第53話


 ステラが初めてリヴェルを見たのは、どうということもない、大学院での日常の合間のことだった。


 琥珀色の髪を風になびかせて、笑いながらエルスターと話をしている。どこからどう切り取っても普通の少年で、一般人という以外に何の特徴も見受けられなかった。

 特に、それ以来すれ違う機会もあまりなく、それまで気にも留めていなかったのに。


 あの日。

 あの瞬間。



 彼の、ほのかに甘く、温かなオレンジ色の視線と交わった瞬間、世界は一変した。



 あの時の自分の感情を、どう表現すれば良かっただろうか。

 けれど、二十年前の過ちが脳裏を過り、踏み込むのも躊躇ってすぐに封印することにした。

 それなのに。

 あの、月が綺麗に咲いた夜。



「あなた、――死ぬのは、恐い?」

「――――――――」



 質問に対する、彼の解答を聞いてから。

 ――否。視線が交わった、あの瞬間から。



 自分は、彼に落ちた。











「……、裏庭」


 中庭に足を踏み入れた直後、裏庭から魔法の力をステラは感じ取った。

 その地点は、いつもリヴェルが猫と戯れている場所だ。笑って、優しく猫と過ごす、陽だまりの様な暖かい気持ちになれる空間。

 そこに、魔力を感じる。異常事態だと気付き、わずかに焦りが生まれた。


「……、リヴェルっ」


 くるりときびすを返し、裏庭へと駆けようとしたその時。



「どこへ行くの?」

「――――――――」



 咄嗟とっさに目の前に右手を滑らせ、ステラは魔力を力の限り張り出した。

 次の瞬間、があんっ、と大きな岩で殴られた様な衝撃と圧力が、魔力の壁越しに伝わってくる。空気ごと割れそうな爆音と震動に、びりびりと右手から痺れが走り、思わずステラは眉をひそめた。


「ふーん。貴方でもそんな顔するんだ。リヴェル君にも見せてあげたいな」


 無邪気な少女の声が辺りに響き渡る。

 自分を中庭に招待した本人の登場に、ステラは無感動に声の方角へと視線を向けた。


「あなたが、私を呼んだの」

「そうだよー。あのね、お願いがあって」


 藤色の髪をした彼女は、後ろに引きずっていたものを、どんっと乱暴に放り投げてくる。

 何かとステラが確認してみれば、地面に転がっていたのは一人の少女だった。少し大人びた顔は苦痛に歪んで目を閉じており、後ろ手に縛られて自由を奪われている。

 その紺碧の髪の人物に、ステラは見覚えがあった。

 あまり話したことはなかったが、前にカフェに誘われた時に、一番物怖じせず話しかけてきたのが彼女だった。

 そして、――リヴェルに拒絶されて怯えている自分に、発破をかけてくれた少女でもある。

 確か、名は。


「……、マリア?」

「あれ? そうだよー。よく覚えてたね。貴方なら、ぜーんぶリヴェル君以外は忘れてると思ってた」


 きゃはは、と口に手を当てて笑う姿は、自分と違ってかなり女の子らしい。何も知らなければ、どの男性も自分ではなく彼女を選ぶだろう。リヴェルが自分に好意を寄せてくれたことこそが奇跡に思えた。

 だが、この目の前の残酷な仕打ちを目の当たりにすれば、誰もが引く。引くどころか、一目散に逃げ出すだろう。

 マリアは、かなり衰弱している様に見えた。それに、透視してみれば、彼女の中では黒い塊が心臓の様に、どくんどくんと伸縮している。


「――」


 物騒に脈打つものの正体に行き付き、ステラは自分の顔が険しいものに変じていくのを嫌でも認めた。


「……、クラリス。あなた」

「だって、こうでもしないとエルスター君が動いてくれないでしょ? だから」

「彼女は、あなたの友人ではないの」


 遮って強く聞けば、クラリスは首を傾げた。「友人?」と心底不思議そうに目を丸くする彼女に、ステラは疑心に満ちていく。


「違うの」

「うん。まあ、友人だよー。でも、リヴェル君との仲、全力で応援してくれなかったから。仕方ないよね」


 友人だけど、仕方がない。


 その論理がステラには理解出来ない。

 リヴェルは、人の命だけではなく、金魚や猫の命さえも体を張って守ろうとしていた。

 それなのに、彼女は簡単に命を切り捨てる。

 命への考え方があまりに釣り合わないクラリスとリヴェルが、友人同士。ステラは、小さく首を振った。


「リヴェルが知ったら、きっと怒る。すぐに解放して」

「そうやって、リヴェル君のこと知った風な口利いて。また、わたしから好きな人を奪っていくんだね。タリスの時の様に」

「――――」


 懐かしい痛みを出され、ステラの空気が凍る。

 何故、彼女がその名を出すのか。不穏な足音を背に聞いて、自分がどこに立っているのか分からなくなってくる。


「あ、エルスター君」


 対するクラリスは、とても楽しげに名を呼んだ。

 後ろから迫ってくる脅威は、暗くて重苦しい気配をたっぷりと含んでいた。じわじわと、ゆっくり首を絞められる様な圧迫感に、堪らずステラは振り返り――瞠目どうもくした。

 近付いてくるのは、昔から馴染みのあるエルスターだ。いつもは、自ら近付いてこないくせに、と疑問に思う暇もない。

 悲愴な面持ちをした彼が、沈鬱に腕に抱えているのは――。



「……、リヴェル?」



 信じられない思いで、名を呼ぶ。

 だが、リヴェルは反応しない。目を閉じて、ぐったりと友人の腕の中で眠っている。その非常事態に、ステラの心が引っ繰り返る様に揺れた。


「うんうん、良かったあ。エルスター君、やっぱり友情より恋を選んでくれたんだね! このまま逃亡されたらどうしようかと思ってたけど」


 目の前のマリアを蹴りながら、クラリスが満面の笑みで胸を撫で下ろす。

 エルスターは、眠るリヴェルを抱き抱えながら、苦しげにその様子を凝視していた。彼女が蹴られる瞬間、歯噛みをし、それでも反抗出来ずに屈辱を味わっている姿に、ステラは全てを悟る。



「……そう。あなたの相手は、あの子なの」

「そうなのだよ。……お前さんが、リヴェルを選んだ様にね」



 魔法使いにとって、普通の者と同じ寿命を手に入れることは、奇跡の様な願いだという。

 ステラはそこら辺の感覚がいまいち理解出来ないが、それでも大切な者の命を奪われるということが、どれだけ耐え難い苦痛と絶望と虚無に苛まれるか。二十年前に知ってしまっている。

 だから、一概にエルスターを責められない。

 だが、それでも。



 見過ごせは、しない。



「……リヴェルを、離して」



 理性と感情が別物だと、誰が最初に言ったのだろうか。

 頭では分かっていても、上手くいかない。

 リヴェルが危機に晒されている。その事実に、ステラは一も二もなく駆け寄り、抱き起こし、この手で触れたかった。


「リヴェルを離してっ」

「できないのだよ。解放するくらいなら、彼の中の爆弾を起動する」

「――っ」


 愕然として、ステラは彼の中を見通す。

 エルスターに言われた通り、リヴェルの中にはどくり、どくりと黒く脈打つ魔法の塊がくっきりと埋め込まれていた。

 彼がマリアを人質に取られた様に。今、自分はリヴェルを人質に取られた。

 その現実に、絶海の岸壁に追い込まれた様な焦燥を味わう。


「……、クラリス。あなた」

「タリスの時もそう。彼に最初に恋したのはわたしなのに、どうして彼は貴方を好きになったの?」


 笑ったまま、クラリスは問う。

 頬は可愛い花の様に色付いているのに、瞳は光を失っていた。

 代わりに現れたのは真っ黒な狂気だ。食い込む様にステラの瞳をえぐってくるその視線に、足を踏み締めて力の限り押し返す。


「タリスの心はタリスのもの。……クラリス。あなたの思い通りにならないからって、彼を殺したの?」

「そうだよ。王様もそれを望んでたし。当時王様と繋がってたわたしは、依頼を受けて、成れの果てを操って殺してあげた」

「……っ」

「あ、もちろん、ちゃーんと秘術対策はできないようにしたよ! 王様が手を回してくれたおかげで、魔法が効いて良かったよー」


 楽しそうに、どんどん種明かしをされていく。

 二十年前。突如、彼の前に現れた成れの果て。


 おかしいとは感じていた。


 何故、王族で、魔法使いへの対策も出来ているはずの彼に、その時に限って魔法が直撃してしまったのか。

 その後、ウィルが神業の様な速度で己の父を排斥し、即位したけれど。最後まで、真相は教えてもらえなかった。

 何故だろうと、今の今までずっと疑問ではあった。

 だが、もしかしたら。



 ――ウィルも、ずっと。遺恨を抱えていたのだろうか。



 その事実に気付けなかったこと。

 そのまま、弟を外出させてしまったこと。

 自分が気付き、一緒にいれば、彼の死は回避できたかもしれないと。



〝ステラだけのせいではないよ〟



 目の前で大切な彼が死に、絶望で疲れ果ててしまった自分に、ウィルは吐息の様にそうささやいた。

 彼は、願っていただろう。弟を死に追いやった犯人を、必ずこの手で追い詰め、罰すると。

 それは、成れの果てを討って叶っていたはずだった。

 けれど。



「タリスは、永遠にわたしのものだもの。だから、殺してやったんだよ」



 目の前に、本当の真犯人がいる。



「……っ、あなたっ」

「……いーい顔。なーんだ、貴方、まだタリスに未練たらたらなんだ」

「……、それは」

「なのに、リヴェル君と付き合うなんて、酷い。いらないなら、わたしにちょうだい」


 ね、と突き出した彼女の右手が、光を瞬く間に収束させていく。

 そのまま、勢い良く槍の形になって、豪速でステラへと放たれた。


「……っ!」


 それを間一髪でかわし、ステラは右手と左手をそれぞれ別の方角に構えて壁を展開する。

 直後、ばちいっと弾かれる様に大きな火花が大量に散った。びりびりっと肌に食い込む様に、衝撃が痛みとなって全身を突き抜ける。

 流石に二方向から多大な魔法をぶつけられれば、ステラも厳しい。防御だけで手いっぱいだ。

 クラリスだけではない。もう一人は――。


「……っ、エルスター」

「……、すまない」


 クラリスとエルスターの双方から、立て続けに攻撃が繰り出される。

 風が塊となって殴る様に地面ごと抉り、空からは満天の星が降り注ぐ様に雨あられとなって、ステラ目掛けて刺し貫こうとする。

 頭上でありったけの魔力を展開して弾くが、時折、ぴしっとひび割れる様に魔力がきしみ、ステラの心に焦燥が生まれる。


「ねえ、何で防ぐの?」

「――」


 クラリスの瞳が、爛々らんらんにぎらつく。喉を食い破る様な牙が間近に迫った様な錯覚に、ステラは反射的に更に魔力の壁を強めようとして。



「――リヴェル君。死んじゃっても良いの?」

「――――――――」



 瞬間。

 ステラは、張っていた壁を消し去ってしまった。無防備に、身をさらす。

 直後。



 どおんっと、ステラをクラリスの魔法が直撃した。



 脳髄のうずいまで揺さぶられる強い衝撃に、ステラは堪らず膝を突いた。腹を抱え、ごほっと、赤い塊を吐き出す。



「あっははははははははははははははははっ!」



 狂った様な高笑いが、沈みゆく夜空を引き裂いた。怯える様に、月や星が雲の影に隠れて惑う。

 ざりっと、遠くで地面を踏み締める音がした。こちらに近付くことは無いが、遠くからでもステラを踏み付ける様な圧力を覚えて、もう一度吐いてしまう。

 びちゃっと、地面が不吉に濡れるさまが、今のステラにはどうしようもない不安を呼び寄せた。


「あーあ、良い気味。ねえ。抵抗出来ないままなぶられるって、どんな気持ち?」


 ステラは、答えない。

 答えの代わりに睨み据えれば、クラリスの顔から笑顔が消える。



「……ムカつく顔。ほんっとムカつく、あんた」



 叩き付ける様に、光の槍がステラの左肩を貫いた。

 縫い止められる様な激痛を、ステラは死に物狂いでやり過ごす。

 だが、そんな虚しい抵抗さえかんさわるのか、クラリスの顔が醜く歪んでいった。


「……大丈夫。一瞬で殺したりなんてしないから。じわじわ、じわじわ。それこそ爪を一つ一つ剥がすのと同じ様な痛みから責めて、……最後にリヴェル君の前で、八つ裂きにしてあげる。ちりすら残らない様に、殺してあげるから」


 甲高い喜悦の声から一転、奈落の底を這う様な声音で、クラリスは炎の塊を右肩に打ち込んできた。

 じゃっと、空気ごと焦げる音がステラの右肩で上がる。あまりの痛みに小さくうめき、ステラは唇を噛み締めた。

 本当は、一か八かの攻勢に転じたい。

 けれど。



 そんなことをしたら、リヴェルはどうなるのだろうか。



 爆弾を埋め込まれた彼は、どうなる。

 その瞬間、爆発して、――いつかの夜の犠牲者の様に、肉片と血だまりだけになるのか。



 ――考えただけで、大きく体が震える。



 恐くて恐くて、堪らない。

 彼のあの温かな瞳が、もう見られないなんて。彼の穏やかな声が、もう聴けないなんて。彼の優しい熱を、感じられないなんて。



 あの柔らかな笑顔が、目の前で無残に砕け散るなんて。



 考えただけで、恐くて仕方が無かった。


「……っ、リヴェル……っ」


 右の胸部に魔法を打ち込まれる。反動を受け、ステラの体がのけ反った。

 それでも踏み止まり、痛みに耐えながらエルスターの傍にいるリヴェルを垣間見る。

 彼は、眠る様に気を失っていた。外傷は見受けられない。

 恐らく、エルスターはなるべく無傷で捕獲したのだろう。その中途半端な優しさが、かえってエルスターの残酷さを物語っていた。

 リヴェルは友人に裏切られ、どれほど苦しかっただろう。



 ――あれだけ、仲が良かったのに。



 初めて彼らを見た時のことを思い出し、胸がじわりとにじむ。



 ステラは、エルスターとは昔から疎遠だった。

 彼が自分を魔法使いとして嫌っていたことは、うに気付いていた。だから自分も、必要以上に話しかけようとはしなかったし、宮殿ですれ違っても知らないフリをしていた。

 彼は、いつだってつまらなさそうに過ごしていた。『両親』といる時だけ年相応な笑みを見せ、外では感情など消し飛んでいた。

 交流を持たない自分でさえそう感じたのだ。両親は特に辛かっただろう。

 だが。



 次に大学院で見かけた時。彼は、とても楽しそうな表情をしていた。



 宮殿とのあまりの落差に目を疑ったものだ。ぱちぱちと、自分の目の故障を真剣に考えたくらいだ。


 よくよく見ると、彼が笑っている時は、いつも一人の少年が傍にいた。


 琥珀色の髪をした、至って普通の少年だ。とりわけ、何か特徴があるわけでもない。何の変哲もない、一般人の代表みたいに思えた。

 何が、彼の心をほぐしたのか。その時、ステラは分からなかった。

 それに、すれ違う機会もそうそう無かったので、いつしかその少年のことも忘れてしまっていた。

 だが。



 ――あの日。互いに、目が合った瞬間。自分は、一瞬で彼に落ちた。



 あの時の感覚を、どう表現したら良いか。ざわつく様な、警鐘を鳴らす様な、落ち着かなくて暴れ出したい様な。

 ぐちゃぐちゃな感情がいっぺんに押し寄せてきて、混乱して、目が離せなかった。

 もっと、見ていたい。あの、果実の様なほんのりした甘い瞳の中に、踏み込んでみたい。

 そんな風に思ったが。



〝き、みや、……に、さん……っ、に会えなく、な、……のは――〟



 唐突に浮かんだ遠い痛みに、慌てて目を逸らした。

 その瞬間、彼との熱い交わりが無くなった。さみしさが津波の様に襲ってきたが、無理矢理立ち去った。

 もう、会うことも無い。今の感覚だって、すぐに薄れていく。

 そう、思っていた。

 なのに。



〝死んだら、父さんと母さんに、もう一度会えるかな〟



 あの夜のせいで、全てが台無しになった。

 せっかく忘れようとしたのに。

 自分が気まぐれに――興味本位に、質問をしたせいで。

 彼が、あんな風に虚ろな目で、苦しそうに、うなされる様に答えてくるから。



 ――死なせるわけにはいかない。



 その衝動だけで、自分は彼を追いかけることにした。

 彼は、今もちゃんと生きているか。それを確かめるだけで良かった。彼の気配がする裏庭に足を向けたのも、そのためだった。


 その均衡を崩したのが、目の前のクラリスだ。


 裏庭に向かう直前、金魚を投げて寄越し、餌に勧めれば良いと誘ったのは彼女だ。

 どんな意図があるかは分からなかった。最初から、彼女が魔法使いだということは、同士ならば魔力で察知出来てしまう。



 言われた通りに金魚を餌として差し出せば、リヴェルは烈火の如く怒り出した。



 今思えば、命を簡単に始末しようとしたことを怒ったのだろう。

 猫をも身をていして助けるくらいだ。金魚を餌になんて言われたら、怒るに決まっているだろう。

 彼は、あの日から『死』を口にしなかった。

 あの夜を覚えていないらしいから、あの答えは無意識だったのかもしれない。

 だが、無意識に己の『死』は願っていたのに、他者に対する命にはとても敏感な人だった。

 とても矛盾していたが、彼の生い立ちを聞いていく内に、矛盾はしていないのかもしれないとおぼろげに感じ取った。



 彼は、もう二度と誰かの命を奪われないために、誰よりも命を大切にしていた。



 もう二度と、目の前で失わないために。二度と、不幸が起きない様に。

 それが、例え醜い感情から、欲望から、願いからくるものだとしても。



 誰かのために身を差し出せるほど命を大切に出来る彼を、自分は心から尊敬する。



 彼を、死なせたくなかった。

 守りたかった。

 傍にいたかった。



 ――離れたくないと、強く願った。



 一度は怯えられ、離れてしまった手だけれど。

 彼は、怯えながらも、恐がりながらも、それでも懸命に伸ばしてくれた。



〝俺が拒絶したからだとか、傷付けたからだとか、色々考えたら、もう、……このまま会えないのかって、俺、……っ〟



 会いたかったと、抱き付いてきた。

 会って、強く抱き締めてくれた。

 自分を求めていたと。一緒に幸せになりたいと。



〝俺は、君に傍にいて欲しい。俺の隣で笑っていて欲しい。……一緒に、最後まで生きて欲しいんだ〟



 最後まで一緒に生きて欲しいと、真っ向から願ってくれた。



 夢の様で、現実のあの瞬間。

 ちかちかと、目の前が星空みたいに瞬いて、止まらなかった。

 彼が、自分を欲してくれている。

 恐れながら、怯えながら。

 それでも、共に生きたいと。そう、願ってくれた。

 彼の言葉が、押し潰されてすり減っていた心をどれだけ軽くし、救ってくれたか。心ごと抱き締めてくれた彼には、伝わっただろうか。

 絶対にもうこの手を離さない。

 彼が好きだ。彼と共に笑って、生きていきたい。



 彼と一緒に、幸せになりたい。今度こそ、隣を同じ速度で歩いて行きたい。



 そう、思っていたのに。



 今、また。彼は魔法に巻き込まれ、命の危機に晒されている。



「……、一緒に、生きるって。言ってくれた」



 なのに、また置いていくのか。

 彼の様に。二十年前の様に。

 また、自分は守れないのか。

 目の前で、死なせてしまうのか。

 そんなのは。



「……っ、――嫌っ!」



 しぼり出す様に、叫びが漏れる。自分でも悲痛過ぎて聞くに堪えないと、嘲りたくなった。

 だが。



「……、……っ、ん……」

「――――――――」



 狂気を巻き起こす向こうで、彼のまぶたが震える。

 瞼の裏に隠れた瞳が、うっすらと現れた。

 初めて視線が絡んだ時と同じ。甘く、ほのかに香る温かなオレンジ色が、世界をとらえる。

 そして。


「……、ステ、ラ?」

「……っ、リヴェル……っ!」


 黒と、オレンジの視線が交わった、その瞬間。



 どおんっと、ステラの体に全身を揺り動かすほどの衝撃が炸裂した。


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