第10話
「……お前さん。もし僕が魔法使いだったなら、どうするかね」
「――――――――」
思ってもみない方向から、質問が飛んできた。
反射的に顔を上げれば、ばちっとまともに彼の視線とぶつかる。にやりとした意地の悪い笑みを目の当たりにして、
「エルスター、君」
「こうでもしないと顔を見てくれないと思ってね。だが、質問は続行なのだよ。どうするかね?」
答えるまで解放しないと、言外に明言される。
彼が、魔法使いだったならば。リヴェルは、どうするだろうか。
悠久の時を生き、百年前まで戦に参加し、たくさんの命を奪ってきた者。
血に塗れたその身のまま、今は尚、同胞だった成れの果てを始末しながら生きているという。
命を奪うことを、生業としている。
そんな者達と同士だとすれば――。
「迷っているね。リヴェルは相変わらず真面目なのだよ」
笑う様にからかわれ、少しだけむっと
実際に魔法使いと接し、中庭や裏庭の事件に遭遇したリヴェルとしては、冗談では済ませられないのだ。
「そんなの当たり前だろ。友人が魔法使いだって知ったら、……」
答えに詰まる。ぐるぐると思考が回って、迷子になりそうだ。
しかし、そんな自分をエルスターは馬鹿にはしなかった。むしろ、同感だと言わんばかりに腕を組んで答えられる。
「そう。魔法使いはこの国の危機を助け、救国の英雄と称賛されてはいるがね。勝っているから英雄だが、裏を返せば魔法使いは大量虐殺者なのだよ」
彼の口から冷淡な酷評が下る。
口元は笑っているが、目は全く微笑んでいなかった。いつもの快活さが抜け落ち、闇を写し取る様な雰囲気に、リヴェルの喉が鳴る。
エルスターは、エルスターだ。
きっと、友人ならそう断言するべきなのだろう。
魔法使いだろうが、関係ない。今の彼が全てで、大切だ。
宣言出来れば、彼は笑って受け入れてくれるだろう。そして、そのまま何事もなく日々は進んでいく。
だが。
リヴェルには、無理だ。
何故なら、自分はあの夜を知っている。裏庭の一件を目の当たりにしている。
人であった命を潰された果てを。自分を襲ってきた青年から受けた恐怖を。殺されていたかもしれないあの瞬間を。リヴェルは、見てきたのだ。
魔法使いの闇の一端を垣間見て、平然とした顔で「変わらず友人だ」と言える自信は無い。
しかし。
――それならば。魔法使いではない、軍人まで否定するのか。
ウィストラ国直属の一般の軍人達は、魔法使いが姿を消した今も、変わらずこの国を守ってくれている。
なのに、否定するのか。
同じく、百年前までは戦に参加して、命を奪ってきた彼らのことを。今でも、国のために小さな紛争を鎮めるために戦っている彼らのことを。魔法使いと同じ様に否定し、恐いと思うだろうか。
国を、民を守るために心ならずも命を奪ってきた彼らに向かって、人殺しなどとリヴェルは言うだろうか。
今だって、小競り合いで死亡者は出ると聞いている。命懸けで自分達を守ってくれている誇り高き彼らに、自分は怯えるだろうか。罵るだろうか。
――そんなことは、無理だ。
例え、遺族に罵る権利はあっても、自分達を守るために戦ってくれた人達を罵倒することなど出来はしないし、思わない。
ならば。
魔法使いである、彼らは。
戦では、敵国の者達を。今では、人を襲う成れの果てを。
その手で倒し、人知れず自分達を守ってくれている彼らを、どう思うだろうか。
自分達を守ってくれている彼らに対して、――人殺し、など。
「……、そうだな」
すっきりと思考は晴れない。迷路の中でぐるぐる彷徨う気分に似ていた。
未だ、答えは出ない。
だから、思うままを語るしかない。
「……恐い、と思う……かな」
「……」
「何が恐い、って言われると、具体的には無理だ。魔法使いが恐いのか、魔法が恐いのか、俺にはよく分からない。だって何も知らないし、……自分の心さえ、よく分からないから」
あの青年が魔法を使ってきて、自分を殺そうとしたから恐怖を覚えた。
だが、もしあの青年が、ただナイフを振り
結局、自分を害するものを恐いと思っているだけなのかもしれない。
それでも魔法に身が
「だけど……」
迷いながら、リヴェルは思う。
一方で、その恐い魔法が自分の怪我を治してくれた。
彼女が自分を助けるために振るってくれたのも、魔法だ。
自分を恐怖に陥れたのも魔法ならば、自分を救ってくれたのも魔法だ。
何事にも表と裏がある様に、魔法にもきっと光と闇がある。
そして。
〝――下がりなさい〟
彼女は、殺されそうになった自分を二度も救ってくれた。
平気で人の命を奪ってきたというのならば、そんな行動は起こさないのではないだろうか。
戦に慣れ、淡々と成れの果てを殺しているというのならば、命を投げ出す様な愚かな自分を見捨ててもおかしくはない。
だが、彼女はそうはしなかった。
だから、恐いと思いながらも、そう思い切れない自分がいる。甘いと言われようと、信じたい自分がいる。
恐いからと言って、それだけで彼女を、そしてエルスターという友人を切り捨てる選択肢は、自分には無かった。
「だけど、……恐いけど、友人だとも思う。……んじゃ、ないかな」
「曖昧なのだよ」
「仕方ないだろ。その時になってみないと分かんないし。……それに、エルスターが友人なのは間違いないからな。恐がるかもしれないけど」
今までの様に付き合えるかどうかは、見通せない。怯えは消えないかもしれない。
その態度は、エルスターを傷付けるだろう。その先、二人の間がどうなっていくかは、それこそ自分達次第なのだと思う。
――我ながら、何て酷い回答だろうか。
だが、これが今自分に出せる全てだ。
落ち込みながら差し出せば、エルスターは目を丸くして肩を落とした。期待通りの答えではなかったのだろう。自分でも呆れる。
「いつも思うが、お前さんは正直だね」
「どうせ友達甲斐がないさ」
「ああ、無いね。……だが、お前さんのそういう誠実さが、僕は好きなのだよ」
声が柔らかくなって、リヴェルは思わず彼に目をやる。
微笑う彼の表情は、とても穏やかだ。常日頃の
時々彼の考えが分からなくなるが、今回も不明だ。今の答えはお世辞にも好印象ではないと思うのだが、彼には満足だったらしい。
「なあ、エルスター。君、別に魔法使いではない、んだよな?」
「ふむ。どう思うかね?」
「どう、って。分かるわけないだろ。だって」
彼女だって。
言われなければ、魔法を実際に目撃しなければ、気付かなかった。
人の心の機微を全くと言っていいほど読み取る力が皆無だったり、表情が変化しなかったりはするが、そんな人間は他にもいる。別に彼女だけが特殊なわけではない。
「お前さん、これから魔女殿に会う気はあるのかね」
「……」
「さっき、恐いと言ったね。お前さん――」
「リヴェル」
「――」
エルスターの会話に、涼やかな声が割って入ってきた。息を呑んでしまった自分を、責められる者はいないはずだ。
恐々と声が駆けてきた方を振り返れば、今、最も会うのが辛い人物が仁王立ちしていた。
あれだけ凛とした空気を鳴らしているのに、何故そこまで勇ましい立ち姿なのだろうか。妙に似合っているため、ツッコミもしづらい。
「す、ステラ」
「リヴェル、話がしたい。来て欲しい」
「へ? うわっ!」
つかつかと瞬く間に距離を詰めてきたかと思えば、すぐに腕を掴まれた。力の加減がまるでされていなくて、軋む感覚に
「い、っ」
「リヴェル?」
自分の悲鳴に戸惑ったらしい。彼女の指が緩んだのを幸いに、リヴェルはそのまま抜け出した。
距離を取られたことが不思議だったのだろう。ステラは微かに――本当に微かにだが、眉根を寄せて真っ直ぐ見つめてきた。
「待ってくれ。俺、この道具を戻しに行かなきゃならないんだ。だから、今は無理だ」
「……、そう」
断ると、くるっと彼女は踵を返した。
そのまま歩いて行ってしまう背中は、未練も何もないと物語っていて、リヴェルの胸がつかえる。
鉛を大量に呑み込んだ様な息苦しさだ。そんな簡単に行ってしまうのか、と何故か悲しくなる。
彼女と会話をするたび、これからもこんな感覚を味わい続けるのか。苦しいだけではないか。意味はあるのか。結局すれ違うばかりではないのか。
だが、それでも。
〝話がしたい〟
すれ違って、もやもやして、
自分も、きっと。
彼女と、話がしたい。
「……ステラ!」
勇気を握り締めて呼べば、彼女は簡単に止まってくれた。
振り返る時も、踵を返した時と同じくらい素早くて、何だか彼女らしいと笑ってしまう。
「本当に俺と話したいって思ってくれるなら、裏庭で待っててくれないか」
「……」
「片付けたら、行くから」
震えそうになる声を、小さく
しばらく彼女はそんな自分を見つめていたが、了解の意を示さないまま背を向けた。踊る黒い髪の艶めきを、遠くに眺める。
結局、彼女は来てくれるのだろうか。裏庭に行っても、もぬけの殻の光景が容易に想像出来て、勝手に暗くなってしまう。
だが。
「行くのかね」
「……、行くさ」
友人の問いに、力強く頷く。
例え、彼女がいなくても。自分は、裏庭に行く。
もう一度、彼女と話がしたい。伝えていない言葉もある。やらないで後悔するよりは、動いて砕けた方がマシだ。
「……そうかね」
ならば、今はもう何も言わないのだよ。
なだらかなエルスターの声は、どこか呆れながらも優しい色を含んでいた。
その声が、ぽん、っと背中を叩いてくれた気がして、リヴェルは顔を上げて気合を入れる。
迷いは、無かった。
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