第十三章 荒野の英雄(終)

 中庭に面した食堂はガラス張りで、夜陰を侵食するように外を照らしていた。漏れ出た光を頼りにして、ダンは読みかけの本をめくった。


 月明かりに照らされた青白い中庭。就寝の時間まであとわずか。その時を惜しむようにして、エスティ、パティ、レイリア、ヒナの四人は談笑していた。


「しっかし、さっきは凄い迫力だったね!」


 エスティは笑いながら食堂でのひと悶着を振り返った。


「凄いでしょ?怒ったお姉様は本当に怖いんだから」


 ヒナの言葉にレイリアは顔を赤らめた。


「ごめんなさいね。私も荒地ワイルド出身だから……育ちが悪いのがバレてしまうわね」


 はにかんで笑うレイリアにエスティはかぶりを振った。


「ぜんぜん!大丈夫よ!私も荒地ワイルドの施設で育ったから、育ちなんかよくないもの」

「そ、そんなの、私は関係ないと思います。レイリアさんも、エスティさんも、とっても素敵です。あ、あ、憧れちゃいます。」


 一生懸命に思いを伝えようとする二人にレイリアは恥ずかしそうに手を振った。


 そんなレイリアの隣でヒナが口を挟む。


「お姉様は我ら第七特騎、自慢の隊長なんですからね」


 満面の笑みで胸を張るヒナに全員で爆笑した。笑い過ぎて涙を拭うエスティを見ながらダンは唇を少しだけ緩めて笑った。


「私たちはもう、一年もここで戦っているの」

「一年も!?」


 エスティは思わず声を上げた。センチュリアの猛攻に一年間も耐える地域などなかなかあるものではない。


 センチュリアがホーライ地区を三つの前線基地で包囲したのが一年前のことであった。


 その作戦の主軸に置かれたのが第七特騎である。


「我々が任務について一ヶ月程たったころでした。白い『ティーゲル』タイプのドレスビーストに乗った女馬賊が現れたのです」


「それが、パイフーリーか……」


 ダンは本を閉じると口元に手を当てて唸った。


「噂には聞いたことが有ります。ずいぶん強いんですよね?」

「そりゃあそうよ!なんていったってあのパイフーリーよ?」


 ヒナが会話の横やりをいれる。敵の話をしているのに何故か自慢げである。


「パイフーリー……そんなに凄い人なの?」


「そうね、荒野の英雄って言われているわ」


「荒野の……英雄……」


 パイフーリーの正体は誰も知らない。


 ホーライ地区の自治を守り、時にはシティの物資を略奪し、貧しい人々に分け与える。

 人情に厚く弱者を助け、センチュリアに抗い続けるパイフーリーは、一部の人々からは英雄視されていた。


「英雄って……テロリストなんですよね?」


 パティが驚きの声をあげたが、エスティは冷静に受け止めた。


 荒野の貧しさを知るエスティには、彼らの気持ちがよく分かった。地雷原と放射能、餓えと貧困の中、痩せた大地を耕し、細々と生計を立てる彼らの生活をシティの人は知らなかった。いや、知識としては知っているかもしれない。しかしそれは、本当の生活を知っていることと大きな解離かいりがあった。


 シティ荒地ワイルドの貧困格差はそれだけ深刻な問題なのである。


「マズローの欲求五段階説って知ってる?」


 エスティはゆっくりと首を振った。


 心理学者マズローは人間の欲求は五段階の階層構造としてとらえた。


 第一は生理的欲求。

 衣食住の欲求。


 第二は安全欲求。

 安全に暮らしたい欲求。


 第三は社会的欲求。

 社会に受け入れられたい欲求。


 第四は承認欲求。

 他者から認められたい欲求。


 第五は自己実現欲求。

 あるべき自分になりたいと思う欲求。


 こうした欲求と欠乏から人は苦しみ、また希求することで成長しようとする。


「誰だって正しく生きていきたいの。だけどね……明日のご飯が食べられなければ、善も悪も無いでしょ?」


 レイリアは目を伏せ嘆息した。


 荒地ワイルドの治安は総じて悪い。


 犯罪を犯さなければ生きられない人々が多いからだ。

 もちろん、犯罪はいけないが、彼らを処罰するだけではなんの解決にもならない。


 餓死するくらいなら犯罪者になる方がマシだと思う者が現れるのは仕方の無いことだ。


「なんでだろうね。全ての欲求を満たしてもシティの人々は決して荒地ワイルドに還元しようとはしない。自分たちは欠乏していると思っている。荒地ワイルドでは第一の欲求だって満たされないのに」


 エスティの胸がチクりと痛んだ。


 自分だって、そんな荒地ワイルドを捨て、シティに活路を見い出したのである。


「レイリアはすごいね。私は自分のことで精いっぱいだった。」


 自分の住んでいた村は荒地ワイルドだったが、ココよりずっと安全で、少なくとも泥棒なんかしなくても生きていくことはできた。ここの住民に比べれば恥ずかしいくらい幸せだった。それでもエスティは欠乏を感じ、欲求を希求し、シティに出たのだ。


「エスティは頑張ってるよ。頑張り過ぎなくらいだ。」


 厳しくも優しいレイリアの言葉にエスティは瞳を潤ませた。


「あ、ありがとう……レイリア……」


 くすぐったい気持ちになり、自分の頭をくしゃくしゃと掻きむしる。


「僕はそろそろ寝るよ」


 ダンが立ち上がると、慌ててエスティも立ち上がる。


「あ!こんな時間だ!明日、出撃だったんだ!」


 慌てて立ち上がるエスティだったが、ふと立ち止まるとレイリアに向き直った。


「レイリア、明日、またここで……会えるかな?」

「え……?」


 エスティの提案にレイリアはびっくりして固まってしまった。


「嫌だった……?」


 固まるレイリアにエスティは心配そうな顔を向けた。


「そんなことないよ」


 レイリアの笑顔にエスティも笑顔になる。


「エスティさん……」


 パティがエスティの肩を抱いた。


 サクラバ・ビクトルとの戦いから、エスティは人を避けてきた。

 クラスメイト達にもなるべく会わないようにしてきたのだ。


 あんな戦い方、普通じゃない。


 きっとみんなに嫌われている。

 そう思っていた。


「またね……」


 手を振るレイリアにエスティは「またね」と小声で返した。


「エスティさん、よかったですね」


 笑うパティにしがみつき、エスティはちょっとだけ泣いた。



  ◇  ◆  ◇



 エスティと別れたレイリアは女子寮へと帰って行った。


「また、明日か」


 エスティとの約束を思い、独り言が口に出る。


「どうしたんですか?お姉さま?」


 その姿があまりにも陰鬱だったのでヒナは心配になる。


「いや、なんでもない」


 曖昧な返事で別れるとレイリアは自室へと向かった。


 自室のドアを開けようと鍵を差し込む、と鍵がかかっていないことに気づいた。


「あいつめ……」


 ため息交じりにゆっくりとドアを開ける。

 暗い部屋の中、電気もつけずに長身の男が立っていた。


「おまえさん、こんなところにいて良いのかい?」


 レイリアは伝法な口調になると厳しい瞳を男に投げつけた。

 男は笑みを絶やすことなくレイリアの瞳を受け止める。


荒地ワイルドには私の協力者がたくさんいるのだよ」


 レイリアはふんと鼻を鳴らすとドカっと大股でベッドに座り込んだ。


「明日の作戦は?」

「全軍で出撃だ。ホーライ自治区は持たないだろうな」


 男の言葉に、視線だけ向けるとレイリアは言い捨てた。


 圧倒的な戦力差で押し切る。戦力を出し惜しまないのはいい作戦だ。もっともセンチュリアは一年間も出し惜しみ続けてきたのだが……。


「勝つためには、ここのコックピットルームを潰すしかないようだね」


 顎を擦りながら話す男は、チェスを指すかのように冷静だった。


「俺がやる。俺しかいないんだろ?」


 男はレイリアの頬を撫でる。


「一年間ごくろうだったが、明日で終わりか」

「まあな」


 労いの言葉に上の空で返事をする。

 そんなレイリアを見て、男は面白そうに笑った。


「名残惜しいのか?白薔薇のレイリアを演じるのが……」

「ヘイムダル……!」


 男は、ヘイムダル・メイヤースは両手を突き出しレイリアに詫びた。


「しかし……第四特騎五機と第一特騎二十六機、第七特騎二十五機にセンチュリア本隊が三十機。よくもこれだけ集めたものだ。こちらは全部で四十機だと言うのに。困ったものだ」


 そんなヘイムダルは、まるで困っているようには見えない。打倒センチュリアの志にまさか偽りはなかろうが、彼の態度にはいつも諦観があった。きっと明日、自分の首が撥ねられるのだとしても同じ態度だろう。


「コジュウロウとギーメルがいてくれればな」

「その話だ。あの二人を本当にエスティ一人で倒したのか?」


 ポツリと零したヘイムダルにレイリアが食いついた。


「そうだ。あの娘が……『赤毛のエスティ』だ」


 ヘイムダルの声が低くなる。エスティにはいくらか関心があるようだ。こんな声を出せるのかとレイリアは驚く。と、同時にそんなヘイムダルにイラついた。


「『赤毛のエスティ』ねぇ。ま、俺には関係無えけどな」


 ギーメルを失った時だってこんな声は出さなかった。あの赤毛の娘が自分にぞっこんだったことを、まさか知らないなどとは言わせない。


 それでもこの男がセンチュリアに対抗しうる唯一の支援者であることは間違いない。その為の資金、人脈、そしてカリスマを兼ね備えている唯一の男。


「ったく!あのヘイムダル・メイヤースがこんなところにいるとはな……」


 吐き捨てるようなレイリアにヘイムダルは喉の奥で笑った。


「それは君も同じだろう……白虎のパイフーリー……?」


――白虎のパイフーリー。


 そう呼ばれるとリー・レイリアは口の端を釣り上げて笑った。


「さあてな?そう言うやつもいるが、俺は知らねぇ」


 この一年間。第七特騎の隊長としてセンチュリア軍に居ながら、パイフーリーとして戦ってきた。


 しかし、それも明日で終わる。


 仲間たちには申し訳が無いが、ずっと前から覚悟をしていたことだ。


――またね。


 エスティの赤い瞳を思い出す。


 明日、中庭には誰も来ない。


 それだけが、リー・レイリアの胸を締め付けた。



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