直立不動で出迎えた。
「や、やあ、ステラ。こんにちは」
「こんにちは」
「きょ、きょきょきょ今日も、いい天気だな! す、ステラに関しては、えー、あー、ご機嫌麗しゅう」
「リヴェル。何を言っているのかよく分からない」
だよな。
そう同意したくなるのを寸でのところで
だらだらと汗が止め
「リヴェル」
「う、うん?」
「顔色が悪い。どうかした?」
「――っ」
ずいっと、無防備に彼女の顔がこちらに近付く。その際に、ふわりと香ったほのかな甘みに、くらくらと脳が揺れた。
彼女は、女性としては身長が高いほうだ。そして悲しいかな、リヴェルは男性の中では小柄な方で、百七十には少々足りない。
故に、視線の高さがかなり近い。彼女の方から少し見上げて近付かれれば、簡単に至近距離になってしまう。
間近で絡み合う視線は、甘い香りがした。無邪気なほどに透明な黒い瞳には、自分だけが映し出されている。
そう。
――彼女の瞳の中には、今、自分だけが閉じ込められているのだ。
その甘美な現実に、くらりと
「リヴェル?」
「あ? あ、あー、う、うん! ステラ、近いからな! 離れようか」
ぐっと、理性を総動員して彼女の肩を押し出した。その際の、きょとんと目を丸くする彼女の表情が可愛いと、変に動悸がして更に混乱する。
「どうしたの」
「い、いやな、ステラ。あのな、女性がそんなに男性に顔を近付けたら、駄目だ」
「どうして」
そこを聞くのか。
この年頃の者なら、誰もが納得しそうな部分を逆に問い返され、墓穴を掘っていく感覚を味わった。
「どう、して。えーと、……
「何故そこで疑問形なのかね」
「う、うるさいな! それに、勘違いする奴とか、単純な奴とかもいるし! とにかく、駄目だ! 俺だから良かっただけで」
「リヴェルならいいの?」
そうじゃない。
彼女のどこまでもすっとぼけた答えに、脱力する。
エルスターの野暮なツッコミを経ながら何とか説得を試みても、まるで理解してくれない。意思疎通が出来ないことは不便だと、ここまで思い知った時は無かった。
「と、とにかく! 恋人にだけしような! うん!」
「恋人」
「そう! 恋人! 好きな人! プロポーズな! 結婚!」
「リヴェル、何だか色々飛躍し過ぎているのだよ」
「好きな人……」
エルスターの冷静なツッコミを流しつつ、ステラの考え込む顔をじっと見つめる。
説得は今度こそ成功しただろうかと期待していると、ふと、彼女の瞳の陰に目がいった。
――
あたふたしているはずなのに、思考が別の方向へと流れていく。そんな己に気付いて、また悶える羽目に陥った。
――何だ、俺! 本当に変態か!
叫んで気のすむまで己を踏み付けたくなるのを全力で押し止め、彼女が頷くのを待っていると。
「じゃあ、私はリヴェルが好きだから、いいってこと」
「……っ、ちっがあああう!」
一瞬頭が真っ白になってから、全身全霊の叫びを空に放つ。「好き」と言われ、少しでもときめいた自分を殴りたい。
何故だ。何故、ここまで意思疎通が出来ないのか。リヴェルは叫びたくて堪らない。
そもそも、彼女は自称悠久の時を生きてきた魔法使いだというのに、何故、一般常識が備わっていないのか。俗世間から離れすぎていたということだろうか。
世の中の魔法使いが全て彼女の様な人柄だったら、大変なことになりそうだ。想像して、先程とは別の理由で眩暈がした。
「なあ、ステラ」
「うん」
「好きって、多分、君が言っているのとは違うと思うんだ」
「じゃあ、どういうこと」
「えー、……、……………」
駄目だ。降参したい。
試しに友人達を振り返ってみると、にやにやとこちらを呆れ気味に見つめてくるだけで、一向に加勢してくれる気配はない。クラリスなどは、どんより黒い雲を背負って俯いている。よほどこちらのコントに呆れたのだろう。申し訳なくなってきた。
どう説明したものかと考えあぐねている間にも、ステラは無表情のまま見上げてくる。
その瞳は心なしか純粋な子供の様な輝きを伴っていて、ぐっと詰まってしまった。己が激しく
「……えーとな、ステラ」
「うん」
駄目で元々、説明にとことん付き合うかと腰を
「おい。見ろよ、あれ」
「王族の次は、黒い魔女かよ」
「さすが、愛人の子は愛人。落とす相手が違うねえ」
「―――――」
通り過ぎざま、罵倒を耳元に
見れば、既に声の主らしき彼らは背中を向けて去っていくところだった。笑いながら、こちらをちらりと嘲る様に視線を寄越してくる。ブレザーでないということは、上級生だろう。
最近は減ってきていたのだが、やはり根絶には至らない。改めて認識して、知らず溜息が零れ落ちた。
「あいじん」
「ん? ああ、俺のことさ」
「……」
「いつものことだから、気に……、ステラ?」
説明している途中で、ステラがさっさと歩き去ってしまう。
何なのだ、と呆けて彼女を見送っていると。
「……………いってえええええええええええっ!!」
「……はっ!?」
突如、空を切り裂く様な金切り声が走り抜けた。それはもう、学院全体を揺るがすほどの大絶叫で、リヴェル達の元へも正しく届く。
何事かと見守っていると、程なくしてステラがこちらに堂々たる振る舞いで戻ってきた。背後には、ずるずると首根っこを引っ掴んだ男性数人を引き連れている。
先程、自分に嫌味を飛ばしてきた者達だと気付き、リヴェルは当惑と共に顔を上げた。
「ステラ?」
「謝って」
「は? な、何でオレたちが、……あだだだだだっ!」
「――謝りなさい」
「は、はい! すみませんっした! すみません!」
「もうしません! だから、離して! だだだっ!」
痛い痛いと泣き叫ぶ彼らに、ステラは謝ったのを確認してから手を離した。どさっと、勢い良く地面に転がってから、
嵐が去った。
舞い戻ってきた静けさの中、ぼんやりとリヴェルが佇んでいると。
ステラは、そのまま歩き出してしまった。
こちらに背を向け、今度こそ立ち去っていくのだと気付き、リヴェルは思わず名を呼ぶ。
「ステラ!」
ぴたりと、綺麗に静止する。
彼女の振る舞いは、一つ一つが凛とした空気を纏っている様な心地がした。初めて目にした時から変わらない、彼女への涼やかな印象だ。
「えっと、……」
呼び止めたは良いものの、何を言えばと迷子になる。煮え切らない態度だと知りながら、それでも適切な言葉が出てこなかった。
彼女は無言。
だが、やがて、ぽつりと。風に囁きを、乗せてきた。
「泣いている様に、見えたから」
「……、え」
「それだけ」
言うだけ言って、彼女は振り返らずに去って行く。
泣いている。
そういえば、昨日も同じことを彼女は口にしていた。自分が泣いている風に見えたから、傷付けたのではないかと。傷付けたことを、
だから、彼らにも同じことをさせたのか。何と単純明快な理由か。
実際は、そんなに簡単な問題ではない。一つ一つに反応していたら、キリが無いのが現状だ。
しかし。
「……真っ直ぐだなあ」
自分には無い強さだ。
その強さが、あの真っ黒な翼に弾かれた光の様に眩しい。
「……これは、強力なのだよ」
「クラリスー、そろそろ愚直にぶつかる方が良さそうよー。聞いてるー?」
「リヴェル君……、……どうしよう、わたし、また……」
「え、え? またって、何かしらー。クラリース。戻ってきてー」
近くで好き勝手に何かを
もう一度だけ、彼女が去った方角を眺め、先程の声を聞く。
――自分が傷付いているから、怒ってくれたのかな。
都合の良い解釈だろうか。
それでも、勝手に思うだけなら良いだろう。
――ああ、本当に。調子が狂うなあ。
だが、それが案外悪い気がしないことに、リヴェルは気付かないフリをした。
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