第52話


 ――ああ、罰が当たったのだ。



 気を失って転がるリヴェルを見ながら、エルスターは深く突き落とされる。

 ウィルからもらった懐中時計の効果が、完全には間に合わなかった様だ。リヴェルに外傷は無いが、衝撃は殺しきれずに余波が直撃してしまったらしい。効果だけは遮断出来たことは御の字と言うべきか。



 だが、彼を傷付けたことに変わりは無い。



 一生懸命話そうとしていた彼を、エルスターは無理矢理切ったのだ。歯噛みしながら、彼に本当の意味で向き合えなかったことを後悔した。

 穢い自分。利用する自分。

 それを彼に対しても発揮してしまった自分に吐き気がした。

 何故、向き合えなかったのだろう。

 そもそも、何故、彼にこんな気持ちを抱いてしまったのだろう。



 ――リヴェルと出会ったのは、入学式の初日のことだ。



 彼が何やら門番と揉めているのを、エルスターは当初冷めた眼差しで観察していた。

 どんな場所でも、嫌がらせをする人間は大勢いる。標的にされてしまう人も。見て見ぬふりをする人も。

 彼も、標的にされた内の一人なのだろう。貴族の世界ではよくある現象だ。

 自分で処理出来ないのならばそれまでと、初めは無視して通り過ぎようと思ったのだが。



 彼は困った様に泣き寝入りをするのではなく、物騒な気配を醸し出していた。



 むしろ、無理矢理押し入りそうな空気を感じ取って、エルスターは少し意外に感じたのだ。大人しそうな顔をしているのに、随分と印象が違うと。

 それが何となく気にかかって、背中を押したのだ。本当にただの気まぐれだった。

 エルスターは王族だ。相手が自分の顔を認識すれば、助けてもらった反応は大抵決まっている。

 ひたすら恐縮してお礼を言うか、慌てて飛び退いて何度も頭を下げるか。すり寄る様なタイプでなければ、その程度でこの場は終わるだろう。そう思っていた。

 なのに。



〝あ、ちょっと待っててくれ〟



 反応が、予想したどれとも全く異なった。



 軽くエルスターを置き去りにした挙句、彼は己に嫌がらせをしてきた相手を猛然と追いかけ、瞬く間に報復をした。



 彼はあっさりと入学証明書を取り戻し、唖然あぜんとしている自分の元にすっきりした笑顔で戻って来たのだ。

 しかもそれだけでは飽き足らず、自分に晴れやかに礼まで告げてきた。



〝ありがとな。助かったよ。おかげで大事な証明書を取り戻せた〟



 その後、あろうことかお礼におごるとまで言ってきたのだ。その上、王族である自分に、彼は一緒に式を出ようと提案してきた。

 明らかに、彼は自分が誰なのかを把握していない様子だった。何と言うか、どこか間が抜けた人物だと少し呆れてしまったものだ。


 彼がライフェルス家の者だと知ったのはその直後のことだったので、最初は演技かとも疑った。


 しかし、彼は自分と同室であることを無邪気に喜び、何日経っても依然として態度は変わらなかった。平気で憎まれ口を叩いてくるし、白い目を向けるし、今までの者達とは全然違う反応で、毎日が新鮮だった。

 初めてエルスターの素性を知った時は流石に驚いていたが、それでも態度は変わらなかった。

 そんな人間は、初めてだった。



 彼は、不思議な人間だった。



 適度に明るく、適度に優しい。

 必要以上に人との距離を詰めようとはしないが、他者の命には驚くほど敏感だった。自分の身をかえりみないところがあるくらいに。

 どこか諦めた影がぎるのは、彼の育ちを知れば予想は出来る。

 自分のことを諦めながらも、他の者の痛みに優しく在れる、危うくも心優しい存在だった。

 新鮮だった。楽しかった。毎日が何気ないやり取りの繰り返しなのに、彼と言葉を交わすたびに鮮やかな驚きを覚えた。

 彼と付き合っていく内に、どんどんどんどん彼を親友と呼びたくなる自分がいた。



 だが、自分は魔法使いだ。



 そして、魔法使いは大抵一般人には恐れられる。



 魔法使いだと知られた時の一般人の反応は、大抵同じだ。

 昔、一度だけ、エルスターは一般人の前で魔法を使ったことがある。

 それは、別に自分のためではない。たまたま一緒に歩いていた同級生が、暴漢に襲われそうになったのだ。

 反射だった。何も考えず、ただ危ないと思って咄嗟とっさに魔法を振るった。

 けれど。



〝……ば、化け物……っ!!〟



 自分が手の平から風の塊を生み出し、犯人にぶつけた光景を見て、同級生は恐怖と罵倒をぶつけてきた。

 同級生は、犯人と一緒に逃げていった。さっきまで襲われていた人間と一緒に逃げるなんて、よほど混乱していたのだろう。

 置き去りにされ、同級生の自分を見る瞳を思い出し、エルスターは悟った。



 ああ。こんなものか。



 どれだけ普通に話を交わそうと、所詮は異物。

 自分が一般人とは違う存在だと分かった途端、みんな離れて行くのだと。

 ウィルが特殊だったのだ。彼は王族だ。魔法使いにも馴染みがある。だから、たまたま彼は自分を恐れなかった。それだけだ。

 だから、勘違いをしたのだ。



 もしかしたら、受け入れてくれる人が他にもいるかもしれない、と。



 ウィルに淡々と報告したら、次の日には同級生は綺麗さっぱりその事件を忘れていた。

 彼が処置を施したのだ。王族は魔法使いではないが、似た力を扱う。記憶消去もお手の物だ。

 前みたいに同級生と話すことは無くなったが、安心した。これが普通なのだと、真理に辿り着いた。

 そうだ。



〝俺は、リヴェル。良ければ、一緒に式に出ないか? お礼に後でおごるぞ〟



 今は、普通に話していても。彼もきっと、自分を化け物みたいに恐がる。



 王族の甥だと知っても態度は変わらなかったが、魔法使いは流石に無理だろう。

 それに、魔法使い同士は、周りに深く詮索されないために互いに知らないフリをするのがルールとなっていたが、成れの果ては違う。そんなルールは関係なく、互いの素性を暴露するのも彼ら次第なのだ。



 だから、きっと。いつか、リヴェルに知られる時がくる。



 それが、恐かった。彼に怯えられ、距離を取られるその時が来るのがどうしようもなく恐ろしかった。

 彼の目が、恐怖と嫌悪で満たされる瞬間が来るのが、堪らなく恐かった。

 そんな時だ。

 リヴェルと出会って半年近く経過し、だんだんと彼との距離を測りかね始めた時に、不覚にも魔女とすれ違ったのだ。

 普段通りなら、互いに言葉も交わさず通り過ぎるだけだった。

 しかし。


〝エルスター〟


 何故かその時に限って、彼女は自分に話しかけてきた。

 しかも不幸にも、その時は周りに人気ひとけは無かった。彼女の気配に気付けなかった、自分の愚かさに舌打ちしたのも懐かしい。



 彼女のことが、エルスターは嫌いだった。



 淡々とした表情に、動かない感情。魔法を使うことを恐れもせず、人というものに興味も持たない生き物。そのくせ、無神経なことをずかずか発言して、こちらの心を逆撫でする。

 出会った時から変わらない。一番、魔法使いという存在を意識させる人物。嫌でも己の血に流れる鼓動を、母を襲った暴君を連想して、吐き気がした。

 それなのに、彼女はウィルが気に掛ける存在なのだ。よりによって、彼が彼女を気にかけるという事実にどうしようもない苛立ちを覚えていた。妻がいる身でと、腹立たしくて余計にやり場のない憤りに駆られた。

 だから、極力関わらない様に生きてきた。

 無視をすることも出来たが、人としてそれもどうかと思ったので低い声で応じた。

 それが、間違いだったということも知らずに。


〝……何だね〟

〝大学院に入ってから、楽しそう〟


 いきなり何を言い出したのだろうか。

 思い切り顔にでかでかと疑問を貼り付ければ、彼女は気にした風もなく淡々と続けた。



〝あなたの隣にいる、彼のおかげ?〟

〝――っ〟



 どくり、と心臓が鷲掴わしづかみにされた様に大きく跳ね、すぐに縮こまった。

 何故、彼女がそんなことを気にするのか。訳もなく、がたっと体が震えそうになるのを懸命に押し止めた。

 しかし、そんな努力も虚しく散る。



〝彼は、あなたが魔法使いだって知っているの〟

〝――――――――〟



 その言葉を聞いた瞬間。

 エルスターは、爆発した。



〝そんなわけが無いだろうっ! お前さんと一緒にしないでくれたまえっ!〟



 言い捨てて、足早にその場を離れた。頭は沸騰したままぐらぐらとゆだっていて、まともに物事を考えられなかった。

 魔法使い。それを、彼が知っているのか。

 そんなわけがない。吐き捨てて、エルスターは、口元が笑いたくもないのに笑っているのを感じ取った。

 魔法使いだなんて知られたくない。疑われたくもない。

 そんなことをしたら、今の彼との関係はどうなる。ついさっき別れるまで、彼と笑いながら話していたその空気はどうなる。

 魔法使いだと、そんなことを彼に知られたら。



〝……ば、化け物……っ!!〟



 ――彼は、離れて行ってしまう。



 あの時の恐怖にまみれた瞳を思い出し、エルスターは初めて心の底から怯えた。

 もし、彼にそんな視線を向けられたら、自分はどうなってしまうのだろう。考えただけで――否、考えるのも恐ろしい。

 同級生の時は、こんなものかと淡泊に片付けられたのに、リヴェルが相手だと処理が出来ない。

 その事実に、絶望した。



 いつの間に、自分はこんなに彼と距離を詰めてしまっていたのだろう。



 いつだって、人との距離は保ってきたはずだった。

 リヴェルと同じだ。彼も、人とは一定の距離を保つ人間だった。

 故に、彼と本当の意味で友人になれないことをもどかしく思いながら、その実自分だって彼と距離を保ってきた。

 そうだ。保ってきた。


 そのはずだった。


 だが、現実は残酷だ。思っていたのは、自分だけだった。

 化け物だと呼ばれるのが恐い。逃げられるのが恐ろしい。



 彼に、背を向けて置いていかれるのが、どうしようもなく嫌で嫌で堪らない。



 どうせいつか明るみになるのに、それでも願う自分がいた。

 魔法使いだと知られたくない。

 けれど、これからも友人でいたいのならば。


 ――彼に、伝えるべきだろうか。


 悩んだ。迷った。

 学院を出ても、彼を友人と呼びたかった。

 それなのに。



 自分は、逃げた。



 本当に友人だと思っているなら打ち明けるべきだったのに、自分は逃げた。予防線を張ろうとしたのだ。

 愚かだった。臆病だった。

 だから。



〝リヴェルよ、黒き魔女を知らないのかね?〟



 ステラを、生贄にしたのだ。



 魔法使いを憎みながら、己の可愛さで魔法使いを利用した。自分の苦しい部分を突かれたからという腹いせもあった。

 彼女は、特に日常で魔法を使うことを隠すことはない。積極的に不穏分子を探すわけでもないが、成れの果てをきっちり狩っているのは知っていた。

 リヴェルが運良く彼女に興味を持ち、接触してくれれば、いずれ魔法を扱う場面に出くわすだろう。


 その時のリヴェルの態度で、身の振り方を決めよう。


 そんな風に思っていた。

 怯えながらでも彼女と接触を続けるなら、自分もいずれは打ち明けよう。

 けれど、もし恐怖で遠ざかるのなら。



 ――いつか、彼と別れる瞬間を覚悟しておこう、と。



 何て、愚かだったのだろう。

 どれだけ嫌われても、どれだけ遠ざけられても。

 本当に彼を友人だと思うのならば、きちんと向き合わなければならなかったのに。

 今まで、自分は彼の何を見てきたのだろう。一体、彼の何を知っていたのだろう。

 彼女とリヴェルが仲良くするのを見るたび、己の穢さに吐き気が増した。彼女に惹かれる彼を知るたび、己の程度の低さに打ちのめされた。



〝ああ。――君は、俺にとって初めてできた大切な友人だよ〟



 彼が、自分を大切だと言ってくれた時、心の底から後悔した。



 魔法使いを嫌いな自分は、その魔法使いよりも愚かで救いようのない人間だ。

 なのに、彼は言うのだ。

 ありがとう、と。大切だ、と。



〝だから、これからもよろしくな、エルスター〟



 こんな酷い自分なのに、笑って迎えてくれるのだ。



 ――その上、命懸けで成れの果てから助けようとまでしてくれて。合わせる顔が無くなった。



 だから、今度こそ彼と向き合おう。そう、決意したのに。

 罰が、当たったのだ。ずっと、彼に向き合うのを逃げてきたから。

 だから。



〝ねえ、エルスター君。答えてよ〟



 リヴェル。



 ――僕は。


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