第七章 嘘と平和(終)


 研究所襲撃作戦から一週間後、ミズサワ・ラウリン達『機工クラス』は現地調査隊として研究所を訪れていた。


 研究所に残ったデータを回収するのが目的であった。

 この調査はシリウスが「実地訓練」と称してごり押ししたのだ。

 きっと『グリンブルスティ』とアオバのデータが欲しかったのだろう。


 ラゥリンはくせ毛を気にしながら通路を歩く。

 彼の背後には四足形態の『ヘングスト』がついてきていた。操縦しているのはシリウスだ。彼はマルクトシティから、この『ヘングスト』を遠隔操作していた。


「本当は俺も現地に行きたかったんだぜ」

「分かっていますよ。だから俺が代わりに来たんでしょ?」


 笑って返すラゥリンにシリウスは「すまんな」と珍しく神妙な面持ちだ。


 占拠したとは言え、敵の研究施設など何が起こるか分からない。本来なら学生を現地に送り込むなど有ってはならないことだった。


 シリウスは『グリンブルスティ』の解析とアオバの保護で忙しいので『シティ』から出ることはできない。

 しかし、他に送る人間もいない。彼は弟子のラゥリンとミネルヴァ以外、誰一人信用してはいなかった。


 第六世代ドレスビースト『グリンブルスティ』が回収されたのは最下層の広間である


 がらんとした広間にいくつかの機器と大量の檻が放置されていた。

 ここにいた動物たちは順次、移送され残っているのはわずかな獣臭さだけだった。


「なんでこんなところに動物が……?」

「それを調べにお前をったんだろ?」


 『ヘングスト』からシリウスの声が響く。


「でも、端末に情報なんて残しておくのかな?」

「それは調べてみないと……」


——突然、『ヘングスト』の首が飛んだ。


 次いで、四本の足の全てが切られる。それもトマトのようにスッパリとだ。


 バラバラになった『ヘングスト』はその機能を失い、シリウスとの交信は途絶えてしまった。


 突如として一人になったラゥリンが助けを呼ぼうとした瞬間、後ろから羽交い絞めにされ、口をふさがれた。


(なんだ?こいつら?一体なんなんだ?)


 ラゥリンは大きな目をさらに広げ、恐怖に耐えることで精いっぱいだった。


「喋らないで。命がおしかったらね」


 女の声だった。


 鋭く冷たい声だ。彼女にはラゥリンの命はきっと惜しくは無いのだろう。


 ラゥリンは恐怖の中、何とか二度三度と首を縦に振った。


「もうしばらく待ってくれるかな。ここのデータを回収したいのでね」


 首が動かせないラゥリンは眼球だけ、声の方へと向けた。


 金髪の男が端末を操作している。シリウスより少し上くらい、三十半ばくらいの男だ。


 こちらを一瞥することもなく、ディスプレイに集中している。


 研究施設はセンチュリア本軍に包囲されている。テロリストなど袋のネズミだ。


 だが、ディスプレイの青い光に照らされるその顔は、まるでお気に入りのカフェで読書をする時のように余裕に満ちていた。


「まだかかるな……退屈だ。君、少し話をしよう」


 男がこちらを振り向く。

 その顔を見た瞬間、ラゥリンの顔から血の気が失せた。


(ヘイムダル=メイヤース)


 それは、この世で最も危険な男だった。


 世界各地でのテロ請負人。

 死と災厄の伝道師。


 その首には何千万もの懸賞金が賭けられた悪のカリスマだった。


 ラゥリンの表情が変わったのを見て、ヘイムダルは楽しそうに目を細めた。


「感心だな。近頃の若者は新聞を読まないと聞いているが、私の顔が分かるようだね?」


 当たり前だ。

 自分の国の大統領が分からなくても、この男の顔だけは分かる。


 この男が、悪の根源なのだ。


 ラゥリンは少しずつ落ち着きを取り戻すと、ヘイムダルを睨めつけた。


 そんなラゥリンをヘイムダルは楽しそうに見ている。


「ギーメル。彼は何か話したそうだ」


 ギーメルと呼ばれた女はラゥリンの口だけを開放すると首に腕を巻き付けた。


「少しでも動いたら首をねじ切る」


 ギーメルの言葉は鋭く短い。

 耳に熱い息がかかる。だが、ラゥリンの背筋は一層冷え込んだ。


「君はマルクト高校『機工クラス』の学生だね。ということはシリウス博士の助手、と言ったところだろう?」

「そ、そうだ。お前達の狙いはなんだ?」


 ラゥリンは雄々しくも詰問した。

 ギーメルの腕にギリリと力が入り、ラゥリンはせき込むのを堪えねばならなかった。


「私達の目的はセンチュリア帝国の欺瞞ぎまんあばくことだ。」


 ヘイムダルの言葉にラゥリンはなおも抵抗した。


「欺瞞だと?世界平和の為にテロを起こすことの方が欺瞞なんじゃないのか?」


 ラゥリンの声が大きくなると、ギーメルの腕がさらに締まった。


「ヘイム様。こいつ殺しましょう」

「まて、ギーメル。この子にほんの少し、世界の歪みを見せてやろう」


 ヘイムダルは楽しそうにラゥリンを眺めている。

 彼は、この無垢なる少年に世の中の不条理を見せてやることで、どんな顔をするのか見てやろうと思っていた。


「君はドレスビーストの整備をしているのだろうが、基底核部バーゼル・ブロックの中は見たことは無いだろう。違うかい?」


「そ、そんなの軍事機密じゃないか。」


「そうだ。秘密なんだよ」


 呟くと、ヘイムダルは右手を上げた。


 闇の中からドレスビーストが現れる。

 見たことのない濃紺のドレスビーストだった。


「シックスナンバーズ642番『ヤツフサ』だ。」


 さっき、『ヘングスト』を倒したのはこのドレスだったようだ。


「大脳基底核をAIで造る。それがドレスビーストだ。」


 それによって自立、歩行、走行、姿勢制御を行う。


「そんなことは知っている」


「だが、それでは確率変動現象は起こせない。AIだけではね」


「でも第五世代ドレスビーストは……」


「そう、第五世代ドレスビーストからは確率変動現象が起こせる。それにはある部品が必要だ」


 ——ある部品。


 ラゥリンは機工科では成績優秀者では無かった。だが、幼少より機械工として育った彼は技術者としては一流だった。


 そんな彼でもなんて知らなかった。


「知りたいだろう?」


 ヘイムダルが右手をまっすぐこちらに伸ばす。


 それは契約を待つ悪魔のように魅惑的だった。


 技術者としてのラゥリンの好奇心キュオリシティ

 センチュリア機工兵としての順法精神コンプライアンス

 センチュリア国民としての良心コモンセンス


 あらゆる感情が相互に抑圧しあい、ラゥリンの心をさいなんだ


「何も悩むことではない。知りたいと思うことは大切だ。その好奇心こそが人間を人間足らしめる」


 人間は何かを求め、知りたいという欲求によって生きている。


 何を求めるか。

 何を望むか。


 それは自分自身の個性を決定する重要事項だ。


「子供は知らなくていい?私はそうは思わない。いや、むしろ子どもこそ知らなくてはいけない。真実はいつも残酷だ。だが、それを知らなくては何も始まらない」


 ヘイムダルの声は落ち着いて、理知的で、心地よかった。

 何より、その言葉の奥には激しい情熱が感じられた。


「知りたいのだろう?」


 ヘイムダルの言葉にラゥリンはついに頷いた。


 ヘイムダル切れ長の目を細めて笑うと「コジュウロウ!」と合図した。


 重い駆動音と共に紺色のドレスビースト『ヤツフサ』は振動刀を振るうと『ヘングスト』の基底核部バーゼル・ブロックを真二つにスライスした。


「ギャー!」


 耳をつんざおぞましい叫び声と共に、基底核部バーゼル・ブロックの中から一頭の馬が倒れ出た。


 その馬は立ち上がろうとしばらくもがくが、やがて息絶えた。


 ラゥリンは、その馬から視線を外すことができず硬直した。

 外眼筋を含めた全身の筋肉が全て収縮し、身動きが取れなかった。


こいつ基底核部バーゼル・ブロックの最重要部品……生体部品だ」


 ヘイムダルは、笑っていた顔を引き締めるとひざまずき、その馬の目をそっと閉じた。


――生体部品?

  これが大脳基底核を模した回路、基底核部の正体?

  本物の大脳基底核を使っているだけじゃないか。


「こんなものが……こんなことが、可能なのか?」


 絞り出すようなラゥリンの言葉にヘイムダルは応えた。


「可能なんだよ。倫理さえ無ければね」


 ラゥリンは言葉を失った。


「『雄馬ヘングスト』には馬が入っていた。では『ヴォルフ』や『ヴィルトシュバイン』にはなにが入っているんだろうね?」

「それは……」


 ラゥリンは言いかけた言葉を飲み込んだ。

 ヘイムダルは楽しそうに笑いながらも、その視線は鋭く真っ直ぐにこちらを射抜いていた。


「そして……『600番台シックスナンバーズ』には何が入っているんだろうね?」


 ヘイムダルの視線は更に鋭く、声は低くなる。


 『600番台シックスナンバーズ』の中身?


 それは当然、500番台よりも、ずっと神経細胞が多い獣が入っているはずだ。つまり大きな脳を持った生物……。


 それはつまり………!?


 ラゥリンは一つの仮説にたどり着いた。と、同時に激しくおののいた。

 膝が震え、立っていることができない。


 自分達は、こんなものを整備していた。

 こんな恐ろしいものを。


 ラゥリンは歯を食いしばり、声を押し殺し泣き出した。


 頬を伝う涙がギーメルの腕を濡らした。


「もう死んでしまった。この馬を生きたまま出す方法はヤナガセ・ソレアしか知らない」


 ヤナガセ・ソレア。

 ドレスビーストの生みの親。

 世界を平定し、千年の平和を約束した正義の科学者。だが、この恐ろしい兵器を作った狂科学者マッドサイエンティストでもあった。


「あの女は戦争を終わらせるために、悪魔に魂を売ったんだよ。いや、あの女こそが全ての悪魔の原初の母エオ・マイヤということだ」


 ヘイムダルの顔は先程までの笑顔は無く、野獣のような憤怒の相であった。


 対照的にラゥリンはぐったりと力を失った。


 ギーメルが腕の力を緩めると、その場にへたり込み泣き崩れた。


「こんなことが……許されるのか」


 涙を流すラゥリンの頬をギーメルはそっと撫でた。


「神はそれを許してしまった。でも、私達は決してセンチュリアを許さない」


 ラゥリンはうち捨てられた子犬が清らかな聖女を見上げるように、ギーメルの赤い瞳を見つめた。


 その瞳はルビーのように高潔だった。

 鮮血のように切実だった。

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