第19話


 本日の授業も終え、ようやく解放された満足感を味わいながら、リヴェルは生徒達が行き交う廊下をのんびり歩いていた。

 楽しげな会話を交わす女性達や、これからの予定を話しながら門へと向かう者達など、様々な人種で溢れている。この自由な雰囲気はどこかふわふわした心地になって、リヴェルは味わうのが好きだった。

 エルスター達とは、夕食に落ち合う約束をしている。今日は、少なくなってきた猫の餌を飼うために街に繰り出す予定だ。

 そう。

 一人で街に――。



〝あなたは、だれのもの?〟



「――っ」


 不意に、あの倉庫に閉じ込められた時のことを思い出し、体が震えそうになった。周囲が一気に暗くなり、にたりと、粘っこく笑ってこちらを見つめているかの様な錯覚に陥る。


「……っ、大丈夫だ。……大丈夫」


 ぐっと右手を握り締め、リヴェルはこれから向かう明るい街を思い浮かべる。

 力強く描けば、薄暗くなっていった周りも明るさを取り戻し、ほっと無意識に安堵の息が零れ落ちた。どくどくと、心臓が大きく騒ぎ立てるのを、深呼吸して鎮めていく。



 ――あの倉庫の一件以来、まだ一人で歩くのは少し恐い。



 だが、そうは言っても、四六時中誰かと共にいるわけにもいかない。友人達にだって予定があるのだ。

 それに、自分に魔法を使われたらステラに伝わる様になっているらしい。エルスターに尋問された時に、そういう打ち合わせをした。

 だから、大丈夫。

 そう繰り返し言い聞かせ、リヴェルは振り払う様にわざと溌剌はつらつと予定を口にした。


「んー、この前の新作のフード、どうかな。でも、猫の好みもあるし、うーん」


 大好きな猫の餌を買いに行くのだ。悩むこの時間も贅沢である。自然と、気分も上向きになっていった。

 実家では叶わなかったこの自由時間は、期間限定とはいえ大いに嬉しい。腕を思いっきり伸ばして背伸びをしても怒られないし、あぐらを掻いても倉庫に入れられたりしない。

 故に、思い切り羽を伸ばす。んー、と気持ち良く背筋が伸びて、少しまぶたが重くなった。


「裏庭に行ったら、少し猫たちと寝るか」


 それは、とても暖かな日向ぼっことなるだろう。

 これからの予定を立てて、気持ちが弾む。その足取りで、廊下を颯爽と通り抜けようとした時。



「おーおー、愛人のお出ましだ」

「―――――」



 一気に心が下降した。最近はめっきり減った絡みなので油断したと、リヴェルはこっそり舌打ちしたくなる。

 相手にせずにすり抜けようとすると、行く手を遮る様に体を割り込まれた。おかげで無視も出来なくなる。


「無視は酷いんじゃないか、無視は。一応、キゾクサマ同士だろ?」

「最近、調子に乗ってるんじゃないのかい。優秀な奴の取り巻きになれたからさ」


 あっという間に数名に囲まれて、溜息を吐く。ざっと六人。多くはないが、少なくもない。

 しかも、悲しいことに彼らの方が全員背が高いし、がたいも良い。自然と見下ろされる形になることに、また腹が立った。


「何か用か」

「何だよ、せっかく無視されがちな愛人に声かけてやってるのによ」

「愛人になった覚えは無いし、俺は用が無い。じゃあな」

「おいおい、待てよ」


 隙間をって去ろうとすれば、無造作に腕をつかまれた。加減も何もあったものではなかったので、顔をしかめる。

 その反応に悦びを感じたらしい。満足気に見下ろしてきた。


「オレたちは用があるんだよなあ」

「実は、一度お前とは遊びたいって思ってたんだぜ」

「俺は思っていない。離せ」

「まあ、そう言うなよ。オレたちも、一応はお前のとことそこまで遜色そんしょくない地位だし? 付き合っておいて損は無いぜ」

「っ」


 ぐっと、乱暴に引き寄せられた。

 そのまま抱き込まれそうになったので、突き飛ばす様に離れる。どん、と壁に背中を打って息が詰まったが、距離が取れたことに安堵した。


「てめっ」

「愛人のくせに、乱暴しやがって」

「俺は愛人じゃない」


 ざわざわと、だんだん野次馬が多くなってきた。公衆の面前で騒げば、注目の的になるのは当然だ。

 早く離れたい。その一心で逃げ道を探すが、さばくには面倒な数だ。抜ける隙間がほとんど無くて、焦りが生まれてくる。


「嘘は良くないなあ。お前、あの国王の甥の愛人だろ」

「は?」

「その上、今度は黒い魔女を相手とか、どんだけだよ。さっすが、大貴族に取り入った愛人の血筋は違うねえ」

「――っ」



〝あいつの母親、子供に全財産継がせるために、一家皆殺しにしたって噂だぜ〟



 かっと、瞬間的に頭が沸騰した。

 彼らは、今、何と言った。

 母のことだけではない。

 彼らは、彼を、彼女を、自分の何と言った。

 自分の、大切な人達を。



〝お前、あの国王の甥の愛人だろ〟



「――っ!」



 少しずつ引きずられていた足に、全力で力を入れて踏ん張る。

 同時に、乱暴に腕を掴んできた手を振り払い、叩き落とした。ばちんっと思った以上に良い音が鳴って、相手が顔を歪めるのが見える。


「ってめっ!」


 いきり立って壁を殴る相手に、怒りをあおったことを認める。

 だが、こちらも止まらない。腹の底から湧き上がってくる熱量に、押されるままに噛み付いた。


「俺に、国王の甥とか、黒い魔女とかいう知り合いはいない」

「はあ? 何言って」

「エルスターとステラっていう奴ならいる。どっちも、俺の大切な友人だ。馬鹿にするなっ!」

「な……っ」

「どけっ!」


 相手が怯んだ隙に、自分を囲んでいた彼らの隙間を無理矢理押し通る。

 だが、上手くいかず、彼らにもう一度腕を掴まれた。ぎりっと、掴まれた箇所が軋んで歯を食い縛る。


「おい、離せっ!」

「この野郎。大人しく下手したてに出てれば付け上がりやがって!」

「どこが下手だ。完全に嫌味ばかり言ってただろ。離せっ。用事があるんだ」

「オレたちは、お前と遊びたいって言っただろ。これからの家同士の付き合いを有益にするために、来いよ」

「っ!」


 腕をひねられて、動けない様に固められる。

 周りは、傍観するだけで助けに入ってくれる気配はない。

 当然だ。自慢も出来ないが、リヴェルや彼らは貴族の世界でも上の地位にある。下手に割り込んで飛び火すれば、家の危機につながるだろう。


 ならば、自分で何とかするしかない。


 引っ張る力の強さに本格的な危険を感じ、喧嘩に発展するしかないかと暗い覚悟を決め始めた、その時。



「はいはい、そこまでなのだよ」

「―――――」



 ぱんぱん、と気の抜けそうな緩やかな拍手が聞こえてきた。

 リヴェルはその声に、ひどく安堵してしまった。天からの救いにさえ感じて、力が抜けそうになる。


「……、エルスター」

「え、エルスター、殿」

「僕の友人に何か用かね。見たところ拉致誘拐に見えるが、まさか、この国内で犯罪に手を染めているわけではないだろうね?」

「ま、ままままさか! そんな! ただ、オレたち、リヴェルと仲良く、なあ?」

「は?」


 ぎらっと睨み上げてやれば、相手は震え上がった。エルスターの腕を組んでの笑顔が相乗効果を為した様で、慌てて手を離す。

 ぷらぷらと、拘束された腕や手を振って見せると、ばたばたと慌ただしく逃げていった。

 居直る根性も噛み付く度胸も無いのに、悪知恵だけは働く輩は絶滅して欲しい。切に願う。

 すっかり逃げ去ったのを確認して、エルスターが近付いてきた。その顔が少し思わしげだったので、平気だという意味をこめて笑って迎える。


「大丈夫かね、リヴェル」

「ああ。ありがとな、エルスター。おかげで手が出ずにすんだ」


 また、祖母に『しつけ』をされるところだった。

 声には出さなかったが、彼は読み取ったのだろう。こちらの家の事情をある程度知っている。呆れた様に嘆息した。


「……最初から、あの見るだけで殺せそうな眼力を繰り出せば良かったのではないかね。すっかり震え上がっていたではないか」

「それは、君にだと思うけどな」


 苦笑混じりの助言には、軽く肩をすくめてリヴェルは流す。

 実際、エルスターが登場しただけで、場の空気は一変した。流石迫力のある奴は違うと感嘆する。逆に、己の威厳の無さには嘆くしかなかった。

 だが、エルスターは違った様だ。少し自嘲気味に、逃げ去った彼らの方角を見やる。



「まあ、僕は国王の甥だからね。みんな、めったに逆らえないのだよ」

「――」



 反論しかけて、止めた。恐らく、何を言っても気休めにすらならないことが分かったからだ。

 彼が、国王の甥であるのは事実。そして、その肩書に害虫の様にたかる者達がいるのも、現実だ。

 リヴェルにとっては、国王の甥である以前にエルスターという人物であり友人だが、その論理が常に通用するわけではないことも知っている。

 肩書は、一生付きまとう。自分が、家を背負っていかなければならない様に。


 だが、それでもリヴェルは、あまり『国王の甥』という単語を耳にすることを良く思えなかった。


 彼らは、あまりに記号の様に使う。エルスター本人を見ていない。

 世間などそんなものだと理屈では分かっていても、嫌なものは嫌だった。

 エルスターは、『国王の甥』なんていう単語よりも、もっとずっと人間味に溢れる存在なのに――。



「……リヴェルは、相変わらずなのだよ」

「は?」

「まあ、それでこそ、お前さんなのだがね」



 ふふふ、と愉快そうに笑われる。

 一体何なのだと視線で問うてみたが、笑みを深められただけで教えてはくれなかった。こうなれば、決して口を開くことはないだろう。半年以上の付き合いだ。それくらい見透かせた。


「さて、行こうではないか」

「は? どこへだよ」

「お前さんが行きたいところさ。付き合おう」

「はあ。……は?」


 言うが早いが、さっさと歩き出すエルスターに、一拍遅れてから追い付く。いやいや、と肩を掴んで押し止めた。


「待ってくれ。俺、街に買い物に行くだけだぞ?」

「また、さっきみたいな輩がいるとも限らないからね。ボディガードなのだよ」

「……いや、過保護すぎだろ」

「過保護になりたい気分なのだよ。倉庫の一件もあるし、丁度良い。付き合いたまえ」


 ふんふんと鼻歌交じりの彼の足取りは、軽快だ。いやに機嫌が良いらしく、リヴェルは首を傾げてしまう。

 何か、楽しいことでもあったのだろうか。スキップでもしそうな雰囲気で、そのまま空に飛び立ってしまいそうだ。


 ――まあ、機嫌が良いならいいか。


 先程の微かな憂いを帯びた横顔より、よほどマシだ。

 言い出したら聞かない彼に諦めて、リヴェルが彼の隣に改めて並ぶと。


「リヴェル君っ」


 名前を呼ばれて振り向く。

 たたっと小走りに駆け寄ってきたのは、クラリスだった。未だ群がる生徒の垣根を越え、真っ先にリヴェルの元へと走り寄ってくる。


「大丈夫? リヴェル君」

「クラリス。もしかして、見てたのか?」

「遠くから声が聞こえて、片方がリヴェル君っぽかったから。何かあったのかと思って……あの、逃げた人たち?」


 あごに手をかけて、ちらっと彼女が振り返る。

 もうすっかり姿が見えないが、確かに絡んできた者達はあちらへと走り去っていった。街の方へ出たかな、と思うと少し憂鬱になる。


「まあ、クラリスも身の回りには気を付けるのだよ。今日は図書館に行くのだったね」

「うん。マリアちゃんは、さっき男の人をヒールで踏ん付けて満足したから、部屋に戻るって」

「……、そうか」


 相変わらずの行動に、リヴェルの目が遠くなる。何故、彼女に踏まれたいなどという男がこの世に存在するのだろうか。未知の世界過ぎて、好奇心も湧かない。


「ありがとな、クラリス。心配してくれて」

「そんな、当然だよ! リヴェル君は、す、……好きな友人だから!」

「ん。俺も好きだぞ」

「う、うん!」


 改めて友人と宣言されて、ふわふわと心が浮き足立つ。心配してくれる者がいるということが、どれだけありがたいことか。この大学院に入って、しみじみと実感した。

 自分の危機に、助けてくれる人がいる。

 自分の危機を知って、心配してくれる人がいる。

 実家にいたら無かった体験だらけでまだ慣れないが、喜びを覚える自分がいた。

 ありがとう、と言いかければ、彼女は何故かむずむずと肩を緊張させながら下を向いていた。落ち着かなげな様子に、首を傾げてしまう。


「クラリス?」

「あ! その! ……、そ、そ、そ、そそそれでね! リヴェル君、これ」

「え?」


 ばっと、勢い良く両手が突き出される。思わず身を引かなければ、恐らく突き飛ばされていただろう位置まで伸ばされた手に、リヴェルは何だと見下ろした。

 すると。


「……、お」


 彼女の手の平には、可愛らしいマスコットがちょこんとお行儀よく座っていた。

 観察してみれば、それは明るい茶色の猫だった。愛くるしい丸い瞳や、きゅっと結ばれた口元が何とも愛らしく、見ていて和んでしまう。


「猫、だよな? 可愛いな、どこかで買ったのか?」

「う、ううん。作ってみた、んだ」

「え。手作りか! すごいな」


 言われてみれば、確かにほつれている箇所かしょも見受けられたが、それでもかなりの出来栄えだ。手作りと言われなければ、売り物と勘違いしていたかもしれない。


「これね、リヴェル君にあげようって思って」

「え、俺にか?」


 どうして、と問いかければ、クラリスは忙しなく両手の指を絡ませながら「えーと」と、どもる。

 何だか、少しだけ頬が上気している。熱でもあるのかと、心配になった。


「クラリス、大丈夫か? 熱とか」

「あ、あ、ああああの! この前、先生に頼まれた資料とか地球儀とか、運んでくれたでしょ! だから、お礼だよ!」

「え。お礼?」


 打ち明けられて、そういえば、と思い起こす。

 確か、あれはエルスターと少し気まずい状態になっていた時だ。クラリス達が、授業終わりに教授に道具を片付けておいてくれと頼まれて、肩代わりした。

 別に、下心があったわけではない。だから、かえって気が引けたのだが。


「嬉しかったから。マリアちゃんと相談して、じゃあ身に着けられる物でも作ろうかってことになったの!」

「……発想が、女子なのだよ。可愛すぎないかね」

「うーん、やっぱりそうかな。こういうのって、恥ずかしい?」

「え?」


 だったら、別のを考えるけど。

 そう言って引っ込めようとする彼女の手を、リヴェルは素早く掴んだ。一瞬彼女が跳ねてしまって、無礼な態度だったかと反省したが、誤解されるよりは良い。


「そんなことはないさ。それ、欲しいな。本当にもらって良いのか?」

「え。……う、うん! もちろん!」


 どうぞ、と彼女がまた突き出す様に手の平を差し出してきたので、ありがたくマスコットを受け取った。

 改めてまじまじ観察してみても、可愛らしい。何せ、猫が大好きだ。男が可愛いものを欲しがったって、別に変でもなんでもないと思うし、少なくとも自分は可愛い物が好きである。


「ありがとな、クラリス。マリアにもよろしく言っておいてくれ」

「う、うん! ……、……ずーっと、……ずーっと! 大切にしてくれると、嬉しいな」

「ああ、もちろん」


 これだけ好みのマスコットだ。ほつれてきても、何とか手入れをして長く愛用したい。

 そう思って頷くと、クラリスは本当に嬉しそうに微笑んでいた。太陽の様に花開いた笑みに、こちらも自然と微笑んでしまう。


「早速付けさせてもらうな。……よし、これでいつでも一緒だな」

「えへへー、ありがと、リヴェル君」


 鞄の持ち手にぶら下がった猫を見て、満足気にクラリスは笑う。リヴェル自身も猫があまりに可愛くて、思わず本物にする様に頭を撫でて夢中になってしまった。

 だから。



「……、今度こそ、ずーーーっと。一緒にいれるといいな」

「え?」



 小さく呟いた彼女の声を聞き逃した。

 エルスターも、少しだけ気になった様に視線を向けるのが目に入る。


「クラリス? 何か言ったか?」

「え! えっと、大事にしてくれそうで嬉しいなって! 思ったんだよ」


 にこにこと笑う彼女に、リヴェルも強く頷いた。

 エルスターがどこかぼんやりしているのには、クラリスが意地悪そうに顔を背ける。


「……エルスター君には、マリアちゃんからプレゼントされる予定だったけど。嫌なら言っておくね」

「む! ま、ままま待ちたまえ! くれると言うなら、もらおうではないか。うん。マリアから、きっちりもらってくるとも!」


 何故かエルスターが慌てて取りつくろっているが、マリアからの鉄拳が恐ろしいのだろうか。彼らはよく言葉の暴力の交際が見受けられる。エルスターも、マリアには形無しだ。

 マリアは、彼にどんなマスコットを作ったのだろうか。後で見せてもらおうと、秘かに楽しみな予定を脳裏に書き足した。


「じゃあな。また、夕食の時に」

「う、うん! ま、ままままたね!」


 じゃあな、と手を振って彼女と別れた後。



「……クラリスよ。お前さん、ほんと、どうして最後の一押しをしないのかね……」



 エルスターが、ぼそりと振り返りながら嘆息した言葉には、頭を捻るしかなかった。


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