第55話


「クラリスと恋人になっても、構わない。それで、君は納得するんだろう?」

「――――――――っ」



 リヴェルは、真正面から彼女の気持ちを受け止める。

 途端、息を呑む音が四つ聞こえた。

 目の前二つと、横二つ。隣はともかく、何故目の前が二つなのだろうと視線を辿れば、ばっちりと苦しげな双眸そうぼうと目が合った。



 リヴェルの大切な友人で、エルスターが守りたかった想い人。



「……マリア?」

「あなた、……駄目じゃない。何、やってるの」



 息も絶え絶えに、だがそれでもはっきりと意思を伝える姿は、とてもマリアらしい。エルスターが惚れるのも当然だと、嬉しくなった。

 二人は本当にお似合いだ。だからこそ、幸せになって欲しいとリヴェルは願う。

 しかし。


「マリアちゃんは黙っててよ。これ以上邪魔しないで」


 いつの間に立ち上がったのか、がっと、思い切りクラリスが彼女を蹴り飛ばす。

 ごほっと、彼女がせるのと同時、「マリア!」とエルスターの悲痛な叫びが空気を切り裂いた。

 駆け寄ろうとした足音は、だがクラリスの右手を振り上げた動作だけで止まる。リヴェルには疑問符が浮かんだが、すぐに氷解した。


「邪魔しないでよ、エルスター君も。爆弾、起動しちゃうよ?」

「……っ、もう充分だろう。解放したまえ!」

「駄目だよー。……ね、リヴェル君。今の、本当?」

「……、ああ」


 本当だ、と淡泊に頷く。

 途端、クラリスの顔が華やいで、太陽の様に周りが光り輝いた。この世の春が来た様に浮かれる彼女に、リヴェルは目を伏せる。



 ――どうして、こうなったんだろうな。



 涙の様に心が濡れて、止まらなかった。

 だからこそ、決着をつける。――全ての始まりがどこであったにしろ、これはリヴェル自身がけりを付けなければならない案件だ。


「ただな」

「うんうん! なあに?」

「君と恋人同士になったら、……俺はこれから先、ずっとこう思って生きていくだろうな」


 ゆっくりと立ち上がり、クラリスへと向き合う。彼女も合わせる様に視線を合わせてきた。

 彼女の瞳は、期待と興奮で絶頂に昇ったかの様に官能的に濡れている。とろける様な空気は、もう既に甘い恋人のものだった。

 彼女のその姿に、リヴェルは静かに息を吐く。

 そして心を前に進めるために、かつっと一歩踏み出した。真っ直ぐに、彼女を見つめる。



 引導を、渡すために。自分は、見えない刃を握り締めた。



「君と見つめ合って、俺はこう思うだろう。――ああ、相手がステラだったなら。彼女とこんな風に見つめ合ったら、どんな熱が俺の心に湧き上がってきたんだろう、ってな」

「――――――――」



 クラリスの表情が凍結した。一緒に、華やいでいた周囲の空気も凍り付く。

 冷たくしおれた悲しみに、同情などしない。――自分を、エルスターを、ステラを、マリアを踏み付けた痛みは、こんなものではなかった。

 かつん、と。もう一歩、リヴェルは彼女の方へと踏み出す。



「キスをする時もそう。……ステラの吸い込まれる様な、黒くて芯の通った瞳は本当に綺麗だった。君の瞳を見ながら彼女の瞳を思い出し、俺は君に顔を近付けるだろう」

「……、え」

「頬に触れながら、俺は思う。ステラの頬はとても滑らかで白かったな、って。すべらかなその頬に、優しく口付けたかったなって」

「な、……え、待っ」

「君の髪をでながら、俺はステラの艶やかな黒髪を思い出す。彼女の髪に指を通した時の手触りは、すごく気持ち良かったんだ。……ああ。いつまでも触れていたいほどだった彼女の髪は、今はどんな風に輝いているだろうか」


 こつ、と更に一歩。

 クラリスが後退あとずさる様に足が震えていたが、構わず距離を詰めていく。

 ゆっくりと。一歩、一歩、着実に。――追い詰める様に。

 リヴェルは、彼女との距離を縮めていく。



「待って、リヴェル君……っ」

「君に口付けながら、俺は思うだろう。ステラの唇は指で触れたら、とても柔らかかった。艶のある桜色の様な彼女の唇にキスをしたら、どんな反応をしただろう。頬は愛らしく染まっただろうか」

「待って、……待ってよ」

「夜のベッドの中でもそう。君の服を脱がせながら思うだろう。ステラは服を脱がせたなら、どんな反応をするだろうか。いじらしく抵抗するのか、それとも素直に受け入れてくれるのか。彼女の肌に触れて、深くに入り込んで、彼女を抱いたら、どんな顔で見上げてくれるのか」

「待って、……待ってよ、リヴェル君っ。待って!」

「潤んだ瞳で見上げられたら最高だ。彼女を手に入れられたらどれだけ幸せだろう。彼女を抱きたい。彼女が欲しい。彼女こそが俺が求めていた人だ。彼女以外考えられない」

「いや……っ!」

「君を抱きながら、俺は君ではなく、ずっとステラのことを考えるだろう。ずっと、ずっと、――ずっと、だ」

「――やめてっ!!」



 かつ、っと。最後の一歩で、彼女との距離を詰め終わった時。

 金切り声が、世界をつんざいた。



 しん、と一瞬だけ辺りが耳を突く様に静まり返る。



 リヴェルが見上げれば、空にはあの夜と同じく、綺麗な月が微笑う様に浮かんでいた。

 あの時は、ステラのコートが綺麗に羽ばたいて、月が欠けた様に輝いていた。白と黒のコントラストが絶妙で、互いを引き立て合い、凛とした音色を奏でながら笑い合っていた。

 リヴェルは、背後を振り返る。心がほとばしって止まらない。



 あの月こそが、あの夜こそが、リヴェルと彼女の始まりだった。



「……、リヴェル……っ」



 ステラが泣きそうに見上げてくる。吸い込まれそうなほど透き通った黒い瞳は今、自分を強く刺してくる。

 それは、彼女が同じ様に求めてくれているからだろうか。

 そうだったら良いと願って、彼女に笑う。



 ――ああ、そうだ。自分の隣は、彼女のものだ。



 例え、仮初かりそめで誰のものになろうとも。自分の心は、いつだって彼女の傍に寄り添い続けるだろう。


「……、……何で?」


 彼女と静かに視線を絡めていると、泣きそうな声が耳を叩く。

 ゆっくりと視線を戻せば、髪を振り乱したクラリスが、ぐちゃぐちゃな顔で求めてきた。



「何で? 何で、リヴェル君。どうして、そんな酷いこと言うの?」



 すがる様な声が、自分の頬を打ってくる。

 ぜえ、ぜえっと静けさが広がる夜の空気に、不協和音が混じった。

 だが、その程度ではもうリヴェルの心は掻き乱されない。地に根を張って、もう自身の願いを、道を、見つけ出した。



「だって、クラリスが言っているのは、そういうことだろ?」

「……、え?」



 呆けた様に彼女が見つめてくる。

 信じられないと全身で表現する様な醜態に、リヴェルは静謐せいひつに首を振った。


「君は、俺の心がステラにあることを知っている。なのに、君は俺にこう言うんだ。恋人になってくれなかったら、マリアも俺も殺すと」

「……、それは! そうしないと、リヴェル君が手に入らないからって」

「同じだぞ」

「え?」

「同じだ。そんな風に脅した時点で、俺の心が君に向く道は完全に断たれた」

「――」


 残酷な事実を、真っ直ぐに突き付ける。

 彼女の瞳が見開かれたが、構わない。知らんふりをして続ける。



「俺のことは百歩譲ってまだ帳消しにするとしても、友人の命を危険にさらしたこと、俺は一生許さない」

「――っ」

「許す機会も無い。俺は生涯、君を憎み続けるだろう。君の隣にいながら、俺は他者の命を粗末にした君を、一生、死ぬまで軽蔑し続ける」

「―――――」



 嘘偽りない本心を、彼女に並べ立てていく。

 言葉が進みにつれて、彼女の顔がだんだん真っ赤になり、次に白くなり、青褪め、土気色にまで落ちていくのを、リヴェルは目を逸らさずに見つめ続けた。

 だが、容赦はしない。

 自分は、怒っている。こんな風に大切な者達を傷付け、壊そうとしたこと。


 決して、――決して、許しはしない。


「俺が君に脅されて恋人になっても、俺の心は君には向かない。生涯ステラだけを愛するよ。それが、君が手段を選ばずに望んだ恋人の形だ」

「……、リヴェル、くん」

「その上で、俺は言うぞ。……どうして、こんな卑劣な手を使ったっ」


 何故、正々堂々とぶつかってきてくれなかった。

 何故、真正面からステラと闘って、自分に向き合ってくれなかった。

 何故、自分自身で勝負して、告白をしてくれなかった。

 何故、――クラリスはクラリスのまま、ぶつかってくれなかった。

 何故、――何故。


 そればかりが、リヴェルの頭をぐるぐる回って止まらない。


「もし、普通に告白してくれていても……確かに俺は、どちらにしろ断っていたと思う。ステラが好きだ。君のことは、友人としてしか見ることができないって」


 結果は変わらない。結局彼女を傷付けていただろう。

 だが。

 それでも、思わずにはいられない。

 もし、真っ向から、クラリスがクラリスのまま、告白してくれていたら。



「……もしも、君が、普通に好きだって言ってくれていたら、……っ」



 とても、嬉しかっただろう。



 心が震えただろう。こんな自分を、好きになってくれたのか、と。

 好きな人の前で、たった一言「好きだ」と告げることが、どれほど勇気のいることかリヴェルはもう知っている。

 だからこそ、もし普通に勇気を振り絞って告白してくれていたなら、彼女を尊敬したかもしれない。

 だが、それは振る側の身勝手な注文だ。彼女の気持ちを踏みにじる行為だろう。こんな詭弁きべん、通るはずがない。


 ――けれど。


 それでも。


「……、クラリス……っ、どうしてだっ。……どうして……っ」

「……っ、だって、リヴェル君は結局断るんでしょ」

「……、……ああ」

「……、それが、嫌だからっ! こんな手を使ったんだよ!」


 だん、と地面がクレーターの様にへこむ。

 彼女が癇癪かんしゃくを起こし、魔法を暴発させながら訴える。

 そして、その悲鳴を、リヴェルは受け止める義務があった。


「だって、もうリヴェル君はそいつが現れた時点で、心がそいつに向かってた。そいつのことばっかり考えて、惹かれて、もう、わたしが付け入る隙なんてどこにもなかった!」

「……そうだな」

「だから! わたしのものにするには、こうして道を断つしか」

「だったら、俺がステラを好きなまま、ステラを思いながら君に触れることを、君は受け入れるべきだ」


 すげなく彼女の言い訳を断ち切る。

 彼女の顔が絶望に暗く染まっていくのを、どこかなだらかな心地で眺めた。


「君が大切な友人達を傷付けなかったら、俺は君を恋人とは見れなくても、友人と思い続けていただろうな。君が傷付き離れていって、二度と話すことが出来なくなったとしても。俺は勝手に君を友人と思い、生涯大切な者として思い続けていただろう」

「……、リヴェ――」

「でも、君は俺の心を踏みにじったんだ。俺の心だけじゃない。……エルスターの心を、マリアの心を、……友人だったはずの、みんなの心を」


 リヴェルだけではない。

 エルスターもマリアも、クラリスのことを本当に友人として大切に思っていた。――大切だと、思っていたはずだ。

 そうでなければ。



〝もー、マリアちゃん。美人が台無しだよ。ほらほら、ネクタイ直すから起きて〟

〝んー、ありがと。クラリス、可愛いわー。私のお嫁さんにしてあげる〟


〝まあ、クラリスも身の回りには気を付けるのだよ。今日は図書館に行くのだったね〟

〝うん。マリアちゃんは、さっき男の人をヒールで踏ん付けて満足したから、部屋に戻るって〟


〝まあ、目の前に私みたいな美少女がいるんだから、他の女に興味がなくて当然だけど〟

〝別に、君にも興味はないから安心してくれ〟

〝ちょっとー! いくら何でもツンデレ過ぎるわ〟

〝まあまあ、マリアちゃん。リヴェル君は、きっと男にしか興味が無いんだよ〟

〝なんと! 僕を狙っているのかね!〟

〝勝手に人の趣味を捏造ねつぞうしないでくれ。男にも興味ないからな〟



 ――そうでなければ、あんなに楽しく笑って、話なんて出来なかった。



 懐かしい。

 そんなに経っていないはずなのに、ひどく遠い日のことの様に感じられる。

 ずっと、こんな日が続けば良いと願っていた。

 でも。


 ――もう、二度と戻らない。


 どれだけ願ったとしても、リヴェル達は引き返せないところまで来てしまったのだから。


「……俺も、知らず知らずの内に、君の心を踏み躙っていたのかもしれない。だから、本当はこんな偉そうなことは言えないのかもしれない」


 だが、それでも。



〝僕は、お前さんの言葉を否定したりはしないのだよ!〟



 自分のことを、最初に信じてくれた人。



〝ふーん。リヴェル、また一人で抱え込もうとしてたわけー。いけない子ねー。お仕置きしなくっちゃ〟



 揶揄やゆしながらも、いつも一歩引いて自分を見守ってくれていた人。

 そして。



〝人の命だけではなく、猫や金魚の命をも大切に思うあなただからこそ、私は守る〟



 自分を見つけ出して、一緒に生きると誓ってくれた人。



 その人達を、心から自分は守り、大切にしていきたい。

 だから。



「私利私欲のためだけに、人の心も、命も、何もかも踏み躙って、奪って、未来を断ってきた君のこと。俺は、絶対に好きにはならない」

「――――――――」

「だから」



 俺は生涯、君を拒絶し続ける。



 宣言して、リヴェルは勢い良く振り返る。そのまま、固唾かたずを呑んで見守っていたエルスターに激励を飛ばした。


「エルスターっ!」

「……っ、……リヴェルっ! 信じるのだよっ!」


 名を呼ばれ、弾かれた様にエルスターが駆け出した。

 同時に、かっとリヴェルの体の中が熱くなる。爆発的に増す熱量に、リヴェルは全身全霊で胸元に手を当てて祈った。



〝ならば、何が何でも生きてもらう。これは、ボクだけじゃない。弟の願いでもあるはずだ〟



 ――どうか、力を貸してくれっ。



 瞬間。



 どおんっ! と、リヴェルを中心に大爆発が巻き起こった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る