第54話
声が、聞こえる。
「……っ、リヴェル……っ」
とても苦しそうで、今にも潰れてしまいそうな、そんな声だ。
――どうして、そんなに泣いているんだ。
彼女は、いつだって凛とした輝きを放ち、颯爽と歩いている様な人だったのに。
何故、彼女は今、崩れ落ちそうなほどに弱々しく
ああ、だけど。
彼女は、確かに心のどこかで、何かを恐れている部分がある人だった。
何故なら、彼女は。
二十年前に、大切な人を目の前で失ってしまったのだから。
そのことを恐れ、彼女は必要以上に人との接触を避ける様になってしまった。
リヴェルが怯えて後ずさった時も、彼女は逃げてしまった。
誰かが目の前で死んでしまうことを、自分以上に恐れていた。
だけど。
〝――守る〟
短く、けれど今までの何よりも力強く。
彼女は、決意と覚悟をこめて、自分の全力の声に応えてくれた。
あの時の彼女の強さを、自分は心の底から尊敬している。
だから。
「……、ステ、ラ?」
真っ黒に咲き誇る、焦がれに焦がれた一輪の花。
今度こそ。
自分は、彼女から逃げない。
耳をつんざく様な爆音で、リヴェルの意識が覚醒する。
ぼんやりとした頭を支えて世界に目を向ければ、そこはぴんと張り詰めた夜に包まれる中庭だった。
なのに。
「……、焦げ、くさ、い」
冷たくも凛々しい夜の空気が、まるで感じられない。鼻先を
何が起こっているのか。
思って顔を上げ――息が止まった。
「……ステラっ!?」
少し先に、自分が求めていた彼女が地面に転がっていた。
長くて艶のある髪がざっくばらんに地に乱れており、黒いコートは所々が無残に裂け、そこから覗く皮膚が痛々しいほど赤い線が走っている。
何故、彼女がそんな状態になっているのか。駆け出そうとして体を起こすと、ぐっと肩を
無粋な輩を見上げ――リヴェルの目が、
「……っ、エルスター?」
「お目覚めかね。案外早かったのだね」
うそぶく様に淡々と、友人が隣で笑う。
その笑い方が自虐的で、思わずぱしっと手を振り払ってしまった。叱る様な気持ちだったが、彼は抵抗だと勘違いしたのか、更に自嘲気味に笑みを深める。
「動かない方が良いのだよ。お前さんの体には、爆弾が埋め込まれているのだからね」
「――」
爆弾。
言われて、リヴェルは己の体を見下ろす。
外側からは視認できない。
けれど、言われてみると、心臓とは別の場所にどくり、どくりと何かが黒く脈打つ様な感覚が全身を駆け巡っていた。
思い返してみれば、リヴェルは夕方に裏庭で、エルスターに魔法を撃たれたのだ。
その後の記憶が無いということは、そのまま意識を失っていたのだろう。ウィルからもらった懐中時計を上手く起動出来なかったことに歯噛みする。
その間に、彼が爆弾を仕掛けたのか。
もう一度エルスターを見上げれば、酷薄な笑みで見返してくる。傍から見れば、これ以上ないほどに残忍な笑みなのだろう。
けれど。
――そんな、苦しそうな顔をしないでくれ。
まだ、出会ってから一年も経っていない。
だが、それでも彼の表情くらい読める。毎日一緒にいたのだ。見抜けないはずがない。
いくら表面上を取り
「……、エルスター」
「あとは、クラリス次第というわけだ。さあ、行っておいで」
彼の瞳は、リヴェルには興味ないと豪語する様に別の方向へ向いている。
視線を追いかければ、ステラと同じ様に地に転がされた少女だった。その顔は日常的によく見ている、自分の友人の一人だ。
大切な、――本当に大切な友人だ。
裏庭にいた時に
「……マリア」
「リヴェル君、どうして他の人ばっかり見るの? こっちも見てよ」
拘束されたマリアを呆然と見つめていると、第三者の声が割って入ってきた。
その声に、そんな馬鹿な、という思いと、ああ、やっぱりという思いがせめぎ合ってしまう。
どこかで予感めいた気持ちはあった。ただ、最後まで信じたかっただけだ。
けれど。
それも、もうここまで。
現実は、予感よりも非情である。
「……クラリス」
名を呼んで、走った痛みを噛み締める。
彼女の瞳が嬉しそうに輝くのを、リヴェルはどこか遠くに行ってしまった想い出を追いかける様な気持ちになってしまった。
エルスターは、先程クラリス次第だと言っていた。リヴェルの爆弾も、彼女の指示で埋め込んだのだろう。
つまり、彼は彼女の言いなりになるしか道が無いのだ。助けは期待出来ない。
マリアは、縛られて苦痛に
それならば。
もう、リヴェルが立ち向かうしかないのだ。
リヴェルは魔法使いではない。ただの、何の力も持たない一般人だ。
それでも、彼女が最初から自分が標的だったというのならば。
最初から自分を狙って、彼らを巻き込んでしまったというのならば。
後はもう、リヴェル自身が立ち向かう以外に――向き合う以外に他は無い。
――託された懐中時計の通信機能を使って、リヴェルはエルスターに語りかける。
一方的になることを承知で、リヴェルはクラリスから目を逸らさないまま言葉を放った。
『エルスター』
彼はきっと、後悔と自己嫌悪で打ちのめされている。少しでも彼の気持ちを軽くしたかった。
故に、送る。一方的に。
返事は期待しない。それが、今リヴェルに出来る最大限の選択肢だった。
『爆弾のこと、気にしなくて良いからな』
エルスターは、動かない。呼吸もひどくなだらかだ。これなら、クラリスにも気付かれないだろう。
安心して、リヴェルは言葉を続ける。
『マリアのこと、助けようとしてくれてありがとう。……正しい選択をしてくれて、ありがとう』
もし、エルスターが無理矢理逆らっていたら、マリアはとっくに亡くなっていたかもしれない。
それは、リヴェルの本意ではない。何も知らなかった友人を、何の落ち度もない友人を、こうして巻き込んでしまったことが苦しくて苦しくて堪らない。
だから今、エルスターが彼女を守ろうとしてくれていることが、とても嬉しかった。安心して、託せる。
『後は、俺が話すよ。……だから』
クラリスとどこまで話が出来るか。どこまで話が通じるか。祭りが終わった後から、何となく意思疎通が怪しくなってきていたから、何の力も持たないリヴェルに何が出来るかは不透明だ。
それでも。
自分にしか出来ないことが、確実に今、ある。
だから。
息を静かに吸い込み、リヴェルは彼に全てを委ねた。
『だから。もし、その時が来たら――』
確固たる覚悟を持って、リヴェルはエルスターに命を差し出した。
隣で、微かに揺れる気配がする。
だが、それだけだ。彼は、涼しい顔でマリアを見つめている。――涼しい顔で、苦痛に溺れている。
彼にきちんと伝わっただろうか。彼からの返事は無かったから、もう後は信じて挑むしかない。
全ての決意を握り締め、リヴェルはクラリスへと語りかけた。
「なあ、クラリス」
「うん。なあに?」
「……全部、……君の仕業だったんだな」
確認すれば、クラリスは輝く瞳を更にぱあっと輝かせた。
まるで太陽の様に笑うその顔は、反転して底知れぬ深淵の闇を連想させる。太陽の様なのに、闇を想起させるほどに真っ暗な笑みは初めて見たな、とリヴェルは自然と目を伏せてしまった。
「すっごいね! リヴェル君、頭いいんだね!」
「……今、ステラを傷付けたのも、君か?」
「えー? わたしだけじゃないよ! エルスター君も参加したもん。ねー?」
「……、そうなのだよ」
地を這う様にエルスターが肯定する。
常の彼の明るさも、今では夜に染まる様にすっかり鳴りを潜めてしまっていた。マリアも、苦しそうに時折呻いて眠っている。彼女の快活さも目に出来ない。
少し前までは、この四人で楽しく笑って過ごしていたはずなのに。いつから、こうなってしまったのだろうか。
悲しくて、悔しくて、――やり切れない。
リヴェルが望んでいたのは、ささやかなものだったはずだ。
くだらない話をして、笑って、彼らが傍にいてくれる。ただ、それだけで良かった。幸せだった。
それなのに。
今はもう、こんなにも、遠い。
「俺に爆弾をってことは、マリアにも爆弾を埋めたのか?」
「そうだよー。だからね、リヴェル君。わたしに逆らったら、起動させちゃうから。ね! お願いね」
物騒なお願いに対して、彼女の顔はひどく無邪気だ。両手を合わせてウィンクする姿は、まるで穢れを知らない、あどけない子供の様な可憐さだ。あまりの落差に、くらくらと
こんな風に、アンバランスな世界を構築する人だったのか。己の目の節穴加減に溜息が出る。
「なあ、クラリス。いくつか聞きたいんだが、いいか?」
「うん! リヴェル君にわたしのこと知ってもらうチャンスだもんね! なになに?」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて、彼女が少し離れた場所で地面に座る。お行儀よく正座して言葉を待つ姿は、しつけの行き届いた犬の様だ。
彼女が本当に行儀が良かったのならば、こんな結末にはならなかっただろう。思いながら、リヴェルは一度目を伏せて頭を振った。
「……最初さ。ステラに金魚を猫の餌にしろって言ったのは、クラリスか?」
「――――……」
一瞬、彼女の顔から感情が削ぎ落とされた。
何故、ここでそんな反応をするのだろうか。分かりたいと思う反面、やはり知らなくて良いと冷たい判断を下してしまう。
「どうして分かったの?」
「ステラのことがあった直後だ。……君が言ってただろ。金魚を猫の餌にするって言った知人に、説教したって。……あれ、わざと話題にしたんだろ」
「……」
「今思い返せば、そんな偶然が同時に起こるわけないよな。金魚を餌に、なんて。時間をそれなりに隔てたりするならともかく、そんな話が同時期に起こるなんて、確率的に低すぎる」
「……、そ」
「説教したのって、嘘だよな。……本当は、俺に同意して欲しかったんじゃないのか? 餌にするなんて酷いって」
そうすれば、リヴェルはクラリスに共感を抱く。
共感を抱けば、好意も持ちやすくなる。
酷いんだ、と。やっぱり可愛がってくれる人の方が良い、と。相槌を打ってその流れに持っていけば、リヴェルはステラに嫌悪を抱き、クラリスには好意を抱く。そんな狙いがあったのではないだろうか。
クラリスはリヴェルを好きなのだと、エルスターは言っていた。
リヴェルも先日の食堂の件から、もしやと予想はしていた。だから、彼女を突き放そうと「好きな人がいる」と明言したのだ。
いつから、と聞くのは無粋だろう。知っても、自分にはもう応じることは無理だし、やり直すことも不可能だ。
推測を突き付けると、クラリスはふうっと軽く息を吐いた。くらくらっと、頭を振って、弱った様に可愛らしく笑う。
「……リヴェル君、やっぱり頭良いよね。勘も鋭くなっちゃった」
「そう思ったのは、つい最近だぞ。……今まで俺やステラ、エルスターを狙ったのも君だったのか?」
「……、そうだよー。リヴェル君には、魔法使いは恐ろしい存在だって知ってもらいたくって」
「……爆発の犠牲者に、俺に絡んできた奴を選んだのも、わざとか?」
「うん! だって、リヴェル君に酷いことしたんだもん! 死んで当然だよね」
さらりと、命を粗末にするような発言をする。
金魚をまた飼えば良いと言った時と同じ。
彼女には、全くこちらの気持ちは通じていなかった。
それを明確に思い知らされ、心が
クラリスは、廊下でリヴェルに絡んできた時の輩の顔を全員分しっかりと見ていた。あの時は、騒ぎを聞き付けて駆け寄ってきたという風に言っていたが、本当は観察していたのかもしれない。駒にするために。
それだけではない。
食堂で、金魚は「また飼えば良い」と言った時。
〝だからね、リヴェル君。今度――〟
金魚を、一緒に取りに行こうと。彼女はあの時、言いかけていた気がする。
死んでも仕方がない。いくらでも代わりはいる。
そう言い放った口で、彼女は新しい命を玩具の様に簡単に手に入れようとしたのだ。
予感というものは、よく当たる。悪い予感ほど、願いに反して外れてはくれない。
だからきっと、この予感もそうなのだろう。
目を伏せて、顔を上げられなくなった。
「……、金魚を殺したのも」
「うん! だって、そいつと仲良く取ったものなんて許せなかったんだもん。だから、今度、わたしと一緒に金魚すくい、やろうね。わたしと取った金魚、大切にしようね!」
残酷な事実を明かしながら、彼女は楽しげに次の約束を取り付けようとする。
人の命も、金魚の命も。彼女にとっては、ただの道具でしかないのだ。
彼女は、いつから『そう』だったのだろうか。
それとも、始めからだったのか。リヴェルには判別する材料が少なすぎる。
全ては、自分が発端だったのか。
改めて思い知らされ、胸が不自然に乱れて圧せられる。
ステラを、エルスターを、あの犠牲者達を、そして関係の無い一般人のマリアまで巻き込んでしまった事実が、重苦しく双肩に伸し掛かった。
「……。……なあ、クラリス」
「うんうん! なあに、リヴェル君」
「俺に、何か言いたいことがあるんじゃないのか」
彼女は、自分を見て見てとアピールするのに、肝心な部分を口にしない。
食堂の時からそうだった。思わせぶりなことばかり発言して、肝心要の箇所を明かさないから、明白な対応が取れなかった。
それとも、狙っていたのか。だとしたら、相当ずる賢い。
けれど、――それも『恋』なのかもしれない。初心者のリヴェルには想定の範囲外過ぎて、理解に苦しんだ。
「……リヴェル君。お願いがあるんだ」
少しだけ、彼女の顔に緊張が走る。今までの無垢だと言わんばかりの笑みが沈殿し、背けていたものに向き合う様な気構えが前面に出てきた。
彼女の声に、リヴェルは答えない。ただ、黙って続きを待った。
そうして、息を吸い込む音がする。来たるべき宣告に、リヴェルは真っ直ぐ彼女を見据えた。
「リヴェル君。貴方が、好きです。ずっとずっと前から、……初めて会った時から、好きでした」
「――」
「わたしと、付き合って下さい」
ざっと、二人の間に強い風が走り抜ける。地面に落ちた葉を舞い上げ、一瞬互いの姿を隠す。
何ていじらしい告白だろうか。
これほどまでにしおらしく、純粋に満ちた声があるだろうか。
これが少し前の頃だったら、図らずも胸が高鳴って、舞い上がっていたかもしれない。
だが。
「……、り、ヴぇる」
「――――――――」
横から、愛しい声が届く。
反対に、目の前の彼女の瞳が大きく野性的に見開かれた。その狂暴な動物の様な反応に、リヴェルは狂った者の成れの果てを、初めてコマ送りで見届けた感覚に陥る。
ステラの方を振り向きたかったが、止めた。見てしまえば、彼女との会話が途切れてしまうと直観したからだ。
「クラリス。こっちを向いてくれ」
「っ」
声だけで促せば、彼女が嬉々として目を輝かせた。リヴェル君、と、とろける様な表情が、今はただ悲しい。
「君が、勇気を出してくれた告白だ。答えなきゃな」
横で揺れる気配がする。
だが、自分はいやに冷静で、
彼女は、期待と不安に揺れ動く少女の様な空気を
それでも、彼女に沿う返事でなければ、瞬く間に笑顔は狂気へと変貌し、全てを食らい尽くしていくだろう。
だから、自分は。
「いいぞ」
「……、え?」
「クラリスと恋人になっても、構わない。それで、君は納得するんだろう?」
「――――――――っ」
彼女の想いに、真正面から応えることにした。
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