第46話


「……、いなくていいのかい?」


 遠くで、声が聞こえる。

 夢か現か。まどろみの中、リヴェルは声がばらばらに喋るのを、たゆたいながら聞いていた。


「喜ぶと思うけどね」

「……、それでも、今は無理なのだよ」


 楽しげな声と、苦しそうな声。

 どちらも聞き覚えのある響きで、思わず手を伸ばしたくなる。

 なのに、己の手はどうしたことか、ぴくりとも指一本微動だにしない。苦しげな声は泣いている様にも聞こえて、大丈夫だと伝えたかったのに、それすら叶わなかった。

 そのまま、声が遠ざかる。待ってくれ、と呼び止めたかったのに出来ない。



 大丈夫だ。ありがとう。



 ちゃんと、伝わるだろうか。

 緩々と浮上していく意識の中、リヴェルは遠くの背中を思いながら、ただ一心に彼に届く様に願い続けた。









「あ、起きた」

「―――――」


 目を開いて、最初に視界に入ってきたのはステラの顔だった。

 ベッドの脇の椅子に腰をかけ、ずいっと覗き込んでくる。凛とした可愛らしい顔が、寝起きの一発目としてはかなり心臓に響いて一気に覚醒した。


「す、ステラ? ……っ」

「リヴェル、まだ寝てなきゃ駄目。完治してるわけじゃない」


 身体を起こそうとして、酷い激痛が走る。

 ばふん、とベッドに逆戻りしたところを、ステラにたしなめられた。確かに、これほどの痛みがあるのならば、大人しく横になっていた方が良さそうだ。

 はあっと大きく息を吐いていると、くすくすと少し離れた所から笑い声が届いた。

 見れば、いつかの旧校舎の、風情のある部屋だ。リヴェルのベッドからは少し離れた場所で、端正な顔立ちをした気品溢れる人物が優雅に腰を掛けている。エルスターが、会って欲しいと言っていた人物だ。


「……ウィル」

「やあ、おはよう。よく眠れたかな」


 爽やかに手を上げてくる彼に応じようとして、また右手首に痛みが走る。そういえば、砕けたのだっけと、ぼんやり少し前のことを思い出してきた。

 そう。確か、裏庭に行く途中で、エルスターを狙う暴漢に遭遇したのだ。囮になって引き付けたまでは良かったが、無力な自分は取り押さえられ、じわじわと甚振いたぶられ、殺されそうになった。

 それを助けてくれたのが――。



「……、エルスター。彼は?」



 がばっと起き上がろうとして――再び痛みでベッドに沈み込む。何回同じ過ちを繰り返せば気が済むのだろうと、己の学習能力の無さを呪いたい。

 ステラが心配そうにするのには笑うだけで誤魔化し、ウィルに視線だけで問い詰める。


「……、彼は、会わせる顔が無いと、さっき出て行ったよ」

「……そんなっ。俺、まだ満足にお礼も」

「怪我をさせたことがよっぽどこたえた様だ。まったく、ステラも彼も、君の前で魔法を使うのを躊躇ためらうからこうなるんだよ。まあ、そこが可愛いんだけどね」


 さらりと子供扱いするウィルに、リヴェルは一旦流しかけ、流れ切る前に言葉を脳裏に引っ掛けた。すぐに言葉が疑問符に取って代わって、表に出る。


「え。何で、俺の前で使いたくないんだ?」


 素直に聞けば、ウィルは「そんなことも分からないのか」と驚いた様に目を大きく見開いた。馬鹿にされている、というよりは呆れが混じっているのが伝わってきて、むくれてしまいたくなる。


「鈍感で悪かったな」

「ああ、うん。いや、君はそういう人だったね」

「そういう人だよっ」

「はは、まあ怒らない。君、魔法を恐がっていたよね? だから、二人とも君の前で魔法を使うのを躊躇ったんだよ」


 至極単純だと言いたげに、ウィルが軽い調子で答え合わせをする。

 リヴェルとしては、初耳だ。思わずステラを振り仰げば、彼女は気まずそうに視線を逸らした。あの、人が爆発した夜のことを思い返しているのかもしれない。


「ステラ……」

「ごめんなさい。だから、あの時、助けるのが遅くなった」


 肩を落として謝罪する彼女に、リヴェルは呆気に取られ。

 次には、笑ってしまった。

 彼女やエルスターが、そんな風に自分を気遣ってくれていたと思うと、心がじんわり熱を持つ。


「ありがとな、ステラ」

「……」

「大丈夫だ。恐いけど、……君たちは、正しく使える人だって分かってるから」


 手を伸ばして頭を撫でたかったが、負傷している右手では叶わない。

 なので、何とか左手を伸ばすと、彼女も手を伸ばして握ってくれた。それだけで、強張っていた壁が溶けていく。


「……、でも」



〝許せないのだよ。魔法使いに連なる者は、全て〟



 ふと、エルスターの苦しげな告白を思い出す。

 彼は、魔法そのものを嫌っていた。生い立ちからすれば、当然の流れだ。


「エルスターは、魔法自体を嫌っているよな。……本当は死ぬほど使いたくなかったはずなのに、俺が出しゃばったせいで使わせてしまった。頭が足りなくて、反省している」


 だから、そのことも改めて謝りたかった。彼はあの時、酷い葛藤の末に魔法を振るうことを選んでくれたはずだから。

 謝罪と感謝をもう一度示したかったのに、彼はそれをさせてくれない。早々に出て行ってしまった様だし、今度はステラの様に彼に逃げられたらどうしようと、漠然とした不安を抱く。

 しかし、そんな自分の身勝手な懸念を見透かされたのだろう。くすくすと、また楽しげにウィルが声を立てた。


「二人は、本当に君が好きだね」

「……は?」


 微笑ましいよ、とにこにこ嬉しそうに笑うウィルに、思わず怪訝な顔になってしまう。

 ステラは、心なしか、ふいっと顔を横に背けた気がした。何故だろうか。


「まあ、これ以上言うと野暮になるし、二人から蹴りを食らうからやめておくよ」

「蹴りなのか」

「ボクに魔法は聞かないからね」


 そういえば、王族は魔法使いに対抗する秘術があると言っていた。まるっきり魔法が効かないのだとすれば、後は頭脳と力技の勝負だ。蹴りになるのは当然である。


「蹴りを食らわない程度にしておけばいいんじゃないのか?」

「それじゃあ楽しみがなくなるよね。……そろそろ本題に入ろうか。ステラ」

「……」

「大丈夫。僕がいる限り、彼には指一本触れさせないよ」


 名を呼ばれ、ステラがじっとウィルを凝視する。

 だが、彼の柔らかではあるが、静かに圧するほどの眼差しに、引いた。一度だけリヴェルを一瞥いちべつし、渋々と席を立つ。


「ステラ?」

「リヴェル、また来る。気を付けて」

「ああ。……ステラもな」

「……うん」


 二人きりになりたいというウィルの意志だった様だ。ステラはリヴェルの気遣いに頷いてから、颯爽と部屋を出て行った。

 相変わらず、凛とした涼やかな姿だ。あんな風に、自分も真っ直ぐ前を見て歩いて行けたらと憧れる。


「……ステラのこと、惚れ込んでいそうだね」

「―――――っ」


 すっかりと別の存在を忘れていた。

 見惚れていたことを嗅ぎ取られ、かあっと頬に熱が差す。


「あ、いや。……ああ。惚れてる、しな」

「おやおや、熱いね。恋人になったんだっけ」

「ぐっ、……いや、その」



 なってない。



 気持ち的には突っ伏す様に絞り出すと、ウィルは大層虚を突かれた様に目をまんまるにした。あれ、と心底不思議そうに首を傾げる。


「ボクが聞いていたのと違うんだけど。恋人じゃないのかい?」

「……一生共に生きて欲しいとは言ったんだが、その、……肝心の気持ちを伝えるのを忘れて」

「うん? それが気持ちじゃないのかい?」

「好きだって、言うのを、その、……忘れた」

「――」


 一瞬の沈黙。

 だが、次の瞬間に爆笑が炸裂さくれつした。くっく、っと椅子の肘掛に寄りかかって腹を抱えてウィルが笑い転げる。


「はっ、……ははっ! 忘れ、……ははは! それで、恋人じゃない?」

「そ、そうだよ! あー、完全にタイミング逃して」

「……なるほど。うん。まあ、女性は口に出した方が嬉しいみたいだからね。言ってあげたらいいんじゃないかな。うん。って、それで恋人じゃな……ふっ」


 思い切り馬鹿にされている。

 エルスターと同じ様な反応をされたが、こちらは笑い飛ばしてくる。いっそ清々しいが、決まりは悪い。己の要領の悪さに泣きたくなった。


「まったく……エルスターにも呆れられたし、二人揃って酷くないか?」

「そうかな? まあ、仕方ないよ。面白いんだから」

「面白いって、……はあ。二人って、反応する箇所が似てるよな」

「――」


 こちらは真剣に悩んでいるのに、何故二人はこうも呆れたり笑ったりするのだろうか。反応は違うが、反応するポイントや口にする内容が同じなのが腹が立つ。

 そんな風にふて腐れていると、何故か静まり返ってしまった。あれ、と思いながらウィルを寝たまま見上げる。


「ウィル?」

「うん? ああ、……」


 笑顔は保っているが、少しぼんやりしている。

 いつものウィルらしくなくて、リヴェルは眉を寄せた。何か逆鱗に触れただろうかと心配になる。


「……。そういえば、エルスターを助けようとしてくれたんだってね」

「え? あ、ああ。でも、結局足手まといにしかならなかったけどな」


 少し考えれば思い至るはずの結論に、リヴェルは辿り着けなかった。その結果がこの怪我である。情けないことこの上ない。

 だが、ウィルは肯定をしなかった。むしろ、何か感じ入る様に目を伏せて、頭を下げてきた。



「ありがとう」

「っ、え?」

「彼は本当に、ボクにとってはとても大切な……、……甥なんだ」



 深々と頭を下げてくる彼に、リヴェルは慌てると同時に何故か胸を突かれた。

 いつもと様子が違うのもそうだが、この感覚は覚えがある。ウィルが弟の話をした時だ。

 一度目は、話し始めの時の不自然な間。

 二度目は、エルスターは本当にウィルの甥なのかとリヴェルが確認した時。

 二回目の時は、二人が息を止めた様に固まっていた。何となく知られたくないことなのかもしれないと、あの時は引き下がったのだ。


 ――彼らには、一体何があるというのだろう。


 もやもやした不安が胸に渦巻くのを感じていると、ウィルは少しだけ苦笑して話を続けてくれた。


「ごめんね。ちゃんと話せなくて」

「えっと。いや、……無理矢理聞く様なことはしないぞ。俺だって、話したくないこと、たくさんあったし」

「うん。もちろん話さないよ」

「……」


 間髪容れずに言い切られ、流石に殴りたくなった。

 見上げた顔は本当に良い笑顔だ。実にウィルらしい。


「ただ、まあ……そうだね。……昔、ボクには大切な家族は弟しかいないって思ってたんだ。当時は何も、誰も、信じられなかったからね」


 足を優雅に組み直し、ウィルは少しだけ遠い目をする。

 その瞳に映っているのは、過去のいかなる情景なのか。一瞬だが、彼の瞳に数多の感情が一気に噴き出した様な気がして、リヴェルは喉を詰まらせた。


「ボクね、実は次男なんだよ」

「え?」

「長男は愛人の息子なんだ。しかも、かなーり歳が離れてる。親子くらいにね」

「え」


 何だか途轍とてつもない暴露話を耳にした。

 ウィルが次男。しかも、親子ほど離れた兄が、あろうことか愛人の息子。

 目をひたすら丸くしていると、ウィルは楽しそうに喉を鳴らした。


「さすが、リヴェル君。良い反応をしてくれるね」

「え、いや、だって。……王族事情に暗くてごめん」

「いや。おかげで、君の面白い反応が見れて楽しいよ」


 納得がいかない。

 心から楽しそうに笑うウィルに、リヴェルはそろそろ本気でふて寝がしたい。目的があるので根性でしないが、彼と話していると疲れる。


「一応、兄とは仲が良いんだけどね。まあ、王族らしからぬ優しい男で、実母にしいたげられていたのが可哀相だったくらい」

「……虐げって」

「ほら、長男でも愛人の子だから。王位継承権第一位はボクなんだよね。それが気に食わなくて、よくボクや弟の暗殺をたくらみまくっていたよ」


 あはは、と笑う彼の顔に影は無い。

 その明るさが、かえって日常茶飯事だったのだと不穏に告げてくる。


「父は、愛人とその家族にしか興味が無かった。正妻にボクやタリスを産ませたのも、周りがいい加減にしろとうるさかったからだ。当然、邪魔だよね、父にとっては」

「……っ」

「そんな顔しない。ま、守るべき民ごとボク達を葬り去ろうとした父は、王に相応しくなかった。それを嬉々として喜ぶ愛人も、王族に相応しくなかった」

「……」

「だから、ボクが葬った」



 冷たい響きだった。



 ウィルの瞳が凍える様な笑みをたたえる。底の見えない彼の闇に、飲み込まれまいとリヴェルは腹に力を入れた。


「恐い?」

「……、ああ」

「正直だね。流石、ステラを追いかけただけはある」


 変な褒められ方だ。

 よく理解が出来なくて、リヴェルは首を傾げる。


「……そうかな」

「そうだよ。人にとって大事なのはね、恐怖をきちんと感じられることだよ」

「恐怖を?」

「そう。死にそうになったら恐い。相手を平気でおとしいれる人は恐い。大事な感情だ。だから、それを感じられる人がそばにいてくれると、ステラやボクの様な者でも、人になれる気がするんだ」

「――」


 噛み締める様にウィルがささやく。

 その横顔には自嘲が宿りながらも、どこか遠くを愛しそうに見つめる柔らかさがあった。



「恐くても、傍にいたい。そう思ってくれて、ありがとう」

「……、ウィル」

「ボクにとっては、それが妻とエルスターなんだ。彼らは、ボクを恐がりながらも愛してくれた。これほど嬉しいことはない」



 おかげで、人になれた。



 そんな風に、彼は言っている様に聞こえる。笑っているのに、泣いている様にも映った。


 ――今の話を聞いていると、何となくステラを思い出す。


 彼女も、少し前までは死ぬのを特に恐がっていなかった。無意味な殺しはしなかったけれど、最初は猫の命を「たかが」と口にしていた。

 タリスの死によって、他者の死を恐れていた部分はあるけれど、それでも恐怖とはそこまで縁が無い様に見えた。



 ウィルとステラは、似ている。



 だからこそ、余計にウィルは彼女を気にかけていたのかもしれない。今の話を聞いて、そう思えた。


「ステラのことも、エルスターのことも、よろしくね」

「……」

「二人共、とても大事な子なんだ。……頼むよ」

「――、はい」


 もちろん。


 真っ直ぐに見据えて力強く頷けば、ウィルはやはり泣きそうな笑顔で頭を下げた。


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