第39話


「……ふう。彼らは、五歳児かね。いちいち意識し過ぎなのだよ」


 リヴェルと魔女の二人から、少し離れた地点。

 エルスターは大木に背を預け、心の底から呆れ果てた。隣に並ぶマリアは、くすくすと面白そうに笑っている。意地が悪い。


「あらあらー、五歳児はもっと大胆よー。大好きーって気持ちをはばからないんだからー。抱き付いちゃうし」

「……ならば、五歳児未満かね。まったく、初々しいったらないのだよ」


 彼らのやり取りは、ここまで正確に聞こえてくるわけではない。

 だが、二人の仕草や表情、特にリヴェルの動揺っぷりは見ていて気持ちが良いほど強く表れていた。今まで恋をしてこなかったというのも、近付いてくる女性を遠ざけていたというのも本当らしい。

 魔女も恋というものは初体験の様だから、二人の前途は多難である。エルスターとしては、己の苛々が爆発しないことを祈りたい。


「でも、まあくっついた、みたいよね?」

「そう、だね。はあ……」


 マリアが優雅に扇子を口元に当てながら、彼らをうかがう。

 エルスターとしては、やはり面白くはなくて溜息が山の様に出る。正直に言うと叩き潰したいが、リヴェルのことを考えるとそれも出来ない。

 それに、彼らが決着を着けたのならば、もう一つにもつけねばならない。ちらりと、背後に視線を流した。



「……クラリス。そろそろ出てきてはどうかね」



 最初の方から、ずっと自分達を尾行している気配があることには気付いていた。

 事が落ち着くまでは放置しておこうと思っていたのだが、そろそろ決着のつけ時だろう。

 あら、とマリアが目を丸くするのに合わせて、がさりと、更に向こうの大木からクラリスが姿を現した。えへへー、と頭をいて舌を出す姿はいつもの彼女だが、少々元気が足りない。


「クラリス、あなた……」

「やっぱり来ちゃった。リヴェル君、あの人とうまくいきそうなんだね」

「まあ、そうだろうよ。あれを見ていればね」


 うまくいきそう、ではなく実際うまくいったのだろう。

 視線の先には、しっかりと手をつないでいる二人がいる。顔を突き合わせて笑い合う姿は、もう雰囲気が甘かった。正直砂糖菓子に砂糖と蜂蜜をたっぷり一瓶ほどかけまくったほどには甘そうで、近付きたくはない。

 クラリスは、静かに彼らを見つめている。その横顔に感情は見当たらなかったが、心の内は荒れに荒れているだろう。



 ――リヴェルを好きだった彼女は、これからどうするのか。



 エルスターとしては、敵が現れた時点で行動を起こさなかった彼女に、あまり同情はしていない。本当に欲しいのならば、焦りを覚えた時に動くしかなかった。

 彼女が懸命に前からアタックしていたら、もう少し結果は違っていたかもしれない。違わなかったかもしれないが、今よりも彼女の心は救われていたはずだ。


 ――自分も、うかうかしていられないのだよ。


 今の辛辣しんらつさは、そのままそっくり己に返ってくるので心が痛い。はあっと大きく溜息を吐いたのは致し方ないことだろう。


「わたしね、二人とも。決めたの」


 その矢先に、クラリスが決意を表明してきた。

 声は淡泊なのに、強い意志が感じられる。腹をくくった様な響きに、エルスターは感心した。

 ――なのに。



「わたし、リヴェル君に告白しようと思うんだ」

「―――――」



 彼女の真っ直ぐに強い瞳を見た瞬間、エルスターは底から湧き起こる様な重い衝撃を感じ取った。



 どくり、と大きく心臓が怯える様に跳ねる。



 どくどくと暴れる心臓を叱咤しながら、エルスターは思わず胸を押さえた。

 別に、彼女は変なことは一言も発していない。自分の心に決着をつけるために宣言しただけだ。

 もしかしたら、一波乱も二波乱も起こるかもしれないが、それは彼女達の問題だ。リヴェルは誠意ある対応をするだろうし、収まるべき場所へ収まっていくだろう。

 ならば、この衝撃は何だというのか。


 ――まさか、その先を見るのを躊躇ためらっているのか。


 思いながら、気持ちを整理する。

 クラリスがリヴェルに告白するということは、文字通り玉砕を意味している。彼女だってそれは理解しているだろう。

 その結末が、エルスター自身に突き付けられた様な刃に思えたからだろうか。立場が違えば、己もクラリスの様になる可能性はある。

 だが。


 ――そんなに、自分は弱いというのか。


 釈然しゃくぜんとしないものを感じながら、エルスターはクラリスを見つめ続けた。


「あらー、略奪愛?」

「う、ううん、どうかな。リヴェル君が振り向いてくれたら嬉しいけど、……何も言わずに終わらせるの、わたし、できそうにないから」

「……そっか」


 ぎゅっとマリアがクラリスを抱き締める。

 それに泣きすがる様に抱き付くクラリスは、とても可愛らしいと思う。女性至上主義なエルスターとしては、とても尊い構図だ。

 だから、胸が押し潰される様に苦しいのも、己の弱さなのだろう。そう、エルスターは思い直した。



「私ね、昔……とーっても好きな人がいたんだ」



 泣く様に、濡れる様に。

 マリアに抱き締められながら、クラリスが遠くに語り出す。


「あらー、やっぱり……。前に、『また』って言ってたから、もしかしたらって思ってたけど」

「……マリアちゃん、凄いなあ。うん、……そうなの」


 感心した様に笑うクラリスの声は震えていた。

 だが、顔は決して見せない。ぎゅっと抱き付き直して、彼女は続ける。


「すっごくね、素敵な人だったんだよ。少し幼いんだけどね、優しくて、真っ直ぐで、思ったことはすぐ行動。ちょーっと空回っちゃうところもあったけど、いつも明るく笑っていて、どんなに辛い時でも前を向いて歩いてた」

「……、まあー、素敵な人だったのねー」

「うん! でも」



 ふられちゃった。



 ぽつりと零すクラリスの表情は、エルスターの角度からは見えない。丁度彼女の藤色の髪が、目元や口元を隠す様に流れていた。

 だが、何故だろうか。

 いつもなら気にしないその表情がやけに気にかかる。

 マリアの方はというと、全く気に留めていない。彼女を抱き締めた腕を、更に深く回す様に抱き締め直していた。


「ずっと見てただけだったの、あの時も」

「……、そう」

「わたしの方が先に好きだったのにって、ちょっと怒っちゃったけど。でも、今回も同じこと、しちゃったんだよね」

「……クラリス」


 落ち込んだ様にトーンが下がるクラリスに、マリアがぽんぽんと優しく頭を撫でる。その二人の様子は本当に仲の良い親友で、微笑ましい光景だ。

 そうだ。微笑ましい。エルスターには割って入れない可愛らしく温かな空気だ。

 しかし。



 ――何だ、このざわつく嫌な感じは。



「……っ」


 ざりっと、知らずエルスターは一歩――否、半歩後退る。あごを伝う不快な感触が襟元えりもとに落ちた時に、初めて自分は汗をいていると知った。



 ――エルスターは、元々彼女に関して気付いていたことがある。



 だが、別にそれを口に出して確認するつもりはないし、したくもない。だから、友人の顔をしてそばにいた。実際、友人だとも思っている。

 しかし、今はとてつもないほどの底知れなさを、エルスターは彼女に感じていた。ありていに言えば、今すぐにでも彼女から離れて距離を取りたい。

 彼女は、いつも通りの彼女だ。それだけのはずだ。

 けれど、何かが違う。

 何故、と模索するも自分では一歩のところで届かない。


「だからね。もう後悔しない様に、頑張ることにしたの」

「……、そう」

「今まで、嫌われたくなくて尻込みしてたけど。ちょっと大胆になってみようかな!」

「あらー、それ、いいわねー。リヴェル、結構大胆になられると動揺するみたいだから、効果的かもー」

「そうだよね! よーし、がんばろーう!」


 拳を上げて鼓舞するクラリスに、マリアが「がんばんなさーい」と切なげに見守っている。

 マリアの瞳には少しだけ感傷的な色が混じっていた。リヴェルを見ていられなくて魔女の背中を押したことに、少し罪悪感を覚えているのだろう。


 だが、マリアはずっと中立的な立場にいた。


 クラリスに発破はっぱをかけたりはしていたが、基本的に世話を焼いたりはしない。恋愛は、あくまで自力で踏み込まなければ意味がないと考える人間だった。

 そういう意味では、エルスターと同じ価値観なのかもしれない。

 それでも、クラリスが泣く姿を見て、痛みを覚えている。非情になりきれない女性だ。



 少しだけ、そんな彼女が羨ましい。



 自分は、特定の者以外にはそこまで心が動かない人間だ。生い立ちと立場による自覚はあるが、薄情な己に時折自嘲したくなることもある。

 だからこそ、だろうか。


 クラリスの表情に、声の響きに、それらが作り出す不協和音に違和感を抱くのは。


 いつも通りの振る舞いだ。毎日聞いている声だ。マリアとしょっちゅう抱き合って、慰めてもらって、それでも健気に奮起しようとする彼女そのものだ。

 しかし、どこかで。



 ぱきん、と。何かが割れた音をエルスターは確かに聞いた。



 原因は分からない。

 否、知りたくはない。目を逸らしたくなるのを懸命に堪え、今後のことを組み立てる。


 ――ウィルに、相談するしかないのかね。


 頼りっぱなしになるのはしゃくに障るが、他に頼れる者がいない。魔女を頼るのはご免だが、最悪の場合は力を借りることになるだろう。

 彼女達から目を離し、エルスターはもう一度遠くの二人を眺める。

 幸せいっぱいといった風に並ぶ背中。リヴェルがあんな風に笑っている姿に、心の底から喜びを覚えた。

 魔女はともかく、彼には幸せになってもらいたい。


 ――証明、して欲しかった。他ならぬ、自分の前で。


 だから。



「……、ここが踏ん張りどころなのだよ」



 独り言の様に、風に紛れて彼へと囁く。

 だが、その囁きが彼に届くことはついぞ無かった。


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